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静寂の砂浜


 厘に連れてこられたのは、海を一望できる砂浜だった。


 足元を埋め尽くすのは、現世のような細かく乾いた砂ではなく、ガラスを砕いたような透明な粒の数々。まるでビー玉を敷き詰めたようなその「砂浜」の上を歩きながら、少女は少年に語りかける。


「私、この場所が大好きなんだ」


 波の音が聞こえる。砂浜に対して、海は京が見知っているものと変わりがない。引いては寄せる波が、二人の足元を通り過ぎては、また大海へとかえっていく。


「見せたいもの、っていうのは?」

「ここの景色のこと」


 暗闇の中、少女の顔を照らすのは星の光だけ。


「なんて言えばいいのかな。この景色を見てると、この世界も悪くないなって思えるの。明晰夢ルシッドメアとか、他の人たちと戦わなくちゃいけないとしても……この景色があれば、私はこの世界で生きていける気がする」


 どこまでも広がる海を遮るものは、何もない。この「冥府」が存在する島の他には陸地のようなものはなく、ただ青い水平線が虚空にぽつりと浮かんでいる。


「たしかに、綺麗だな」

「そうでしょ」


 栗色の髪をゆらしながら、少女が微笑む。京は、少し照れくさくなって、目をそらすように海を見つめた。


 静寂が世界を包む。聞こえてくるのは、砂浜を洗う波の音だけ。


「お姉さん、見つかるといいね」


 ぽつりと、厘が呟いた。その声には、どこか悲しい響きが含まれていて。

 京の胸は、訳もなく寂しさに包まれた。


「やっぱり、この世界で一年間も生き抜くっていうのは、大変なことなのか?」


 その返答に、何を期待したのだろう。


「難しいよ。すごく」


 絞り出すように、少女が答える。厘だって、この世界に来たばかりの少年に厳しい現実を突きつけたい訳ではないのだ。


「ガイさんとか、私を襲ってきたあの装甲の人みたいに、身を守るのに役立つ能力だったら、生き残れる確率は増える。キミのお姉さんの十六能力イザヨイがどんなのかは、わからないけど……そういう能力だったらいいね」


 言葉を選ぶようにして、厘は語る。

 その横顔を眺めながら、京は少し笑って、告げる。


「だったら、姉ちゃんはもう死んでるかもな」

「え?」

「俺の姉ちゃんは、自分の身を守るとか、逃げるとか、そういうのが大嫌いなんだ。……もちろん、逃げることも、身を守ることも、この世界じゃ必須と言えるくらいは大切なんだろう。けど、姉ちゃんは、どんな逆境にも、正面から立ち向かっていく人だった。頑固なくらいまっすぐに、弱い者を助け、強い者と戦う、そんな姉ちゃんだったんだ」


 自分が小学校でいじめられていた時、助けてくれたのは姉の沙耶だった。体格も一回り大きい上級生に向かって、普段は見せないようなすごい剣幕で殴りかかっていったのを覚えている。


「だから、姉ちゃんはこの世界でも、きっと同じように戦ったはずなんだ。必死に、生きたはずなんだ」


 星空に向かって、手を伸ばす。


 届かないものを掴むように。


「今度は、俺が姉ちゃんを助けるよ」


 開いた手を、握りしめる。

 もう何も零さないように。



「ありがとう、厘。正直、この世界に来て戸惑うことは多かったけど――気持ちの整理がついた。たしかに、この世界は悪いことばっかりじゃないみたいだ」


 大粒のガラス玉のような砂を踏み分け、踵を返す。


「もう、戻ろう。俺も、十六能力イザヨイの修行をしなくちゃいけないからな」


 そう告げて、再び「冥府」の町並みへと足を踏み入れたとき――



 脳を直接揺さぶるかのような、甲高い二つの警告音アラームが、二人の鼓膜を貫いた。


「――明晰夢ルシッドメア!」


 京が思わず、その音源――「府民証」をポケットから取り出し、画面に表示された文字列を確認しようとした時には、厘はすでに紅蓮の槍を実体化させていた。


 それと同時に、二人から10メートルほど離れた空間が歪む。


 次の瞬間、形容しがたい異様な音をたてて、その空間から黄色い宝石のような物体が落下した。


 身長2メートルほどの人型をした石の塊で、その四肢はどうやってバランスをとっているかわからないほど細い。だがしかし、確かな威圧感を放ちながら、それは二人に向かって前進してくる。


 栗色の髪の少女が、後ろで束ねたその髪を揺らしながら、激しい勢いで明晰夢ルシッドメアへと突進する。その表情に迷いはなく、その動きには無駄がなかった。


 思わずその動きに見惚れ、二者の戦いの様子を見送ろうと少年が目を凝らしたとき――彼の頭に、鈍い衝撃が走った。


 倒れこむことは辛うじて避けられたものの、何が起こったか分からず、背後を振り返る。


 すると、京の目と鼻の先で、赤い石の塊と呼べる怪物が、その大きく膨れ上がった右手を振り上げ、今にも二撃目を放とうとしていた。


「うおおっ!」


 転がるようにしてその射程範囲から逃れる。それと同時に、 棍棒のような腕が振り下ろされ、ガラス玉のような砂で埋め尽くされた地面が震えた。


 耳障りな破砕音が響き、砂の欠片が京の全身に降り注ぐ。手を顔の前にかざし、瞼を閉じることによってそれが目に入ることは防いだが、このままでは防戦一方だと判断し、まずは距離をとるべく後ずさる。


 視界の端には、黄色い明晰夢ルシッドメアと攻防を繰り広げる厘の姿。あの様子だと、すぐには加勢に来れないだろう。


 ならば、こいつは自分一人で倒さなければならない。


「……いくぞ」


 自己流の構えをとり、右手に「反定立アンチテーゼ」を展開する。それと同時に思い出すのは、この3日間の修行だった。



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