坂田の望み
「……僕の絵を、観て欲しいんです。誰かに」
「観て欲しい、ですか。というと」
「……」
坂田は黙っている。
「今は色々ありますよね。ネットで絵を公開したりとか。あまり詳しくは存じ上げないのですが、ネット上なら比較的簡単に出来るのではないですか?」
白瀬の提案に、何故か坂田の顔が曇る。
「そういうのなら……、やってます。ほとんど反応ありませんが」
「そうでしたか。申し訳ありません。でしたら、坂田さんがおっしゃっているのは実際に個展を開く、ということでしょうか?」
坂田がぎょろりと目を動かして、白瀬を見る。それから、小さく頷いた。
「個展を開きたいというのであれば、お手伝いは出来ます。微力ですが、出来る限りのことはさせて頂きます」
「え、ああ、はい」
提案の何が気に入らないのか、急に肩を落として坂田は弱々しくため息を吐く。
「……でも、そんなもの開いたところで人が来るかどうかわからないですよ。ずっと描き続けてはいるんですが、まだほとんど売れたことが無いんです。収入もバイトでなんとかしているような状態ですし。賞も芸大にいたときに小さいのに入ったくらいで、それからは何も無くて。それで勘違いしてここまで来てしまったんですよね。ネットでは少し観てくれる人もいますけど。お前なんて大したことないって叩かれることもあるくらいで。ははは」
急に饒舌になった坂田は、自嘲気味に口の端をつり上げる。その顔に、キャンバスの中に広がる暗い街角と同じものを和季は見た気がした。言葉は早口で聞き取りづらい。
「きっと僕の絵なんてテレビでやってる鑑定の番組にでも出されて、千円かそこらの値がついてがっかりされるくらいですよ。それでもまだテレビに映るだけいいか……」
これまで和季は描いている側のことを考えたことが無かった。有名な画家の絵ではないことが判明してがっかりする依頼人を見てかわいそうだとは思っていたが、描いた側のことまでは思い至っていなかった。確かに、自分が描いたものに価値が付かないことは悲しいことなのかもしれない。
目の前の坂田のように笑いが歪んでしまうくらいに。
「観て欲しいには、観て欲しいんですけどね。僕の絵なんかどうせ……」
「個展、やりましょうか」
坂田の言葉を遮るように、白瀬が言った。今の話を全く聞いていなかったのかと和季は白瀬の顔を見る。
「は?」
坂田も訳がわからないといった顔で白瀬を見ている。
「僕の話、聞いてました?」
「はい。聞いていました」
「だったら、どうして無神経にそんなこと言えるんですか?」
何を言いだしたんだこの人は、と言わんばかりに坂田が白瀬を睨み付けている。元々が大人しめの風貌なので迫力は無いのだが、それが和季に向けられたものだったらと思うだけで帰りたくなる。一応希望も聞いたし、本人もいいと言っているのだし、一通りの説明だって終わっている。仕事の範囲はすでに越えているのではないだろうか。
これ以上、何か必要だろうか。
白瀬は目を逸らすこともなく、真っ直ぐに坂田のことを見ている。
「無神経だというのは謝ります。ただ、私は坂田さんに後悔して欲しくないだけです。ただ、一番やりたいことをやってもらいたいと思っているだけです」
「……僕の、一番やりたい、こと。人が来るかもわからないのに?」
「ええ。やってみないことにはわかりません。本当にそうなのか」
「今から準備して間に合うんですか? 会場だってどうするんですか」
「間に合わせましょう。どうにかしましょう。出来る限りのお手伝いはします」
坂田の反論に臆することなく、白瀬は答える。
坂田は白瀬の視線から逃げるように目を逸らした。
「僕、は……、僕がやりたいのは……。最期、に?」
小さく、独り言のように坂田が呟いている。それから、部屋の中に置かれた街を見回す。白瀬に向き直る。
「……わかりました。お願いします」
坂田の言葉に白瀬が頷く。




