初めてのお仕事
和季が生き返り課に配属されて三日目。このまま生き返りがずっと出なければいいと思い始めていた頃、電話が鳴った。
デスクワークの方が和季には合っている。人と接するより、黙々と書類と向き合っている方が好きなのだ。
それでも、いつか生き返りと向き合わなければならいことは配属されたときからわかっていた。
電話を取ったのは松下だった。
いつもと変わらない穏やかな声で、松下が電話に応対している。聞いているだけで落ち着く松下の声は、電話の向こうにいる人を安心させる効果もあるのではないかと思える。
「……もう自宅に戻られているのですね。はい。ありがとうございます。では、そちらに向かわせますので。失礼します」
相手が先に切るのを待っていたのか、少しの間を置いてから松下が受話器を置く。それから、くるりと和季の方へ顔を向けた。
「白瀬さん、萩本君。お仕事ですよ」
いつか来るものだとわかってはいたが、身体がすくんでしまう。
白瀬はきびきびした動作で立ち上がって、松下の机へと向かう。和季も慌ててそれに続いた。
「ええと、今回は生き返りが起きたのは坂田友典さん、三十四歳。今は自宅に戻られていると。住所は、こちらですね」
松下がさっき電話をしながら取っていたらしいメモを白瀬に渡す。几帳面な文字で書かれた住所と名前が見えた。
「萩本君、初仕事がんばってね」
「は、はい!」
答えながらも、頭の中は空っぽだ。どうしていいかわからない。
「まずは持って行く書類を揃える」
白瀬に言われて、やらなければならないことを思い出す。配属されてからの数日間で説明されていたのだが、実際にやれと言われると別だ。
棚の中に保管されている書類を確認しながら集める。が、もたついている和季の後ろから白瀬の手が伸びてきて、慣れた手つきで全てを揃えてしまった。
「行くよ」
「は、はい!」
白瀬はすでに和季に背を向けて歩き出している。和季も急いでその背中を追った。
市役所の名前が入った白い軽自動車の助手席に座る和季の手は、じっとりと汗ばんでいた。
「とりあえず私のやること見といてくれればいいから、そんなに緊張しなくてもいいよ」
緊張している和季を見かねたのか運転席から白瀬が声を掛けてくれる。見てわかるくらいガチガチだったらしい。恥ずかしいが、そう言ってもらえるのはありがたかった。
「は、はい。よろしくお願いします」
声が震える。このまま生き返りの人がいる場所に着かなければいいとまで思ってしまう。
だが、古そうなアパートの前で車は止まった。
白瀬が松下に渡されたメモとカーナビの地図を確認している。
喉が渇く。
「見てるだけでいいから、力抜いてて。そんなんじゃ、手と足が一緒に出そうだよ」
白瀬がさらりとした口調で言う。冗談を言って和ませようとしてくれているのかもしれないが、今の和季はそれが冗談にならないくらい酷い状況だ。
アパートのドアが開いて、むっと独特な臭いが漂った。思わず身体を引く。ガス漏れかと少し心配になるような異臭だ。
しかし、どこかで嗅いだことがあるような気もする。
開いたドアの向こうから、どことなく気の弱そうな男性が顔をのぞかせた。
部屋から出てきた男性は普通だった。
普通の人間だ。
顔色も悪くない。
色白なのが少し気になるが、元々なのかもしれない。
青白い肌をしているとか、普通の人と違うところがあるとか、変わったところは特に無い。
初めて会う生き返りに身構えていた和季は、ほっと胸を撫で下ろした。
「坂田友典さんですね」
「はい」
「市役所の生き返り課から参りました、白瀬と申します」
白瀬がふわりと笑った。少なくともこの三日間で見たことのない顔だったので、こんな顔が出来るのかと意外だった。
坂田は白瀬から差し出された名刺を受け取って、まじまじと眺めている。生き返り課、などと書いてある名刺は珍しいのだろう。
白瀬が何か言いたげに、視線を送ってくる。そこで気付いた。
「あ、ええと、生き返り課の萩本です」
見ているだけと言われたが、名乗るくらいはした方がよさそうだ。初心者マークを付けている訳でもない。この前、大西が言っていたように他の人から見れば新人かどうかなんてわからない。和季も職員の一人だとしか認識されない。
「坂田さんを三日間担当させて頂きます。よろしくお願い致します」
おろおろしている和季の横で、白瀬は話を進める。
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
坂田はどうすればいいかわからない、と言ったような顔で白瀬を見ている。
「説明と手続きなどがありますので、部屋へ上がってもよろしいでしょうか」
「……ええと、そうか。玄関ですぐ済むようなことじゃないんですね。困ったな。……散らかってますが、どうぞ」
「すみません。では、お邪魔致します」
「お邪魔いたします」
とりあえず、白瀬に続いて言っておく。
白瀬は靴を脱いでから身体のドアの方へと向き直り、丁寧に靴を整えている。もちろん、坂田に向かって背は向けないように身体を斜めにしている。就活の時に、それくらい知っておかなければとマナーで見た覚えはある。
白瀬の動きはとても自然だ。和季が同じようにしようとしても、ぎこちなくなってしまう。




