ハイツ・デネブ①
数十メートル先で倒れ、気絶する「装甲の男」の全身を、淡い光が覆った。
否。男の体そのものが、細かい光の粒となって飛散しているのだ。その様子は、まるで何百匹もの蛍が一斉に飛び立っていくようで。
「あれは……?」
「タイムリミットよ。この世界に来てから3年が経っても、ポイントを集められなかった者は――ああやって死ぬの」
あまりにも静かに進むその現象を眺めながら、厘が一瞬だけ切なそうな顔をしたのを、京は見逃さなかった。
――彼女はこの世界に来てから、何度この光景を見たのだろうか。
「安心して。あなたが殺したんじゃない。心配なら、『府民証』を見ればいいわ。あなたにポイントは入っていないはず」
「それは……」
何かを言いかけて、そこで止める。この瞬間に、口に出すべき言葉など、見つかるはずもなかった。
そんな会話をしているうちに、男の体はその全てを光に変え――跡形もなく、霧散した。
唯一残されたのは、夜の静寂だけ。
「これが、この世界で死ぬということ。……翻せば、この世界で生きることは、多くの死を目の当たりにするということでもある」
厘は、ただ、事実を、現実を告げた。
静かに佇む少年の胸に、言葉にできない感情が渦巻く。
「……『亀甲男』、だってよ。笑っちゃうじゃないか」
かろうじて出てきた言葉は、例えようもない感情で濡れていて。
「……あの人も、ここに来た最初の日――はじめて自分の『十六能力』を見たとき、きっと『なんじゃこの名前!』ってツッコんだんだと思う。それでも、戦って戦って――そして今日、死んだ」
装甲の男がどのようにして生きたのかは、京にはわからない。だが、もちろん、死にたくなんてなかったはずだ。――だから、無差別に人を襲うほど生に執着した。
「俺は……生きるよ。生き返るよ。姉ちゃんも一緒に」
右の拳を、握りしめる。自らに宿った、ふたつの力を確かめるように。
と、その時、何かを思い出すように厘が叫んだ。
「――そうだ!さっきの『十六能力』はなんなの!?『定立』とは違うみたいだったけど……。それに、お姉さんを探し出すっていうのも――」
いつもより早口でまくしたてる、その言葉が終わるか終わらないかのうちに――
京は、倒れこむようにして意識を失った。
*
ふわふわと、夢の中を漂う。
まるで、以前に姉の沙耶に「別れ」を告げられた時のように、曖昧な意識の中で、京は確かに声を聞いた。
姉の声ではない。
少しだけしわがれた、中年の男の声。
「……そこの、若いの。飛び降りとは感心しないねぇ、命を粗末に扱うんじゃないよ」
彼は、高い建物の縁に立ち、今まさに飛び降りようとしている京に向かって、そんな言葉を投げかけた。
朦朧とした意識の中、ゆっくりと振り向く。
そこには、ボロボロの白衣に身を包んだ、髭面の中年男性が立っていて。
「君のことは知っているよ、嵐山 京くん。……なんの因果か、僕たちはここで巡りあってしまった」
まるで漫画にでてくる「博士」のような恰好をした中年の男は、自分の髭を丁寧にいじりながら、京に向かって「その言葉」を投げかけた。
「もしも……君のお姉さんが、まだ生きていると言ったら。それでも君は、飛び降りをしようとするのかい?」
*
青い壁に囲まれた部屋で、目を覚ます。
意識を失っていたのは、1時間か、1日か。
京は、きょろきょろと辺りを見回した。自分は今、細長い台のようなものに寝かされている。その台は六畳ほどの小さな部屋の片隅に置かれたものであり、台のほかに家具らしきものはほとんど見当たらない。その台にしたって、ベッドというにはあまりにも粗末な代物であり、まるで誰も住んでいない廃墟にひとり置き去りにされたような感覚を覚える。
そしてなにより目を引くのは、全面が青一色に統一された四方の壁、天井、床だった。ここが、「冥府」に存在する建物の中の一室であることは、疑いようもない。
「……起きたみたいね。具合はどう?」
ドアの向こうから声が聞こえると同時に、厘が部屋へと入ってきた。その足取りは特別に変わったところはなく、「装甲の男」から受けた傷はもう治っているようだ。
「まぁ、大丈夫、かな」
肩を回し、掌を開閉させながら、そう答える。厘は安堵の表情を見せ、ひとつため息をつくと、京の寝ている台に腰かけた。
「たぶん、慣れない『十六能力』を使ったことによる反動が出たんだと思うよ。あれって、けっこう精神力使うから」
「そうか……。ここは、一体?」
「ハイツ・デネブ」
厘は簡潔に答えたが、京にはその意味するところがよくわからなかった。ハイツ、とは集合住宅のことだったか。昔、小さいころに姉の友達の家に遊びに行ったとき、そんな文字を見た気がする。そして、デネブとは、「夏の大三角」を構成する星のひとつだと、習った……と思う。
「私たちの拠点よ。『冥府』じゃ、一人で生活するのは危ないからね。何人かの集団で、お互いを助け合いながら生きていかなくちゃならない。私も、この世界に来てからすぐに、ある人に助けられて、そのままこの『ハイツ・デネブ』に住むことになったの」
そう説明する厘の目に、一瞬だけ陰りができたことを、京は知る由もなかった。
「起きたなら、みんなのところに挨拶に行きましょ。あなたも、ここに住むことになるかもしれないんだし」
そう言って腕を引っ張る少女に連れられて、京は起き上がり、広い廊下へと連れ出された。
……もしかすると、これは大勢の前で「自己紹介」をする流れではないのか。
大勢の前で何かを喋るという経験をしてこなかった、否、避けていた京にとっては由々しき事態だったが、栗色の髪の少女はそんなことはお構いなく、ぐいぐいと彼の腕を引っ張り階下へと誘っていく。
「ちょっと待ってくれ、まだ心の準備が……」
「なに言ってるの、怖くないから!みんないい人たちばっかりだし。……あ、ちょっと、『定立』を使うのやめなさい!ずるいわよ!」
「こうでもしないと無理矢理連れていかれるだろ!」
「人に歩み寄るため」に生まれた力を、人に会うのを避けるために使う。
白い魔方陣を展開して壁にしがみつく少年と、それを引きはがそうとする少女の攻防は、たっぷり3分間も続いたのだった。