2-4.白の級長
たまにはと我輩さまの仕事の手伝いをし、途中お手洗いに立った時。
部屋からすぐの場所で、何より用事が用事だから一人で廊下を歩いていると、正面から一人の女子生徒が歩いてきた。
色とりどりの花を抱え、背筋をきちんと伸ばして悠然と足を進めている。
灰色の虹彩を持つ目は今日も無機質で、無表情だ。
「あら……貴女、まだ黒に仕えているのね」
「……こんにちは、白の級長さん」
「言ったはずよ。距離を置くように、と」
「なんで距離を置いてないと思うんですか?」
今日は剣山のせいで上着に穴が開き、学校指定のジャージを着ている。
もちろんバッジは付けていないし、ぷーさんも連れていない。
「そんなに黒峰の魔力を漂わせて、分からないはずがないわ」
少し、表情が出ただろうか? 少し眉を寄せ、少し口元が下がった。
視線の先にある手元の花はまだ手を入れていない物のようで、白い紙にただ巻かれている。
どこか古風な雰囲気を感じるそれは、たまに見かける贈答用の花束にしては大人しく見えた。
何をする花だろう? 確か、今が季節の花ばかりだ。
「……黒峰は、何を思って貴女を側に置いているのかしらね」
「本人に聞いてください」
ぷーさんに懐かれたからです、だなんて口が裂けても言えないけど、事情を知らない人にとっては理解しがたい人選なんだろう。
私だって理解できない。きっとこの先も理解できないだろう。
理解はできないけど、受け入れただけ。
「白空様!」
ふと、背後から声が響いてきた。
つい振り返るとまた一人の女子生徒が居て、よくよく見てみると手には鋏のような物を持っている。
確かこの先は茶道室だったはずだ。
「……いけばな、ですか?」
「茶道部の部長をしているわ」
そう言われれば、季節の花を抱えている理由も納得だ。
これから処理をし整えて、綺麗に飾り付けるのだろう。
常にきちんとした態度の白の級長には、とてもお似合いの部活に思える。
ただ……いけばな。
「いけばなは確か、剣山に刺すんでしたっけ」
「その場合が多いけれど、限ってはいないわ。それがなにか?」
「いえ、少し気になっただけです」
剣山という言葉に何の反応もない。ただの偶然のようだ。
あまりにも合致しすぎているけど、白の級長の態度はとても自然で、隠し事の気配は欠片も感じない。
我輩さまが目処がついたと言っていたんだから、変な勘繰りなんかせず、言われた通りおとなしくしていよう。
「……わたしは、貴女個人が嫌いな訳ではないわ。それは誤解しないでちょうだい」
そう言うと、そのまま女子生徒が居た方向に歩いていった。
すれ違う時の花の匂いと、一瞬見えた表情と。
あれは何だったか……なんだか前にも、どこかで誰かのあんな顔を見たことがあった気がするのに思い出せない。
とても悲しそうな、儚そうな、諦めたような、そんな不思議な表情だった。
それから数日経った頃、我輩さまは相変わらず手書きの紙を手にしていた。
また清書かと思ったら個人的な物だったらしい。二度読み返し、細かく千切ってゴミ箱へこぼした。
「白の部屋へ行く。小娘もついて来るがよい」
真っ黒な毛皮をぷーさんに被せ、真っ黒なローブを目深に被り、扉を出ると足早にどこかへ進んでいく。
白の部屋、ということは白の級長の部屋だろうか。
各級長の部屋はそれぞれが離れているようで、校舎内を縦断するくらいの距離があった。
その途中に赤や青やの扉を見かけたから、もしかしたら白と黒は一番離れているのかもしれない。
背が高く脚も長い我輩さまが足早に歩くということは、私にとっては小走り以上の速度になる。
はためくローブを目印にあまり距離を開けないよう気をつけながら追いかけていると、すぐに息が上がってしまった。
運動不足というのもあるかもしれないけど、今日の我輩さまが妙に不機嫌な雰囲気で気が詰まっているというのも理由の一つかもしれない。
黒の真逆の白。
扉自体は一緒で違いは色だけだというのに、受ける印象はこんなにも違うのか。
どこか静謐で、清らかさゆえの近寄り難さとでも言えばいいのだろうか。
年数に相応しい汚れのある壁から浮き出ているような真っ白な扉を、拳で殴るかのようなノックをしてから開けた。
「……そちらと違って、防音なんてしてませんよ」
同じ広さの部屋に、真っ白な家具。
薄いレースのカーテンはゆらゆらと揺れ、窓の外から風を受けている。
それを背にした白の級長は、白木の机に向かって座っていた。
「ノックをしてから返事を待たずに開けるだなんて、無意味だわ」
「我輩が来たことのみ分かればそれでよいのだ」
真っ白な空間の中心に真っ黒な存在。
灰色の制服とは違う圧倒的な黒さは、白との対比がむしろ心地よいくらいだ。
対する白の級長は今日も無表情で、無機質な目をしている。
「それで、何のご用?
こんなに乱暴な訪問、黒峰の次期当主のすることかしら」
「白空の娘がそれを言うか。
いや、今日は黒の級長より白の級長への苦言を伝えに来たのだ。
心当たりがあろう」
「苦言……?
それはこちらから言うのなら山ほどありますが、言われる心当たりはありません」
「はっ、とぼけるか? それとも知らぬだけか」
この間話した時と同じ、ごく自然な表情。
だけど我輩さまは何かを確信しているようで、強い態度で話を進めた。
「我輩の補助役についてだ。
この小娘が、嫌がらせを受けているのは知っているか?」
「……残念だけど、他の色の生徒までは見ていないわ」
「では、それが黒の者と白の者、両者によるものとは?」
「なんですって?」
「身内の恥を晒すことになるが、一つは我が黒の組の人間だ。
そしてそれとは別に、白の組の人間も手を出しておる」
「……それは確かなの?」
「黒峰の者が調べた結果だ」
「では、正しいのね……」
「して、これは貴様の差し金か?
我輩は他色の者に興味は無い、故に手を出す気も無い。
しかし貴様はどうなのだ?
黒に、黒峰に、我輩に、思う所があっての行動か?」
後ろからでも分かる我輩さまの殺気に、白の級長はがらりと表情を変えた。
無表情から困惑、困惑から驚愕、そして最後に……悲痛?
こんなに言葉をぶつけられているのに、不思議と怒りは感じてないように見える。
ただただ、悲しそうで、辛そうだ。
そんな様子に気付かない我輩さまは、なおも糾弾を続ける。
「答えるのだ、白の級長よ。返答次第ではただではおかぬ」
「……知らないわ」
息に絡んでようやく出たような微かな声は、震えて聞き逃してしまいそうだったけれど、しっかりとした否定の言葉だ。
いつもの無表情を意識しているのだろう、悲痛さを押さえているけど漏れてしまっている。
なのに我輩さまはそれには全く気付いていないようだ。
私ですら分かるのに。ひとのきもちがわからない私ですら。
「ほう……ではどうする? 貴様の色の犯人を差し出すか、庇護するか、選ぶがよい。
前者ならまぁ許そう、後者ならば貴様ごと呪ってやろう」
ぶわりとにじみ出る薄墨色の魔力はゆらゆらと立ち上り、それが少しずつ白の級長に向かっていく。
それに抵抗すらせず、言葉を発することもなくただじっと我輩さまを見つめている。
早く言えばいいのに。
知らない、本当に知らないって、ちゃんと言えばいいのに。
でもそれを我輩さまは素直に聞き入れるのか?
対極の色の級長が、何の疑いも無く言葉を信じるのか?
それを言えば白の級長はなんでこんなに我輩さまに突っかかりつつも、聞き入れてる?
なんでだ、どうしてだ。
思い出そう、白の級長のことを。
初対面で我輩さまと距離を置くよう言い、その後も会う度そうだった。
でも、私自身を嫌っている訳ではないと。
じゃあ黒に関わる人間が嫌い?
黒の級長である我輩さまが嫌い?
それならば、わざわざ部屋を訪ねたりするだろうか。
補助役をよこせばいいんじゃないか。
今だって門前払いすればよかったんだ。
だからきっと違う、我輩さまが嫌いなわけじゃない。
どこかで見たような、とても悲しそうな、儚そうな、諦めたような、そんな不思議な表情。
だれだったか、どこだったか、なぜだったか。
「そっか……」
「なんだ、小娘」
ついこぼれた呟きは我輩さまに聞こえたようだ。
何年か前から見るようになった、女子が、学校で、浮かべてた表情。
思い出した。なんて簡単な答えだったんだろう。
「白の級長さんは、何もしていません」
「……なんだと?」
「嘘もついてません、本当に知らないはずです」
「何故そう言い切れる」
言いきれる理由、そんなの簡単だ。
ひとのきもちがわからない私が学んだ、処世術の賜物。
「嘘をつくことによる不自然な表情の変化が見られません。
視線、まばたきの回数、言葉遣い、それも変わりません。
全身の動きも含め、嘘をついているとは考えられません。
白の級長さんは本当のことを言っています」
気持ちが理解できないなら、動きを理解すればいい。
五感操作が得意な私なら、些細な変化も見逃さない。
人間は動きと気持ちが密接に関係しているらしい。
だから、ひとのきもちは、こんなにも分かりやすい。
「音無さんが言うように、嘘はついていません。
信じてもらえないでしょうけどね」
一瞬、驚いた表情を浮かべたもののすぐさま無表情に戻る。
その勢いで、我輩さまに向けた悲痛な表情はようやく隠せたようだ。
本当はこの人は、とても表情豊かな人なんだろう。
そんな表情を押さえ込むための無表情は、気付いてしまえば脆い仮面だ。
「黒峰の調査は疑いようが無いでしょう。なので、白の組の生徒が悪さをしたのは確かと思うわ。
でも、だからといって黒に引き渡すわけにはいきません。
こちらで改めて調べ、見つけ、謝罪をさせます。こちらはこちらの道理があるのは分かって欲しいの」
「そんなもので我輩が納得すると思っているのか?」
「今回のことは音無さんが被害を受けましたね。なので、貴方が対処を決め付けるのは違うわ」
そう言うと、我輩さまからふいと目を逸らし、私をじっと見つめる。
無機質と思っていたのが恥ずかしくなるくらい、きちんと感情のこもった視線だ。
それをこちらもじっと見返し言葉を待つ。
「音無さん。貴女はどうしたい? 貴女の意見を聞きたいわ」
貴女の、を強調して言われ、その意図を察した我輩さまがとても不機嫌な様子になったのが分かった。
私の意見なんて、決まりきってる。
それを我輩さまも、そしてきっと白の級長も分かっているんだろう。
「……どうもしたくないです。白の組の人は白の級長さんが思うようにしてください。
正直、謝罪もいりません。
もしそれでは示しがつかないと言うなら、私の見えないところでボランティア活動でもさせてください」
誰がやったか分からない方が絶対に楽だ。
見知らぬ人にいきなり謝られたところで、それは向こうの気が済むだけで私に何の利点も無い。
今更ながら相手を恨む気持ちが湧き出る可能性だってある。
もちろんそれとは逆に、知った上で我輩さまの言うように犯人を引き渡してもらい、黒の組に相応しい制裁を加えることもできるだろう。
ただそれだって、私の気が晴れるわけではない。むしろ苦痛だろう。
無知は罪で、無知は弱さだけど……時には無知が最善なこともあるんだ。
「分かったわ。対処の結果だけ知らせてもいいかしら?」
「はい、それでいいです」
やっぱり級長は級長、自分の思った結果に持っていく手段が上手い。
といっても私の願ったとおりなんだから不満は一切無い。
この部屋の中で唯一納得していないのは、我輩さまだけだろう。
プラズマさんは相変わらず我輩さまの頭の横でぷかぷかピリピリしてるだけで、特に何も思うところは無いだろうし。
「では、これで話は終わりね。他に何かあるかしら?」
「……無いな。帰るぞ、小娘」
ローブを翻して扉に向かう様子をその場で見て、その背中に言う。
「私は白の級長さんと話があります。先に戻っていてください」
「何を話すと言うのだ?」
振り返った我輩さまは相変わらず不機嫌で不満気だ。
でも、ここで帰ったらもう、この事を話す機会がなくなってしまいそうだから、このまま帰る訳にはいかない。
「個人的なことです」
「では、我輩も同席しよう」
「個人的なことなのでやめてください」
「…………」
はっきりと言うと、ローブの下の眉がきつく寄ったのが分かった。
白の級長の部屋は明るくて、薄暗さで隠れるものは何もない。
しばらく無言が続き、呆れたようなため息をついた我輩さまが再び扉に向かった。
「話が済んだら部屋に来るがよい。これは命令だ」
「分かりました」
扉が開くと、プラズマさんはぷかぷかと悩んだ様子だったけど、そのまま我輩さまについて外へ出て行った。
主人よりよっぽど空気が読めているんじゃないかとは言っちゃいけないだろう。
「まずは先に、信じてくれてありがとう。お陰できちんとした会話になったわ。
それで……わたしに、何かお話が?」
「はい。我輩さまのことです」
「ええと……きっと黒峰のことなのでしょうけど、その呼び名はどういう?」
そう言えば、何となく分かりはするだろうけど、疑問に思っても仕方がない呼び名かもしれない。
級長と呼ぶなと言われ、名前を知らなかったからこうなったと説明すると、一瞬きょとんとし、くすくすと笑い始めた。
「まぁ……ふふふ、黒峰の名を、知らなかったのね。あぁ、とても面白い理由だわ」
「今思えば、とても失礼だったと思っています」
「ふふ、いいえ……そこも貴女を選んだ理由の一つかもしれないもの。いいのよ、それで。
黒峰は……いえ、この学園で級長をやっている人間は、皆が皆、本家に関わる人間なの。
だから自分を知らない人間というのが、新鮮なのよ」
なるほど。確かに教科書に載っているような名前を知らない人は少ないし、級長という役職と名前を繋ぎ合わせて考えることは不自然ではない。
もしかしたら私のクラスの人でも、ちゃんと知っている人は知っているかもしれない。
ただ私が特に何も考えていなかっただけだ。関係ないと思っていたからだけど。
でもやっぱり、知らないのは私だけじゃないはずだ。
ようやく笑いが収まったようで、目尻に浮かんだ涙を真っ白なハンカチで拭うとふうと息をつき、おもむろに立ち上がった。
「久しぶりにこんなに笑ったわ。
喉が渇いたからお茶にしましょう。緑茶は平気?」
白のイメージ的には紅茶だと思ったけど緑茶らしい。
いけばなのイメージならばそっちのほうがしっくり来るかもしれない。
どんなお茶でも問題ないので頷くと、茶碗を温めたりお茶の葉を量ったりと慣れた手つきで進めていく。
本家の人間と言っていたけど、こういう事は下の人間がやるものじゃないのだろうか。
お茶を置き椅子を勧められ正面に座ると、一口すすってから息をついた。
「それで……わたしにどんな話かしら?」
「はい。気になったことがあるので、聞きたくて」
「わたしの案を受け入れてくれた件もありますから、出来る限りはお答えするわ」
「じゃあ、遠慮なく」
ただの好奇心で、ただの野次馬のようなものだけど。
無表情で無機質な目の白の級長が、なぜそうなるのか、なぜそうなったのか。
ただそれが、気になるだけ。
「我輩さまのこと、好きですよね?」
「…………」
「白の級長さんがたまにする表情、見覚えがあったので。
あれは女子が好意を持つ男子を見る表情でした。
最初は先入観と、あと忘れていたのもあって気付きませんでしたが、あれはきっとそうだと思います」
「…………貴女は、容赦ないのね」
「出来る限り答える、と言われたので」
中途半端に言うよりも、遠回しに言うよりも、はっきりと言うほうがいい。
私にそんな話力はないから。変に誤解されるよりよっぽどましだ。
音を立てずにお茶をすすり、無言。
それが何度か繰り返されてから、ふいにため息をついた。
「そうね、正解よ」
なのに表情は、明らかな諦めが感じられる。
到底、恋する女子に相応しくない表情だ。
今まで見てきた人たちは、叶うか分からなくても叶うと信じ、挫けそうになっても決して挫けない、理解できないくらいの力を感じたのに。
白の級長にはそれの欠片もなく、ただただ諦めている。
「友達として好き、ですか?」
「いいえ、異性としてよ。
でもそれを口にすることは、いけないことなの」
「いけない、ですか」
「わたしには、婚約者が居るのよ。ずっと前に決まった人がね」
諦めに混じる儚さ。
その婚約者は、我輩さまではないのだろう。
恋する相手が居るのに、籍を結ぶ相手は決まっている。
このご時世になんと時代錯誤な……。
「どの色も、本家は血を重視するわ。
血統が一番、両家の縁が二番。それで終わり。
本人の意思なんて考慮にも値しない、それが本家の結婚よ。
わたしだけじゃない。本家筋の女は皆、そう決められているわ」
「それにしても……早くないですか?」
「昔は十五で結婚なんて普通だった、なんて言われているわ。
それに相手はもう成人しているし、法律上は何の問題もないの」
「でも……」
「貴女にきつく当たったのは、ただの嫉妬。ごめんなさい。
そんなことをしてしまう程度には強い思いだったわ。
でも、わたしだってもう、納得している。最後に足掻きたかっただけ」
そんな訳ない。
納得しているのなら、こんな……悲しい顔はしないはずだ。
部屋に入ってから、特に我輩さまが居なくなってからはとても表情が豊かだ。
この人はきっと本来、感情豊かな人なんだろう。
それを全部押し込めているからこその、無表情すぎる無表情なんだ。
「わたしの名前、聞いてくれる?」
「はい、どうぞ」
「茜よ。白空茜」
「あかね……」
「どんなイメージがある?」
あかね。白なのにあかね。
茜、赤、赤色。
「生まれた時からね、決まっていたことなの。赤の家に嫁ぐと」
机の引き出しから小さな箱を取り出すと、指ですうっとこちらに押し出す。
ぱかんと開いたその中身は、小さな真っ赤な石の付いた指輪だった。
とても、なんというか……古そうなものだ。
「代々伝わる婚約の印、だそうよ。気付いたらいつも手元に置かれていたわ。
そして言い聞かされてきた。あなたは赤の当主の妻になるの、って。
だからもう、今更なの。諦めも付いているし、そもそも最初から叶うことはないと分かっていたから」
「……いいんですか?」
「いいの。それが、本家に生まれた女の決まりごとなのだから」
ぱかんと閉じてまた引き出しにしまいこみ、代わりに小さなお菓子を取り出した。
陶器の入れ物に入った、とても綺麗な色の金平糖だった。
「……ごめんなさいね、喋りすぎたわ。貴女には関係の無いことなのに」
「いえ、大丈夫です」
「周りにいつも居るのが、家につながる人ばかりだからかしら?
なんだかとても楽な気分になっているわ」
「言葉に出すと、すっきりすると聞いたことがあります。
多分、私じゃなくても事足りたかと思います」
「言葉に出せる相手が居なかったのよ。……ありがとう、とても気分がいいわ」
「どういたしまして……?」
微笑みと一緒に言われれば、そう答えるしかないだろう。
陶器の入れ物からピンクと白の金平糖を取り出すと、一緒に口に入れてかりんと噛んだ。
小気味良い音を立てながら食べ、お茶を飲むと、ふうと息をつく。
「婚約者に何かがあったら、どうなるんですか?
生まれた時から決まっていたなら、もしもの場合だってあったんじゃないですか」
「そうしたらその人ではなく、その次の人になったでしょうね。
……今の赤の級長よ。あれでなくて本当によかったわ」
「好きじゃないですか?」
「悪い人間ではないわ。ただ、あんな堕落人間の妻だなんて嫌。
その為には、赤の次期当主には元気でいていただかないと」
「……嫌いではないんですね」
「人として尊敬しているわ。きっと、悪くない結婚生活は送れるでしょう」
でも、好きなのは我輩さまなのか。
家同士で決まった婚姻に、逆らうことは出来ないんだろうか。
「愛人でも作ってはどうですか」
「あ、あ、愛人っ!?」
「我輩さまが受け入れればでしょうけど。
黒の当主と、赤の当主の妻ではやっぱり目立ちますかね」
「ちょっと……っ」
「駆け落ちするよりよっぽど可能性はあると思います。
一般人では隠しづらいことでも、二人の魔力があればどうにかなりそうですし」
「ま、待って……」
「白の級長さん、美人ですし。
夫を手玉に取ることも出来そうな気がします」
「お、音無さんっ!?」
「はい」
おろおろととても慌てた様子で、顔は真っ赤になっている。
本当に、こんなに感情豊かな人がよくあんなに無表情を作れるものだ。
ああいうのを、長年の鍛錬の賜物、と言うのだろう。
「ええと……愛人などというのは、その、ありえません。
それに、容姿はその、良くもないです」
手の平で顔を覆い深く息を吐く。
その仕草だってきっと男には可愛らしく映るだろう。
言わなかったけど、体形もとてもいい。多くの異性を容易く陥落させられそうだ。
価値に気付くことはないのだろう。謙虚に控えめに、一歩後ろを歩くよう育てられてきたのかもしれない。
「貴女と話していると、ここが学園なのを忘れそうだわ。
……ねぇ、音無さん。
あんなことをしてしまったのに図々しいとは分かっているのだけど……たまにでいいから、わたしの話し相手になってくれない?」
「話し相手、ですか?
ええと、そのことはもういいです。理由は分かりましたし、大して気にしてなかったので。
でも、白の級長さんの周りにはたくさん人が居るじゃないですか」
「人は居るわ。白の関係者がね。
他の色はそれぞれの級長の目があるでしょうし、そもそも接点が無いの。
その点貴女は、幸いにも無色だわ。しがらみは少ないでしょう」
「私はそんな、話し相手になれるんですか?」
「ええ、とてもいい話し相手よ。どう? もちろん、学業と仕事を優先して構わないわ。
空いている時間でいいの」
「……じゃあ、いいです」
「まぁ! ありがとう、じゃあ連絡先の交換をしましょう。
携帯端末でいいかしら?」
うきうきと端末を取り出し流暢に使いこなす様子は、まさに年頃の女子だ。
級長だとか、本家だとか、そういうのは一切感じられない、ただただ女子だった。
「嬉しい……白以外の人の連絡先って初めてよ」
「私も、クラスメイト以外で初です」
「あら、黒峰とはどう連絡を取っているの?」
「我輩さまは……端末は知りません。
部屋の固定端末は連絡先とは言いがたいです」
「そういえば、機械音痴だったわね……。子供の頃からそうだったわ」
それから、白の級長と我輩さまの幼少時代について語られた。
本家同士は嫌が追うにも関係が切れず、遭遇する機会が多かったとか。
そして大事な話がある時などは、子供同士で放り出されたとか。
その時、同じ年だった我輩さまとはよくよく一緒になったらしい。
話をしている白の級長はとてもよく笑い、今までこうして話せる相手も少なかったのかもしれない。
白と黒、対極。そんなイメージの人間の話を、そう易々と口には出来なかっただろう。
ずい分と昔からの想いだったようで、堰を切ったような勢いにただただ聞くしか出来なかった。
そうしてどれくらい経っただろうか。
何度目かのお茶の入れ替えを聞かれたところで、下校時間のチャイムが聞こえた。
「あら、こんな時間。ごめんなさいね、長い時間」
「いえ」
「今回の白の件、本当にごめんなさい。
きっと、黒に補助役が就いたと知った人間が、力を削ごうと音無さんに手を出したのでしょう。
それぐらい白と黒は対立しているから、外ではあまり話せないと思うの。
それも今、言っておくわ」
「分かってます」
「あと、最後に一つお願い」
「何でしょう?」
「こうして話す時だけ、白の級長、というのは止めてもらえないかしら?
なんというか……とても距離を感じるのよ」
躊躇うような間が開き、少し眉を下げながら言われた。
白の級長は白の級長だけど、ここで話している時は級長というより、女子と思えた。
ならば本人がそう言っているのだし、違う呼び方の方がいいのかもしれない。
「白空さま、でしょうか?」
「ううん……さま、というのが少し。白の組の生徒がみんなそう呼ぶのよ」
「では……茜先輩?」
白を意識しないように、でもさまは使わないように。
そう考えると名前と、あとは学年相応の先輩と言うのが無難か。
これで駄目なら本人に決めてもらおう、私にそんな言語センスは無いから。
「先輩……」
「駄目でしたか?」
「いいえ、いいわ、すごくいいわ!
先輩、先輩ね……とても新鮮な響きだわ。是非そう呼んでちょうだい」
「分かりました、茜先輩」
頬を赤らめとても嬉しそうに笑う表情は、同性の私でさえ見惚れてしまうものだった。
この人がただの白の組の人であれば、もっともっと、異性に囲まれていただろう。
でもそうすると我輩さまとの出会いがあったか分からないから、どちらがよかったとも言いがたい。
それに、どちらがよくても今は今で、現実は現実だ。
同時に出るのは他人の目を考えると憚られるとのことで、私が先に帰ることになった。
食堂に行って……ぎりぎり終わりの時間には間に合うはずだから別室は使わないでおこう。
それでさっさと食べてお風呂に入って、宿題と予習をして寝てしまおう。
なんだか少し、疲れた。けど、なんだか少し心地いい気分でもある。
女子らしい白の級長……いや、茜先輩と話したことにより、私も少しは年頃の女子らしい気分にでもなれたのかもしれない。
愛だ恋だと話していたのを、昔はとても……馬鹿にしていたはずなのに。
それは多分、自分には得がたい気持ちを易々と抱く周囲の女子に嫉妬していたからなのだろう。
ひとのきもちがわからないから、こいするきもちもわからない。
歳を重ねれば、少しは分かるようになるのか。
少なくとも今は、ほんの少し分かった気がするし、ほんの少し羨ましい気もする。
恋する乙女は綺麗だと言うけれど、それは格言だろう。
茜先輩は外で見るよりよっぽど綺麗で、可愛く、歳相応の女子だった。
決して叶うことのない恋だとは言うけど、せめて赤の次期当主が茜先輩を大事にしてくれればいいのにと思う。
……人の心配をする資格があるのか、私が。
無い、きっと無い。
知り合ってすぐの人間にそんなことを思われても困るだろう。
だからこれは、私の中だけで思っておこう。
口には出さない。それだけで、この気持ちは無かったことになるから。
茜先輩が自分にそう、戒めているように。
予定通り、ぎりぎりで滑り込んだ食堂でクラスメイトと食事し、自室でお風呂に入ってから机に向かう。
無属性は一般教養が最重要視されているから、一般の学校の普通科クラスの学力を求められる。
強制入学なのだからそこまで無茶なことは言われない。
けれど、退学が許されていないから卒業するまでは何年だってここに居なければならない。
実際、上の学年にはいつまでも三年生な生徒が存在するらしい。
そして属性持ちの場合、学力は二の次で魔力の操作が最重要視されるらしい。
だからさっさと卒業し、上の学校に行くか研究職に就くか、その属性が必須な場所に就職するかになるらしい。
私には一生関係ない進路だなと思っていると、携帯端末にメールが届いた。
いつかと同じ、寮長室に来るようにとのことだった。
こんな時間に呼び出し……何かあったのだろうか。
嫌がらせの犯人に関しては謝罪はいらないと言っておいたけど、それでは教師が納得しなかった、とかだろうか。
勉強が終わったらすぐに寝るつもりだったから部屋着になってしまったが、呼び出しなら仕方がない。
どうせ女子寮だ。男子との共有区間は一瞬通るだけだし、わざわざ着替えることも無いだろう。
そう考え、夜で肌寒いから薄いカーディガンだけ羽織っておいた。
面倒でもきちんと着替えるべきだったと思うのは、すぐだった。
寮長室の扉をノックすると、いつもの先生が鍵を開けてくれた。
畳敷きの小さな部屋に通されると、そこには異様な姿があった。
青々した畳に敷かれた紫色の座布団に、きちんと正座をする黒い塊。
いや、黒いローブを羽織った人間。
明らかに不機嫌な雰囲気を放つ我輩さまは、ちらりと私を見るとすぐに正面に向き直った。
対面に置かれた座布団に恐る恐る座ると、低い低い声が放たれた。
「小娘よ、今まで何をしていた」
恐ろしさを感じるほどの声に、先生はそそくさと部屋の隅に逃げた。
私もいっそ逃げたい気分だけど、そんなのは許されないだろう。
ここはとりあえず質問に答えよう。
「ご飯を食べてお風呂に入って勉強してました」
「違う、その前だ」
その前……その前?
茜先輩とお話をしていた。
「白空との話が終わったら、我輩の部屋に来るようにと言ったのだが?」
「あ……」
『話が済んだら部屋に来るがよい。これは命令だ』
そう、言われたんだ。すっかり忘れてた。
「命令に背くとは、我輩の所有物にしてはいい度胸をしておるな」
「すみません、忘れてました」
「……そうであろうな。故意に背いたとなれば、今すぐ呪いを施している」
「それはちょっと……」
「して……何事も無いか」
「はい?」
何事も無い? 別に何もなかった。けど我輩さまの言う何事も無いの内容が分からないから返答しづらい。
「白の級長の部屋に居たのだ。
白の生徒と遭遇したり、そやつらと何か諍いは起こらなかったかと聞いておるのだ」
白の級長が、と言わないあたり、我輩さまだって茜先輩のことをちゃんと分かっているんだろう。
そういう事はしない人だって、信用している。
「何もありませんでした」
「なら、よい。しかし命令に背いた罰は受けてもらう。
これより食堂へ行く。ついて来い」
「ご飯、食べてないんですか?」
「今戻ったところだからな」
もしかして我輩さまは、私を待っていたのだろうか。
仕事は大して残っていなかったし、あの部屋には暇つぶしになるようなものはなさそうだった。
とっくに暗くなって、夕食には遅すぎるくらいの時間なのに。
「あの……待っていてくれたんですか?」
「…………知らぬ。我輩は腹が減っているのだ。さっさと行くぞ」
小さな部屋で立ち上がると、元から大きいのにもっと大きく見える。
視界のほとんどを黒が占めてしまうくらいに。
いや、ローブのせいで実際より広く感じているだけだろう。
そう分かっているのに、我輩さまのこの存在感は……やっぱり、大きい。
「何をしている、置いていくぞ」
「行きます、すみません」
真っ黒いローブを翻して、堂々とした足取りで、偉そうな態度で。
それで向かう先は食堂だというのがちょっとおかしい。
それでも待っていてくれたんだ、ついていくべきだろう。
部屋着のまま外を歩き人の居ない食堂に入り、黙々とご飯を食べる我輩さまの前に座って待つという、無意味としか思えない時間だったのに……案外、悪くはなかった。