十六能力《イザヨイ》
少女の足がようやく止まったときには、京の体力はほぼ限界に達していた。
「ぜえ、ぜえ……。ここまで来れば大丈夫、か?2時間くらい走ったんじゃないか……」
「なに言ってるの。せいぜい10分ぐらいじゃない」
京の言葉に、少女が呆れの色を示す。
二人がたどり着いたのは、不思議な曲線を描く大きな建物の間、路地裏のような場所だった。辺りに危険がないかを探りながら、少女が口を開く。
「なにから説明すればいいかな……。とりあえず、自己紹介から、か。
私は鳴滝 厘。厘って呼んで」
少し緊張が解れた様子で、少女はそう名乗り出る。続いて、京も自己紹介をした。
「俺は嵐山 京だ。君の言う通り、さっきこの世界に来たばっかりだよ」
「やっぱり、そうなんだ。……その言い方だと、薄々は感じてるみたいね。ここが、現実じゃないってこと」
星空の光が、二人を照らす。世界は、再び静寂に包まれる。
「死後の世界……だろう」
重々しい口調で、少年が口を開く。厘はその言葉に少し驚いたような表情を見せてから、言葉を返す。
「やけに飲み込みがはやいじゃない。私だって、一か月前に来たときには、しばらくは信じられなかったわ。だって……私は死んだはずで、こうやって自由に手足を動かせるはずがないもの」
「俺は……」
そこで少年は言葉を止め、少女のほうを見る。
「俺は、知りたいんだ。この世界のことを。教えてくれないか、厘……さん」
「厘でいいわ。……言われなくても、教えるわよ。そうしないと、あなたはすぐに死んでしまうでしょうから」
*
「冥府」。
それが、この世界の名前だそうだ。ここは海に囲まれた島の上で、奇妙な建築物が並ぶ都が島の面積の大半を占めている。天を埋め尽くすような星の輝きは衰えることなく、この世界に夜明けが来ることはない。
「ここには、どういう訳だか、16歳で死んだ人間が集められているの」
青いタイルの上に座りながら、厘がそう説明する。
「だいたい、全部で300人くらいかしらね。現世での死因は様々だわ。事故で死んだ人、他人に殺された人、自殺した人。……私は、火事で死んだわ」
淡々と語るその声の裏側に悲しみの色が混ざっていることを、京は見逃さなかった。適切な言葉を探りながら、目の前の少女に語りかける。
「ええと……。なんていうか、辛いなら、言わなくていいよ。俺も、あんまり言いたくはないから」
「ありがと。……なら、やめとくわ」
ふたたび、静寂が生まれる。異様な世界の中にありながら、そこに吹く夜風は涼しく、気持ちよかった。
こういう時になんと言えばいいか、少年は知らない。対人関係を苦手としてきた彼にとっては、女の子と一対一で話すことも珍しいのだ。こんな話題で、気の利いたことを言えるはずもなかった。
と、その時、京はポケットの中から振動を感じ、下に目をやった。携帯が鳴ったのだろうか。いや、死後の世界で携帯など、聞いたこともない。いや、そもそも死後の世界とは何たるかを、彼はまだ知らないのだが。
「これは……?」
ポケットの中から出てきたのは、まさしくスマートフォンのような端末だった。掌に収まるほどのサイズで、端末の片面には液晶画面のようなものがついている。
「『府民証』よ。ダジャレもいいとこだけど、そいつがそう言ってるんだからしょうがないわ」
厘が解説を飛ばしてくれるが、意味がよく分からない。とりあえず、画面に表示された赤い点をタッチすると、振動が止まり、その後勢いよく文字列が浮かび上がった。
『「冥府」へようこそ、嵐山 京さん!あなたは936人目の来訪者です!』
「え……?」
936人目。色々と気になる点はあったが、最も目を引いたのは、その数字だった。
厘の話では、この「常夜府」には、300人ほどしか人がいないのではなかったか。
『あなたは16歳で死んだため、この「冥府」に送られてきました!』
京の疑問を無視して、「府民証」は文字列を自動で流し続ける。
『一度は死んだあなたに、またとないチャンスです!
なんと!
我々が定めた「点数」を10000まで集めることができれば、あなたを元の世界に生き返ら せてあげましょう!』
その文字を見た瞬間。
頭の中が焼きつくような感覚に襲われ、大きくふらつく。
「ち、ちょっと、大丈夫!?」
慌てた様子で、厘が駆け寄る。
「仕方ないわよ、生き返らせるなんて言われたら。まだ心の整理もついていないのに……」
否。
自分が生き返れると言われたから、ふらついたのではない。
なにか大切なことを思い出しそうになったから、衝撃を受けたのだ。
なんだ。思い出せ。おもいだせ。
――自分はなぜ、ここが死後の世界だと一瞬でわかった?
『ポイントを集める方法は、ふたつ。一つは、「明晰夢」を倒すこと』
自動的に、無感情に、「府民証」に文字が流れる。
時間が経つにつれて少しは落ち着きを取り戻した京は、ひとまず忘れていた記憶のことは隅に置き、厘に向かって尋ねる。
「この、明晰夢っていうのは……」
「さっきの怪物のことよ。不定期な時間にこの町に出現する。やっかいな奴らよ」
言われて、京は先ほどの光景を思い出した。
宝石を削り取り、人の形にしたような怪物。人を傷つけようと襲ってくる存在。
しかし、それを倒せばポイントが加算されるなど、いかにもゲームのようだ。
『もう一つは、ポイントを持った他の「府民」を殺すこと』
続けて表示された文字列を見て、京は心臓を鷲摑みにされたような感覚を覚えた。
「こ、これってどういう――」
「文字通りよ。ポイントを持った他の『府民』を殺せば、その人が持つポイントの10分の1が自分のものになる。私は600ポイントを持っているから、仮に私を殺せば、60ポイントがあなたのものになるわ……」
少しためらいがちな様子で、厘は答えた。
この世界では、人同士の殺し合いが行われているというのか。――まだ自分がひとつもポイントを持っておらず、厘に狙われる可能性がないことに、京は安堵した。
……いや。この少女は、例えポイントを持っていたとしても、自分を殺すようなことはしないだろう。人付き合いに慣れず、他人の考えていることなど分からない京ですらも、それぐらいのことはわかった。
この、気高く美しい少女は、きっと「正しく」生きようとしている人間なのだ。――自分の姉が、そうであったように。
ふたたび、頭の奥がチリチリと焼けつくような感覚。しかし、今はそれを気にしている場合ではない。
『期限は3年。それまでに10000ポイントを集められなかった場合は、そこで死にます!二度と生き返ることはありません。また、途中で死んだ場合も、もちろん同様です!生きて10000ポイントを集めることができた人だけが、元の世界に生き返ることができます!』
「……それで、936人目、か。およそ600人の人がこれまでに死んだ――もしくは生き返った。厘、生き返った人はどれくらいいるかわかるか?」
「私はここに来て一か月だけど、私の知る中にはいないわね。……ただ」
「ただ?」
「死んだ人は、たくさんいる」
また、感情を殺すような声で、厘は告げた。栗色の長い髪が揺れる。
「明晰夢や、他の『府民』に殺された人。3年の期限が切れて、溶けるように消滅した人。殺伐とした世界に耐え切れず、自殺した人。……私たち、一度は死んだ人間なのに、どうしてもう一度死ななきゃならないのかな?殺し合わなきゃならないのかな?」
ついに、大粒の涙が彼女の目から溢れだした。嗚咽をこらえながら、力の限り歯を食いしばる。
京には、かけるべき言葉が見つからなかった。
この少女の力になりたい。例え、自分がこの子よりも弱かったとしても。歩み寄って、苦悩をやわらげたい。
――人と関わることを恐れず、いろんな人に歩み寄りなさい。
姉が残した、最後の言葉。今こそ、それを実行するときではないか。
「……厘」
少女の名を、呼ぶ。
「俺はまだ、この世界のことはよく分かってないけど……みんな、生きることに必死なんじゃないかな。一度死んだからこそ、生きることの意味を、価値を、何よりも知ってるんだと思う」
こんなものは詭弁だ。自分だって、命を粗末にしたくせに。
「生きることの反対は、死ぬことじゃない。生きないことだ。俺は、自分の姉ちゃんが死んでからの一年間、一秒も生きちゃいなかった。そして、生きないままに死んだ」
絞り出すような声で、伝える。
「君は、確かに生きている。生きようとしている。それだけじゃなくて、俺のことまで助けてくれた。……だから、胸を張ってほしい。自分は生きようとしている、と」
慰めにもなっていない。事態が好転するわけでもない。そんな無意味な、言葉。
だけど、確かに、伝えた。
「……ありがと」
厘は、ただ、一言だけ答えた。京にとっては、それでじゅうぶんだった。
しばらくして泣き止んだ厘は、ふと思い出したように、唐突に叫んだ。
「あーっ!そうだ!キミの『十六能力』!」
厘がとりあえずは元気になったことに安心しながらも、京はその謎の単語について聞き返す。
「さっきも言ってたけど、その『十六能力』っていうのは……?」
「私たちが、明晰夢と戦うための力。見せたほうが早いね」
そう言うと、厘は胸元から小さなペンダントのようなものを取り出した。細い紐の先には、ルビーのように紅い宝石が輝いている。
ふと、先ほど見た明晰夢が頭をよぎる。しかし、京がそのことについてそれ以上考える前に――
厘が、その宝石を握りつぶした。
「えっ!?」
深紅の光が、宝石から溢れる。京が目を丸くしている間に、その光は徐々に細長く収束していき――
一振りの、槍となった。
「これが、私の十六能力――『烈火矛槍』よ」
厘と出会ったときに、彼女が手にしていた槍。走っている間にいつの間にか消えていたので、どこかに置いてきてしまったのかと思っていた。
まじまじと、その槍を見つめる。
長い柄と鋭い刃を持った、シンプルな構造。しかし、ルビーのように紅く煌めく穂先からは、ただものではない風格を感じる。
厘が流麗な動きで槍を一薙ぎすると、建物の壁に鋭い線が入った。いとも簡単に、壁を切り裂いたのだ。
誇らしげな様子で、厘が語る。
「私ね、小さい頃から槍術を習っていたの。この能力も、その影響じゃないかな。十六能力は、その人の性格や経験――そして、時には死因が基となって発現するものみたいだから」
そこまで言うと、厘は「烈火矛槍」を地面に突き立てる。すると、槍は光の粒となり、彼女の掌に収まったかと思うと――ふたたび、ルビーのようなペンダントに戻った。
「十六能力は、この世界に来た人は誰でも持ってる力。もちろん、規模や形に個人差はあるけどね」
「俺にも……あるのか?」
「もちろん。たぶん、ポケットに『輝石』が入ってると思うよ。……あ、『輝石』っていうのは、この宝石みたいなやつのことでね。これもまた、『鬼籍』とかけられたダジャレみたいなんだけど……」
そう言われ、京はポケットを探る。
しかし、それらしいものは入っていなかった。今の彼の持ち物は、死んだときに着ていた服と、「府民証」のみ。
「あれ、おかしいなぁ。……もしかして、さっき走ってる間に落とした、とか?急いで探さないと!」
「それって、やばいのか?」
「やばいよ!あれがないと、十六能力を使えない。つまり、明晰夢に対抗する手段がないのと一緒よ!」
厘は、慌てた様子で京に「府民証」の操作を促した。言われた通りにパネルをタッチしていくと、表示されたのは以下のような文字列だった。
「No.936 嵐山 京 十六能力名 『定立』」
「『定立』……」
ぽつりと、京はその名前をつぶやく。
まだ生きていたとき、いつか受けた授業で、聞いたことがある単語だ。どこかの哲学者がその論証の中で使っていた用語。たしか、意味は「正しいとされる主張・命題」。正直、京にはその言葉が示すものなどほとんど理解できなかった。
これは、どうすれば発動するのか。厘と同じように、「輝石」を握りつぶせばいいのだろうか。
「これが、あなたの十六能力ね。今すぐ、『輝石』を探しに行くわよ!」
厘が急いで裏路地から出ようとする。
――その時。
「……なぁ」
京は、急ぐ彼女の背中に向けて言葉を投げた。
「これが……俺の十六能力か?」
その掌の上には――白い魔方陣のような円が浮かんでいた。