灰かぶり姫は巨人と踊る②
次の瞬間、京の耳に届いたのは、電動ノコギリで岩を切断しようとしているかのような、激しく不快な高音だった。
それが、竜巻のように回転する巨人と、八千代の「蹴り」が拮抗する音であると気づいたのは、それから数秒後のことである。
いつの間にか、車椅子は打ち捨てられていた。その代わり、彼女の両足には赤黒い靴のような十六能力が顕現し、動かないはずの彼女の足によって凄まじいまでの蹴りが放たれていたのである。
「や、八千代さん……!?あし、足が!」
「あんまりじろじろ見んといてえな、京くん!恥ずかしいやろ!」
高揚。
先ほどまでの落ち着いた雰囲気から一変して、八千代は戦いの空気を楽しんでいるように見える。琥珀色の竜巻と彼女の靴がぶつかり合い、夜の闇を照らす火花が絶え間なく散った。
八千代の十六能力――「脆弱の苦痛」。それは枯れた彼岸花のように、あるいは錆びた血のように赤黒い色をしていた。厘の「烈火矛槍」が鮮血のような赤であるのに対して、こちらはまるで極限まで濁った血の池だった。その形は、まさしく童話の「シンデレラ」に出てくるガラスの靴のようだが――その色合いからは、とても綺麗な印象は感じられない。それはむしろ、「シンデレラ」の靴ではなく、もっと別の――
「『赤い靴』……?」
「はは、京くん、よう知ってるやん!」
京のつぶやきに、八千代は歓喜の表情を浮かべる。
「赤い靴」とは、アンデルセンの童話のひとつである。ある少女が、教会に行く際、本来であれば場にふさわしくない赤い靴を何度も履いていった。やがて彼女はその靴を脱ぐことができない呪いにかかり、さらにはその靴が勝手に踊りだしてしまう。何日も踊り続けた彼女はやがて両足を切ることになるが、切断された彼女の足は赤い靴とともにどこかへ踊り去ってしまった……。
「うちの十六能力はなあ、一度使ってしまうと、最初に決めた相手を殺すか壊すかせんと治まらんのよ!それまでは、動かへんうちの足を無理矢理にでも引っ張って、うちを無限に踊らせんねん……!」
あまりに異様。あまりに凄惨。京は、ここまで歪な十六能力を見たことがなかった。
思い返せば、彼女は石田刹那との戦いの最中においても、能力を使おうとはしなかった。もし使っていれば、彼と彼女のどちらかが死ななければ、戦いが終わらなくなってしまうことを知っていたから。
だが、今回は違う。共に生きた仲間でもなく、人間ですらない「巨臣級」を相手に、彼女が手加減をする理由などないから――八千代は、自らの十六能力を解き放ったのだ。
「あ……有り得ん!」
その恐ろしいまでの強さを目の当たりにして驚愕の声を漏らしたのは、京だけではなかった。黒衣の坊主――嵯峨野 善十郎も、両目を見開き、唸り声をあげる。
「ワシは、『鮮光』を使っているのだぞ!?それに『実体化』だけで張り合うなど……正気の沙汰とは思えん!」
「そんなこと言ってもなあ、うちはその『お線香』とやらを使えへんし」
激しいぶつかり合いの中、どこか茶化すような物言いで八千代は告げる。
「それに、うちの十六能力をなめたらあかんよ。これは、うちの恋心、すなわち『異常なまでの執着心』を体現してる。……うちは、あの人じゃないと駄目やってん。地球上に、あの人よりええ人はおらんと思ったほど……それくらい好きやってん。――そういう意味で、たかが何十人のうちのひとりしか持ってないだけで不平等な面せんといてな。うちの十六能力は、70億にひとつや」
ギャリリリリリ!!という高音が響き、八千代の足がゆっくりと竜巻を「削って」いく。恐るべき勢いで琥珀の欠片のようなものが周囲に撒き散らされ、青いタイルの上に転がった。まるで轆轤の上に置かれた粘土が形を変えるかのように、竜巻の輪郭がへこんでいく。
「な……にい!」
黒衣の坊主が驚愕の表情を浮かべながら、その攻防を見送る中で――しだいに、黄金色の竜巻の回転が弱まっていった。光の粒子の渦が打ち破られ、その本体まで削り取られた巨人が、バランスを保てなくなっているのだ。
やがて、夜の闇を照らしていた火花と、黄金色の光の粒子が溶けるように消えて――「大太郎法師」はその回転を止め、本来の姿を現した。球体状だった下半身は、まるで巨大な生物の爪で抉られたかのように、無残に変形している。
……それと同時に、八千代が蹴りを放っていた右足のほうの「靴」が、音をたてて砕け散った。彼女は生身の体が露出した右足を眺めながら、どこか感心したように坊主へと語りかける。
「ふうん。なかなかやるやん、あんたの十六能力も」
「ぐっ……。だが、おぬしの力も、これで半減しただろう!――いや、生身の足が動かせんということは、蹴り足を作れても、軸足を作ることはできんはず。半減どころか、これで勝負ありだ!」
そう叫び、嵯峨野 善十郎は琥珀色の巨人を動かし、八千代を狙う。下半身が変形しているとはいえ、ぎりぎり移動できる機能は残っていたようだ。いまだ健在の太い両腕が振りかぶられ、片方の足で立つ八千代を押しつぶさんと襲いかかる。
だが。
「わかってへんなあ、坊さん」
空気抵抗ですらねじ伏せるほどの一撃を前に、八千代は薄く笑う。
「――ガラスの靴っていうのは、片っぽがなくなってからが本番やろ」
「冥府」の闇に、凄まじいまでの衝撃音が生まれる。あまりの音に、京は思わず目をつぶってしまうが――彼が目を開けたとき、そこには驚くべき光景が広がっていた。
八千代が、固く握られた巨人の拳を、残る左足の靴で受け止めていたのだ。――体を仰向けに倒し、地面につけた両腕と背中を支点にしながら。
彼女の赤い靴に、小さなひび割れが入る。だが、それと同時に、巨人の右腕にも放射状の亀裂が生まれ、やがてその丸太のような腕が粉々に砕け散った。
今度こそ、坊主は言葉を失った。絶句する彼に代わって、京が八千代へと語りかける。
「あの、八千代さん……?そこは生身ですよね……?」
「そやで、生身や。けど、足とは違うて動かせるで」
「いや、そういう問題じゃなくてですね……」
目を丸くする京に、彼女は一度体勢を立て直してから解説を飛ばす。
「うちはなあ、京くん。こんな十六能力やからこそ、加減を覚えるために、自分自身の体を鍛えることにしたんや。戦うたびに相手をぶっ殺してたら、きりがないからな。……能力を使わなくても、車椅子のままでじゅうぶんに戦えるように、うちは努力したよ」
思えば、ハイツ・デネブが倒壊したとき、瓦礫の下に埋もれたにも関わらず、彼女の傷は浅かった。だが、それが鍛錬の成果だと言われても、京にはぴんとこない。
と、そこで固まったまま微動だにしなかった黒衣の坊主が、肩を震わせながら絞り出すように叫んだ。
「それが……それがどうした!十六能力に頼らず、体を鍛えているのはおぬしだけではない!ワシとて、ワシ自身を狙ってきた相手を返り討ちにできるよう、鍛錬しておるわ……!」
黒い袈裟を振り乱し、嵯峨野 善十郎は八千代へと突進を始めた。同時に、ボロボロになってなおその威圧感を緩めない「大太郎法師」も動きだす。いかに八千代といえど、この状況で二対一になるのは苦しいように思えた。
――だから、京は疾風のごとき速さで走る坊主へと、「反定立」を足に展開して飛びかかる。
「お前は、俺が相手だ……!」
そこでようやく京を再認識した坊主は、まるで羽虫を振り払うかのような仕草で振り返ると、怒りの形相をあらわにして彼を迎え撃つ。太い筋肉が躍動する右腕で、飛びかかる少年の喉元へと手刀を繰り出しながら、その男は叫んだ。
「偽物が……邪魔をするな!」
京はその手刀を遮るように右の掌を喉の前に突き出し、そこに「反定立」を展開する。吸い寄せられるように放たれた手刀が少年の能力によって後方へと弾かれ、坊主の体が半回転した。
だが――反撃を受けてもなお、坊主は臆せず攻撃を続ける。
「ワシは、皆のためにも、沙耶のためにも……ここで、負ける訳にはいかんのだ!彼女の弟を騙る偽物などに、遅れをとることがあってはならんのだ!!」
鬼のような形相で、今度は目潰しをするべく二本の指が前に突き出される。間一髪、京は上体を後ろに反らすことによってその攻撃を回避した。本来であれば転倒しているはずのその動作は、両足の裏と地面をつなげる「定立」によって実現する。
目の前をすれすれで通り過ぎた坊主の腕と、その向こうに煌めく星空を視界に入れながら――京はわずかな時間で考えた。
きっと、この坊主も、譲れないもののために戦っているのだろう。この塔の番人として無用な死者を出さないようにしている彼も、沙耶を思って「偽物」にここまで怒ることができる彼も、京には悪人でないように思えた。ここまで執拗に人体の急所を狙ってくる戦術も、きっと、絶対に負けられないという信念から来ているに違いない。
嵯峨野 善十郎。彼はきっと、自分が「拒絶」するべき相手ではない。
「――けどな」
ぎりぎりまで反らした上体をしならせ、額に「反定立」を展開させて、京は思い切り起き上がった。
「俺は、嵐山 京だって……言ってんだろォ――――――!!」
その勢いのまま、坊主の股間に頭突きを繰り出す。少年の十六能力によって強化されたそれは、いっそ清々しいほどに、彼の急所へと吸い込まれていった。
デジャヴのように、鈍い音が「蒼魔の塔」を取り巻く広場に生まれる。吹き飛ばされた坊主は、信じられないような目で少年を見ながら、やがて塔の壁面へと激突し、その動きを止めた。それと同時に、八千代と戦っていた琥珀色の巨人も光の粒子となって消え、坊主の胸元のペンダントへと還る。
息を荒げ、肩を揺らしながら、目の下に大きなクマを作った少年は告げた。
「やっと――話を、聞いてくれそうだな」




