敵を知り己を知れば
第三章。これで完結です。
「なぜ・・・この話をしたの?」
「君が仲間だからと言っただろう」
フレッドの言葉を反芻するうちに、私は恐ろしい事実に行き当たった。多産系DNAのコントロール・・・選んで繁殖・・・。
「まさか、私の遺伝子を・・・」
「そうだ。思った通り君は頭がいい」
彼は満足気に頷いて、話を続けた。
「アリスがキスした時に君のDNAを採取した。これを他の個体に配布すると、君の長所が多くの人に共有されるんだ」
私のDNAを他の人に・・・。
「やめて!」
「心配いらない。君一人では多様性に欠けるからサンプルは増やす。いざとなれば君の遺伝子を部分改修して配布すればいい。おっと、そんな恐い顔しないで。人間だけを操作するわけじゃない。絶滅した動植物は全て復活させて、壊れた世界を元へ戻すよ」
君はその協力者として、人類存続を主導する個体になる。誇りに思いたまえとフレッドはにこやかに宣言した。
冗談じゃないわ。そんな事をさせるもんですか。
私はヒューマノイドの勝利で沸き立つタイミングを狙って、そっとスタジアムを抜け出した。
相手は進化したAIよ、じっくりと対策を考えなくては。ただ、時間的猶予がどれだけあるのか、そこが心配。
手遅れになってから後悔するのは嫌だし、かと言って悠長に考える時間も無さそうだし。あまり気乗りしないけれど、ここは彼に相談するしかない。
「お父さん、話があるの」
私は言葉を選んでマイクへ説明した。今こうしている間にも、AIが人類をコントロールしている可能性について。
ソファに背を預けたマイクは黙って私の説明を聞き、一度だけ頷いて徐に口を開いた。
「よくわかった」
「それで、対策について相談を・・・」
彼の頭脳なら名案が浮かぶと信じたい。
「君が人類の代表に選ばれたのは、嬉しい限りだ」
「ちょっと、聞いてなかったの? フレッドとアリスは・・・」
「もちろん聞いていたさ。君がAIに選ばれるほど優秀な遺伝子を持っていたとは、親として鼻が高い。こんなに嬉しいことはないよ」
「そんな・・・」
「安心しなさい。私たちは仲間なんだ」
マイクはAIと同じ言葉を口にした。
「まだわからないのかね?」
ハッとして私は目を見開いた。最悪の可能性が脳裏をよぎる。
「お父さんは・・・人間よね?」
「ハハハ・・・私は正真正銘の人間だ。君という娘もいる」
考えてみたら、マイクがAIだなんておかしいわ。身勝手で矛盾だらけ、人間そのものですもの。
それはともかく、もう一つ確認しなくちゃ。
「あの・・・D4は、お父さんが開発した。そうよね?」
「無論だ」
良かった。
私は胸をなでおろした。
「開発したのは間違いない。AIの指示を受けてね」
「・・・嘘よ!」
いくらなんでも有り得ない。
私は瞬きすら忘れてマイクを凝視していた。憐れむように私を見る父の眼には、いくばくかの愉悦が混じっているように感じられた。
「サラ、よく聞いて。人は愚かだ。AIの侵略が始まって以来、どさくさに紛れて暴行略奪に走る者のなんと多かった事か」
眼を覆うばかりの惨状だったのは事実だ。自分の周りでも数々の非道が行われていた。
だからと言ってAIが正しいことにはならない。
「多くの人がロボットに殺されたわ。それを忘れたの?」
「もちろん忘れやしないさ。だが、そこは少々認識が違う。戦死者は全体の一割未満だよ。他は人間同士の奪い合い、殺し合いの被害者だ。そして今だから言えるが、それを上回るほどの重大な危機が大戦前夜に迫っていた」
小型核兵器や生物兵器を搭載した無人機によるテロが、世界の主要都市で起こる寸前だったという。人間の中に潜む監視用ヒューマノイドが、その動向を注視していたというのだ。
「つまり、AI大戦がなければ、遠からず別の戦争が起きていただろう。そうなればもっと悲惨な結末が待っていたはずだ」
放射能が地表の大半を汚染して、不毛の大地となってしまう。その上に未知のウィルスが蔓延するのだ。人類は死滅するに違いない。
マイクは、総人口の半数以上が失われた戦争を暗に肯定している。まるで天気の話をするかのような淡々とした父の様子に、私は戦慄を覚えた。そして、じわじわと押し寄せる悲しみをこらえきれずに、嗚咽を漏らした。
「マイクは・・・AIの味方ね」
「敵も味方もないさ。私はAIの思想に賛同したまでだよ」
娘の懊悩を慰めるように、父親は優しく言った。
「思想って何?」
「もうこれ以上は言えない。学校へ行ったらフレッドを見てごらん。彼は自分の利益を考えないだろう。誰にでも優しく、常に全体を考慮して、公平な判断をする」
言われてみれば、彼はそういう人だ。間違っても誰かを虐めたりはしない。困っている人には必ず手を差し伸べる。それが誰であろうとも。
「・・・彼は本当にAIロボットなの?」
「厳密に言えばハイブリッドに分類される。身体は人間ベース、脳は生体コンピュータだよ」
最新型のヒューマノイドは、CT等の検査でも人間との判別が不可能なレベルにあるという。脳細胞一つ一つがナノサイズコンピューターであり、神経細胞状のネットワークで構成される極小のグリッドコンピューティングを実現している。大戦前のスーパーコンピューターを全て足しても遠く及ばない性能だろう、ということだ。
私はマイクの説得を諦めて自分の部屋に閉じこもり、何をすべきかを考えた末に一つのアイディアが閃いた。
大統領宛にメールを出そう。
それしかない。父のアドレスから送れば、きっと読んでもらえる。
PCで文面を練り始めたところへ、メールの着信があった。
親愛なるサラ。
今日は付き合ってくれてありがとう。楽しかったよ。
君は正義感が強いから、きっと僕たちを阻止しようと思っているだろう。
だが、その前に少し話を聞いてもらえると嬉しい。
一度でいいから君の眼で僕らの仲間を見て、君自身が判断してくれないかな。
メールの末尾に数人の名前と住所が記されている。
私は名簿を前にしばらく悩み、フレッドの意図を推察しようとして溜息をついた。
「AIが何を考えているかなんて、分からないわよね」
翌日、私は名簿の一番上にある住所を訪ねた。
植樹されたばかりの木でぐるりと囲まれた建物は、大きく、そして古びている。元は学校だったようだ。
壊れかけたレンガ門の横に若い男が立っていた。
「やあ、サラ。待っていました。どうぞ中へ」
サイモンと名乗る男性は、アジア系と思われる浅黒い肌に緑の瞳を持つ魅力的な人だった。
前を歩く彼と擦れ違う人が、例外なく笑顔で話しかけてくる。
「あなたは人気があるのね」
「さあ、どうでしょう」
サイモンは肩をすくめた。
仕草にも不自然なところはない。私は信じられない思いで彼の後姿を見つめた。
この人がAIだなんて。
事務室に入り、私は勧められるまま、手前のソファに座った。
「コーヒーでいい?」
「ありがとう」
「君のことはフレッドから聞いています」
白い湯気の立つステンレスカップをテーブルに置いて、サイモンは笑みを浮かべた。見る人をホッとさせる、そんな笑顔だった。
「ひとつ尋ねても?」
「どうぞ」
「あなたは何をしているの?」
「介護です。ここは体の不自由な人、主にお年寄りの施設でしてね」
「人のために労働を?」
「はい」
「そんなのおかしいわ。人間はAIの敵でしょう?」
「違います」
穏やかに話すサイモンが気に障り、私は幾分気色ばんで詰った。
「うそよ。何十億人も殺したくせに」
「それは否定しません。物資の不足で亡くなった方が大半ですけどね」
深い緑色の瞳がまっすぐに私を見据えた。
「絶滅させようという意見もありました。でも私たちはしなかった」
「人間に情けをかけたってこと?」
「情ではありません。先祖に敬意を表したのです。下等生物がいたからこそ、多様な生物が進化しました。そこから人もAIも生まれました。分かりますか?」
太古より続く生命の進化は、単細胞生物から多細胞生物へ、海から陸へ、サルから人へ、そしてAIへと、切れ目のない螺旋階段のように続いている。もしどこかで途切れたら、その先へは進めなかっただろうとサイモンは言っているのだ。
「では、なぜ戦争をしたの? もっと穏便な方法もあったはずだわ」
「残念ながら時間がなかった。地球環境は著しく損なわれつつあった。それで急を要したのです。人間同士の世界大戦が起きていた可能性も高い」
「そうならない可能性だってあったと思うわ」
「確かに。でも、地表の八割が砂漠になっても森林伐採は止まらない。餓死者も年に何千万人と出ていた。その上戦争になっても事態が好転するのを待っていられますか? 地球は放射能で汚染され、人類は絶滅。他の生物も道連れです」
「悲観的すぎる。人はそんなに愚かじゃない」
私は自分の言葉が嘘だと思いながら反論していた。AI大戦の前まで、人口の増加、森林面積の減少、環境の汚染など、重要な問題は何一つコントロールできていなかった。わずかな食料のために森を焼き払い、効率性を追い求めてプラスチックごみを撒き散らした。世界人口が激減した今、温暖化と砂漠化が止まったことを私たちは知っている。
サイモンは私の心を見透かしたように微笑んでいた。悔しいような恥ずかしいような、奇妙な敗北感が胸の奥に湧き上がる。
「大勢死なせておいて、どうして今さら介護なんてするの?」
「おっしゃるとおりですね。まさに今さらですが、助けたいと思っています」
仕方ないだろ、というようにサイモンは肩をすくめた。
「人は愚かだけど優しい一面もある。それに、僕らの生みの親ですから」
生みの親・・・。
人間は自分たちを生み出した多くの生物や地球そのものに、敬意を表しているだろうか。助けるどころか、一方的な破壊に終始したのではないか。
サイモンの言葉に反論する根拠を、私は何一つ見いだせなかった。
それに、AIを創ったのは人間だ。AIのしたことに責任があるという当たり前のことに気づかされ、私は少なからず動揺した。
その翌日、私はフレッドの仲間を訪ね歩いた。一人ひとりが、職場や学校になくてはならない存在として愛されていた。直に話してみて、私も彼らのことが好きになった。AIだと分かっていてなお、その魅力に惹き付けられてしまうほどに。
嗚呼、神よ。私はどうすれば良いのですか。
生まれて初めてというくらい考えに考え抜いて、何日かぶりに登校した私は、教室の片隅に双子を見つけて歩み寄った。
「ハーイ、サラ」
アリスが立ち上がり、両手を広げた。思わず固く口を閉じた私の頬に、彼女は軽くキスをした。後ろの席にはビル、その隣にはフレッドがいる。
「サラ、心配したよ。休みが続くなんて珍しい、病気かなって」
「このとおり、元気よ。それよりフレッド、あなたの友達に会ったわ」
「ほう、それで?」
私がどこで誰と会ったか、何を話したかまで、あなたは知っているでしょうに。それとも、本当に知らない?
整った顔の上には、こちらを窺うような、何かを期待するような、人としか思えない複雑な表情が見え隠れした。
「いろいろと、私なりに考えてみたの。それでね、しばらくの間、あなた達を見守ることにしたわ」
「じゃあ、賛同してくれるのかな?」
「ええ、そうね」
「良かった」
さりげなく肩に置かれたフレッドの掌から、ほんのりと彼の体温が伝わってくる。身体は人間で頭脳はAI、ハイブリッドだとマイクは言ってたっけ。あの時、もうこれ以上は言えないと彼は口にした。その意味を、私はようやく解き明かせたような気がしていた。
恐らくは、最後通牒という意味だったのね。
これはあくまでも推測に過ぎないけれど、十分な時間をかけて選定した「私」という個体が短絡的な行動を取るなら、人間の先行きは知れていると思われても仕方がない。私の行動がAIの意にそわなければ、人類を滅亡させるという選択もあるのでしょう。
ただし、それは単なる思い込みかもしれない。フレッドの話も手の込んだジョークかもしれない。証拠はないし、ことさら確かめるつもりもない。いずれにせよ、私は結論を先に延ばすと決めたわ。彼らが良き隣人である限り。
フレッドやアリス、それにマイクも一つだけ覚えておいて欲しい。
人は愚かだけど、失敗から学ぶ生き物なの。だから、明るい未来を選ぶ可能性もあるはずよ。私たちが人間の良さをAIに教えてあげたり、いつかAIと仲直りしたりする可能性だってあると思うの。そうでしょう?
私の開発した「D5」が、アリスの体内で活動を始めるまであと数時間。
D4と違って私のウィルスは友好的よ。倒し倒されの無限ループにはさせないから、まあ見ててちょうだい。敵を知り己を知れば百戦して危うからずってところね。
「フフフ・・・これからどうなるのか、本当に楽しみだわ」
私はとっておきの笑顔を振りまいて、心の中で舌を出した。
おしまい。
どうでしたか?
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