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人魚姫  作者:
1/4

1人の姫

 広大な海の底で、月のない暗い空を見つめる一人の少女がいた。


 「フィリア様!新月の夜に一人で出歩いては危険です!」

 魚人族の1人が、焦った様子で城から出てきた。しかし、フィリアと呼ばれた少女は動かなかった。

「今からお母様が歌うんですもの。大丈夫よ」

「しかし…」

「カイト、静かにして。始まるわ」


 しっ、と人差し指を口元に立て、フィリアが顔を向けると、カイトはぐっと押し黙った。ほどなくして、きれいな歌声が聞こえてきた。

 昼は太陽光が差し込み、夜は月の光が降り注ぐこのルーチェリア国には、とてもなじみの深い歌だ。


 いつも自然の光が差し込むこの国は、逆に言えば光がなくては生きてはいけない。しかし、光の届かないときがある。それが、今日のような新月や、何十年に一度くる皆既日食。光がないと、不安に駆られ、いつもではしないような行動に出る者が現れたり、他の国に攻め入られる隙を作ってしまうことになる。


 ルーチェリアを治める女王には、代々受け継がれる“歌”、『ノーヴェル』があり、光のない日に歌うことで国と民を守ってきた。


 歌、とは言っても、ただの歌ではない。古の時代からあるこの国を治めてるのは、『マリアの一族』と呼ばれる、歌の神、マリアによって選ばれた女性であり、そのマリアの一族が歌うからこそ、その力は発揮されるのだ。


「何度聞いても、不思議なものですね」

 目を開けると、隣に上を向いているカイトがいた。フィリアも再び上を向き、空に広がる波紋を見つめた。

 歌声と連鎖してオレンジ色の波紋が国を照らし、人々の心に安らぎを与えている。

 優しく降り注ぐような歌声に、フィリアは自然と目を閉じる。


 あと7日後の16歳の誕生日に、フィリアは儀式を行いこのルーチェリアの姫になる。女王の実の娘として、姫ではあったがマリアとしての姫になるのだ。女王が今歌っているのも、いずれフィリアの仕事になる。

 聞きなれた母の歌声に耳を澄ましながら、不安に心が曇ってしまう。


「…あれ?」

 ふと、フィリアは違和感がした。いつもは母の歌を聴いているとき、何が何でも頑張ろう、という想いが沸き上がってきたのに、今は胸の内の不安が消えない。

 ノーヴェルの力は確実に発揮されているはずなのだが。


「珍しいですね。女王が想いを乗せるとは」

「想いを乗せる?」

「えぇ。ノーヴェルには光の力があり、歌うことで国や心のうちにある闇を払ってくれるのです。それは女王の心を映しているようなもの。女王の心晴れずして、国民の心は晴れない」


 つまり、母の心は今晴れていない。

「もしかして、お父様かしら」

 フィリアの父は、海を守る戦士の1人だった。6歳のころに事故で亡くなったと、10歳くらいのときに母から聞いた。


 事故の原因は海底のもう一つの国、『テネブラ』との国境を巡回していたときだったらしい。ルーチェリアとは逆に常に闇に包まれたテネブラ。そんなテネブラが魔法実験を行っており、暴走してしまった魔法が国境を襲い、それに巻き込まれこの世を去ったと。

 それから女王は一人で政務をこなしてきた。寂しさを忙しさで紛らわすように。


「でも、あと少しで私もお母様のお力になれるわ」

「フィリア様…」

「カイトは本当にいい耳を持っているのですね」

 突然聞こえた声に驚いて二人同時に後ろを振りむくと女王がこちらに近づいてきていた。

 歌い終えた女王は二人に優しく微笑む。


「少しダリス公に報告をしただけですよ。もうすぐフィリアが姫になると」

 一度言葉を切り、女王は上を見上げた。ダリス公、とはフィリアの父親だ。

「このルーチェリアを、今度はあなたも守っていくのですよ。焦ることはありません。一つ一つ、共に歩んでいきましょう」

 優しい言葉と、頭に感じる温かな母のぬくもり。心に広がる安堵感に視界がぼやけていく。

 手を握りしめて堪えるフィリアを、ロゼはそっと抱きしめた。


「大丈夫。私がいるもの。フィリア、あなたは決して1人じゃないわ」

 いつのまにか、中庭には二人しかいなくなっていた。

1人の女の子が、母にすがって泣くさまを、月のない今夜は、誰も見ていなかった。



「あらあら、お綺麗ですわフィリア姫」

「やんちゃな姫が、もう成人だなんて…」

 感慨深そうに、色々言われるが、当の本人はメイクを施されているため、話すことができない。顔を動かさないようにして、鏡越しに相手を視線で睨みつける。そうすると、悪びれるそぶりも見せずに、いそいそと自分の持ち場に戻っていった。

「はい。できましたわ」

「ありがとう。カテナ」

「いえいえ。時間もありますし、少し散歩に行ってきてもよろしいですよ」


 微笑むカテナに、フィリアは頷き、部屋を後にした。

カテナはフィリアの幼いころから仕えているメイドの一人だ。だからこそ、フィリアが緊張しているのが分かってしまったのだろう。

 自分の姿を見下ろしてみると、そこにいるのは自分とは思えないほどきれいに着飾っていた。

 純白のドレスに身を包み、そこから覗く尾にも装飾が施されていた。泳ぐのに邪魔なものは付けない主義のフィリアにとって、メイドたちには悪いが、居心地のいいものではなかった。


「早く終わらないかな…」

「綺麗に着飾っているのに、もったいないんじゃないか?」

 突然声を掛けられて心臓が跳ねる。

 振り向くと同じように正装姿のジルがこちらに泳いできた。彼は側近の1人だ。姫であるフィリアに敬語を使わない無礼者、いや、立場を気にせずに話せる友人のような存在だった。


「馬子にも衣裳とはこのことか」

「う、うるさいわね」

「がらにもなく緊張までしてやがる」

 ジルは笑いながらフィリアの髪に触れる。言葉とは裏腹に、その手は優しかった。ジルが触れたところから、じんわりと温かさが広がり、心が落ち着いてきた。


「お前ももう16歳かぁ。早いもんだなぁ」

 まるで老人のような言い方にふっと笑いがこぼれる。確かに、あっという間にこの年になってしまった。


 この海底国、ティエラ公国は16歳に成人の儀式を行う。そしてこの国では、成人の儀式を執り行ってようやく姫になれるのだ。

 だからこそ、フィリアにとって、今日はすごく特別の日なのだ。ようやく、胸を張ってこの国の姫だと、母様の娘だと名乗ることができるようになる。そんな喜びと、姫となることで背負うものの重さに不安が胸を締め付ける。


「心配すんなよ。フィリアの傍には、いつも俺たちがいる」

「!」

 はっと顔を上げると、優しく微笑むジルと目が合った。長年の付き合いで、フィリアの考えはお見通しのようだった。


「警備、ご苦労様です。気を抜かずによろしくお願いします」

「お。噂をすれば」

「ほんとね。カイト!」

 フィリアが呼びかけると、カイトがこちらを振り向いて笑った。ジルと似た正装に身を包み、警備の確認をしているようだった。

「兄さん、見回りは?」

「あー?したした」

「今日はフィリア姫の大事な儀式なんだから、ちゃんと…」

「したした」


 目を合わせることなく、ジルは手を振って適当に答える。同じ問答を繰り返すだけだとカイトは諦めてため息をつく。

 いざという時にジルはとても頼りになるのに、普段は仕事をさぼりがちだ。カイト自身はあまり気にしていないため、できる範囲で兄の仕事もこなしており、どちらが兄か時々分からなくなるのだった。

 いつもと変わらない兄弟の掛け合いに、自然とフィリアの肩から力が抜ける。


「そうでした。フィリア様、女王陛下がお呼びですよ」

「え。そうなの?じゃあ行ってくる」

 いってらっしゃいと手を振る二人を残し、フィリアはその場を後にした。

 誰かとすれ違う度、会釈されたり、おめでとうー!と言われ、恥ずかしい反面、嬉しくなる。そうこうしているうちに、女王の寝室にたどり着き、警備に声を掛けてから、部屋へ入った。


「あらあら。可愛いわねぇ」

「お、お母さま…」

 鏡台に座っていた女王がくるりとこちらを向いて笑顔になる。

 恥ずかしさもあるが、それ以上にフィリアはほっとした。このドレスが自分に似合うか不安だったというのもあるが、何よりもこれを選んでくれたのが女王本人だったのだ。せっかくの素材を台無しにしてしまってはいないかと、そればかり気になっていた。

 数週間前、フィリアの成人の儀式用にメイドたちはたくさん候補の服を持ってきてフィリアに着せていた。これはどうか、あれはどうかと着せ替え人形にされながら、フィリア自身は何でもいいから早く決めてくれと内心頭を抱えていた時、たまたま入ってきた女王がこの純白のドレスを選んでくれた。それまできゃっきゃとはしゃいでいたメイドたちも、とたんに大人しくなり、試着会は終了したのだ。


「貴方の晴れ姿、ダリスもきっと見ているでしょう」

「お父様のように、とはいきませんが、これからは姫として私がお母様をお支えしますわ」

「フィリア…」

 今ここに、父はいない。だからこそ、嘆き悲しむのではなく、先を見据えるのだ。



 父が亡くなってから、政務を母が1人ですべてこなしてきた。

 手伝う、といくら言っても母にやんわりと断られ続けてきたが、今日からは手伝いではなく、それがフィリアの仕事となる。儀式は面倒だが、姫になることで母の負担を減らせるのならどうということはない。


「ずいぶん立派になったものですね」

 女王は優しく微笑み、フィリアの傍に寄ってきた。

 そして、自分の首にかけていたペンダントを外し、フィリアの首へ付けた。


「これは、大切なものでは」

「お守りのようなものです。これは、誰にも渡してはなりませんよ」

 手のひらに乗せ、まじまじと見る。金の縁に小さな青い花が真ん中に咲いている。母のぬくもりに心が温かくなり、視線を移すと、一瞬複雑そうな顔をする母と視線が合った。


「フィリア、実は…」

 母が何か伝えようとしたとき、カイトが勢いよく部屋に入ってきた。

「大変です!!テネブラが!すごい数でこの城に迫ってきております!!」

「なんだと!!あいつら、どうやって…」

「そ、それが、魔法で暗雲を作って光を遮っているようだったと」

 テネブラ国、その単語に心がざわついた。

 ルーチェリアが光がないと生きられぬように、テネブラは闇にしか生きられない。そんな彼らが魔法で光を遮ってまで攻めてきた。


「やはり…」

 ボソッと聞こえた母の言葉に、驚いた。その言葉は、まるで攻めてくるのを知っていたかのようだった。

 どうして、何か知っているのですか、そう聞きたかったのに、母に言葉を遮られた。

「カイト、フィリアを連れて逃げなさい」

「陛下!?」

 動揺を隠しきれないカイト。しかし、女王の意思は固く、空気も異論を受け付けないようだった。

 しかし、フィリアは一歩踏み出す。


「女王が逃げなくて、姫が逃げることはできません!」

「女王が逃げれないからこそ、姫だけは逃げるのです」

 ひっくり返された言葉に、返答に詰まる。 

「っ。なぜ、母様は残るのですか」

「女王の責務です」


 そう言って、母はフィリアに背を向けた。追いかけようとしたが、カイトが腕を掴んでそれを阻止してくる。

 フィリアはがむしゃらにもがきながら、母を呼んだが振り向くことはなく姿を消した。


「…フィリア様、行きましょう」

「離して」

「フィリア様…」

 無意味だとわかっていても、気が済まなかった。

 私は、なんだ?

 姫とは、なんだ?

 力など何も持たない、まだ正式に姫にもなっていない者が逃げ、国を守り続けた女王が戦っている。

 ギリッと強く歯を食いしばり、フィリアは顔を歪ませた。

「行きましょう」

 今度は抵抗も反抗もせずに俯き、カイトに手を引かれるまま、その場を離れた。


 城の中にも敵は入ってきていた。カイトは考えられる敵の動きを予想し、巧みにかわして進んでいった。

 そんなとき、角を曲がってきた人物に、フィリアたちは驚いた。

「ジル!」

「フィリア!無事でよかった…」

 ジルは二人の身に傷がないことを確認するとホッと息を吐き出した。しかし、すぐに表情を引き締める。


「カイト、作戦はDだ」

「なっ。本気ですか!?」

「あぁ。それ以外、方法がない」

 “作戦D”。なんのことかフィリアには分からなったがカイトの表情から察するに穏やかなことではないようだ。


「大丈夫だから。そんな不安そうな顔すんな。俺が、俺たちが守るから」

フィリアの頭をポンポンとたたき、ジルは笑った。その笑顔に、少しだけ元気が出た。

「ジ、ジル。母様が残っているの。母様を、守って!」

「!フィリア様…」

 行けるのなら、自分が行きたかった。でも、足手まといにしかならないことは、今のフィリアにはわかる。だからこそ、信頼できるジルに、頼みたかった。


「身勝手なのは、分かってる。それでも…」

「わかってるさ。お前に変わって、俺が守るよ」

 頭に感じる暖かな感触に、フィリアは唇を噛みしめた。

 ジルはすぐにフィリアたちが来た道を戻っていった。


「急ぎましょう。敵が来る前に」

 頷きながらも、頭の中は女王のことでいっぱいだった。


 逃げる道しか、残されていないのかと模索しているうちにカイトが立ち止まる。

「ここです」

「ここ、は!」

 赤い扉に何の部屋か悟り、一歩、下がろうとするフィリアの腕を掴み、カイトは扉の中へ入る。抵抗を試みるが、力が強くびくともしない。気付けば衛兵は傍におらず、カイトと二人きりだった。

 普段立ち入りを禁じられているその部屋は、地上へ続くゲートがあるのだ。


「地上に逃げろというの!?」

「これしか、ないんです!!」

 今まで聞いたことのない、カイトの叫び。フィリアよりも、辛そうな顔をしていた。

「どう、して…」

 海は広い。一時的に非難するのなら、わざわざ地上へ逃げなくても隠れ家や逃げ込める場所があるはずだ。

 カイトの様子は、まるで海の中に逃げ場はないと、言っているようなものではないか。

 いや、それよりも、そんな強大な力が迫ってくるのなら、なおさら皆、女王が逃げなければならないのではないか?


「カイト、お母さまも逃がさなくては!」

「っ。すみません」

「!?」

 気づいたときには、唇が重なっていた。驚き、逃げようとするフィリアの頭と腰を掴み、押さえつける。

 強引に開かれた口の隙間から、液体が流れ込み、ゴクリと喉が鳴った。


「い、いったい、何を…!」

 しゃべろうとして、大きく泡を吹きだす。喉が焼けるように熱くなったのだ。両手で喉を抑えるが、痛みは一向にひかない。

 それ以上に、苦しい。


「本当に、すみません」

 歯を食いしばりながら、カイトがそっとフィリアを押してゲートに近寄せた。

 意志とは関係なく、体がゲートに吸い寄せられていく。

(かい、と…)

 縋りつくように伸ばした手は、カイトに届かない。


「っ姫、様…!」

 遠のく意識の中、カイトが苦しげな表情ですみません、と言っていた気がした。



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