「蒼魔の塔《リボラ・タワー》」
奇妙な円柱形の建物が屹立する「冥府」の街並みを抜けると、「蒼魔の塔」を取り囲むようにして広がる何もない空間に躍り出た。街並みの端から塔まで、直線距離で100メートルはあろうかというその広場を、京はゆっくりと歩きながら進む。
ここまで勢いで来てしまったとはいえ、今の自分ではこの塔に入ることはできない。かといって、ここでおとなしく引き下がる訳にもいかず――せめて、入口だけでも確認してから帰ろうと京は考えた。
至近距離まで来ると、もはや「壁」と形容しても差し支えないほどの大きさを誇るこの塔の側面は、まるで職人が丹念に磨いたかのように滑らかで、傷ひとつついていなかった。
(ここを目指した「府民」は、今までに大勢いたはずだ。その中には、8000ポイントを持っていないけれど、十六能力で強行突破をしようとした人間もいるはず。でも、見るからにこの塔は無傷。ということは、壁面を破壊して中に入ることは無理かな……)
厘の「鮮光」で穴を開けることができれば、あるいは――とも考えたが、そう簡単に物事は進まないようだ。おとなしく、入口から入るしかないのかもしれない。
塔の周囲をぐるりと回るように数分間歩き続けると、やがて前方にそれらしきものが見えてきた。滑らかな曲線を描く塔の中で唯一、高さ数メートルほどの穴のような窪みが存在するところ。それが目に入った瞬間、京は思わず駆け出していた。
と、その時――「入口」の前に、ひとつの人影があることに京は気づく。
(あれは……)
まるで入口を守る門番のように、腕組みをしながら真っ直ぐに立つ男。その人物の体格は京が「冥府」に来てから出会った誰よりも大きく、袖から伸びる太い腕には力強い筋肉が見てとれる。
彼が着ている服に対しても、京は驚かされた。その男は、僧侶が着るような黒い袈裟を身につけていたのだ。「冥府」の街並みや「蒼魔の塔」の外観とは、あまりにもミスマッチな服装。極めつけに、彼は一本の髪の毛も残らず剃髪しており、その姿はまさに本物の「坊主」であった。彼の体格と相まって、とても自分と同じ10代には見えない。
ここは死後の世界だし、お坊さんがいてもおかしくはないのかな……と京が混乱しているうちに、向こうもこちらの存在に気づき、視線を飛ばしてきた。
そこでようやく、京は警戒のスイッチを入れ、じりじりと引き下がりながらその男を睨む。だが、彼はあまりにも気さくな調子で、身構える京に対して言葉を投げかけた。
「おう、そこの少年。そう構えずに早く来い。この塔に用事があるんだろう?」
それはまるで、親戚のおじさんが小さい子供を遊びに誘うときのような口調で――京は面食らいながらも、警戒を緩める。
「あなたは……?」
「おう、ワシか?ワシは嵯峨野 善十郎。この『蒼魔の塔』の、番人を任されている者だ。よろしくな」
白い歯をキラリと光らせながら――巨漢の坊主は、やけに爽やかな調子で告げた。
「この塔の――番人?」
彼の言葉を反復するように、京は坊主に向かって尋ねる。情報量が多い展開についていこうとしながらも、その表情からは困惑が隠せなかった。
「そうだ。ワシは、この塔に8000以下のポイントしか持っていない『府民』を入れないように見張っている」
嵯峨野 善十郎と名乗ったその坊主は、実に堂々とした口調で、京に向かってそう説明した。
「理由は、まぁ詳しくは言えないからざっくり話すと――この塔が、危険だからだ。ワシらは、無駄な人死にが出ないようにしたいのさ。それが勝手エゴだと分かっていてもな」
その声からは、悪意や敵意は感じられない。むしろ、この人物は本当に他の「府民」の身を案じているのだとさえ感じられる。
「この塔に入るのに、8000ポイントが必要だってことは知ってました。でも、それが他の『府民』による制限だとは……」
「すまないな、少年。だが、この中に入るには、生半可な強さでは足りんのだよ」
「……この中に、何があるっていうんですか」
「それは教えられん」
「……どうしてあなたは、他の人のために、そんなことをしているんですか」
「それも教えられん」
「……それなら、この塔について教えられることがあるなら、それを言ってください」
京の質問責めに対して、坊主は少し困ったような顔をしながらも、申し訳なさそうに返答した。
「すまんな、少年。ワシの口からは、何も言えんのだ。 ああ、代わりといってはなんだが、ワシの話ならいくらでもするぞ!?ワシは寺に生まれたおかげで、この通り坊主にしていてな。これは決して、ハゲている訳ではなく――」
「いえ、それ以上は結構です」
真面目な態度から一転、機関銃のように喋り始めた坊主の言葉を遮って、京はそう言い放つ。
坊主はショックを受けたように固まった後、ひとつ咳払いをして、再び京に語りかけた。
「ワシに興味を示してくれなくて、残念だ。――少年よ、見たところ8000ポイントを貯めてからここに来た訳ではないようだが おぬしは今、どれだけのポイントを持っているのだ?」
その問いを受けて、今度は京がギクリとしてしまう。恐る恐るといった様子で、京は左手の指を開き、「5」のジェスチャーを示した。
「なるほど、5000ポイントか。なかなかやるが、まだ足りんな。残りを貯めてから、また出直してきてくれ」
「いや……」
もはや京の緊張は解け、この坊主への警戒心は薄れたものの――その言葉を告げるには、まだ抵抗があった。
「……5ポイントです」
冷や汗と苦笑いを浮かべながらそう述べた京の様子を見て、黒衣の坊主は一瞬だけ言葉に詰まって やがて、大笑いを始めた。
「はははははは、面白い!おぬし、面白いな!」
「えーっと……」
「いやいや、おぬしを馬鹿にしているのではない。8000ポイントが必要だと理解していながら、たった5ポイントでここまで乗り込んできたおぬしの度胸を褒めているのだ。皮肉ではないぞ、その証拠に――」
ひとしきり笑った後、嵯峨野 善十郎は黒衣の胸元を手で探り、その中から橙色に光る「輝石」を取り出した。
「おぬしの度胸に免じて、特別ルールを設けてやろう。今ここで、ワシを倒すことができれば おぬしを特別に、この塔の中に入れてや――――」
黒衣の坊主が、その言葉を放った瞬間。
京は、「輝石」をまだ握り潰していない彼を目指して、先手を取るべく、獣のような速さで突進を始めていた。
「おっとぉ!威勢が良いな、それほどこの中に入りたかったのか!?」
さすがの「番人」も、ここまで京が早く仕掛けてくるのは想像できなかったらしく――驚愕の表情を見せながらも、慌てて「輝石」を握りつぶす。
「はは、どうやらその右手がおぬしの十六能力のようだが――果たして、ワシのこれに勝てるかな!?」
橙色の光の粒子が坊主の胸元から拡散し、「実体化」を始めようとしているこの瞬間を――京は好機だと感じていた。
この坊主は、自身の十六能力をまだ発動させていない上に、京の青い右腕を十六能力だと勘違いしている。「定立」と「反定立」は、「輝石」も使わず、実体化もしない十六能力だ。初見で対応するのは、至難の業だろう。今このチャンスを逃さずに、この坊主を倒す。
相手が動揺しているこの隙を狙って――刹那を相手に使ったように、ギリギリまで近づいてから「反定立」による加速で一撃を入れる。
「おおおっ!」
雄叫びをあげて、京は黒衣の坊主へと突き進んだ。
だが。彼我の距離が、1メートルを切った瞬間。
京は、突如目の前に実体化した、橙色の宝石のような塊に頭から突っ込んで――その動きを止めた。
「なっ……!?」
予想外の障害物に戸惑いながらも、すぐさま体勢を立て直し、その十六能力を見る。
塊だと思っていたものは、高さ4メートルはあろうかという巨大な像だった。透き通ったオレンジ色が、夜の闇に映える。その上半身は、まるで機械のように複雑なパーツが組み合わさって構成されており、顔の部分はヘルメットのようなもので覆われていた。そして、人型のロボットのような上半身に対して、腰の部分で繋がれた下半身は――直径2メートルはあろうかという、大きな一つの球体であった。
「十六能力――《イザヨイ》『大太郎法師』」
厳然とした口調で、黒衣の坊主はその名を告げた。
まるで仁王像のような迫力を持つその十六能力を見上げながら、京は驚愕の声を漏らす。
「な、なんだよこれ……」
「ははは、少年。『巨臣級』を見るのは初めてか?」
「巨臣級?」
あまりの驚きから、戦闘中であるにも関わらず、京は初めて聞く単語を鸚鵡返しのようにつぶやいた。
「なんだ、名前を聞くのも初めてか?その様子だと、級についても知らんようだな。……まぁ、5ポイントしか持っていなければ、仕方のないことかもしれんが。せっかくだから、レクチャーしてやろう」
余裕の表情を崩さずに、黒衣の坊主――嵯峨野 善十郎は説明を始める。
「十六能力には、いくつかの種類がある。まず、最も数が多いのが、武器を実体化させる『武操級』だ」
戦闘中ではあるが、思わずその言葉に耳を傾けてしまう。その説明を聞いて、京は厘の「烈火矛槍」や石田刹那の「霧立」、そしてサンの「小人の親指」を連想した。槍や刀のような、分かりやすい「武器」を実体化させる十六能力。
「次に多いのが、『装麗級』。こちらは、身に纏うように十六能力を展開させる。『武操級』と区別がつきにくい場合もあるが、大まかな違いを言えば、実体化させたものを自分の体から分離することができるかどうか、といったところか。少年のその右手も、おそらくはこれだな」
この坊主の勘違いはあえて訂正せずに、京はこれまでの記憶を遡った。あの「装甲の男」が使った「亀甲男」やガイの「人見知らず」は、ここに分類されると見てよいだろう。
「そして最後に、『巨臣級』。見れば分かると思うが、ワシの『大太郎法師』もここに分類される。およそ70人に1人の割合でしか発現しない、稀有な十六能力だ」
坊主の説明を聞き終わり――京は、自らの右手に展開した「反定立」を眺める。今の説明だと、この力はどの「級」にも当てはまらない。自分の体から引き離すことができないという点では、「装麗級」と共通しているが 実体化しないという点において、明らかに「定立」と「反定立」は他の十六能力とは一線を画していた。
いや、他とは違うという意味では、目の前に鎮座するオレンジ色の巨像も、京の能力に負けてはいなかった。むしろ、見た目のインパクトがある分、こちらの方が強そうとも言える――
と。そこまで考えた時、京の頭に、ある疑問が浮かんだ。意識せずとも、冷や汗が額から流れ落ちる。
「……えっと」
「なんだ、少年」
「これって、動いたりはしませんよね……?」
もともと白い顔色がさらに青ざめ、震える声で尋ねた京の様子を見て――黒衣の坊主は、呆気にとられたようにぽかりと口を開けて、いとも簡単にその答えを返した。
「いや、動くぞ?」
次の瞬間。
巨像の頭、ヘルメットのような装甲の中央部に、二つの強い光が宿った。それはまるで人間の目のように、自らの足元に呆然と立つ京を見据える。
そして、重機が稼働するかのような音をたて、巨大な像――「大太郎法師」の右肩が動き、人間の胴体よりも太いその腕が持ち上がった。限界まで力を溜めるように、オレンジの巨人の体がねじれる。
「嘘だろっ……!?」
やがて、引きつった笑みを浮かべる少年を目掛けて、その豪腕が振り下ろされた。
ガキィッ!! という衝撃音が、「冥府」の暗い静寂を破る。まるで大きな岩が上空から猛スピードで落とされ、地面に激突したかのようなその音は、「蒼魔の塔」の周辺に広がる空間に反響し、やがて尾を引いて消えていく。
「くっ……!」
あまりにも規格の違う、互いの拳を合わせたまま 青い右腕を持つ少年と、オレンジに輝く巨人は、それこそ銅像にでもなってしまったかのように固まっていた。全てのものが死んでしまったかのように、再び世界に静寂が戻る。
拳が激突したときの衝撃音によって、鼓膜に鈍い痛みを感じながらも、京は必死に頭を回転させて現状を把握しようとした。
「反定立」は、触れたものと京の体を反発させる働きを持つ能力だ。それを手足に展開して人や物に触れれば、その相手が吹き飛ぶ。反対に、能力を地面や壁に使えば、京の体がそこから吹き飛ばされる。
ならば、今のこの現象は、どう説明するべきだろうか?
「『反定立』が、相殺された……。いや、むしろ、こいつの拳を『反定立』で相殺することができた、ってとこか……」
京は、時が止まってしまったかのような静けさの中で、ぽつりと、驚愕を表す言葉を漏らした。
だが、この展開に驚いているのは、彼だけではない。黒衣の坊主も、それまでしていた腕組みを解き、感心したような声をあげる。
「ほう、今の一撃に耐えるとはな。あれを一発食らわせて、『参った』と言わせたかったのだが 」
「それならもっと手加減しろよ……!」
ぼやきながらも、京は黒衣の坊主の顔を睨んだ。
彼の表情には、まだまだ余裕が見て取れる。それは、この男が本気を出していない証拠だ。そもそも、口も固く、「番人」としての役割を厳然とした態度で果たそうとしている彼が、気まぐれで「自分を倒したらここを通す」と言っていること自体が、「5ポイントしか持っていないやつに負けるはずがない」という自信の裏返しではないか。彼には京を殺すつもりはなく、「遊び」や「暇つぶし」のために、この戦いをしているのだ。そもそものスタートラインが違う。
(なんでこう、この世界は明晰夢よりもやばい人間がいるんだよ……!)
「反定立」を足に展開して、後方へ大きく跳躍する。オレンジの巨人も、拳を振り抜いた体勢から、元の状態へと戻った。
「まだやるか?」
嵯峨野 善十郎は、再び腕組みをしながら、少し離れた場所で構える京に向かって問いかける。その様子はあくまで、大人が子供の遊びに付き合っているような、そんな余裕に満ち溢れていた。
だが、京もここで引き下がる訳にはいかない。彼はこの「番人」に勝利し、「蒼魔の塔」の中にいる姉に会わなければならないのだ。
「もちろん!」
全力の気合を込めて、再び「敵」との距離を詰めるために駆け出す。オレンジの巨人は、その球体の下半身をなめらかに滑らせて京へと接近しながら、丸太のような両の腕を頭上に掲げる。
その両者が、一点で交差しようとしたとき――京は、黒い魔法陣によって前方へと加速した。
狙いは、ハンマーのように両腕を振り下ろした巨人ではなく。
その奥、二者の戦いを見守っていた、黒衣の坊主。
「こういうのは、本体を叩くのが定石なんだよ!」
彼の余裕ある態度が崩れるさまを想像して、京はニヤリと笑う。青い右手に展開した「反定立」が空気を割いて唸る。
だが。
ずむり、という鈍い音。
京の視界に入ったのは、空振った自分の右手と――自分の股間にめり込む、坊主の太い脚。
「……おふぅ」
その攻撃の名前は、金的といった。
べしゃりと倒れ込む京を襲ったのは、耐え難いほどの鈍い痛み。股間を抑えて、涙目になりながら、京は坊主を睨む。
「ひ、卑怯だ……」!」
「『冥府』での戦いに卑怯もくそもないぞ、少年」
そう言っておきながら、坊主は苦しむ京を直視しないように、明後日の方向に目を逸らしていた。どうやら、自分でもやり過ぎたという自覚はあるらしい。京の痛みを想像してか、額に冷や汗を流している。
「お、おぬしの狙いは、間違ってはいなかった。だが、本体ワシもそれなりに強いということは計算外だったようだな……って、まだ痛むか少年よ」
「誰のせいでこうなったと思ってるんですか……!」
「す、すまんなぁ、少年」
心の底から申し訳なさそうな顔をして、黒衣の坊主は両手を合わせる。
「せめて、読経をしてやろう。南無阿弥陀仏……」
「死んでねぇ! ――いや、死んでるけど!」
もはや戦いの緊張感は、微塵も残されていなかった。――いや、緊張感を持っていたのは、京のほうだけだったのかもしれない。この坊主にとって、これが「戦い」であったかどうかは、正直に言って怪しいのだ。
「……少年よ、ここらで負けを認めたらどうだ?筋は悪くないようだし、おぬしならいつか8000ポイントを貯められると思うぞ」
「――認めません。いつか、じゃ駄目なんです」
あくまで諭すような口調で話す坊主に対して、京はきっぱりとそう告げた。
「俺には――いや、姉ちゃんには、時間がない。俺が、この中にいる姉ちゃんを、今すぐにでも助けないといけないんです」
「なに……?おぬしの姉が、『蒼魔の塔』の中にいるというのか?」
「はい」
「……名は?」
少し真剣な表情で問うた坊主の目を真っ直ぐに見据え、一呼吸を置いてから、京はその名前を告げる。
「――嵐山 沙耶」
次の瞬間。
黒衣の坊主――嵯峨野 善十郎が、雷に撃たれたように目を見開き、全身を震わせて固まるのを京は見た。彼の心臓が早鐘のように鳴る音が、京の耳にまで押し寄せてくるような気がした。
――よく考えると、「蒼魔の塔」の入り口がひとつしかなく、さらに「番人」がそこを見張っているとしたら、沙耶はこの坊主のところを通って塔の中に入ったはずである。そういう意味では、両者の間に面識があってもおかしくはないが――それにしても、あれほど余裕に満ちていたこの坊主が、沙耶の名前を聞いただけでここまで驚愕するなどとは、誰が予想できただろうか。
「そんなことが、有り得るのか……? いや、確かに、沙耶の面影がある。もしや、本当に……?」
嵯峨野 善十郎は、喉を震わせ、譫言のようになにかを呟き続ける。もはや彼の視界は定まっておらず、側から見ると、その意識はどこかに飛んでいってしまいそうな気がした。
「えっと……姉ちゃんを、知ってるんですか?」
京が、未だ思考を続ける坊主に対して、恐る恐るといった様子で語りかけたとき――
「――否」
嵯峨野 善十郎は、突如正気に戻ったように京を睨み 腹の底からの憤怒をぶちまけるように、少年に向けて言葉を放った。
「おぬしが――嵐山 京であるはずがない」
空間を捻じ曲げんばかりの、殺気。
それは、彼が今までに見せた態度からは想像もつかないほどに尖り、淀み、黒ずんだ感情だった。
京は、目の前に立つこの人物が、自分が先ほどまで会話していた嵯峨野 善十郎という坊主であるかを疑わずにはいられなかった。快活で余裕があり、どこかふざけた態度をとっていた彼の顔は、今や怒りとも憎悪ともとれる感情で塗り潰されている。それは二重人格というよりは、土足で踏み入ってはいけない場所に堂々と泥のついた靴で立ち入られた時のような、そんな憤りを表したかのような豹変だった。
「沙耶が、弟をどれほど想っていたか――どれほどの覚悟で人柱となったか、貴様は知らんだろうな。だから、彼女の弟の名を騙ることができる」
凄まじいまでの坊主の気迫は、濁流となって京の体に押し寄せる。少年はただ、それに流されまいと耐えるのみ。
「言え。貴様の正体はなんだ?どうして、彼女の弟の名を知っている?貴様の目的はなんだ?なぜ、彼女の弟の名を騙る?」
怒涛のように浴びせられる質問に、京は何も答えなかった。黒衣の坊主は、その様子を「話し合う気はない」という意思表示だと捉え、最後通告のように言い放つ。
「よかろう。ならば――吐かせるまでだ」
ガシャリ、という重い音が、京の後ろで鳴った。
振り返った彼が見たのは、鬼神の如き様相で立ち塞がる、十六能力――「大太郎法師」。京の身長の倍以上の大きさを誇るそれは、坊主の激情に呼応するかのように、その両拳を胸の前で突き合わせた。その接点からはオレンジ色の火花が飛び散り、京の顔を照らす。
「感謝するのだぞ、沙耶の弟を騙る者よ。『鮮光』は使わん。あれを使えば貴様を肉塊にすることなど容易いが――それでは、情報を吐かせられんからな」
そして、巨人は全身を軋ませながら拳を振りかぶった。それはまるで、暴力の象徴のような一撃、その予兆。瞬間、京の脳裏に浮かぶのは、自分の骨が砕かれ、体が破裂するようなイメージ。「反定立」では相殺できない。先程までの攻防は、あくまで手加減されていたものだと、京はその時改めて痛感した。
「痛みという責め苦によって、自らの罪を知るがいい――少年よ!」
ゴウ!と空気を切り裂いて、その拳が振り下ろされる。走馬灯を見る時間すらも、京には与えられなかった。
そして。
大地を揺るがすほどの衝撃が、「蒼魔の塔」周辺の広場に生まれた。青いタイルは粉々に砕け散り、数メートルに渡って大きな亀裂が走る。砂煙が辺りに充満し、「大太郎法師」の巨体を覆い尽くすほどに広がった。
あまりにも純粋で原始的な、破壊。それは、いかに「冥府」において強化された肉体においても、到底耐えられないような一撃だった。
黒衣の坊主は、厳然とした態度で腕組みをしながら、砂煙によって塞がれた視界が戻るのを待つ。
「むっ……」
その時、坊主の目の前の砂煙が、かすかに揺れ動いた気がした。
(なんだ、風か……?)
それ以上は気にも止めず、再び待ちの姿勢に戻った坊主の体が――突如、横からの衝撃によってなぎ倒された。
「なにっ!?」
いきなりの攻撃に、坊主は面食らいながらも受け身をとり、襲撃者の姿を探した。だが、どこにも人影のようなものは見えない。
砂煙は、ほとんど収まりつつあった。それにも関わらず、坊主の視界に映るのは星に埋め尽くされた夜空と、塔を取り囲むようにして広がる広大な空間、そして自らの十六能力だけであった。
「そうだ――ヤツは!?」
坊主は、先程まで相対していた少年の姿を探す。しかし、「大太郎法師」がその拳によって地面に開けた穴の周辺に、彼の姿はない。
(なんだ……一体、どうなっている!?)
激しく混乱しながらも、謎の襲撃者による二撃目を警戒して、緊張の糸を張り巡らせる。坊主の禿頭には冷や汗が浮かび、その表情には焦りが生まれていた。
――しかし、いくら待っても、追撃はこなかった。ただ広い空間を吹き抜ける夜風が、彼の頬をかすめるだけ。彼と彼の十六能力以外、動くものはなかった。
「……畜生」
坊主は、そこでようやく、例の少年に逃げられたのだということを悟った。拳を床に叩きつけ、鬼の如き形相で叫ぶ。
「許さん……ワシは貴様を、絶対に許さんぞ!沙耶を侮辱し、彼女の大切な弟を騙る愚か者よ!次に会ったときは、もう生温い尋問などはせん。ワシは、この命に代えても、絶対に貴様を殺す……!」




