記憶
『いつか私が死ぬとしたら、病院のベッドで、子供とか孫とかに囲まれて、静かに目を閉じるように死にたいな』
いつだったか、一緒に歩いている時、ちょうど墓地の前を通りかかると、沙耶はうっすらと目を細めてそう言った。
秋の澄んだ空の下で、赤とんぼが滑るように舞う。落ち葉を踏み分けながら、京は沙耶の顔をちらりと見て、
『縁起でもないこと言うなよ、姉ちゃん。……それに、らしくないな。姉ちゃんは、もっと壮絶な死に方がしたいもんだと思ってた』
『えーっ、なにそれ。京の私へのイメージはそんななの?まあ確かに、死ぬまでは誰かのために壮絶に生きたいとは思ってるけどね、死ぬときくらいはゆっくりしたいんだよ、私は』
二人でこうして喋っていると、沙耶はたまに、京にはよく分からないことを言う。
『俺には想像すらできないよ。自分が死ぬことなんか』
『そうかな?私は寝る前によく、死後の世界とかあるのかなーなんて考えたりしてるよ』
『……ないだろ』
『あーっ、また人の考えてることをすぐ否定する!そんなんじゃ高校に行っても友達できないよ!』
『よ、余計なお世話だよ!それに、今の話には関係ないだろ!』
内心ではギクリとしながらも、京は必死に反論した。
『……死後の世界を信じるか信じないかって話でいえば、俺は信じたくない。だって、そんなものがあるとしたら、この世で生きるのに支障がでるじゃないか』
『……その心は?』
『もし死後の世界が天国だとしたら、この世で生きるのが馬鹿馬鹿しくなって死にたくなる。もし地獄だったら、この先の人生が地獄行きのカウントダウンになる』
『なるほどねー。京はそう考えるんだ』
『姉ちゃんはどういう意見なんだよ』
『私? 私はね、京の考えに沿って言うと――あの世が天国だったら、残りの人生、その天国に負けないくらい幸せな時間を過ごそうと思う。あの世が地獄だったら、その地獄にも耐えられるように、楽しい思い出をこの世で作ってから死のうと思う』
そう言って、笑って見せた姉の顔を見て――京は、敵わないなと思った。
秋風に吹かれて揺れる、沙耶の長い髪。二人で歩いたあの道。
今はもう、遠い昔のことのようで――――
*
天井に向けて無意識のうちに伸ばしていた自分の手が、京の視界に入った。冷たい青に染まった、明晰夢のような右腕。ここが死後の世界たる象徴。
一体、自分はいつから呆けていたのだろうか。日が昇ることのない「冥府」では、すぐには時間の経過がわからない。本当は数時間しか横になっていなかったはずなのに、もう何日も経ってしまったように感じる。
眠りこけていた訳ではない。この世界では、眠ることはできないし――こんな状況で、呑気に眠っていられるはずもない。ただ、昨日の激しい闘いによる気疲れから、少しの間、惚けてしまっていたのだ。
結局、あの戦いの後、倒壊したハイツ・デネブにはもう住めないということで、その隣にある同じような建物に移り住むことになった。奇妙な円柱形と、青い部屋。その特徴はハイツ・デネブと似通っていたが、それでも、以前とは違うその光景に、どこか寂しさを感じてしまう。……ほんの数日しか住んでいなかった京ですらそう感じるのだから、他の面々はもっと複雑な感情を抱いているだろう。
とはいっても、そんなことを感じている余裕は、彼らにはないのかもしれない。ガイやサン、そして厘は瓦礫に挟まれた傷によって療養中。八千代は傷こそ浅かったものの、車椅子のほうが壊れて、現在は自由に動くことができない。そして、大久保 四乃は――奇妙なことに、誰一人としてその存在を覚えていなかったのだ。まるで最初から、彼女がいなかったように。まるで彼女が、白昼夢であったかのように。
確かに、京が彼女の姿を見たのは、「顔合わせ」の際の一度きりだったが――あれが、夢であったとは思えない。彼女は間違いなくそこにいたし、他の面々も彼女のことをよく知っているような口ぶりだった。それが、皆の記憶から消え、さらには姿までも消したとなると、いよいよ訳が分からなくなってくる。
「……記憶、か」
そこで一度思考を切り替えて、自分が先ほどまで考えていたことについて思い出す。
ハイツ・デネブの隣にある建物の一室、青に染まったその小さな部屋で考えていたのは、姉である沙耶の言葉。死後の世界があるのか、という論争は、もはや今になっては懐かしさすら覚えるほどだが――「自分の死に様」については、依然として、いや、今になってこそ京の眼前に現れ、横たわる問題だった。
――石田刹那は、死んだ。
京にとって、彼が大切な人間であったとは言い難い。初対面で右腕を斬られ、さらには生死をかけた闘いを繰り広げた人物なのだから。
ただ、ハイツ・デネブの他の面々にとって、彼は間違いなく、死んでほしくない人間であったはずだ。彼らは、石田刹那が仲間を殺したとしても、まずは対話を望んだ。その上で戦闘になったとしても――彼が死ぬ結末を望んだ者は、誰一人いなかったのではないだろうか。
結果として、厘が辛い役目を負うことになった。彼女は今も、別の部屋でひとり沈んでいるはずだ。だが、誰も彼女を責める者はいない。いや、むしろ、殺された石田刹那は、彼女に感謝すらしていたのではないかと京は思う。
彼は、数の上では不利になると分かっていて、八千代の送ったメッセージに応じてハイツ・デネブまでやって来た。本人は、その理由については明確に答えなかったが ひょっとすると、この展開を望んで、つまりは死に様を求めて、姿を現したのではないだろうか。
――自分がこの世界において同じ時間を過ごした仲間の手よって、自分の犯した罪を清算し、彼らに看取られて死ぬこと。
それが彼の望んだ「死に様」だったのではないだろうか。何者かによる干渉を受けながらも、それだけは譲らなかった、彼なりの信念に基づいた行動だったのではなかろうか。
全ては京による推測。その中に、真実は含まれていないかもしれない。――ただ、京は、彼が最期に見せた、満足げな表情を忘れることができなかった。
望んだ死に方ができること。
それは、幸せなことなのだろうか。
瓦礫に埋もれた、あの暗くて閉塞的な空間の中で、京は厘に対して「生きること」を半ば無理やりに押し付けた。みっともない死に様になってもいい、だから生きるために足掻け、と。
今の京にとっては、死に様に拘ることは、生きることを放棄することである。それは諦めにまみれた惰性であるとすら思う。
(……だけど)
それでも、京は考える。
(俺が、姉ちゃんの「死に様」を変えてしまったのは事実だ。姉ちゃんは、年老いてから、子供や孫に看取られて死ぬことを望んでいた。俺があの時ちゃんとしていれば、姉ちゃんは死なずに済んだのに……)
胸に黒い感情が押し寄せる。思考が負のスパイラルに入っていく。
だが。
(……いや。違うだろ。俺が今するべきことは、落ち込むことなんかじゃなくて――)
そう。少年は、希望がまだ失われてはいないことを知っていた。姉の沙耶がまだ生きていること、そして自分があの日の後悔を乗り越えられることを知っていた。
冷たい台の上から体を起こし、窓の外を見る。
そこには、天を穿つほどの高さを誇る、蒼い巨塔が存在していた。数キロメートル離れたこの建物からでも、その高さ、そして威圧感は充分に感じられる。
「蒼魔の塔」。
あそこに入るためには、8000ものポイントを集めなければならないという。
今の京にとっては、遥かに遠い数字だ。あの砂浜で一体の明晰夢を倒した時に獲得したもの以外、京は全くポイントを所持していない。
だが。
――お前の姉は、「蒼魔の塔」にいる。
石田刹那が残した言葉が、京の胸に渦巻く。消えない波紋が、いつまでも心の中で反響を続ける。
京が自らの右手を握りしめた時、その体は無意識のうちに動いていた。




