Ⅲ
アリアのやや後ろを歩きながら、イルシオンは鞄に手帳をしまった。蒼い柱は太く、縦に模様が入れられている。それが、アーチに支えられた天井に向かって伸びていた。足音がかつんかつんと響く。
「あなたは、国王様の側用人か何かですか?」
「ええ。国王様の側近をさせていただいております」
城の中は、恐ろしいほどの静寂に包まれていた。僅かに冷気が足元を這ってくる。
柱が一定の間隔で立つ広間を通り抜け、今度は細長い通路に入った。左右の天井付近に、丸いランプがついていた。炎の揺れるガスランプではなく、白い光を発しているものだ。
それを見上げ、ほぉ、とイルシオンは息を吐く。
「あれも、電素というものですか?」
「ええ」
「……この都市は、ロストテクノロジーの宝庫ですね」
イルシオンは感嘆したように息を吐いた。
「どうぞ、こちらです」
アリアが、通路の突き当たりのドアを示す。やはり蒼い両開きのドアで、細やかな装飾がなされている。音も無くそのドアが開くと、やはり冷たい空気が足元に忍び寄ってきた。イルシオンは息を吐き、鞄を持ち直した。
部屋の中は、蒼が濃かった。ランプの数が少なく、窓には蒼い布がかけられている。アリアがドアの傍らに立ち、イルシオンは、アリアの細い指が示した部屋の奥へ視線を向ける。
広い円形の部屋、その中央の床は蒼い布が貫いている。その奥に、巨大な天蓋付きのベッドがあった。
蒼いレースで隠されているが、ベッドの上には人影がある。
「客人、よくいらっしゃった」
厳かな声が告げ、イルシオンは鞄を降ろしてその場で頭を下げる。
「アリア、椅子を。客人、このような姿で済まないが、ぜひ外の世界のことを聞かせてもらいたい。我々はもう数百年、この都市以外のことを知らない」
「……はい」
アリアが椅子を抱えて、イルシオンの前へでる。
「さあ、こちらへ」
アリアの置いた椅子に座ると、国王のベッドが見上げる程間近になった。
「アリアは、今のうちにおもてなしの準備を」
「はい」
アリアが礼をして退き、イルシオンは広い部屋に一人残される。視線を壁際に移せば、窓を覆う布の陰に、甲冑が見えた。
「では客人。まずこの都市の昔話を聞いてもらおうか」
「……失礼ながら、メモを取っても?」
「ああ、構わんよ」
イルシオンははやる心を抑え、手帳を取り出してペンを握る。吐く息も、手帳に押し付けたペン先も僅かに震えていた。
「では話そうか。かつて栄華を誇ったアルタールの、虚しき盛衰の物語を」
アリアは王の間を出ると、城の東の東屋へと向かった。周りをぐるりとベンチが囲み、中心に据え付けのテーブルがある。そのテーブルをアリアが両手で押すと、テーブルの下にレバーが現れた。アリアはそれを掴み、反対方向へと倒す。
がくん、とその奥で歯車が動く。それは次第に速度を上げ、甲高い起動音を響かせた。
「さあ皆さん、おはようの時間ですよ。たっぷり、お客人をおもてなししなくては」
アリアはテーブルを元の位置に戻し、ひらりと踵を返した。
歯車の動力は地下を伝わり、都市の方へと伸びて行く。道の左右に立つ街灯に光が差し、硬く閉じられていた家々の扉が開く。
アリアが王宮に戻ると、メイドの服を着た女達が通路の左右に並んでいた。
「食堂におもてなしの準備を。料理はたっぷり作りましょう。それと、お客人はこの都市そのものにご興味があるようですから、中枢への通路も開いておきましょう」
女達は返事をして一斉に動き出す。アリアは王の間へ向かい、口元に手を当てて笑みを作った。
手帳に書きつける手を止め、イルシオンは眼鏡を直す。
「……それ程の隆盛を誇り、テクノロジーもここまで進んでいて……何故アルタールは地上から忘れられたのでしょう」
「ふむ……そうよな……」
国王が黙り、不味いことを聞いたか、とイルシオンは眉宇をひそめる。
「この都市が霧に閉ざされたのは、八百年ほど前の話だ」
国王はしかし、少々の沈黙の後に言葉を続けた。
「この国はな。先に行きすぎてしまったのよ」
「先に……ですか」
「そう。科学もずっと進んでいて、かつては地上を支配していたこともあった。だが、地上はそれ以上進むことを拒み、我々は進み続けた。それだけよ」
「……進み続けた、ですか」
イルシオンは手帳を閉じ、眼鏡の奥で目を細める。
「ここに都市があることすら忘れられ……地上のテクノロジーは衰退しております。電素というエネルギーも知りませんでした。我々は歯車やバネ仕掛け、蒸気で物を動かします。少なくとも、この都市を構成している蒼い石畳や壁は、私の知見の及ぶ範囲では見覚えがありません。……いくら進み続けたと言っても、ここまで地上との差が生じるものでしょうか」
イルシオンの言葉に、国王はまたしばし黙り込む。
「くっ……ふふ、ははははっ!」
次に返ってきたのは、乾いた笑い声だった。
「流石学者。しかし残念ながら、それに答えることはできんな」
「それは、何故」
「……時間だからよ」
レースのカーテンの奥で、国王の陰がゆっくりと横たわる。
「お客人。申し訳ありませんが、国王様はお身体の調子がよろしくありません」
いつ戻ってきたのか、腰を浮かせたイルシオンの傍らに、アリアが立った。
「また明日以降に。祝いの席のご用意が整いましたので、そちらにどうぞおいでください」
「はあ……分かりました。それでは国王様、失礼いたします。貴重なお話を拝聴いたしました。どうぞ、御身をお大事に」
イルシオンは立ち上がって礼をする。国王の寝所から、返事は無かった。
アリアに案内されて、城の食堂だという場所に通される。
「……!」
そこには長い卓が用意されていた。薄らと蒼に色づいたテーブルクロスが敷かれ、銀の食器が並んでいる。その上に、豪華な食事が乗っていた。
「……何と。このような豪華な食事が用意できるとは……」
「地下に、畑があるのですよ。よろしければ、ご案内いたします」
アリアに促されて、イルシオンは椅子に座る。給仕の女が、イルシオンの前のグラスにシャンパンを注いだ。淡く色づいた液体から葡萄の香りがふわりと広がり、底から僅かに泡が立つ。
「お部屋も、今ご用意しておりますから。もうじき日が暮れます。外の街は明日ゆっくりとご案内いたします。何かお知りになりたいことがございましたら、なんなりと」
「ありがたい。それでは、今日のところはこれをいただいて、休ませてもらいます」
イルシオンがグラスを軽く掲げると、アリアは胸元に手を当てて顔をほころばせた。
「お客人に喜んでいただけて幸せです」
「礼を言いたいのはこちらの方ですから。これで、都の学会で久方振りにいい報告ができそうです」
「……都、ですか」
「ええ。伝承について調べて、人々に発表するのです。この谷については、太古の黄金都市が眠っている。そんな伝承があります。それが、このような美しい蒼の都市だったとは……そして今もなお、生きている人がいるとは驚きです」
「……ふふっ。では、明日からはこの都市についてもっと詳しく知っていただかなければいけませんね」
「ありがとうございます。きっと、悪いようにはしませんから」
イルシオンはグラスに口を付けた。
汚れ一つ無い、清潔なシーツの敷かれた天蓋付きのベッド。それは国王が横たわっていたそれにも似た豪奢な寝台だった。窓の外の景色は霧に閉ざされているが、代わりとばかりに、天井には煌々と部屋を照らすランプがある。
「こちらのスイッチを押せば、部屋のランプは消えます。洗面所はそちらに。側用人が控えておりますので、御用の際はお気軽にお申し付けください」
「何から何まで本当に……夕食も、驚くほど美味でした。この都市はとても恵まれていますね……ふらりと来た客人を、これほど無条件にもてなしてくれるとは」
「……庭師が許可した者しか、この都市には辿り着けませんから。当然のことです」
では。そう礼をして、アリアは部屋から出て行った。
イルシオンは手帳を広げ、表情を引き締める。
「……八百年か」
国王の話を頭の中で反芻しながら、イルシオンは手帳のメモを整理していった。
八百年前まで、この都市は地上と交流があった。この都市は進んだテクノロジーを以ってして、地上を支配して、莫大な力と富を手に入れた。それが恐らく、この都市が黄金都市として伝わった所以だろう。
だが、その八百年前にぷっつりとその交流は途絶え、この都市は霧の中で進化を続け、反対に地上は、未だに蒸気を主軸としたテクノロジーを用いている。
何が、この都市と地上の交流を断ったのか。それが分かれば、一番の収穫となるのだが――――恐らくそれは、語ってはもらえないのだろう。
「やれやれ、疲れてしまったな」
イルシオンは手帳を置いて眼鏡を外した。壁のスイッチを押すと、ぱちりとランプがきえて、部屋が暗闇に包まれる。
「……まあ、明日以降考えるとするか」
シーツの間に体を滑り込ませ、目を閉じる。清潔なシーツと、柔らかなマットレスは快適だった。まるで都の高級な宿のようで、ともすれば、谷の底にいることすら忘れそうだ。扉の向こうで人が動く音がして、完全な静寂が訪れないのもまた心地いい。
出迎えから、案内、謁見、食事――――そしてこの瞬間まで、全てが完璧に、快適に進んでいる。
「……?」
イルシオンは僅かに身震いをしたが、その寒気の理由すら忘れて、眠りへと落ちていった。