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「……いつから」

 ぽつりとアリアが言葉を紡ぎ、イルシオンは頬を掻いた。

「確信したのは、今だけれど。思えばずっと違和感はありました」

 レースから手を離し、イルシオンは国王の人形に背を向ける。

「まず一つ。この都市に来た昨日、まるでこの都市は死んでいるかのようでした」

 アリアの横を通って、イルシオンは一本指を立てる。

「人が生活していれば、その痕跡を完全に消すことは不可能です。この都市は、空気も水も清浄です。それが、不自然なんですよ。いくら清潔を心がけても、多くの人が生きている場所から、その気配を消し去ることができたら、それは異常だ。道にゴミの一つも落ちていないし、大通りから少し離れた場所には、人影すらありませんでした」

 イルシオンが振り返ると、アリアは黙って、瞬きもせずにイルシオンを見つめていた。

「それから、食事。確かに美味でした。……でも、都市の人々も、勿論あなたも、国王様も、食事をしている様子をお見かけしませんでした。焼き鳥の屋台まであるのに、ですよ。客人の前でといっても、年端もいかない子供までそれに従うのは……。一貫しているのは、この都市に、人が生きているという実感がないということです」

「……成程」

「もう一つ」

 イルシオンは三本目の指を立てる。

「私の行動を統制しようとしていたことです。あなたは案内人として、国王様との謁見以外では常に近くにいました。これは監視と同意です。まだ複数ありますが、これらの違和感を基軸に仮説を立てました。……その上で、鎌をかけてみたんですよ」

「そうですか。……素晴らしい洞察力ですね」

「単なる勘ですよ」

 イルシオンは苦笑する。

「国王様に側用人がいないことも不自然だと感じました。あなたの手の硬さも……そうした違和感の集積です。あなたがたは誤魔化しが少し下手でした。……もし、私が歩き回ったいずれの場所にも住人がいれば、きっと私は誤魔化されていたでしょう」

「下手、でしたか」

 アリアはゆっくりと瞬きをして、頬に手を当てた。

「残念です。今おっしゃったことを改善すれば、次のお客人にはばれないでしょうか」

「……認めるのですね」

 安堵したようにイルシオンは息を吐いた。

「ええ。ここで否定しても、証拠を突き付けられるのは恐らく時間の問題でしょう」

 アリアは髪を掻き揚げ、己の項を見せる。そこには、「A‐01」と刻印があった。

「本当に、残念です」

 アリアは哀しげに笑った。

「……では、本当のことを話して貰えますか。本当の、この都市の話を」

「……ええ」

 アリアはイルシオンに椅子を示す。イルシオンが座ると、その向かいの床にアリアはすとんと腰を下ろした。

「お客人の見立ての通りです。この都市には、我々……電素で動く人形だけが住んでいます。お客人は、実に八百年振りの、外からのお客でした」

 イルシオンが手帳を取り出し、アリアは膝の上で手を握る。

「この都市は、外との交流を断った八百年の昔には、もう無人でした」

「……既に」

「はい。人々は亡くなり、あるいは去りました。最後に残っていた王族も去って、私達だけが残りました」

 アリアは目を閉じて俯き加減になる。

「――――八百年前は、地上もこの都市も、同じだけの科学を有していたのです。ですが、この都市は少しだけ先を行きました。……電素で動く我々のような人の真似事をする存在だけではなく、生きた人間の身体そのものに、機械を入れることを覚えたのです」

「……それは、義手や義足……いえ、そんなレベルではなさそうですね」

「はい。機械義手や機械義足も勿論存在しました。……その先です。内臓を機械にして、年老いてくたびれた内臓を取り換えることで延命を可能にしました。胃も、肺も、心臓までも、全て。それは不死に繋がる法でした」

「……、」

 イルシオンは絶句して、手帳から顔を上げる。

「手足も義手が補えます。身体中どこだって、機械が補えないものは、ありませんでした。……脳以外は」

 アリアは滔々と、目を閉じたまま続ける。

「そして、地上との交流はこの後断たれます。……全てを取り換えた人間と地上の、戦争がありました。長い戦争です。ですがこの都市はこれだけの規模で、地上は果てしなく広い。いくら科学で勝っていようが、勝敗は明らかでした」

「……地上の科学は、今よりも進んでいたのですよね」

「ええ。この戦争の直後、地上は、電素というエネルギーを歴史から葬ります。……アルタールの名は地図から消され、アルタールからもたらされていた科学全てを消し去ることを選んだのです。……いずれ人を破滅に向かわせる、悪魔の力だとして」

「………………」

「そうして、地上の人々はアルタールを『伝承』にしました。戦争で多くの民を失い、疲弊したアルタールから逃げ出す人も少なくありませんでした。アルタールの知識は、地上では悪魔の産物です。ですから、徹底的に、アルタールは破壊されなければいけなかったのです。……人も、都市も、全て」

 アリアは目を開き、イルシオンを見上げる。

「そして、この都市を守る為に、あの霧が作られたのです」

 谷の底に眠るこの都市は、霧に包まれていた。薬を飲まなければ都市にも辿り着けない、幻夢の霧だ。

「……ですが、あの霧は同時に、この都市に人々が閉じ込められるものでもありました。逃げ出した人々は霧に巻かれて息絶え、発狂し……それでも、この都市に留まり続ける人は少なかったのです。それが何故かは、私には理解はできませんが」

 アリアは小さく首を振る。

「そして最後に、王子が出て行かれました。国王様と王妃様は、王子が幼いころに不死の法を授けていました。……王子は体が弱くていらっしゃったので、病気のおりに心配だからと、体を取り換えたのです」

「……既に倫理や価値観は狂っていたのか……」

 ぽつりとイルシオンが呟くと、アリアはまた首を振った。

「それがこの都市では正常なことでした。それが大多数の地上の考えと、合わなかっただけです。王子は肉体の成長を代償に、限りなく完全に近い不死を得ました。しかし、人々が去ると同時に、王子もまた、側近の庭師と共にこの土地を離れたのです」

「……不死の王子の、その後は?」

「存じません。残された我々に与えられた命令は、いつか王子が帰還するまで都市を護ることです。……側近だった庭師は都市の外で、私達は、中で」

 アリアはすっと立ち上がる。イルシオンがペンを動かす手を止めると、アリアは胸元に手を当てた。

「これが、この都市の物語です」

 イルシオンは手帳を閉じて、アリアを見上げて眉宇をひそめる。

「私達は、普段は眠っています。数人だけが都市を清掃し、霧を作り、仲間の治療や調整を行います。……そうして、もう八百年も待っているのです。いつしか外の世界から、霧を突破しようとする軍隊すら来なくなりました。最後に都市に人が近付けたのは、二百三十年も前のことです。この都市の中に入るお客人は、王子が去られてからは初めてでした。……初めて、でした」

 アリアは俯く。イルシオンが腰を浮かせると、アリアは肩を震わせた。

「……不思議です。私達にとって、人の命令を聞くことは当たり前のことなのです。王子が待てとおっしゃったならば、待つのです。そのことに、苦痛など感じようもありません。……人のような感情など、私達が持つはずもありません」

 アリアの頬を、透明な液が流れ落ちる。

「でも、……だとしたら、これは、何なのでしょうか? どうして……あなたを帰したくないと思ってしまうのでしょうか。いつから、私達は……」

 掌に落ちた雫を見詰め、アリアは顔を上げる。

「いつから、王子の『代わり』を求めるようになっていたのでしょうか」

 無機質な瞳は、潤んではいない。だがその目と肌の境目から、その液体は溢れていた。

「……この都市の産物に、所詮地上の学者の私が説明を付けることはできません」

 イルシオンはアリアに近付き、その濡れた頬にハンカチを押し当てた。

「ですが、人はそれを涙と呼ぶんです。……長い間頑張った君達に、神様がくれた、人間の心のひとかけらですよ。きっと」

 イルシオンは、そっとアリアの涙を拭う。頬はやはり硬かったが、滑らかな肌は、近付いてみてもやはり、人の肌にしか見えなかった。

「……立派な都市だったのですね」

「……今も立派です」

「ええ。あなた方が、立派な都市を演出している。……でもやはり、人のいない都市は、都市ではないのですよ」

 イルシオンはアリアから離れる。

「……お話、ありがとうございました。確かめたいことができたので、お暇します」

 アリアは首を振って、イルシオンの服を掴む。

「全てを知ったうえで、改めてお願いします。明日、いえ、ずっと、この都市にいてくださらないでしょうか?」

「……すみません。私は、この都市の調査に来ただけで。王になるつもりで来たわけではありません」

「ですが、」

「どのような魅力的な条件も、孤独には勝てないのです」

 イルシオンは微苦笑を零す。

「孤独、ですか」

「ええ。……人々がこの地を去った本当の理由は、私は想像することしかできません。ですが、この都市は、生きるには少々(わび)しいのです」

「……私達が、侘しさなんか感じさせませんが」

「残念ながら。確かにあなた方は人間に限りなく近い存在です。でも、あなた方が作られたものだと知っていれば……それは賑やかし以上にはならないでしょう」

 頬を掻いて、イルシオンは視線を空中に彷徨わせる。

「例えば……私が、この都市に住んだとして。あなた方が如何に快適な場所を用意してくれたとしても、いつしか地上が恋しくなるでしょう。それは……説明は出来ない感情ですよ、きっと」

 困ったように笑うイルシオンに、アリアは僅かに唇を曲げた。

「理解できません」

「私の考えですから。本当のところは分かりませんよ。都市の人々も、王子も」

 イルシオンは、カーテンのかかった窓へと視線を向けた。

「だから、王子が帰ってこないのも、きっと、同じことなんですよ」

 アリアはスカートを握り、俯く。

「……自分以外の人間がいないことが、苦痛なのでしょうか」

「人によりけりでしょうが、恐らく。まして王子は不死の法を授けられていたのでしょう。……きっと、」

 王子は――――そう言いかけて、イルシオンは口をつぐんだ。

「……あなたが本当にここに残る気がないのでしたら、私達が止めることはできません」

 俯いたまま、アリアは呟くように言った。

「私達は、いつか壊れるその日まで……主人を、待ち続けるだけですから」

 この案内人――――彼女には、きっと人の心に似たものが宿っている。

 イルシオンは、まるで幼い少女のように肩を震わせているその機械人形を、じっと見下ろしていた。

「すみません。私も、王となる覚悟はありませんから」

 この快適極まる、しかし全てがまやかしのような都市で、不自由のない生活をするか。それとも、また生き苦しい、しかし無限の可能性を掴みうる地上に戻るか。

 幼くして成長を止められ、それなのに生き続けることを求められた王子は、この都市の象徴そのものではないか。

 人がいない。故に、どれほど進んだ科学も、これ以上の進歩の意味を成さない。

 この都市には、明日がない。

「根っからの学者なんですよ。ひと所に留まるのは、性に合いません」

「……そうですか」

「ですから、最後に一つ」

「?」

 アリアが顔をあげ、イルシオンはまた手帳を開いた。

「王子のことを、もっと教えてくれませんか? もしまだ生きているのなら、何処かで会うこともあるでしょう。……あなた方のことを、伝えますよ」

 今更、それで王子が戻るとはイルシオンも思っていない。だが、この都市で、虚しく歳月を浪費し続けるこの人形達の、気休めにはなるだろう。

 中途な優しさだと自覚しながら、イルシオンはペンを取った。

「……王子は――――」

 アリアは胸元に手を当て、懐かしむように目を細める。

「燃えるような、美しい暁の髪色をしていらっしゃいました。目は深い茶色で、とても利発な方です」

 アリアはそして、僅かに頬を染めた。

「歳の頃は私と同じです。悪戯好きでしたが、とてもお優しい方でしたよ」

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