ハイツ・デネブ②
ハイツ・デネブの外観は、「冥府」に存在する多くの建物と同様に、少し歪んだ円柱形である。その内部も、緩やかな螺旋状の廊下と、六畳ほどの小部屋から成り、およそ現代日本の建築物とは似ても似つかない。パリの芸術家が気まぐれで設計した作品だと言われても納得がいくほどに、およそ普通の感覚では思いつかないような建造物である。
それと似たような建物が何百と存在するのだから、「冥府」とはますます訳の分からない世界だな、と、厘は改めてそう考えた。
彼女の手には、「定立」の持続が切れ、京は半ば諦め気味にうなだれている不健康少年の姿が。
「ほら、着いたよ。ここが大部屋。他の部屋より広いから、みんなが集まるときに使ってるんだ」
そう言って、京から手を離す。べしゃり、と倒れこんだ少年は、一転、腹をくくったように立ち上がり、ドアノブに手をかけた。
「もう、ここまできたらもうヤケだ。自己紹介でもなんでもやってやるよ!」
彼が啖呵をきり、勢いよくドアを開けて、大部屋へと一歩を踏み出したとき――
カチリ、と、額に銃口が突きつけられた。
「へ?」
何が起こったか理解できないまま、間抜けな声を上げる。
目の前には、黒髪に黒縁メガネをかけ、黒い服を纏った、自分と同い年くらいの少年。
その手には、同じく真っ黒に染まった小さな拳銃が握られ、今、まさにその先端が京の額に押し当てられていた。
――「十六能力」!
とっさにそう判断し、回避行動を取ろうとした瞬間――黒ずくめの少年が、ニヤリと笑った。
バン!!
激しく、乾いた音が鳴り響く。
避ける暇などなかった。
黒い拳銃から放たれた弾は、コンマ数秒もかけずに京の額にぶつかり、その頭蓋骨を――
貫かなかった。
「ふぇ?」
またしても間抜けな声を発して、京はその場に座り込む。それは、ただ音に驚いただけであって、決して銃弾によるものではなかった。
空砲だったのだろうか? いや、そんなことはない。確かに、額に弾が当たる感触があった。だが、それは軽いデコピン以下の衝撃。丸めたティッシュを投げつけられた時ほどの感触しかなかった。
「もう、サン!いきなりイタズラしちゃ駄目でしょ!」
後ろから、京の体を押しのけて厘が部屋へと入る。その言葉は、目の前の黒ずくめの少年に向かって投げかけられていた。
「入団テストをしたまでだ。我ら、ハイツ・デネブの民の一員となるための、な」
「そんなものはないわよ!京、めちゃくちゃびっくりしてるじゃない!」
厘の「お叱り」を受けても身じろぎ一つせずに飄々と語る黒ずくめの少年は、改めて京のほうに向き直ると、低い声で自己紹介をした。
「俺はサン。『太陽を焼き尽くす黒点』の二つ名を持つ、ハイツ・デネブの戦闘員だ」
「は、はぁ」
なんと答えていいか分からず、曖昧な返事をする。
二つ名?戦闘員?
「全部、サンの妄想よ。こいつは16歳になっても中二病が治らないの」
「妄想ではない!サンとは世をしのぶ仮の名前だ。俺の本名は――」
「いいからいいから。豆鉄砲より弱い十六能力で戦闘員を名乗るのは無理があるわよ」
「むぅ、俺だって好きでこの能力を手に入れた訳じゃない。……俺の本当の能力は、もっとドカーンと威力があるやつなんだからな」
黒縁メガネを光らせ、サンと呼ばれた少年が反論する。
そのやり取りを聞きながら、京は「今の砲撃が彼の全力である」という事実に驚愕していた。
「『小人の親指』」
京の心中を見抜いたように、サンはそう呟いた。
「俺の十六能力だ。拳銃から、蚊も殺せないような銃弾を放つ。威力の調節は不可能だが、銃声の大きさはある程度コントロール可能。『冥府』で最弱の十六能力と呼ばれることもあるが、最弱こそが最強であるというのは能力バトルにおける定石――」
「はいはい、そのへんにしときなさい。おかしなこと言って、京を混乱させないで」
呆れ顔で厘に止められ、不服そうな顔をしながらも、黒ずくめの少年は後ろに引っ込んだ。
「相変わらず、サンくんは元気やねぇ」
ふと、部屋の奥からよく通る女性の声が聞こえてきた。
きこきこ、と、何かを漕ぐような音が聞こえた後、部屋の奥から一人の人物が姿を現す。
病院で見かけるような車椅子に座ったその女性は、艶のある短い黒髪に、赤い簪を映えさせながら、静かに京へと語りかけた。
「新入りくん、はじめまして。うちは山城 八千代といいます。一応、このハイツ・デネブのリーダー的な役割を担ってるんよ。これからなにかと大変やと思うけど、なんでも頼ってねぇ」
京都弁だろうか、独特のイントネーションで喋るその女性は、車椅子に座りながら、まっすぐな瞳で京を見据えていた。物腰は柔らかいが、どこか底知れないオーラのようなものを放っており、京は本能的に、「この人に逆らってはいけない」ということを感じ取った。
「あ、嵐山京です。よろしくお願いします……」
「そんなにかしこまらんでええよ。……あ、うちのこの格好が怖いんか?大丈夫やて、冥府での戦いでこうなったんとちゃうよ。これは元から」
八千代と名乗った女性は柔らかく笑うが、何と答えるべきか京は迷った。
そこで、厘が助け舟を出すように、八千代に語りかける。
「八千代さん。改めて、さっきは単独で明晰夢を追ってしまって、すいませんでした。どうしても、あいつを倒したくて」
「生きて返ってきたんやから、ええよ。それに、思わぬお土産も持って帰ってきたことやし」
車椅子の女性は、ちらりと京の方を見る。その眼差しにたじろいでしまう京だったが、そこで二人の会話に出てきた「お土産」とは自分のことであると気づいた。
またしても反応に困ったので、取り敢えずはにかんでみる。
八千代はそこでまた柔らかい笑顔を見せて、
「まぁ、これでまたハイツ・デネブが賑わうとええんやけどねぇ」
「……八千代さん」
その言葉に、ふたたび厘が影のある表情を見せる。
その真意は、京にはわからなかったが――ここで深入りすべきではないだろう、と考えて、新たな話題を探す。
「そ、そうだ!他の人は?」
厘、サン、八千代のほかに誰かいないか、部屋を見回す。
すると、学校の教室ほどある大部屋の隅で、ガラスのように透明なテーブルに突っ伏したまま動かない人物が、彼の目に入った。
顔を伏せているため確証は持てないが、おそらく女の子だろう。外国人のように銀色に輝く長い髪が、床すれすれまで伸びている。体格は小柄で、とても16歳より上には見えなかった。
「えーっと」
言葉を選ぶように、厘がつぶやく。
「彼女は、大久保 四乃。いつも寝てるけど、気にしないで。たぶん、しばらくは起きないし、起こすと期限が悪くなるから」
そう言われると、それ以上なにも言えなくなってしまう。変わった人もいるもんだ、いや、ここには変わった人しかいないけど、と京は心の中でぼやいた。
「これで、ハイツ・デネブの全員が出そろったわね」
厘がそう締めの言葉に入ると、京は少し驚いて周囲を見回す。
20人は住めそうなこの大きな建物で、住人がこれだけ?
いや、そもそもこの「冥府」は立派な町と呼べるほど広大な土地に「府民」が300人ほどしかいないというのだから、この人口密度は自然、いや、むしろ多いと言うべきなのだろうが――それにしても、なにか寂しい感じがするのは、気のせいではないだろう。
「いや、厘ちゃん。あとひとり、忘れてるで」
ふと、車椅子の女性――八千代が口を開く。そして、彼女は車椅子を壁際へと移動させて、
「出てきぃな、ガイくん」
ズドン!
と、恐ろしいほどの速さで、壁に向かって裏拳を決める。
……すると。
「ぶっほお!」
男性が噴き出すような声が聞こえ、壁が動いた。……否、壁と同化するようにその体の色を変化させていた青年が、姿を現したのだ。
いきなりの出来事に、京は目を丸くする。なんせ、壁だと思っていたところから、いきなり人が出現したのだ。その人物は身長185センチはあろうかという長身で、姿を見せた後であれば、むしろ今までなぜその存在に気づかなかったのかが不思議なほどの巨躯だといえる。気弱そうなその青年は、八千代に向かって何かを言いかけたあと、思いとどまったように口をつぐんだ。
代わりに説明をしたのは、車椅子に座る「リーダー」。
「彼は、寺田 垓くん。『十六能力』名は、『人見知らず』。姿をカメレオンみたいに隠すと同時に、他人から認識されづらくなる能力やね。……まぁ、うちの目はごまかせへんけど」
「み、見逃して、くれよ……。せっかく、か、隠れてたのに」
おどおどとした様子で、長身の青年は八千代に不満を漏らす。
少し苦笑いを浮かべながらも、京はガイくんと呼ばれた青年へと語りかけた。
「えっと、先輩、ってことですよね。よろしくお願いします。というか、俺って隠れるほど怖いですか……?」
「目、目つきが悪いだろう。気だるげなところにアウトローな感じがする。話しかけたら、何をされるかわからない……」
「被害妄想ですよ!俺がしんどそうなのは元からです」
「そ、そうか……」
いまだビクビクとした様子で、ガイは言葉をつむぐ。
人と関わるのを恐れずに、歩み寄るべきなのは、この先輩じゃないのか……と、京は呆れながらも、それ以上はなにも言わなかった。
「まぁ、これでホントに全員やね」
仕切りなおすように、車椅子の「リーダー」が告げる。
紅蓮の槍を操る、鳴滝 厘。
黒ずくめの拳銃使い、サン。
眠りこけたまま微動だにしない銀髪の少女、大久保 四乃。
臆病な潜伏者、寺田 垓。
――そして、車椅子に乗った京都弁の「リーダー」、山城 八千代。
彼女は、曇りなき目で京をまっすぐに見据えて。
「……ようこそ、嵐山 京くん。ハイツ・デネブは、君を歓迎するで」




