地獄を抜けた先は一面の地獄だった
俺はいま地獄の窯の中にいる。
確かに、俺の生前は善人では無かった。
他人を顧みず自分のことだけを優先してきた。
人の痛みなど知ろうともしなかったし、興味もない、いわゆる人でなしだ
……だがそれは俺にこんな仕打ちをするほどなのかと問いたい
あぁ神様さま、仏さま、来世があったら必ず人の痛みを知ることのできるよう生きます。
だから私をお救い下さい。
俺は死んでしまった。
空から降ってきた隕石か何かにぶつかって真っ二つ、自分の下半身があらぬところにあるのをぼんやり見ながら死んだ。
あっけないものだ。
だがこれで俺の存在は無に帰ると思ったらなんと死後の世界は存在したのだ。
大の男でも縮み上がるような鬼の獄卒につれられたここは人の罪を裁く法廷
目の前には人の大きさとは思えない巨体と、恐ろしくいかめしい顔、まさに寝物語で語られた閻魔の前に立たされる俺。
今まで好き勝手に生きて、人は殺したことはないがそれ以外の悪事はほとんどやった。
どう楽天的に考えても天国にはいけないだろう
だが地獄になんて落ちたくはない
俺は助かりたい一心で自分がいかに善人であるかを閻魔に訴える。
しかし、まぁ、薄々気づいてはいたが、そんなものは通じなかった。一応だ。
「無益な殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語、邪見おおよその悪事に手を染め、ここまできて嘘を弄するその性根、もはや許さん!! 貴様は焦熱地獄行とするッ!! 」
重く威厳ある断罪の判決が響き渡る。
「あぁ……、お許しください! 地獄だけは行きたくないです。助けてください!!」
俺は地面に這いつくばってあらゆる言い訳をするが閻魔は一切の変化を見せない
そしてとうとう地獄の獄卒が俺の体を重機のような力で地面から引きはがす。
そこでも俺は恥も外聞もなくわめき散らしながら最後には情に訴えた命乞いをした。
「俺の最期は体が真っ二つ、このような死に方は憐れです。本当ならもっと人のために生きることが私にはできました。どうか寛大な裁きを!」
どうせ何も変わらないと、心のどこかで思っていた命乞いだが、なんと閻魔はピクリと眉を動かす。
「確かに、貴様の最期は本来の事象になら起り得ぬ、不運な事故だった……、その点だけは考慮に値する」
何やら意外な返答、比喩でもなんでもなく地獄の窯の淵にいる俺は、畳みかけるように憐れみを誘い、救いを求めた。
閻魔はそれを一通り聞いた後、俺に問いかける。
「先ほど言った、もし生きながらえたならば人のために生きるというのは真か? 心して答えよ」
思ってもいないがそうだと答えると閻魔が破格の条件を出す
「もし貴様が望むなら、元の場所とはいかんが現世に戻すことができる……、しかしそれは償いの為であり、その運命は過酷、さらに死んだ時に十分な善行を積んでなければ、また地獄に落とすことになるが……、どうする?」
この蜘蛛の糸、掴まない手はない
俺は首がもげるほど縦に振った。
「そうか……、では行け、次こそは人の痛みを知る人間になり善行を積むがよい」
そういうと俺の体が霧散していく、俺の体が薄れ始めるのと同じくして、意識も遠のいていくのだった。
こうして俺は二度目の生を受けることとなる。
俺が生まれた場所、そこはその日生きることも厳しい寒村の教会
より正確に言うなら、動けない赤子の状態なのに寒空の下、教会の前に捨てられた。
喋れもしなければ動けもしなかった俺がそのまま凍死し、地獄の賽の河原までUターンしかける直前で何とか気付いてもらえたのは、幸運というしかないだろう
もちろん俺は生まれた当初から意識がはっきりしていたので、俺を生んだ女と男の顔もばっちり見ている。
これが前世だったら丁寧なお礼参をしていたところだったが、閻魔の約束でそれは出来ない、命拾いしたなと内心毒づく、しっかり避妊はして欲しい
そうして何とか教会に拾われた俺は下の世話を他人にやらせながらとんでもないことに気付く。
アソコがない
驚いたことに今世の俺の性別は女だった。
すでに飢えるほど貧乏で、さらに女の社会進出を百年単位で待たねばならないというこのご時世、女であるならロクな仕事もない、もちろん俺は男と結婚などは論外なので、人助けのノルマという話からも、成長したらそのまま教会のシスターとして神に仕えることにした。
まぁ神なんて存在を信じては……
いや……、いるにはいたがとんだサディストだと俺は知っている。
こうして生きていくだけで精いっぱいな俺は、他人を助けるような余裕などはなく、自然と生前のように自分本位で生きていく、…………ことが出来なかった。
その理由を説明するにはまず俺が生まれ時から持っているふざけた能力を説明しなければいけない
別にもったいぶる必要もない、俺は生まれた時から人間の心の声が聞こえる。
いわゆる読心ができた。
はじめはやけにこの世界の奴らは独り言が多いなと思っていたが、次第に声が俺にだけにしか聞こえないことが分かると自分の力に気づき、そしてそれが閻魔の差し金であると確信した。
閻魔がこの能力を俺に付けた意図は、この力を使って人助けをしろといったところだろうか、なんて高慢ちきな奴だ。
当時の俺はそう考えるがすぐに思い直す。
この力があればこんな寂れた村からすぐにでも出ていけるのでは?
相手の心を読めるなんてイカサマを使ったらギャンブルでも詐欺でもなんでもヤリ放題だ。別に違法な手を使わなくても堂々と成り上がることは容易いだろう
その時の俺は将来の展望にほくそ笑んでいた。
しかしそうではなかった、そうではなかったのだ……、この能力にはとんでもないデメリットがあったのだ。
それは『人の悪意が聞こえて心が汚染されちゃう……』とか『思考が溢れてくるッ!? 頭がッ……!』とかそんな甘っちょろいデメリットどころの騒ぎではない。
……ないわけではないが
しかしそんなものよりも生きていくことすら困難になりかねないものだ
ある時、俺は教会の食事を食べていると空腹で困っている同じ孤児の食べ物が欲しいという心の声を聞いた。
一日目は閻魔との約束があるので仕方がなく自分の食事を分けた。
二日目も何とか我慢して分けた。
三日目になって流石にこれ以上は無理なので一人で食べようと手を動かしたその時、猛烈な抵抗感が俺の体を攻め立てた。
例えるなら月曜の朝の目覚め、貯めに貯めた期限ぎりぎりの仕事、そういったものに取り組むような抵抗力を体に受け動けなくなる。
それでも食い物を飲み込めば今度は身体の強い吐き気とめまい、頭痛などの身体不調のオンパレードを感じ、結局一口食べて食事を分けてしまう
俺に付けられた能力、それは困っている人間の心を聞いてしまうと助けなければならないというものだ。
自分の身を削っても他人に奉仕しなければならない体質、まさに人の痛みを知る人間という訳である。
こうして俺は東に病気のクソガキがいれば行って看病してやり、西に腰をやったババアがいれば代わりに畑を耕し、北に、南に、とにかく他人のケツ持ちをする生活を強いられてきた。
自分に合ってない仕事、まるで筋者にプール監視員をさせるような不毛さは俺の精神をすり減らす。
しかし閻魔の言っていた過酷な運命とやらはそれだけではなかった。
さらにこの俺を貶める決定的な呪いは、俺がある程度の成長をした後にやってきたのだ。
第一の呪いにより、苦しみながら暮らす中、あくる日の奉仕活動中に俺の右腕に変なミミズ腫れができ、ちょうど神父がそれを見て驚愕の表情をする。
うわ糞ダサいなこれ、小学生の時に買ったドラゴンの裁縫箱の模様よりダサい
「おぉ!? これは魔王復活の時に現れる勇者とその仲間にのみ浮かび上がるという聖痕!! まさか神々の信託をこの目で見ることができるとは!」
魔王とか勇者とか、あの時々言い聞かされた糞つまんねぇ、寓話、子供向けのほら話の類だろ?
「違うわ、この不信心者めッ!! 聖書にも書かれてある、事実じゃ!」
聖書? やっぱりホラ話じゃねーか、そんな意味の分かんねぇ話で急に放り出されてたまるかよ!
俺はそう啖呵を切って、断ろうとするが、なぜか全く口が動かせなくなる。
「おまえは少しがさつで男言葉が抜けないところは心配だったが清貧で常に人のために身を捧げられる良いシスターだと私は分かっていたぞ。教会は私に任せて王城に行くといい!!」
この神父! はなから断られるなんて考えもしないで頼んでいやがる。
「俺に任せてくれ……」
神父からの強烈な心の思念からとうとう吐き気を抑えられずにうなずいてしまう
どうせ耄碌爺の戯言と、その場は適当な返事をしたが、何日か後にこんな田舎には分不相応な金満趣味の馬車が来たら、いよいよ現実を視なければいけなくなった。
がたいのいい男に挟まれ、拒否権など存在するわけもなく、俺は流れるよう王城へと拉致され、何の説明もなしに、回復魔法やら旅の技能やらを習得することとなる。
「なんとここまでの高次元の回復魔法をこのような短時間で覚えるとは……やはり天才……!」
わーすごい、つごうがいいなー、まるでなにかにみちびかれているよーだー
「ここまでの才能神に愛されてるとしか思えんな……」
おそらく神からの罰なんですけどね神官さん
「もはや教えることはあるまい、勇者とその仲間たちは魔物の退治で今はいないが知らせを出した。十日も経たぬうちに一度ここに戻ってくるだろう」
どうやら話によると俺以外の奴らは既にチームとして動いていて俺は急な神のお告げにより加入させられるらしい。
「その間シスターには国民に顔を出して欲しい、今や魔王の復活により民草は不安を抱えている、それを受け止めてほしいのだ」
いまさら逃げることもできないのなら、まぁ仕方がない、俺はあきらめて役人どもと一緒に城下町に向かう。
そこでは新たな勇者一行の一員を見ようと人々がひしめき合っていた。心を読むに興味や不安などでごった返した感情がこちらに向けられて非常に不快だ。
俺は壇上で当たり障りの無い挨拶をしてそのまますぐ帰ろうとするが、人ごみに押されただろう老婆が怪我をして困っていると感じとってしまう
聞いてしまったらもう無視できない、俺はいやいや壇上から降りて老婆のもとに行き、回復魔法をかけてやる。
「ありがとうございます! 怪我どころか持病の関節痛も治りました!!」
今度こそ本当に帰るか、そう考えた時
「すごい魔法だ……俺の心臓病ももしかしたら……」「家のおふくろも最近足が悪くて……」「子供が流行り病に……」「貧乏で家じゃ薬も買えない……」
それ以外にも様々な思考がこちらに向かう
老婆を見た時に俺は、たとえケツに糞がへばりついているような不快感をこらえてでも帰らなければいけなかったのだ。
もはやここまで来たら俺にはどうすることもできない、痛みから逃げるように体が自動的に動く。
「オラァッ!!! 治してほしい奴から順番に並べ! くそがぁッ!!!!」
集まった人々の歓声が爆発した。
その自身を顧みない献身的な姿勢、黒のシスター服の姿から『✝黒衣の天使✝』と祭り上げられ、この狂騒は帰還が遅れた勇者たちが戻る十六日後まで続くこととなる。
この十六日間の地獄で俺は体感体重で十キロ超の減量、自慢の金髪のキューティクルはとうにくすみ、右後方の頭皮を中心とした円形脱毛症を患った。
ぴちぴちの若い肌などはもはや乾燥しきって食用のりのような手触りと化している。
三日目に閻魔が傍に立つ白昼夢を見て、五日目には夢を見ることさえなくなった、十日を過ぎたころからの記憶はなく、意識と時間が溶け合い、ただ無限に時間を引き延ばした苦痛が一六日まで続いた。
「まさかここまで国民のために身を削られるとは、私が止めてもあなたは無視して人々の癒しを続けました。まさにあなた様こそが人類の守り手です」
それ聞こえてなかっただけです、俺の役目は魔王討伐ですからね、あなたが止めないといけないんですよわかってますか?
とにかく俺の地獄を終わらせてくれた勇者がきたらしい……
神官の案内のもと後頭部の禿を隠すため頭巾の角度を調整しながら無駄に長くて大きい部屋を通り王に謁見する。
王の話を聞き流しているうちにどうやら勇者一行が入ってくるようだ、俺は入口の方にちらりと視線を向けるとそこには六名の人影が見え、あちらもこちらを視認する
瞬間背筋が凍りつくような感覚、……深く相手の思考を読まなくても分かる。
それは強烈な殺意
なぜか勇者の一行から向けられている悪意、心臓を直接握られたようなそれは仲間に向けるものではない
近づくにつれて鮮明に読み取れる殺意はこう言っている。
(また泥棒ネコね……アタシが勇者のために殺さないと……)
(勇者はボクの物だ、誰にも渡さない……)
(勇者を狙う淫売め……楽に死ねると思うなよ……)
(勇者様をこの売女から守らねば……私の存在と引き換えにしてでも殺す)
(君の墓石に書く文は無料で私が考えよう……安らかに眠るがいい)
(新しい仲間はどんな人だろうか、魔物討伐の打ち上げもかねて飲みに行くか……)
さらなる地獄はまだ始まったばかりということを俺は知る。