白濁する明晰夢
またしても、夢。
白濁した、とりとめもない空間を京は彷徨う。
波に揺られるように空間を流れるその体には、やはり、右腕の肘から先がなくなっていた。
夢の中であるというのに、そこからは針で刺したような痛みが這い上がってくる。
その時、痛みに耐え、苦悶の表情を浮かべる少年の前に一つの人影が浮かび上がった。それは、いつか見た夢のように、あの髭面の「博士」でも、ましてや彼の姉でもなかった。
足元まで垂れた長い銀髪を持つ、小柄な少女。
ハイツ・デネブの住人にして、常に眠りこけているという――大久保 四乃だった。
3日前の「顔合わせ」の際に見たきり、京は彼女と会うことはなかった。その時にしたって、彼女は部屋の奥で眠りこけており、顔までは見えなかったのだ。
その少女が、今、正面を向いて、京の目の前に立っている。
彼女は、幼い顔立ちで、どこか寝ぼけたように、しかし有無を言わせないような確かな口調で、京に問いかける。
「――生きたい?」
いきなりそんなことを問われ、京は少し面食らった。初対面の少女に、いきなりそんなことを訊かれて、即答できるわけがない。
――生きたい?それはどういうことだろうか。……ああ、自分は今、右腕を斬られて、失血死する寸前なんだな。これは走馬灯?いや、違う、夢だ。はっきりと、意識のある夢――つまりは。
明晰夢。
「生きたい」
自分の意思で、京は答える。
「俺はまだ、姉ちゃんを見つけてない。戦える強さもないし、あの刹那とかいう奴にも勝ってない。……それに」
少年の独白を、四乃は黙って聞く。
彼が思い浮かべたのは、透明な砂粒が輝く砂浜と、どこまでも静かな海。栗色の髪の少女と見た、あの美しい風景。
――この景色を見てると、この世界も悪くないなって思えるの。
生きるか、死ぬかの二択を常に突きつけられるこの世界では、美しさなど、何の価値も持たない。それは分かっている。
だけど、彼女と見たあの景色まで、無意味で無価値であると――誰が否定できるだろうか。彼女が心の支えにするあの景色は、必要のないものだと、誰が断定できようか。
だから、京は思った。もっともっと、美しい世界を見よう。死んだ時に後悔しないためではなく――生きる支えとするために。
「――それに、まだまだ、厘と一緒に綺麗な景色をみたいからな」
「合格」
銀髪の少女は、そう呟いて、かすかに微笑んだ。
「厘をよろしくね、新入り君」
優しい口調で、歌うように、銀髪の少女は告げる。
「生きたいというなら、ちょっとだけ、力を貸してあげる。なにも訊かずに、これを受けとって」
四乃が、その左の掌を、ゆっくりと京の右手に添える。すると、どこからか深い青色の光の粒が集まってきて、切断面を優しく包んだ。
それと同時に、刺すような痛みが消える。京が驚いた表情で口を開け、右手を見つめていると、瞬く間に光の粒子は棒のように伸び、切断されたはずの「右手」を形作っていった。
本来の手と同じ大きさ、そして形。五本の指はちゃんと揃っている。
ひとつだけ、そして最も大きな違いは、その腕が生身のものではなく――青い宝石のようなもので形作られていることだ。
それはまるで、自分が先程まで戦っていた、「明晰夢」と呼ばれる人形の怪物の腕のようで。
「これは……?」
「なにも訊かないでって言ったでしょう」
銀髪の少女は、唇に人差し指をあてて、いたずらっぽい微笑みを返した。
京は、新たな自分の「右手」を見つめながら、ためらいがちにそれを動かす。予想に反して、五本の指は滑らかに動いた。まだまだ違和感は強いが、手としての機能に問題はなさそうだ。
再び少女のほうへと顔を向け、京は尋ねる。
「この手のことについて訊いちゃいけないっていうなら……きみのことについて訊きたい。きみは一体、何者なんだ?誰も眠ることができない『冥府』で、ひとりだけいつも眠っている、きみは……?」
「今は、この夢の主、とだけ言っておくわ。……もっとも、今ここできみに話したことは、『忘れて』もらうつもりだけどね」
「それは……」
どういうことなんだ、と京が問おうとした矢先、彼の体が淡い光となって消え始めた。それはまるで、夢から醒める前兆のようで。
「また会いましょう、嵐山 京くん。あなたがお姉さんを探し出し、『冥府』の真実を知ったときに」
眠たげな瞳の奥に、底知れない強い光を宿して、大久保 四乃はそう言い放つ。
その言葉の真意を問う間もなく――京の体は、その全てを霧のような細かな光へと変えて、白く混濁した空間から完全に消え去った。
ひとり残された銀髪の少女は、何かを憂うような表情で、誰もいない空間にむけて呟く。
「嵐山 京。『輝石』を使わず、実体化もしない、ふたつの十六能力を持つ少年」
少女が持つ、長い銀髪が揺れる。
「あなたは本来、『冥府』にいるはずもない人間。だから存在が不安定で、私が夢の中で干渉することができる」
彼女が見据えるものとは、果たして――
「それでも……あなたでは、絶対に『あいつ』を殺すことはできない。……いや、あるいは――ハイツ・デネブの全員をもってしても」




