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白鳥と刹那の分岐点


 目覚めた京が最初に見たのは、心配そうに自分を覗き込む厘の顔だった。


 天井に取り付けられた簡素な照明と重なり、逆光の中に見えるその表情が、不安から安堵に変わると同時に――京はようやく自分が置かれた状況を理解した。


 ハイツ・デネブの一階にある、大部屋。かつて京が他のメンバーと「顔合わせ」をした場所だ。その中央に置かれた、大きな青いテーブルの上に、自分は寝かされている。周囲を見回すと、厘、サン、八千代、ガイの姿が見えた。だが、以前は奥のほうにあるガラスのようなテーブルに突っ伏したまま寝ていた少女――大久保 四乃だけは、どこにもその姿が確認できない。


「八千代さん、京が起きましたよ!」


 歓喜とも言えるトーンで、厘が車椅子の女性へと語りかける。そこまで大袈裟に言われると、こちらも恥ずかしくなってくるというものだ。


 ――否、大袈裟ではないのかもしれない。なにせ、自分は腕を斬られたのだから。そこからの「出血」で、死んでもおかしくなかったのだ。


「……あ」


 はっとして、京は自身の右腕を見た。すると、そこには明るい夜空のような青に輝く、明晰夢ルシッドメアのような「腕」が存在していて。頭の奥、脳の片隅で、小さな火花のようなものが散った感触がした。


 先程まで自分が見ていた「夢」の中で出会った人物。あれは、確か――


「京、大丈夫!?その右腕――」


 落ち着かない様子で部屋を駆け回る厘に対し、軽く苦笑いをしながらも、京が答える。


「ああ。大丈夫かどうかは、分からないけど……とりあえず、血は止まったみたいだ。この腕のことは、俺にもわからない。……それより、俺が気絶した後、どうなったんだ?そもそも、あの刹那って人は、何者なんだ?」


 冷たい右腕の感触を確かめ、それが本来の腕や手のように動くことに驚きながらも、京は厘に尋ねた。


「京の『反定立アンチテーゼ』が当たった後、すぐに八千代さんたちが来て――刹那さんは、退いていったわ。八千代さんと、あそこで戦うつもりはなかったみたい。……刹那さんは、昔、ハイツ・デネブにいた人で――」

「厘ちゃん。その先は、うちが説明するわ」


 割って入ってきたのは、車椅子に座る女性――八千代だった。穏やかな普段の彼女とは違い、真剣味を増した様子で、八千代は京に向けて説明を始める。


「石田 刹那。刀の十六能力イザヨイ、『霧立キリタチ』の使い手」


 しかし、その表情は、怒りよりも悲しみに満ちていて。


「……うちとあいつは、お互い『冥府』に来たばっかりの時に出会って、一緒に行動するようになった」


 遠くに過ぎ去った、思い出を語るように――八千代は、言葉を紡ぐ。


「お互いに切磋琢磨するように、うちらは強くなっていった。どれだけの明晰夢ルシッドメアを、一緒に倒したかわからん。……気がついたら、うちとあいつは、他の『府民』から恐れられるようなコンビになってた。うちらとばったり遭遇しただけで、命乞いまでしてきた『府民』もおったなぁ」

「い、嫌なことを思い出させるなよ……」


 そこで口を挟んだのは、おどおどした様子の長身の青年――ガイだった。


 今のは笑っていいのかどうか、京が悩んでいるうちに、再び八千代が口を開く。


「そうそう。ガイくんに、ゴーちゃん、万太郎。いつの間にか、一緒に行動する仲間が増えて、うちらの集団はこの世界の中じゃまぁまぁな大所帯になったんよ。そして――頃合いを見て、このハイツ・デネブを拠点にして生活するようになった」


 いくつか聞きなれない名前が出てきたものの、京はこの集団の成り立ちについて、おおまかに理解することができた。


「うちらがここに住んでから半年くらいで、厘ちゃんやサンくんもここの住人になった。特に、厘ちゃんは刹那が拾ってきたのもあって、よう懐いとったわ」


 はは、と、八千代は小さく笑う。しかし、その表情に浮かんだのは笑みだけではなかった。何かを食いしばるようにして、車椅子の女性は続ける。


「刹那は、面倒見のいい、優しい奴やった。厘ちゃんのことも常に気にかけてて、よく稽古をつけてやってたなぁ」

「……」


 厘は、押し黙ったまま、何も語ろうとはしない。


 静寂の青に染まった部屋に、八千代の声だけが静かに響く。


「うちらは、その目的はどうあれ、この世界で生きるという点において、互いに助け合ってきた。利害関係だけやない。同じ十六歳で死んだ者同士、世界の理不尽と戦うため、心を一つにしてきたんや」


 絞り出すような声は、きっと、自分に言い聞かせるためのものなのだろう。あの八千代が、今は小さく見える。だが、彼女は、そんな姿を見せながらも、京に向けて、真実を述べるべく言葉を紡ぐ。




「――でも。一か月前」


 そして、核心へと。




「あいつは――刹那は、ハイツ・デネブの住人を4人殺して……そのまま姿を消した」




 押し殺すようにその事実を告げた後、八千代は静かに目を閉じた。


 厘やガイ、そしてサンも、お互いに目を逸らしたまま、何も語ろうとはしない。



 長い沈黙。



 ――それを破ったのは、その事実を実感しきれない京だった。


「……なんで、そんなことを」

「『蒼魔の塔(リボラ・タワー)』」


 厘からの答えは、聞き慣れない言葉で示された。


「京も、知ってるでしょう?『冥府』の中央にそびえ立つ、あの塔のことを」


 蒼魔の塔(リボラ・タワー)


 それは考えるまでもなく、この街の中心に、圧倒的な存在感を持って屹立するあの塔のことだ。初めて見たとき、生前に見たスカイツリーよりも高い、という感想を浮かべたのは記憶に新しい。


 だが、それが例の事件とどう関係するというのか。


「あの塔のことは、誰もよく知らない。噂によると、明晰夢ルシッドメアの巣窟だとか、反対にこの世界で唯一の安全地帯だとか、まことしやかに囁かれてるけど……。でも、あそこは、『府民証』に登録されたポイントが8000以上じゃないと入れないみたいなの。刹那さんは、いつかあそこに行くことを目標にしていた。あの塔に行けば、きっと自分はもっと強くなれるって、口癖のように言っていたわ」


 その言葉を聞いても、京はまだ事実が飲み込めなかった。


「それで……。そこに行くために、仲間を殺して……ポイントを稼いだっていうのか?」


 どれだけ死が隣合わせの世界だったとしても、超えてはならない一線はあるはずだ。もちろん、他人であろうと敵であろうと人を殺すなど考えられない京であったが それでも、あの青年がしたことは、この世界においても許されないことであるはずだ。


 それは、あの刹那という青年が異常だったのか。

 それとも、「蒼魔の塔(リボラ・タワー)」なる場所が、それほどまでに特別なのか。


 彼は言っていた。あそこが、自分の望むような場所ではなかった、と。それは、その塔のことを指すのは言うまでもないだろう。彼が何を望み、何を得られなかったかは、京には分からない。ただ一つ言えることは――彼は、仲間を殺してまで辿り着いた場所を捨てて、再び戻ってきたということだ。


 ただ、石田刹那という青年を見たときの、厘の険しい態度、そして敵意とも悲しみともとれる表情の理由は、充分に理解できた。厘は、どういう風に彼と接したらいいか分からなかったのだ。一か月とはいえ、共に過ごし、戦いの稽古をつけてもらっていた先輩が殺人鬼となり、そしてまた自分の前に姿を現したのだから。


 再び場を埋め尽くす、長い沈黙。


 厘に、そしてハイツ・デネブの面々に自分は何と言うべきか、京には分からなかった。


 だから、彼らにかける言葉を紡ぐためではなく、自分の気持ちを伝えるために、口を開く。


「事情は、だいたい掴めました。俺が下手に口出しするべきじゃないってことも。……でも」


 ハイツ・デネブの住人たちを真っ直ぐに見据え、一つの決意を形にする。


「俺は、あの刹那って人にもう一度会わなくちゃならない。あいつは、姉ちゃんのことを知っていた。簡単にはいかないかもしれないけど……力づくでも、俺はあいつから姉ちゃんのことを聞き出してみせる」


 その言葉に、八千代を含めたその場の全員が驚いた顔を見せた。ガイに至っては、顔を真っ白にして、信じられないものを見るような目で京を見ている。


「な、なぁ、嵐山くん……」


 まるで猛獣へと語りかけるような調子で、彼は恐る恐る問いかけた。


「き、きみは、自分が腕を斬られたことを忘れたのか……?刹那に……あいつに対して、恐怖心とかはないのか?」

「ありませんよ」


 きっぱりとした口調で、少年は断言した。


「姉ちゃんを見つけるためには、これくらいでビビってちゃ駄目なんです。俺は、もうすでに命までも賭けました。腕の一本で怯む訳にはいきませんよ」


 その言葉には、虚勢など微塵も含まれてはいなかった。狂気に近い覚悟が、ただ、少年を動かす。


「――はは、ええ感じに狂っとるね、()()()


 八千代は驚きから一転、感心へとその態度を変えて、京を見据えた。


「その、異常なまでのお姉さんへの執着。うちが見てきた人間の中で、間違いなくダントツで、きみがナンバーワンのシスコンや」

「……それって、褒めてるんですか」

「褒めてはないよ。ただ、うちは好きやで。理屈や常識を超えた愛情。他人に理解されなくても、是非ともそれは貫いて欲しいわ」


 そう告げて、八千代は快活に笑った。京が、その意味を理解できないままに、彼女は続いて言葉を紡ぐ。


「きみが倒れてる間に、話し合ってん。うちらが、刹那に対してどうするべきか」


 八千代は、その場の全員を見回し、確認をとるように告げる。


「うちは、個人的には今すぐにでもぶっ飛ばしに行きたいって言ったんやけどな。ガイくんやサンくん、そして厘ちゃんは、あいつと――刹那と、話し合うべきやって言ってるねん。あいつがなんで仲間を殺して出ていったのか、うちらは知らんまんまやからな」


 八千代の言葉に、京は少しだけ驚いた。彼らには、「裏切り者」であり危険人物であるはずの刹那に対して、関わり合いを避けるという選択肢がなかったのだ。


 長身の青年・ガイは、彼女の言葉を真剣な眼差しで首肯する。それは、普段の臆病そうな彼の姿からは想像もつかないほど、強い意志にあふれていた。


「あんなに優しくて、正しい強さを持っていたあいつが、どうして変わってしまったのかを……俺たちは、知らなくちゃいけないだろう。もちろん、怖くないと言えば嘘になる。だが……これは、逃げてちゃ解決しない問題だからな」


 そして、黒ずくめの少年・サンも、ガイに続くように口を開いた。


「ある日突然人格が変わって殺人鬼になるとか、中二病は名前だけにしとけよって話だぜ。選ばれし者であるこの俺が、そんな刹那さんの目を覚まさせてやる――」


 そこまで喋ったところで、彼は厘に頭を小突かれ、不服そうに彼女を睨んだ。


「なんだ、これからいかにして俺が選ばれし者かを語ろうとした時に」

「はいはい、君はもっと現実を見なさい」


 言葉では冷たくあしらいながらも、彼女の顔にはどこか安堵したような笑みが浮かんでいた。


 厘はきっと、他のハイツ・デネブの面々が、刹那という青年に対して憎しみや怒りといった感情を抱いていないことに安心しているのだろう。彼女にとって、彼は兄のような存在であったというから――彼の裏切りを受けても、まだそれが飲み込めていないのだ。それは厘が彼と再会したときの様子からも良くわかる。


 しかし、京から見て、今の刹那という青年は、飄々とした外見の内に、冷たい殺意を隠し持ったような人物だった。とても人格者としての面影はない。


それは、厘を含めて、ガイやサンも心の中ではわかっているのだろう。だが、わかっていてもなお、彼と向き合い、対話するという道を選ぼうとしているのだ。


 人と関わることを避けずに。


 真正面から、向き合おうとしているのだ。



「……強いですね」


 ぽつりと漏れた言葉は、京の本心だった。


 八千代や厘が、少し驚いたように京を見る。そして、どこか優しげな笑みを浮かべて、


「強くなんかあらへんよ。うちらはただ、仲間との『けじめ』をつけたいだけや」

「私は、自分がどうするべきかはわからないけど……もう一度刹那さんに会って、この中途半端な気持ちに、決着をつけたいと思う。――その結果が、どうなるのであれ」


 この場の全員が、覚悟を万全にしている。



 京は、姉のことを聞き出すため。


 そして他の面々は、「仲間」との決着をつけるため。


 絶大な戦闘力によって、この「冥府」で8000ものポイントを集めた石田刹那と対話――あるいは、戦闘をする。



 京は、死んだはずの自分の体に鳥肌が立つ感触を覚えた。

 それは恐怖か、それとも武者震いか。


「どう転んでも――ここが、ハイツ・デネブの分岐点や。みんな、頼むで」



 そう締めくくった八千代の言葉を受けて、ふと、京の頭に疑問が浮かんだ。


「そういえば……どうやって、あの人を呼び出すんですか?」

「ああ、それはまだ新入りくんに話してなかったな」


 問いかけられた八千代が、神妙な手つきでポケットから取り出したのは――「府民証フミンショウ」だった。




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