灰かぶり姫は巨人と踊る①
「待っていたぞ、偽者。性懲りもなくワシの前に姿を現した、おぬしの胆力を褒めてやろう……!」
遥か星空まで伸びる巨大な塔の下、再び京と坊主は向かい合った。
黒い袈裟を着たその坊主は、怒りとも憎しみともとれるような形相で京を睨む。少年はその迫力に押されそうになりながらも、負けじと必死に彼を見据えた。
そして、京の隣、車椅子に座った女性――八千代は、初めて訪れる「蒼魔の塔」の外観に感心したように、辺りをきょろきょろと見回している。彼女の表情には、緊張感は微塵も感じられなかった。むしろ、どこかわくわくしたような雰囲気ですらも感じ取れる。
咳払いをひとつして、京は坊主へと語りかけた。
「……俺は、偽者じゃありません。嵐山 京本人です。それをなんとか伝えられないかと思って、ここまで戻ってきました」
「黙れ!おぬしの汚い口で、沙耶の弟の名前を騙るなと何度言えばわかる……!」
もはや、黒衣の坊主――嵯峨野 善十郎は頭を沸騰させ、聞く耳を持たない。予想通り、敵意を剥き出しにして京を睨む。その威圧感に京はたじろいだが、今回は心強い味方が隣にいるおかげで、なんとかその圧力に押し切られずに彼を睨み返すことができる。
――この構図は、まるで不良漫画によくある「一度やられたチンピラが後日、親分を連れて復讐しにくる」という流れに似ているな と京は頭の隅で考えた。しかしそうなれば、自分は小物中の小物であり、しかもその流れは親分ともども再び主人公にやられる運命にあるため、自分にとっては好ましいことではないが。
と、自分より遥かに強い相手から殺意を向けられているのにも関わらず、そんな緊張感のない思考をしてしまうのは、間違いなく隣に座る八千代のせいである。
彼女は周囲を一通り見回すと、目の前に立つ巨漢に向けて、あまりにも気負いなく話しかけた。
「初めまして。うちは山城 八千代といいます。以後よしなに」
突然の自己紹介に、坊主は一瞬だけ面食らったような様子を見せるが、すぐに立て直し、八千代に向けて冷たく言葉を投げかける。
「ふん、名前は聞いたことがある。なかなかの強者のようだな。その十六能力を見た者で、震え上がらぬ者はいないとも言われている。――おぬしがどのような事情でここに立っているかは知らんが、そやつの味方をするというならば、ワシはおぬしをも殺さなければならん」
そう告げて――嵯峨野 善十郎は、胸元に輝くペンダントのような「輝石」を、力強く握りつぶした。
他の十六能力とは比べものにならないほどの量の光の粒子が、坊主の胸元から虚空へと流れる。やがてそれは人型の巨像へと変化して、二人の前に顕現した。
「大太郎法師」。「巨臣級」の十六能力であり、琥珀色の体を持つその巨人は、変わらぬ威圧感で京を見下ろす。ヘルメット状の頭部にまるで眼球のような二つの光が宿り、巨大な球体状の下半身がゆっくりと前進を始めた。
「ふうん、これが『巨臣級』か。うちも見るのは初めてやなあ」
車椅子に座る自身の体高の三倍はあろうかという巨人を前にしても、彼女は顔色ひとつ変えなかった。それよりも、何かが気になっているような表情で、坊主の顔をまじまじと見つめる。
その間にも、「大太郎法師」の下半身の球体は加速し、まるで大岩が転がるかのような重い音が二人へと迫る。そして、黒衣の坊主の怒りを体現するかのように、丸太のようなその太い腕が振りかぶられ、横薙ぎに二人を吹き飛ばさんとして風切り音が唸った――その瞬間。
「……なあ、坊さん」
八千代が、ぽつりとその言葉を呟いた。
「あんた、京くんのお姉さんのことが好きやったやろ」
ぴたり。
巨人の腕が、黒衣の坊主が、そして京が――まるで時間が止められたかのように静止した。
琥珀色の巨腕が顔のすれすれまで近づいていたというのに、八千代は坊主の「反応」を見て、嬉々として突然語りはじめる。
「あ、やっぱり?そうやないかと思ってん。……あんたの口調から察するに、単に京くんのお姉さんと仲が良かっただけやない、ってな。しかもどうやら、付き合うとった訳でもなさそうやし。おおかた、告白したけど振られてしもうたって感じやろ」
あまりの急展開に、京の思考が追いつかない。……八千代が何を言っているかが分かっても、なぜ、よりにもよって今この瞬間にその発言をしたのかが、まったく理解できない。
ただ京の目に映るのは、黒衣の坊主が、まるで隠し事がばれた子供のように赤面する姿だった。
それを見て、八千代はさらに火がついたように喋り続ける。
「あ、ごめんなあ、坊さん。べつにあんたを笑おうと思ったわけじゃないよ。ただ、うちは恋バナには目がない人間でなあ。恋愛の香りがすると、ついつい場をわきまえずにその話をしてしまうんよ」
「な……」
黒衣の坊主は、顔を赤くしながら肩を震わせる。彼自身、どういった表情を見せていいか判断しかねているようだった。そこでようやく我にかえった京は、八千代、坊主、そして琥珀色の巨人の三者を視界に入れたまま次の展開を待つ。
やがて、その坊主――嵯峨野 善十郎は、口を一文字に引き結んで、再び怒りを含んだ口調で叫んだ。
「やはり――おぬしらは、生かしてはおけぬ。ここで塵となって消えるがいい……!」
「大太郎法師」が、機械のような駆動音をたてる。その長い両腕を真横に広げ、五本の指を強く引き結んだ。
(なんだ……?)
その挙動を訝しむような目で眺めていた京は、次の瞬間、驚愕のあまり両目を見開くことになる。
琥珀色の巨人が、その下半身の球体を真横に回転させて、ぐるぐると回りはじめたのだ。――いや、驚くべきはそこではない。徐々に加速していくその回転運動に沿うように、巨人の体から黄金の光が漏れ始めたのだ。
「――鮮、光……!?」
それはまごうことなく、十六能力の第二段階と呼ばれる代物だった。「実体化」させた能力から光の粒子を生み出し、その周囲に展開させる。たったふたつ、京が今までに目にしたそれは、およそ尋常ではない威力、能力で少年を驚かせた。槍や刀といったシンプルな武器ですらあれほどまでの力を発揮するのなら、「巨臣級」のそれは、もはや京の命など軽々と吹き飛ばすのではないかと思えた。
やがて巨人の回転は目にも止まらぬ速さに達し、その周囲を黄金色の光が包む。その様は、まるで砂漠に巻き起こる竜巻だった。恐ろしいまでの風圧が、確かな質量をもって少年の体に押し寄せる。
「鮮光――超巨大琥珀積乱腕」
静かに、最後通告のように、黒衣の坊主はその名前を告げた。
絶望。
少年を襲ったのは、あまりにも明確な死の感触だった。「定立」も「反定立」も、意味を為さない。受容も拒絶もなく、自分はあの竜巻に巻き込まれて死ぬ、ただそれだけの話だった。
――だが。
「そういえば、京くんにはまだ、うちがなんで死んだのか言ってなかったよなあ」
あまりにも強大な力を前にしてなお、普段の調子を崩すことなく、八千代は少年にそう語りかけた。風圧を受けて、彼女の艶のある黒髪が揺れる。
またしても、それは今するべき話ではないように思えたが――京は動くことができないまま、ただ、その話に耳を傾ける。
「よく誤解されんねんけど、うちは別に足の病気で死んだわけじゃないよ。たしかに、うちは生まれつき足が不自由で、生前もずっと車椅子で生活してた。……でも、それは死ぬような病気じゃなかったし、うちは気にしてなかった。――うちが死んだ理由は、失恋や」
突然の独白に、京はさらに勢いを増す竜巻を視界の端に入れながらも、車椅子に座る八千代の顔を見た。彼女は、どこか憂うような眼差しで遠くを見つめ、生前の記憶を語る。
「高校の同級生に、めちゃくちゃ好きな男子がおってな?家柄も、頭の良さも、うちなんかが釣り合うほどもないようなすごい人やったけど……うちは、毎日毎日その人のことばっかり考えてた。その人のことを思うと、食事も喉を通らんかったわ。……他の女子がその人と喋ってるのを見るだけで、胸が裂かれるような思いを感じた」
極限の状況の中――京は、八千代がそんな話をすることを意外に思った。彼女は一見余裕があるようにみせかけて好戦的な人物で、ある意味では京よりも男らしい人間だと思っていたからだ。
「でも、うちは頑張ったよ。携帯の番号をきいてメールとかしてな?一緒に食事に行ったりしてな?時間をかけて、ようやくここがチャンスや!……って思えるようなタイミングが来て――うちはその男子に告白してん」
まるで胸が締め付けられているかのような苦悶の表情を浮かべ、八千代は語る。彼女の視界には、今まさに限界まで回転速度を高めた「竜巻」など、入り込んでいないかのように思えた。それよりも、この話を京に語ることのほうが大切だとでも言わんばかりに、彼女は言葉を紡ぐことを止めない。
「――でもまあ、結果は惨敗やった。見事に、うちは振られてしもうたよ」
「そ、それで……自殺を?」
少年が恐る恐るそう尋ねた瞬間、眩いばかりの黄金色の光が、京と八千代の顔を照らした。琥珀の巨人が、ついに二人を無惨な肉塊にすべく動きはじめたのだ。
それでもなお微動だにしない車椅子の女性に向けて、少年は慌てて声をあげる。
「や、八千代さん!逃げ――」
「なあ、京くん。うちが、自殺するようなヤワな人間に見えるかいな?――うちは、振られた瞬間、あまりのショックで憤死したんや」
少年の言葉を無視して、車椅子に座る彼女は胸元に輝く「輝石」を握りつぶした。赤黒い血のような粒子が、動かないはずの彼女の両足へと集まっていく。
「うちは、シンデレラにはなれんかったよ。――だけど、十六能力の力がうちには宿った」
そして彼女は、彼女自身の生き様と死に様を体現した、その力の名前を告げる。
「十六能力――『脆弱の苦痛』」




