喪失に至るカウントダウン⑥
【01:00】
そしてまた、京は「冥府」を駆ける。
先ほどまで休んでいた建物にも、人が入ってくる気配がしたので、それ以上は留まれなくなってしまったのだ。
残るは、あと一時間。その一時間を耐えれば、この「イベント」は終わり、京は地獄のような鬼ごっこから解放される。
しかし――その一時間が、果てしなく遠い。一度休んで少し回復した体力もすぐに底をつき、再び京は立ち止まってしまった。
(く、そっ……。あと少し、なのに――)
前方から、荒々しい足音。そして後ろからも、誰かが叫ぶ声が聞こえてきた。何人目かわからない、追手の気配。
最後の気力を振り絞って、京は右手に「反定立」を展開する。今ここで、死ぬわけにはいかないから。まだ生きる理由があるから、少年は抗う意思を見せる。
――と、その時、京の横に伸びる細い路地の中から、一本の細い腕がひょろりと這い出てきた。それに反応を示す前に、がしりと腕をつかまれる。
「なっ……!?」
予想外の方向からの、襲撃。とっさに右手の十六能力をその人物へとぶつけると、いともあっさりとそいつは吹き飛び、路地の上を転がった。
その人物がかけていた黒縁メガネが、宙を舞ったあと地面に激突する。
そこでようやく、京は謎の襲撃者の正体を悟った。
「――サン!?」
【00:35】
京の頭上から、バタバタと多くの人間が走り回る音が聞こえる。彼らはひとしきり動き終わると、急ぐような足取りで建物の中から出ていった。
その一部始終を耳に捉えながら、京は隣に座るサンに声をかける。
「……よく知ってたな、こんなところ」
そこは、ある建物の地下室だった。それも、ただの部屋ではない。一階にある大きな棚のような家具を移動させた先にある扉を通ってでしか入ることができない、隠された地下室だったのだ。
「逃げることと、死んだふりをすることに関しては、俺は神をも凌駕する」
格好をつけて格好良くない台詞を吐いたサンは、自身のトレードマークである黒縁メガネをくいっと上げて、なんとも形容しがたい決め顔を作った。
こんな時でも、こいつは相変わらずだな……と思いながらも、京は感謝の言葉を述べる。
「まあ、おかげで助かった。ここなら、制限時間いっぱいまで隠れられるかもな」
幸いにも、この地下室がある建物はおよそ五階建てであり、その床の面積も広い。京がこの建物にいるということは分かっても、その中を探索するのは骨が折れるはずだ。
そこで、京は自身の「府民証」を確認する。緊張で震える指先で画面を操作し、「メッセージ」機能を立ち上げた。
そこに羅列された名前のリストの中には、ちゃんとハイツ・デネブの面々の名前がある。
「よ、良かった……」
「あの人たちがそう簡単に死ぬかよ。八千代さんとかは、たぶん殺しても死なねえぜ」
本人に聞かれでもしたら、平手打ちが飛んできそうな台詞。薄暗い地下室の中で、京はその軽口に小さな笑いを浮かべた。
――ああ。まだ、死ねない。
この世界に来たばかりの時、京にとって自分が生きる意味とは「姉を助け出すこと」だけだった。しかし、「冥府」で数々の戦いを経験し、ハイツ・デネブの面々と共に生きた今は、彼らと共に生き返ることが、少年にとっての大きな目標になっているのだ。
まだまだ、自分は弱い。今回の「イベント」の中でも、自分は多くの人に助けられ、生き延びているに過ぎない。……だから、これからは、彼らを助けられるような自分になろう。
と、その時、サンが唐突にも京に質問を投げかけた。
「――なあ、京。オマエは、自分の意思と、自分が大切に思う人の意思が対立したとき……どちらを選ぶ?」
あまりにも脈絡のないその問いに、京は少しばかり面食らう。だが、そういえばこいつはいつもこんな感じだったな、と思い直して、その質問に返答する。
「……ざっくりしすぎて分かんねえよ。なんだその質問」
「いや、ちょっと思うところがあってな」
そう言って、サンは自らの黒い「輝石」を握りつぶす。「実体化」したのは、玩具のような小さな拳銃。
「小人の親指」。その銃弾にハエが止まるとまで言われる、「冥府」において最弱の十六能力。
「そもそも、選ぶだけの力があるかどうかが問題だ。弱ければ何もできない。何も為せない。自分の意思を通すためには、それなりの力が要る。……赤子では、銃の引き金はひけない」
「おいおい、なんの話だよ。いつもの中二病か?」
「真剣な話だ」
そう言って、彼はいつになく真面目な表情を作った。普段ならば、こういう時ですらも、次の瞬間にはふざけたことを言ってみせたりするのだが――今のサンは、そんなそぶりすら見せない。ただ、まっすぐに、京の目を見据える。
「俺の十六能力は、悲しいほどに俺自身の『生き様』を体現している。外見は銃なのに、能力は最弱。……初めてこの能力を見たとき、感心したぜ。この銃が、あまりにも俺そのものだったからだ。虚飾にまみれたそんな力じゃ、なにも変えられない」
「サン……?」
「その点、オマエの能力には意思がある。誰かを許容することと、拒絶すること。それは他ならないオマエ自身の選択だ。いつだって、自分の意思で道を拓くことができる力。……俺は、そんなオマエを、羨ましいとさえ思う」
歌うように、彼は饒舌に語る。いつもならば、彼のそんな言葉は聞き流してしまうところだが……このとき、なぜか、京にはこの瞬間を覚えておかなければならないという予感があった。
「――お前が何に悩んでるのかは知らないけど」
だから、京は、最初の質問に答えるべく、そして彼自身に応えるべく、その言葉を紡ぐ。
「俺は、自分の意思と、自分が大切に思う人の意思が対立したとき――自分の意思を選ぼうと思う。もちろん、迷うこともあるかもしれない。でも、そうしなきゃ、本当の意味で生きているとは言えないだろ?」
「……京」
「胸を張れよ、サン。お前は、最弱なんかじゃない。もちろん、強くもないけど……それでも、こんな殺伐とした世界で、いつもふざけてられるお前の精神力は、間違いなく人並み以上だ」
「それは褒め言葉じゃねえだろ」
京の軽口に、サンが笑う。その表情を見て、京はようやく、「友人」とはこんな関係の人間のことを指すことを知った。
――その時。
突然にも、京の視界に青い光の柱が映る。それは天井から床へと、高速の残像を残しながら、京たちのいる地下室の中を一周した。
「な……なんだ!?」
次の瞬間、京の頭上、地下室の天井が大きな音をたてて崩れ落ちた。二人はすぐさま部屋の端に逃げ込む。幸いにも瓦礫の直撃を免れた二人であったが、崩れ落ちてきた天井の向こうから、瓦礫よりも恐るべき刺客が姿を現す。
「……やはり、地下に逃げていたか」
【00:05】
その男は、穴が空いて繋がった一階からこの地下室に難なく飛び降りると、その隅で立ち尽くす二人を品定めするような視線を飛ばす。彼の顔には無数の深い傷跡があり、それだけでこの人物が只者ではないことが京には理解できた。現に、彼の右手に携えられた青い長剣を取り囲むように、同色の光の粒子が舞っている。天井を「くりぬいた」のは、間違いなく彼の「鮮光」だった。
「小賢しい……私がどれだけ貴様を探したと思っている?」
「そんなもん知らねーよ」
苛立ちに震えるその男の言葉を揶揄するように、サンが口を挟んだ。その言葉に、長剣の男はさらに神経を逆撫でされる。額に青筋を浮かべて、男は口を開いた。
「……どちらが嵐山 京とやらであるかは、この際どうでもいい。両方を殺せばよいのだからな。――だが、先に殺すのは、メガネのお前だ。貴様はどうにも癇に障る……!」
そう告げて、男は長剣を上段に構えた。深い青の剣先が、びりりと激しい威圧感を放つ。押し寄せる殺意の波に、京は思わず身震いした。
だが。
「ハッ、大したことなさそうな剣だな。俺が戦ってきた『狂戦士』のそれに比べりゃ、大根みたいなもんだ」
黒づくめの少年は、その圧力など全く感じていないかのように前に進み出る。
その行動の意味を、そして彼の真意を、京は言われずとも理解した。
彼は、時間稼ぎをしようとしているのだ。「イベント」の終了まで、あと少し。だが、京が先に狙われてしまえば、その時間になるまでに深手を負ってしまうかもしれない。――だから、サンは自分を先に狙わせるために、顔に傷を持つ男を挑発しているのだ。
しかし、その作戦は、彼が強者である場合にのみ成り立つ。客観的に見て、八千代あたりならばまだしも、サンにその役が務まるとは思えない。
「ほら、早くこいよ。俺の二十三の奥義でさっさと倒してやるぜ」
――それは、この少年も理解していた。理解していたからこそ、サンは、命をかけてでも、時間を稼ごうとしているのだ。
「だめだ――だめだ、サン!」
京は、自分がこの男と戦うため、自分を庇うように前に立つサンを押しのけようとした。しかし、度重なる十六能力の使用や、限界まで追い詰められた疲労によって、体がうまく動かない。
「……大丈夫だぜ、京。俺は、戦う」
京に背を向けたまま、黒づくめの少年はそう告げた。その言葉には、なによりも、誰よりも強い意思が込められていて。
京は、ただ何も言えず目を見開いた。
「ぬう……おおおッ!」
やがて、男の長剣が薄暗い地下室の中で閃く。その恐ろしいまでの速度にも、サンは臆しなかった。その男の眉間に目掛けて、右手の拳銃の引き金を引く。その光景を、京の網膜が捉える。
「サン――――――ッ!」
叫びは、甲高い銃声によって掻き消された。
鋭い刃によって、黒づくめの少年の肉体が切り裂かれる。狭い地下室の中を、あまりにも多くの鮮血が舞う。
およそ人間が生きていられるとは思えないほどの深い傷。――それにも関わらず、黒づくめの少年は倒れることなく堂々と立っていた。
「……ありがとな、京。おかげで迷いが吹っ切れたぜ」
こんな状況にあっても、彼は格好をつけたような口調で語る。痛みを超えて、もはや死がすぐそこまで迫ってきているというのに。
「――俺の「小人の親指」は、間違いなく『冥府』で最弱の十六能力だ。……だが、実はこんなことができる」
そして、彼はくるりと振り返り、京に向けて自らの十六能力の銃口をかざす。胸から腹にかけての深い傷が、京の目に映る。
黒い拳銃を握ったまま――サンは、自らの親指を上にたてて、サムズアップをしてみせた。
「武器を持ちながら、仲間の健闘を祈ることができるなんて……洒落た能力だとは思わねえか、京」
いつもと何一つ変わらない、ふざけた笑い。
彼の言葉に、京はただ、嗚咽をこらえて、精一杯に叫ぶ。
「思うはずないだろ、馬鹿野郎……!!」
そうして、彼の体は、黒い粒子となって溶け出す。それは、まるで何千匹もの蛍が一斉に飛び立っていくようで。幻想的な風景の中、京はただ感情のままに涙を流した。
その時。
【00:00】
ただ、無機質に。
「府民証」から、タイムアップを知らせる音が鳴り響いた。




