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チョコレートドーナツ(2012)――あなたの身近なマルコ、ルディ&ポールによろしく

 以前、知人の方が激しく推していらっしゃってからずっと気になっていた映画。

 ゲイのカップルが、母親から見離されたも同然の知的障害児を引きとって育てようとするお話。

 ……と、カンタンに説明しましたねー?? これも細かくは公式サイトかどこかに詳しく載っているのでそちらを是非ご覧くだされ。


 映画は実話をもとにしたらしい。時代設定がやや古く、1970年代後半ということだった。

 出てくる曲や登場人物の服や髪型、それになんといっても、当時のゲイに対する偏見が物語のキーになっていたかと思う。


 ふたりは心から愛し合い、ダウン症のマルコのことも「子ども」として愛し、慈しみ、じしんの家族の一員として認めて共に暮らしたいと深く願っている。

 なのに周囲は社会的な枠組みからどうしても抜けようとせず、いちばん困っていて悩んでいる弱者が幸せになりたいという願いからはどんどんと離れ……という展開で、ラストはご覧の通り。

 いつまでも「何故だぁぁぁーーーー!!」と涙ながらに絶叫しかねないっす。

 

 この作品については、社会的な問題としては大きくふたつあったように思う。


 まずは、育児放棄に遭った子ども、特に自分の意思がちゃんと伝えられない幼い子や障がいのある子についての問題。

 そして、ゲイのカップルが家庭を営みたいと願う場合に立ちはだかる障壁についての問題。


 何がショックだったかと言うと、ごく最近、これと似ている状況を身近で見聞きしたせいかもしれない。

 家族がバラバラになってしまうかも、という事案について


「何かのきっかけで、こんな状況に誰でもすぐに陥ってしまうかもしれない」


 という事実。そして


「そんな極限状況で、果たして自分は正しい道を選べるのか、そして、幸せな道に進めるのか」


 ということだったかなー。

 

 ゲイの問題については、たまたま身の周りに実例がなくて何とも言えなかったのだが、もう一方の件で、映画を観てついフラッシュバックしてしまうような、こんな出来事があった。


 子どもの虐待を疑われた友人が、児童相談所権限によってわが子をいったん取り上げられ、そのお子さんが養護施設に一時預かりとなってしまったのです。

 虐待を疑った側にもそれなりの事情があったにせよ(親がたまたま心身不安定なのを知っていて、そんな折りに子どものケガを見つけた)、ほとんど半強制的に子どもから引き離された親は半狂乱。ただでさえ精神的に余裕がなかったところに、ダブルパンチをくらい、一時はどうなることかと。

 子どもが障がいを持つため、ほとんど自分で意思を語れないという中、それでも「おうちにかえりたい」と言い続けたこと、相談所とご両親との度重なる辛抱強い話し合いなどによって相互の誤解は解けたようで、結果的に一ヶ月後、お子さんは無事に温かいご家庭に帰って来られることとなった。


 その友人が親としていつも子どもにいかに愛情をかけて慈しんで育てているかをよく知っていただけに、お子さん不在の間はこちらもやきもきしながら過ごしたものだった。


 その時につくづく思ったのが

「今ある幸せというのは、地球上の地殻のごとく、ほんの幸運なる偶然から固まっているごく薄い足場でしかなく、いつまでも強固だと思ってはいけないし、そこにあるということ自体感謝しなければならないだろうし、在るという『現在(いま)』を大切にしなければ」

 ということだったねえ。

 薄い地殻上の足場を守るためにはとことん自らの力を惜しんではいけない、と改めて感じた次第で。

 映画でルディとポールとは必死で足場を守ろうと努力する、その様子を現実と重ね合わせはらはらしながら見守ってしまった。

 最後の手紙のシーンは「ほらみてみろ!」と鼻息荒くなったのだが、後から冷静に思い返して少し考えを改めた。

 自らの足場だけでなく、次の地面(世代)を少しでもよいものにしていきたい、という努力が、あの手紙のシーンに表現されていたのだろうか、とね。


 要所要所のルディの歌にも大きなメッセージがこめられ、思うことが多かった。


 この映画で一番感動したのは、しかし、話の本筋ではなく背景の方にあった。

 ダウン症でありながら俳優を志し、実際にこの映画でデビューしたアイザック・レイヴァという人。

 映画では十五歳くらいだが、実際はもっと年上だったと思う。それにしてもたぐいまれなる存在感で、今まで観た映画の中でも五本の指に入るほど印象深い俳優だった。

 彼が俳優として認められ活躍しているという点が、実はこの映画で一番評価の高い点だったかもしれない。

 映画の背景となった時代では、ほとんど考えられなかったことだろうな。

 ゲイのカップルについての問題も、いまだから「え、イケると思うし」と言えるだろうが、当時は本当に乗り越えることのできない大きな問題だったのだと感じる。

 そういう点でも、現代は様々なマイノリティーにとっても徐々に恵まれた環境になりつつあると言っていいだろうし、そうなることを強くつよく望むのみであります。


 もちろん、マイノリティーに優遇してくれというつもりはない。

 身近に障がいのある人とともに過ごす身として、知的障がいがあるからといって、彼らがいちがいに『天使』だと言い切れないこともよく分かっている。

 彼らはただ単に一人の『個人』であって、決して『特別な何か』ではない。

 

 人を『◎◎人はだから…なんだよね』とか『××症って』という言い方をしたくなる時、私にもないとは言えないし、自分の中にもまだまだ多くの偏見や思いこみは残っている。世の中しかり。


 この映画に感動した方々に自戒もこめてぜひ、願うことは。

 ゲイ、知的障がい者、外国人など少数派になる方々にに何かの縁で出あった時、ぜひ、まっすぐ個々の人間として付き合って頂きたいと。

 分からないから理解できないでもなく、過剰な興味や同情でもなく……

 ただ、あなたの身近にいる、一人のひととして。

 

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