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シェルタリング・スカイ (1990)――さまよう人生こそ、目的なのかと

 ものごとはずっと後になってからでないと、善し悪しが分らないということは多い。

……いえいえ、世間一般の出来事というわけではなく、自らの軌跡を振り返って、というごく限定的なことで申し上げるのだが。

 若かりし頃のあの選択は果たして正しかったのか、判断は適切だったのか、あの人とあの物事と縁がつながったのは/切れたのは良いことだったのかそれとも……


 などとね。

 他愛ない過去の断片がふとしたはずみに頭の中に浮かびあがって、いつまでも沈殿することもなく心を騒がせ、いてもたってもいられない気持ちになるということが、ある程度人生を過ぎた頃には誰しも経験するのではないだろうか。


 そんな時に脳内にはっきりと流れるのが、映画シェルタリング・スカイのあのストリングスの響き。

 そして見えてくる紅い陽に染まる砂漠の遠景。


 観に行ったのは、まだ世間の荒波というものをよく知らず無茶も無鉄砲もごく自然にやっちゃっていた頃だった。

 地元映画館でこれが封切られるという時はかなりの鳴り物入りで、なんと上映前に淀川長治氏が訪れ、自ら解説を兼ねた講演会を行うということだったので、あわてて応募した私。

 で、なんと、抽選が当たったのさー!

 坂本龍一ファンでラスト・エンペラーを観て感銘を受けたという会社の同僚とともに、いそいそと映画館に出かけて行った。


 前評判もよく、淀川氏の講演もあるということで、定員は決まっていたにも関わらず開場前の映画館は長蛇の列となっていた。

 

 淀川長治氏は、当時80歳を過ぎ、あまり体調も芳しくないという話を聞いていた。

 その日も、スタッフに付き添われるように舞台袖から登場し、演壇に向っていく姿は本当に小さく歩みもたどたどしく、可愛らしいおじいちゃんと言った感じだった。

 ところが、演壇で頭を下げた後いよいよ話が始まるという時、急に彼の背筋がぴん、と伸び、表情が変わったでは! 劇的変化ですよ、ホント。

 そしてとうとうと語る内容は熱く、ことばはみずみずしく、我々をあっという間に魅惑の映画世界へといざなっていったのでありました。

 当初は、「淀川サンのことだからつい夢中になってネタバラシするんじゃない?」と同僚とヒソヒソ話していた私であったが、その心配は杞憂に終わった。

 さすが淀川氏、これから見せる映画内容についてベラベラしゃべる訳がない。


 しかし、講演は予想のはるか斜め上を行っていた。


「人生は旅である」という主旨で語り出した映画紹介が、いつの間にか似たようなテーマを扱った古い映画のお話となり、後はその映画のストーリーを最初から細かく描写しながらの語り聴かせとなっていた。

 映画の名は『孔雀夫人』(1636年)。

 あらすじとか見どころは、検索すれば出てくるし販売やレンタルもあると思うので割愛。私も、映画の神様からメッチャ詳しく聴かせていただいたしね。


 気がつくと、講演時間は1時間半を過ぎて、いやもっと? 聴衆はすでにモウロウとなり、どこか遠くの境地をさまよっていた。

 

 そしてようやく本編。

 映画自体、内容はあるようなないような。

 後から観に行った会社の同僚(毒舌くん)が、

「簡潔に言うと、ダラダラしたカップルが砂漠をふらつく話」

 と、斬って捨てた。

「……まあ、映像と音楽は良かったけどねー」

 と後から付け加えたが。


 私自身は、やはり映像と音楽とにノックアウト状態でしたねえ。

 しかしその前に吹き込まれた孔雀夫人がどうしても脳裏から離れず。

 なのでずっと以前に観たものなのに(その後レンタルで孔雀夫人も観賞)、今でも何だか混線しております。


 当時は若過ぎてあまり感じなかった「人生の旅」。道に迷うということはあっても、そのまま彷徨い歩いてついに行き倒れるということなぞ、あまり想像していなかったよな。


 将来はあまりにも未知数で、どこまでも漠然とした砂漠が拡がっている。

 見た目は美しく幻想的だが、実際に足を踏み入れるとそれは容赦なく命を削っていく。

 それでも、若いうちは、

「成り行きまかせに何とかなる、どこかできっと次の進路が見えるに違いない」

 そんな漠然とした、根拠のない自信もたまに湧いてきたりして、どうにかこうにか進んでいけたような。

 

 そして今。

 折り返し地点なのか? はたまたすでに崖っぷちなのか? まあそこは良しとして(するな)。

 ここまで来てちょいとおさらいするわけよ。


 長い旅路の果てに、迎える終末は悲惨なものかもしれない。寂しくみじめなものかもしれない。

 しかしそれまでに、人生に迷ったことは果たして罪になるのだろうか?

 迷っている間に見えた風景は、会った人びとは、たぎる情念はまやかしのものだったのだろうか?


 この映画は原因結果という観点から観るとまるっきり「……」となるお話ではあるが、そこで急に

「もしかしたら、人生行路の目的地とは終着点ではなく、行路じたいが『目的』なのでは」

 と気づいちゃったりした時、初めて

「あの風景も……!!」

 と何だか一人でものすごく納得してしまうのではないだろうか。

 

 人生そのものが、人生の目的である。


 という、ある意味逆説的とも取れることがらに、今更になって思い至ったというわけで。


 それが実際に正解なのかどうかは別として

「あ、そういう考え方があるんだなー」

 って感じてキラリンとひらめき、そのとたんに私は瞬間、幽体離脱して

 あの時、映画館脇に並ぶ長蛇の列の中から危なっかしくふらついている若い自分をちょい上空から見おろしながら

「うん、今から淀川センセイが出てきて、ショボショボしてるかと思うけどすっげー急にイキイキして話し出して、そのお話がメッチャ長くて映画一本分丸まる語っちゃって、まるでそっちの映画観た気になってね、観に行った本編自体はとにかく音楽がいい、画もいい、でもナンダカナーって笑いながら連れと出て来てね。


 そのいっときが、そう

 一瞬の永遠なんだよ」


 そんなふうに、語っていたりして。


 映画の中に実際に登場し、迷える旅人を温かく迎えていた原作者のボウルズも、今では天の高みよりにこやかに見おろしているだろう淀川サンも、きっと何かを見通していたからこそ、ああして優しく微笑んでいたのだろうか。 


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