忘れてはいけないこと
絵さえ搬入してしまえば終わると思ったのは考え違いだった。作業はまだまだあった。
正直生き返り課に入ってこんな作業が待っているとは思いもしなかった。
絵を展示する作業も大変だった。どう考えても、学芸員とか美術館の職員がやる作業だ。
やはり坂田は梱包作業と同じように、もういいじゃないかと思えるほどのこだわりをみせていた。
絵はただ飾ればいいというものではないらしい。ほとんど同じように見える街の絵でも、彼にとっては全く違うように見えているらしかった。一度掛けた絵を何度も入れ替えたり、近くに寄って見たり、遠くから離れて見たり、一見無駄に見えるような作業をずっと繰り返していた。
「そこ、入れ替えてください。あ、ちゃんと優しく持って。絵の具が剥がれます」
白瀬はそれを急かしたりすることもなく手伝っていた。
梱包や搬入で体を動かしていたおかげで、和季はすでにくたくただ。白瀬は疲れた様子も見せていなかった。
作業を終えた頃にはすっかり日が暮れていた。
「もうこんな時間だったんですか?」
終わった途端にようやくかなり時間が経過していることに気付いたように、坂田が呟いた。途中で帰ってくれと言われるのを期待してしまっていたが、無駄だった。
「時間越えてますが、施設の人には伝えておいたので大丈夫です。鍵も借りてますし。これで明日からは公開できます」
いつの間にそんな手配をしていたのか、当たり前のように白瀬が答える。確かに、公民館の中に他に人気は無い。坂田は気付いていないようだが、というかそんなことは知らないに決まっているが、和季と白瀬の勤務時間もとっくに終わっている。生き返りを担当しているときは変則的になるとは聞いてはいたが、なんとなく時間どおりに帰れないのは損している気がする。
「……すみません。あの……」
最初に会ったときのおどおど様子に戻った坂田が、言いにくそうに口ごもって下を向く。
「明日もここにいてもらっていいでしょう……か?」
坂田の声は弱々しい。
「もちろんです」
白瀬が即答する。ということは、和季も付き合わなければならないということだ。
「……よかった。他に頼める人もいないのでありがたいです。受付よろしくお願いします。一人じゃ難しいので」
「では、明日もよろしくお願いします」
和季には、白瀬のように笑顔で答えることは出来ない。今日だけで、すでに疲れた。
帰りの車の中には、ラジオの音だけが流れていた。単調に話す声に、思わず眠ってしまいそうになる。だが、白瀬に運転をさせておいて眠るわけにはいかない。
横目で見える白瀬は引き締まった顔を崩さずに、真っ直ぐ前を見てハンドルを握っている。
信号で車が止まる。
白瀬は疲れていないのだろうか。そう思ったときだった。
ふわ、と小さく白瀬が欠伸をした。それから、和季に見られていないか気になったのか、ちらりとこちらを見る。
慌てて和季は目を逸らした。全く見ていませんでしたよ、という態度を装う。
信じてくれたのか、信号が青になったからなのか、白瀬が再び前を向いた。
車が動き出す。
ほっとした。白瀬の欠伸は、疲労から来ているもののように見えた。
白瀬も疲れていたのだ。和季だけではなかった。
「……あの」
そう思うと、一つ聞いてみたくなった。少しだけ気が緩んで、口に出しやすくなったというのもある。
「なに?」
「坂田さんのことですけど、絵に関することだと人が変わったみたいでしたね」
本当なら、わがまま放題でしたね、と言いたいところだったがどこまで言っていいのかわからずにオブラートに包んだ表現になる。
「うん、真剣だったよね」
白瀬の言葉もどこまでが本気なのかわからない。理不尽に指図ばかりされて不満ではなかったのだろうか。
「必死なんだよ。時間が無いんだから」
言われて、そんな単純なことを忘れていたと気付く。
坂田と一緒にいながら忘れてしまっていた。
坂田はあまりに普通の人と同じだった。
そう、彼に残された時間は、あまりに少ないのだ。




