四、白黒の部屋
カコン、ポロロ、キーン、ツツツ。
一歩進む度、音が鳴る。
足音、とは違う。あらゆる図形を組み合わせてはめ込んだような黒い床を踏むと、何かしらの音が鳴るようにできているらしい。
隣に紅狐さんはいない。さびしいいいいい。
『ここからは、一人ずつ、一つの扉を選んで進め』
そうでかでかと掲げられていたものだから、仕方なく。
ぼくは、真っ黒な扉を選んだ。
泣く泣く紅狐さんと離れて、ひとりぼっちで長い廊下を進んでいく。
ヨヨヨ、ロンロン、ガコー、キュキュキュ。
面白い音が鳴ってはいるけれど、紅狐さんと離れてしまっては、なんでか色々つまらない。
こんなところ、さっさと抜けてしまおう。
ぼくの本気をみせてやれ。
両手を床につける。久しぶりの四足歩行だ。前をキッと見据えて、背中からしっぽの毛を逆立てる。うしろ足を思いっきり蹴って、一足飛びに駆けていく。
走って数十秒、ほどなくして入口が見えた。
そのままスピードを緩めず、加速したまま飛び込んだ。
「てーーーーーいっ!!」
どうやら門番らしい、入口をふさいでいた大きなちょうちょに、頭突きをかましてやった。
くさい鱗粉をまき散らしていたけれど、なんのその。すぐにお地蔵さんに化けて、どしんと構えてしのいでみせる。
ちょうちょは動かなくなった。もくもくと立ち上った鱗粉も、時間が経つとおさまっていく。
「――元気のいいこと」
部屋の奥には、真っ黒な髪、真っ黒な瞳、真っ黒な着物のひとの形をしたものが、静かに佇んでいる。肌は白磁のよう。そのどれも、全く光の影響を受けていないかのように、どこまでも均一に塗りたくったような色をしている。
「何しに来たのかしら」
「せんせい、とやらさ。で、何をすればいいんだい?」
からからから。
ぐっと近づいてきて、ぼくの目の前で、どうやって鳴らしているのさ、と訊きたくなるような音をたてて、笑っている。
「宣誓、ね。なんてことはない。これからどう生きていくのか、それを宣言するだけでいいわ」
そのどこまでも黒い瞳で、鼻がくっつきそうな距離で、ぼくの顔をまじまじと見つめてくる。
こわ。
ぶるり、と背筋に悪寒が走る。恐怖、なんて生まれてこのかた感じたことはほとんどなかったんだ、なんて思う。これまで感じてきたものと、まるで種類が違うのだ。
それでも、へこたれたりしない。ふん、と見栄を切って、ぽっこりお腹を突き出してやる。
「何事にも、報いがあるように。ぼくは、そんな風に思って生きてくさ。やさしい人にはたくさんやさしい気持ちになってほしいし、いやな奴はたくさんいやな思いすればいい。しっぽ振って、そっぽ向いて。時にはでんぐり返しするのさ」
途中から何言ってるのかよくわからなくなったけど、まあ本心さ。
ふんす、と鼻息を荒くして、前を見据える。
「あいわかった。行っていいわ」
こけっ、と躓いてころころしてしまう。拍子抜けにも程がある!
その瞳からは、意図が読めない。
もしかしたら、ぼくみたいなもののことなんて、心の底からどうでもいいのかもしれない。
「じゃあ、失礼します」
紅狐さんに教わったように、ぺこり、とお辞儀をして後退する。
せんせいとやらが終わったら、そのまま戻っておしまい、でいいらしい。
入ったところから出て、廊下に出る。
その瞬間。
「ひょっ!?」
浮遊感が襲う。
床が、踏んだところから落ちていく!
頭で考えることをやめる。なりふり構わず四足歩行で、廊下を駆け抜ける。
その内に、踏む前から床が崩れていく。
もっと、もっと速く走らなければ!
からだ全部の毛が、逆立った。
抜け落ちる床に、足を取られないよう、必死に走りつづけて。
気づけば、元の扉の前に転がり倒れていた。
どこにそんな力があったのか分からないくらいの速さが出ていた、ような気がする。
からからから。
どこからか、とても無邪気な笑い声が聞こえたような気がした。
ふすー、と息を吐いて振り返ってみれば、白も、黒も、扉はもうなくなっていた。
「おかえりなさい」
紅狐さんは、先に戻っていたらしい。
変わらず、やさしく微笑んでくれている。
「――こわかったよおおおお!」
これはチャンスだ。
ここぞとばかりに、もぞもぞと、紅狐さんの赤いきものに潜り込んで、胸のあたりから顔を出してみる。
ぬくぬくもふもふ。しあわせー!
紅狐さんはやさしいので、ぽんぽんとぼくの頭を撫でて慰めてくれた。ふっふー。
「紅狐さんは、どんな宣誓をしたんだい?」
「それは、ここを出てからにしようか」
おいしいものでも食べながら、ゆっくり話そう。
そんな風に笑い合って、紅狐さんと一緒に、ゆっくりと階段を降りていく。
一階には、大きな重たい扉がある。
何やら細かな模様が掘られていて、一つ一つに意味がある、なんて紅狐さんが教えてくれたけど、ぼくにはラクガキにしかみえない。
扉に三枚の契約書を貼って、二つある取っ手を片方ずつ、ぼくと紅狐さんがそれぞれ握る。
すると、ゴゴゴ、といかにもな音をたてて、ゆっくりと扉が開いた。
数日ぶりに、外に出た。
時刻は、どうやら夜中らしい。雲一つない空には、星がきらきらと瞬いている。
「さあ、何して遊ぼうか」
紅狐さんの声はどこか生き生きとしていて、か細さはもうなくなったように思う。
「いっしょに、お歌でも歌おうか!」
夜中だけど、かまうもんかい。
紅狐さんと僕は、声を揃えて、面白おかしいお歌を歌いながら。
夜の闇の中、とてもしあわせに歩いていきましたとさ。
めでたし、めでたし。