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メラク・トリリオン邸での宝探し⑨


 「メラク・トリリオン邸」最奥部に位置するその部屋に、静寂が戻る。しんとした空間に満ちるのは、奥の「玉座」の上に置かれた「宝」が発する光だけ。


 仰向けに倒れる青年の表情に、もはや闘争心は見られなかった。彼はただ、十六能力イザヨイが破壊された左手を天井にかざし、薄く目を細める。


「……理不尽だろ」


 彼は、誰に向けてでもなく、ぽつりと小さな言葉を漏らした。


十六能力イザヨイを無効化する十六能力イザヨイ。俺の力は、そういうモンだったはずだろ。……それが、なんでアイツのは消せねェんだよ」

 

 ある意味で、最も理不尽な能力を持っているはずだった青年は、しかし己のそれを嘆くように歯を食いしばる。


「なんでだよ。なんでこうも俺たちだけ苦しまなきゃなんねェんだよ。理不尽だろうが。不公平だろうが……!」

「兄さん……」


 その姿を見て、胸に空色の宝石のような十六能力イザヨイを宿した少女は、やり場のない感情を吐露するように、敬愛する兄の名を呟く。


 京は、今になって、この青年の心情が少しだけ分かるような気がした。彼は、その矛先が歪んでいるだけで、反骨心の塊のような人間なのだ。だからといって、「才能」のある人を憎むことは、もちろん間違っているが――それに立ち向かい、打破し、ねじ伏せようという彼の気概までは、どうして否定できようか。


 それはある意味で、彼が「生きている」証なのだ。京は、自分の生前を振り返ってみても、何かを為すために強い反骨心を持ったことなどなかった。何をするにも、自分にできるのはここまでで、あとはできなくても仕方がない――と諦め、それ以上粘ることなどなかったのだ。そういう意味で、彼は昔の京よりもずっと、ちゃんと、「生きている」のだ。


 確かに、京はこの青年を「拒絶」した。この先も、相容れることなどないだろう。――けれど、彼には彼の正しさがあって、信念がある。どれだけ歪んでいようとも、それは紛れもない真実であり、そこに京が干渉することなどできないはずだ。


「――クソ、こんな『弱者』に負けるなんざ、俺もまだまだだな。今回は、大人しく出直すとするか」


 そう呟いて、青年はゆっくりと起き上がる。そして、その体を部屋の奥へと向けて、ぐるりと京のほうを振り返ると――




「……とでも言うと思ったか、クソ雑魚野郎が!!」


 走り出す。


 細長い部屋の最奥部、王様が座るかのような豪華な装飾がなされた椅子の上に輝く「宝」を目指して、猫背の青年は全力疾走を始めた。



「なっ……!?」


 あまりに唐突な展開に、京の動きが固まる。厘も、サンも、そして優空という少女ですらも、驚愕の表情を浮かべて、恐るべき速度で離れていく青年の後ろ姿を見送る。


 確かに、京はあの青年を倒したが――厳密に言うと、この「イベント」自体に勝利した訳ではない。彼が戦意を失っている様子を見て、完全に油断していた。


 青年は姿勢の悪さに見合わないほどの速さで疾風の如く広間を駆け抜け、やがて玉座の前まで辿り着く。そして、彼が勝ち誇ったような笑みを浮かべて、光り輝く「それ」を手にする――――



 その、瞬間に。



 音もなく、空間が歪んだ。


 その時、京に認識できたのはそこまでだった。




「――が、あああっ!?」


 次に聞こえてきたのは、青年が苦痛に悶える声。断末魔の叫びのようなそれは、広い空間に不快な反響を呼ぶ。


「あ……あれ、は……?」


 その叫びが、不意に途切れたとき――京は、そこでようやく彼が何かに襲われているのだということを理解した。その大きな影を凝視しながら、少年は震える言葉を漏らす。


 全長5メートルはあろうかという、あまりにも巨大な物体がそこに浮いていた。その形状は、例えるならば海月くらげ。丸みを帯びた頭部から、何本もの長い触手が伸びている。薄いベージュ色の宝石のような物体で構成されているその怪物は、突如歪んだ空間の中から這い出て、無数の触手で猫背の青年の体を串刺しにしたのだ。



真醒明晰夢レム・ルシッドメア……!?」


 京の横でいまだ少女に銃口を向けたまま――サンは、驚愕と共にその言葉を漏らした。


「な、なんだよそれ!」

明晰夢ルシッドメアの、突然変異個体だ。普通は、滅多に現れるもんじゃないが……ここは『イベント』の終着点。このゲームの運営が、素直に『宝』を渡してくれるわけがないよな……!」


 普段はふざけた態度をとっている彼は、今に限って額に大粒の汗を浮かべ、切羽詰まった表情で「それ」を睨む。


 真醒明晰夢レム・ルシッドメアは、鋭利な触手を猫背の青年から引き抜くと、ゆっくりと空間を漂ってこちらに接近してくる。感情のない動きで、青年の「血」で濡れた触手を蠢かせ、ただ近くの「府民」を殺すために、その怪物は京たちの元に迫った。


「こ、こいつは――そんなにやばいヤツなのか!?」

「ああ。真醒明晰夢レム・ルシッドメアは、並の明晰夢ルシッドメアとは比べ物にならないほどの戦闘力を誇る、いわば明晰夢ルシッドメアの王だ。下手をしたら、この場にいる全員が死――」



 その時。


 焦燥に駆られた京の耳に、ある音が届いた。



 どくん。どくん。



 それは、低く、重く、鉛のような質量を持った音。



 どくん、どくん、どくん、どくん。



 それと同時に、少年の視界に入るのは空色の光。



 どくん、どくん、どくん、どくん、どくん、どくん――――!





 次の瞬間。



「あ――――あああああああああああっ!!」



 海月くらげのような怪物の威圧感を搔き消すほどの叫びが、「玉座の間」に響き渡った。それと同時に、人の形を失った影が、サンの手を振り切り、獣のように奥へと駆け出す。


「兄さんを よくも兄さんを――――ッ!」


 深草 優空は、人間を辞めてしまったかのような咆哮をあげながら、海月の怪物に恐るべき速度で迫る。その胸に輝く宝石の塊の中で、溢れんばかりの空色の光が荒れ狂う。


 十六能力イザヨイ――「倒打心音ビーティング・ビーツ」。


 それは、持ち主の心拍数に応じてその身体能力・治癒力を向上させる能力。


 人間の心拍数は平常時で1分間に70回ほどであり、限界まで早くなっても、200を少し超えるくらいである。だが、京から見ても、その空色の光が瞬く間隔は、1分間に200回では済まされないほど短く――この少女の心臓が、ヒトの限界を超えるほどの鼓動を鳴らしていることは容易に理解できた。


 そして――それほどまでの心拍数から生み出される彼女の動きは、もはや京には捉えられない。気がつけば、宝石が砕けるような音が響き、海月のような怪物の触手が丸い本体から引きちぎられているのが見えた。何本もの触手の間を黒い影が蠢き、真醒明晰夢レム・ルシッドメアを襲う。感情など存在しないはずの怪物が戸惑い、恐れおののく様を、京は確かに感じ取った。


「あああああああああああッ!!」


 聞く者の体を震え上がらせるような、悲痛な咆哮。それは痛みに満ち、「敵」を壊し尽くすためだけに生まれる、彼女の心の叫びだった。


 やがて、獣となった少女は、残された触手を伝って、怪物の本体――海月の頭の部分へと這い上がっていく。その中心にあるのは、明晰夢ルシッドメアには必ず存在する「核」。この巨大な怪物のそれは、直径30センチほどのベージュの球体であった。


 頭の中に侵入した異物を排除するように、真醒明晰夢レム・ルシッドメアはぶるぶると体を震わせる。しかし、少女をその程度の抵抗で止められるはずがなく――


明晰夢ルシッドメアの王」とも称された怪物は、「核」を彼女の拳で打ち砕かれて、空間に溶けるようにして消えていった。


 巨大な海月が消え、空中に投げ出された少女は、そのまま頭から地面に墜落する。鈍い音が響き、彼女は首が折れた状態で赤いカーペットの上に転がった。しかし、その十六能力イザヨイによってすぐに外傷は消え、首の角度も正常に戻る。そして、我にかえったように立ち上がると、そのまま部屋の奥で倒れる兄の元へと走り寄った。


「兄さん……!」


 その青年は、怪物の鋭利な触手によって腹を貫かれ、出血によって意識が朦朧としているように見えた。定まらない視点で、駆け寄る妹へと手を伸ばす。


優空そら……」


 彼は、少女が自分の手を取ったことを感じ取ると、どこか安心したような……けれど悔しそうな口調で、彼女へと語りかける。


「俺は、ここまでみたいだ……。お前を救えないまま終わるのは忍びねェが――それもこれも俺が弱かったせいだ。だから、お前は気に病むな……」


 そのか細い声を振り払うように、優空という少女は激しく首を横に振る。彼女の瞳には涙が浮かび、それは頬からこぼれ落ちて赤いカーペットの上に小さなシミが生まれた。


「兄さん……そんなことを言わないでください!兄さんは、強くて、優しくて、この世界の誰よりも確たる意思で生き返ろうとしていた。そんな兄さんが死ぬなんて、間違ってる……絶対に間違っています!」


 その「兄」と「妹」が言葉を交わす光景を見て、京の心の中で言いようもない感情が生まれた。淀んだ沼のように暗く、だけど輝く星空のように尊い、別れの瞬間。京が彼らについて知っていることはごく少ない。しかし、「妹」はもちろん、「兄」のほうも、相手のことを何よりも大切にしているということだけは、痛いほど理解できた。


 その二人に、自分と姉の姿が重なる。


「ああ――間違ってるよ。現実も『冥府』も、どうしようもなく間違っている。そんなことは、言われるまでもなく分かってるぜ…… だって、そうじゃなけりゃ、俺たちがあの時、命を奪われることなんてなかっただろうが」


 腹から大量の「血」を流しながら、青年は遠い昔を思い出すように語る。


「ハハ、まったくもって理不尽だぜ。何もうまくいかねぇ、妹さえも救えねえ。所詮、俺の劣等感コンプレックス程度じゃ、世界は何も変えられねェみたいだ」

「違います……それは違います、兄さん!」


 彼の言葉を、少女は強く否定する。それに反して、彼女の心臓に瞬く空色の光は、弱々しく、小さかった。


「世界は変えられます。現に、私は兄さんに救われたんです!この世界に来てすぐに、リーダーやみんなが去っていった時……兄さんは、私に『生きるぞ』って言ってくれました。その言葉を胸に、私はここまで戦ってきたんです!」

「ああ……なら、これから、俺がいなくなっても……戦えるな」

「え……」

「お前は、お前だけは、生き抜くんだ。どれだけ世の中が、世界が、理不尽でも、間違っていても。戦っている限りは、何かを変えられるかもしれねェんだからよ」


 やがて、青年の体が褐色の光に包まれて、その足元から霧散していく。少女は嗚咽をこらえながら、その光を必死で掴もうとするが――極小の粒子は、彼女をあざ笑うかのように指の隙間から漏れ、どこへともなく飛び立っていく。


「優空。言うのが遅れちまったが――今まで、ありがとな。お前がいたから、俺は劣等感コンプレックスまみれてでも、生き抜く決意をすることができた。そういう意味じゃ、救われていたのは、俺の方かも、な――――」


 そして、「兄」――深草 澗士郎の体はその全てを無数の光へと変え、この世界から姿を消した。


 それと同時に、「妹」の胸の十六能力イザヨイも、空色の粒子に変わり、「輝石」へと戻る。その美しい宝石のような結晶に、彼女の頬から、暖かく悲しい雫が垂れた。



 広大な空間に、静寂が戻る。それは何もよりも冷たく、彼らの上にのしかかった。




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