二、桃色の部屋
「ここは、なんなんだろうね?」
扉はまんまる無地で濃いめの桃色。辺りには不思議とやわらかい光が宙に浮いていて、まるででっかな蛍が飛んでるみたい。でも虫はついていなくて、光だけが飛んでいる。
「ここは、“安眠室”だよ」
安らかに眠るための場所。もう生きていないものたちが、新しい旅にでるまで、横になって静かに過ごす。
あんまり騒いじゃまずい場所っぽいなあ。ぼく静かにしていられるかな。
「こんにちはー……」
おそるおそる、今度はちゃんと扉を開いておじゃまする。
「いらっしゃい。あら、紅狐じゃないの! ちょうどいいところに来たわね」
扉とは違い、うすいピンク色の無地のワンピースを着たご婦人が、忙しなく走り寄ってきた。急いでいても、そのしぐさはとても品がある。
「なにかありましたか」
「一〇七のベッドの子が、泣きじゃくって眠らないの。まわりの子もみんな起きてしまって、あそこら一帯涙の海よ。ちょっと歌ってきてくれる?」
「わかりました」
紅狐さんの歌が聴けるとな! こんな機会はまたとない。
よくわからないから、とりあえずなにも口を挟まずに、おとなしくしていそいそと、彼女の後をついていく。
部屋はとても長く入り組んでいて、どこまでつづいているのかわからない。
真ん中に通るための少しのスペースを残し、部屋の両側にたくさんのベッドがずらりと並んでいる。
大きいベッド、小さいベッド。まるい、しかくい、さんかくベッド。ふかふか、かため。ベッドはそれぞれ違っている。そこに眠っているひとりひとりに合わせてあるようだ。
一〇七のベッドにたどり着く。今にも消えそうな白い影の子どもが、ひたすら泣きじゃくっている。きっともうすぐ、どこかに生まれるのだろう。
そのまわりの子たちも、釣られてえんえん泣いている。
「何もこわいことはないよ」
紅狐さんはそう言葉をかけて、子どもの頭をやさしく撫で、静かに子守唄を歌う。
やわらかくて今にもとろけそうな、透きとおったやさしい声だ。
ぼくも釣られて少しだけ、ぽこぽこ腹太鼓を叩き、違う音を重ねて歌い、わずかに彩りをつけてみる。
しばらくそうして歌っていると、やがて子どもの涙がとまり、静かに寝息をたて始めた。
「いつも、こうしているのかい?」
「ああ、ここのところはね。どうしても、悲しくなってしまう子は多いから」
大変なお仕事だ。
それでもぼくはへこたれてはいられないので、長い通路を抜けて、先ほどのご婦人のところへ戻る。
「おねえさん。紅狐さんを、認めてはくれないだろうか」
ぼくは彼女と、一緒に遊びに出かけたい。
そう懇願すると、ご婦人はとても困って、悲しそうな顔をして答えた。
「紅狐はとてもよくしてくれているわ。そうしたいのは山々なのだけど、今は紅狐の他に子守唄を歌える子がいないの。彼女がいないととても困るわ。だからまだ、認めるわけにはいかないの……こちらの勝手な都合で、本当に申し訳ないのだけど」
今にも泣きだしそうな顔をして、本当に申し訳なさそうにしていらっしゃる。
ぼくに代わりがつとまるはずもなく。というか代わりになったら遊びに行けないな。分身とかできないしな。その上ぼくってなにをどこまでできるのか、自分でも、いまいちよくわかっていないんだよな。
話が逸れたね、すぐに戻すよ。
「おねえさんは歌えないのかい? とても綺麗な声だけれども」
「わたしも昔は歌っていたわ。でも気管の一部が腫れてしまって、それが手の施しようのないところにあってね。歌えなくなってしまったの」
ふむ、ふむ。ふむ?
なんとかできそうな気がしてきたぞ。
紅狐さんの育てたオレンジから、果汁を絞ってジュースをつくる。
手持ちの葉っぱの一番甘そうなものを選んで、この上なく細かくちぎり、そのジュースにまぜまぜする。
完成! 特製! たぬきつね汁! だと語弊があるから、たぬきつねジュース! とかでどうかね。
「これ、飲んでくれるかい?」
「? ええ」
ご婦人はジュースを受け取ると、躊躇いもせずぐびっと一気に飲み干した。勇ましい。ステキ。
飲み干したのを見届けて、とんとんと気管のあたりをぼくの手でたたく。こうしてからしばらく待てば、わるいものが溶け落ちる、ような気がする。たぶん。おそらく。
「今晩、泊めてもらっていいかなあ?」
「ええ、どうぞ。空いているベッドは好きに使って大丈夫だから」
これ幸いと、紅狐さんにかわゆい子どもアピールをふりまいておねだりして、一緒にやすむ権利をゲットした。やったぜ。一才でよかった。
ぼくのこと、彼女のこと。たくさんたくさんお喋りして、日もとっぷり暮れ、夜が深くなったころ。彼女のもふもふなしっぽに抱きついて、ぐっすり眠った。
そして夜が明けた。
「おねえさん、どうかな?」
「すごいわ! 音程がちゃんととれるし、息もつづく。わたし、歌えるわ!」
ご婦人は、とても嬉しそうにしている。ぼくも嬉しい。紅狐さんもとても嬉しそう。
「それじゃあ、紅狐さんのこと認めてくれる?」
「ええ、もちろん! 本当にありがとうね。ここを出た後も、時々でも訪ねて来てくれると嬉しいわ」
「もちろんです」
契約書に、大きな花まるが描かれる。
ご婦人と紅狐さんは笑い合って、握手を交わしている。うつくしい情景だ。
「ぼくも一緒にきたいー」
「ふふふ。ぜひまた来てね」
やったぜ。
帰りもきちんと扉をくぐり、手を振ってご婦人とお別れした。
お土産にもらった綿菓子をぱくぱくしながら、階段をのぼる。
危ないからと、紅狐さんが手を引いてくれたので、ここぞとばかりにぎゅっと握ってみた。
しあわせー。
さあ次は、あそこに見える、かくかく四角い黄緑色の扉だな!