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もうひとつの命題《テーゼ》


 ()()()()


 嫌な音が、京の脳を揺らす。

 何が起こったか、とっさに理解できなかった。


「厘……!」


 おぼつかない足取りで、厘の元へ駆け寄る。しかし、目の前に立ちふさがったのは、異様な雰囲気を醸し出す大きなシルエットだった。


「お、おまえは、何ポイント持ってる……?」


 その人物は、視点の定まっていない目で、京を睨みつける。

 京や厘よりも、年齢は一回り上。ぶくぶくと太った体には、エメラルドグリーンに輝く、亀の甲羅のような装甲が身につけられていた。


 ――他の、「府民」。甲羅のような装甲は、彼の十六能力イザヨイだろう。その分厚い装甲を使って、建物の上から落下してきて……厘を押し潰したのだ。


 そこまで考えて、京は自分が次にすべきことは何かを迷った。厘のところに駆け寄るべきか。逃げるべきか。それとも……戦うべきか。


「何ポイント持ってるかって、きいてんだよぉぉっ!」


 その男は、半狂乱になりながら叫ぶ。どこからどう見ても、まともな精神状態ではなかった。息を荒げ、全身を激しく震わせながら、地団駄を踏む。


 唖然としたまま、京は身動きをとることができなかった。


「逃げて、京……」


 弱々しい声が、かすかに聞こえた。厘だ。よかった、まだ生きていた――が、そうとうな傷を負っているようだ。無理もない、あれほどの巨体に押し潰されたのだから。


 震える手で、厘はペンダントの宝石を握りつぶし、「烈火矛槍レッカムソウ」を展開させた。倒れたまま、男に向かってその槍を突き出す。だが、弱った体から放たれたその矛先は、男の纏う装甲によっていとも簡単に阻まれた。


「は、はは、残念だったな、おれの『亀甲男キッコウマン』には、そんな攻撃はきかねえ」


 ニタニタと笑いながら、男は厘のほうに向きなおる。


「おまえ、鳴滝 厘だな。新人の中じゃ、トップクラスに強いっていう……。そんなら、さぞかしたくさんポイントを持ってんだろうなぁ!」


 甲羅を纏った男は、まるで獲物を見つけたハイエナのように、舌なめずりをしながら厘に近づく。

 そのとき、持ち主の傷の深さか、あるいは恐怖に反応するように――「烈火矛槍レッカムソウ」が厘の手から消失し、ペンダントに戻る。


「おれには、もう、時間がないんだ……。時間が……あ……ああ!」


 男の理性は、すでに崩壊していた。人間でなくなったかのような奇声を発し、厘に殴りかかる。

 姿勢を崩しながらも、厘はその拳を寸前で避け切り、京に向かって叫ぶ。


「この人は、もうすぐ3年の期限が終わって、死んでしまう『府民』よ!だから無差別に他の『府民』を襲っているんだわ。私が引きつけるから、早く逃げて!」


 その叫びが耳に届いても、京は退こうとはしなかった。


 厘を助けに行きたい。……だが、あの「烈火矛槍レッカムソウ」をも阻む装甲に対して、京ができることなどあるのだろうか。


 「定立テーゼ」は、およそ戦いには向かない力だ。それを差し引いても、「冥府」での殺し合いどころか現実世界の喧嘩すらしたことがない京には、3年間もこの世界で生き残り続けた男とまともに戦えるとは思えない。


「は、はは、あと……6000ポイント……今日中に集めねえとおれは死ぬんだ。嫌だ、嫌だ、嫌だぁ……」


 悪夢にうなされるかのように譫言うわごとを並べながら、装甲の男は拳を振り続ける。厘は幾度となく振り下ろされる攻撃を避け続けていたがーーついに、その一撃を受けてしまった。


「うっ……!」


 少女の体が吹き飛び、壁にぶつかる。その表情が、苦痛にゆがむ。


 京は、まだ動くことができなかった。

 ここで逃げれば、自分は助かるだろう。下手に助けに入れば、自分が標的にされて、死んでしまうかもしれない。

 こんな殺し合いの場でなくとも、誰かと衝突することを避け続けてきた京にとっては、一歩を踏み出して大男と戦うという選択肢を選ぶことは、足がすくむほど怖かった。


 ……それでも。



 ――ふたつ、誰かを拒絶できる強さを持ちなさい。

 


 心に残った姉の言葉が、京の拳に熱を加える。震えていた足が、確かに地面をとらえる。

 誰かを「拒絶」し、「否定」することは、時には「受け入れ」、「肯定」することよりも大切なのかもしれない。


 ……守りたいものがあるなら。




「――待てよ」


 大きく、一歩を踏み出す。


 もう、迷いはなかった。装甲を身につけた大男を「拒絶」するために、京はその足を進める。

 その時、彼のポケットの中の「府民証」が震え、画面に新たな文字列が生まれたことは、その場の誰も知る由もなかった。


「あ、ああ?」


 装甲の男が、厘に向けて振り上げた拳を下ろし、のそりとした動きで京のほうへと振り返る。



――――「No.936 嵐山 京」――――



 「敵」を見据えて、京は駆け出す。



――――「第1『十六能力イザヨイ』名  『定立テーゼ』」――――



 握りしめた拳の上には、()()魔方陣のような円が浮かんでいた。



――――「第2『十六能力イザヨイ』名」――――



 人と和解し、歩み寄るという命題テーゼではなく。


 その逆、誰かと争い、敵を遠ざけるための、力。



「おおおおおおおおおッ!!」





――――――――「『反定立アンチテーゼ』。




 脳が焼き切れ、灰となるような感覚に襲われながら、京は装甲の男に向けて「拒絶」の拳を叩きつけた。

 エメラルドグリーンの装甲が、激しい音をたてて軋む。



 ……そして。


 大男の体が、まるでゴムボールを床に叩きつけたような勢いで吹っ飛ぶ。拳がぶつかった箇所の装甲は砕け、その部分だけ男の生身の体が露出した。


 やがて地面に叩きつけられた男は、激しい衝撃音を残して、静かに動きを止める。


「……全部、思い出したよ」


 拳の上に展開された黒い魔方陣を眺めながら、ゆっくりと、京が呟く。


「俺の死因は、自殺であっても()()()()()()()()()()()


 頭が焼けるようなあの感覚は、失われていた記憶を思い出すための副作用。



「俺は、1年前に死んで、この世界に囚われた姉ちゃんを助けるために――この世界に来るために、死を選んだんだ」


 自殺をする前の記憶が、フラッシュバックする。 

 屋上の柵。眼下を行き交う人々。髭面の「博士」。時計に埋め尽くされた部屋。



「俺は、この世界で姉ちゃんを探し出す。そして、生き返らせる。……死んでも、だ」



 群青に染まる星空を見上げて、一人の少年が決意を新たにした。




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