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我輩さまと私  作者: 雪之
本編
7/50

2-3.陣

 下駄箱への届け物は、翌日から始まった。

 最初は一通の手紙。差出人が無かったのでそのまま破棄した。

 次は一枚の紙。よく分からない模様がびっしり書かれてて、意味が分からないからそのまま破棄した。

 その次は一枚の古い布。赤黒い何かがこびりついてて、持ち主を特定できそうにないから職員室に届けた。


 そして今日、初心に戻ったのか一通の手紙。今度は差出人には不足しているものの、所属が書かれていたから部屋に持ち帰った。

 よくもまぁ毎日下駄箱参拝できるものだ。私だったら一日で飽きる。

 古風なことに真っ赤な封蝋を押してある封筒を破り中の紙を開くと突然、変な色の魔力があふれ出てきた。

 それは私の肩にへばり付き、ただそれだけで何もしてはこない。

 若干重たい気分がしたけど、魔力に重さは無い。気のせいだろう。

 封筒の右下に小さく黒Aと書かれていたから、我輩さまの組の人だろう。

 何が目的か分からないけど、もしかしてこれは我輩さまに渡すべきだったのか?

 私の下駄箱に入っていたけど、宛先は書かれていなかった。

 困った、私信を勝手に開けてしまったのか。

 このへばり付く魔力にも、我輩さま宛の念話のような意味があったのかもしれない。

 明日は呼び出される前に部屋に行って、きちんと謝ろう。




「――――馬鹿者っ!!」


 さっそく謝った結果、怒鳴られた。よほど大事な手紙だったらしい。

 ぷーさんは少し離れた所で様子を伺っているようで、なぜか少し同情的な視線を感じた。


「すみません、私信を開けたのは悪かったと思っています」


「違うわっ! それは呪いだ! そんなことも気付かんのか小娘めっ!!」


「呪い、ですか?」


 確かに肩にへばり付いた魔力は鬱陶しいけど、以前我輩さまにされたものと比べたらなんともない。

 だからきっと違うものと判断したけど、それは間違っていたらしい。


「力の弱い者の呪いだから大した効果も無かったのだろう。

 しかし呪いは呪いだ。いつしか術者の魔力を注ぎ込まれ、効果が強くなるやもしれん」


「はぁ……」


「本当に物を知らぬのだな。よい、小娘にはこれから我輩が魔力の何たるかを教えてやろう。

 幸い、小娘の働きで手は空いているからな」


 我輩さまが級長になった時からじわじわ溜まっていた書類の処理は、私と機械のお陰で綺麗さっぱり片付いた。

 ついでに手書きで写した分も打ち直し、今後の作業の下準備もし、正直やることがなくなっている。

 魔力の何たるか……最近は授業でもそういった話がされるようになったし、クラスメイトに先んじて教わるというのは、足並みが乱れる気がする。


「いえ、いいです」


「我輩の補助役が無知だというのは看過し難い、学べ」


「……はい」


 無知は罪で、無知は弱さ。

 それだけ頭の中で唱えて、真っ黒な自分の席に座った。



「魔力は魔素から出来る。それは知っているな?」


 魔素。

 血液中に含まれる物質。

 魔素が魔力に換わるメカニズムは解明されていないものの、魔素を持つ=魔力があるという認識になっている。

 そしてそれは大抵遺伝性のもので、両親が持っていればその子供にも伝わることが多く、片方だと確率は下がる。


「古き世には魔女裁判なる悪行があった。

 そしてそれに似た諸行は数十年前まで続き、奇しくも科学の発展により絶たれた。

 そのきっかけが、魔素の発見だ」


 私たちは学校に入る時に、魔素の診断をする。

 結果によって義務教育後の進路が決定してしまう、逃れられない診断を。

 有無の後は質と量。それで著しく数値が高い場合は、早急に別の学校へ回されるらしい。

 魔力持ちのエリート。幼い頃から教育されるんだろう。

 どうせ我輩さまもその口だろうと思っていたら、家柄により問答無用で回されたらしい。


「魔力を持って生まれた者は、それ相応の生き方を求められる。

 それをたかだかこんな……小癪な真似をしおって」


「すみません」


「何故小娘が謝る? 我輩はその呪いをかけた愚か者へ言っているのだ。

 どの色の者だか知らぬが、我輩を何だと思っているのやら。

 呪いには呪いを持って討つ。貧弱な魔力しか持たぬ輩にさて、我輩の呪いが耐えられるか」


 そう言って肩を指差すと、ふわりと重みが消え去る。

 変な色の魔力は私の頭上で丸くまとめられ、我輩さまの魔力に包まれどこかに飛んで行った。

 術者の元に戻ったのだろうか?

 そしてその術者は無事で居れるのだろうか?

 呪いが掃われると浮いていたぷーさんが膝の上に乗り、小さく声を出しながらゆらゆら揺れている。ご機嫌らしい。


 その後、まず一番に私が警戒すべきだということで、呪いについての授業が始まった。

 でも、そもそも魔力を体外に出せない私にとっては理解し難い内容で、感覚の相違により半分も理解できなかった。

 深い深いため息をついた後、とりあえず何かあったら報告すると言う、ごくごくありきたりな命令をされて解散となった。



 下駄箱に平穏が訪れ、我輩さまからの呼び出しも一旦止まった。

 ある程度作業を溜めてからでも、私の処理が追い付くと分かったからだ。

 野苺もとっくに尽きてるし、久しぶりに平和な日々が続く……はずだった。

 いつものように人の少ない廊下を歩いているはずなのに、なぜか人の気配がする。

 気配を感じても視界の中には誰も居なく、どことなく嫌な感じを味わいながら通り過ぎる。

 すると遠くから小さなゴミが飛んできたり、水飛沫が飛んできたり、砂埃が飛んできたり。

 窓も開いてないのに飛んでくるのはなぜだろう?

 そしてそれと同時に気配が消えるのもなぜだろう?

 それは一人の時だけで、誰かと居ると起こらないのも不思議だ。

 今のところ、特に実害は無いから放っておいているけど、いつしか人と居る時にそれが起こったら不快な思いをさせてしまいそうなことだけが気がかりだ。


 と、思って数日したら、今度は躓くことが多くなった。

 足がもつれているのか、小さな取っ掛かりに引っかかったのか、理由は分からないけど。

 一度転んでしまった時にどこかから小さな笑い声が聞こえて、みっともないところを見られたなと思ったけど、別にどうでもいいかと気にしなかった。

 それもなぜか一人の時だけで、そこまで注意力散漫なのかと不甲斐ない気分になった。


 そしてまた数日すると、眩暈に襲われることが増えた。

 頭がずんと重くなり、呼吸がしづらい。

 くらくらと壁にもたれ掛るとそれは止み、なんともなくなる。

 一度それが階段で起こった時は、数段残して落ちてしまい、派手に尻餅をついてしまった。

 そこも誰かに見られていたらしく、笑い声が響いた。

 人が少ないと思っていたのは私だけで、結構色んな所に生徒は居るらしい。

 こうなってしまうと、通り道を新規開拓しなければいけないかもしれない。

 でも、今以上に遠回りをしてしまうと、もはやどこに向かっているのか分からなくなりそうだ。

 夕方にはなっていない空を眺めつつ外に出ると、ふと上から水が降ってきた。

 それは最初はそろりと、すぐにざばりと降ってきた。

 水……青の組が練習をしていて、操作を誤ったのだろうか?

 幸い鞄は防水性だし、綺麗な水だったからまだましか。

 このまますぐにお風呂に入ろう、すっきりしてからご飯を食べて宿題だ。


 寮の自室で着替え、廊下で鉢合わせたクラスメイトと一緒に食堂へ向かう。

 この寮の部屋は組と学年である程度の配置が決まっていて、クラスメイトばかりが周囲に居る。

 それはとても便利なのだけど、最近なぜか、知らない人がうろうろしているようだ。

 私服だと組が分からなくどこの人だか判断が付かない、けど確実に私たちが普段接する人たちではなかった。

 クラスメイトも口々に目撃例を教えてくれ、一度は私の部屋の前まで来ていたそうだ。

 結構奥まった場所なのに、誰かに用事でもあったのだろうか?

 クラスメイトは妙に警戒していて、今度見つけたら捕まえてやる! と息巻いていたけど、普通に案内してあげればいいんじゃないかな……。

 食事を終えて部屋に戻ると、途中、知らない人とすれ違った。

 あれがさっき話していた人だろうか? やっぱり所属も何も分からなかったから何もせずに通り過ぎたけど、きちんと声をかけるべきだったか。

 でも足早に行ってしまったからそんな暇なかったし、本当に困っているとしたらきっと向こうから声をかけてくるだろう。

 だから今日は、気にしない。

 鍵を開けてドアノブを握ると、ぬるりとした感触がする。

 食堂で汚してしまったのか? そう思って手の平を見ると、赤黒い液体がへばりついていた。

 臭いをかいで見ると多分、動物の血液だ。それも結構古い。臭い。

 手を洗うだけですっきりするだろうか?

 私には強い臭いは、石けんで消えてくれるものか心配だけど、今更またお風呂に入り直すのも億劫だからよくよく洗うことにしよう。

 こういう時、属性持ちの人は簡単に処理できるのかもしれない。

 無属性の私は地道に手を洗い、ティッシュとアルコールスプレーで掃除をするしかない。

 ……すごく面倒だ。



 翌朝……普段通りの時間に起床し、クラスメイトと一緒に朝食を食べている時、携帯端末にメールが届いた。

 支給されたそれは着信音の変更が不可能で、送信元によって音が決まっている。

 この音は、教員からだ。授業中に鳴っても許される緊急性の高い音だったりする。

 こんな朝からなんの用事だろう?

 実家で何かが起こった、ならばメールではなく直接の連絡になるし、そもそもこの端末でこの音が鳴ったのが初めてだからよく分からない。

 クラスメイトに促されて、食事中で無作法かと思うけどメールを開くと一言、寮長室に来るようにとの指示だった。

 寮長、といってもそれは役職なだけで教員だ。

 山の上にある学園に通うのが困難な教員は、こことは別に寮がある……らしい。

 その住人がローテーションで寮長を勤めているということだけ教わった。

 特に目立った行動をしたつもりは無いのだけど、寮内で何かしてしまったのだろうか?

 自分では気付かないだけで、実際は色々やらかしてしまったのかもしれない。

 残ったご飯を急いで食べ、そのまま登校できるように身支度を整えてから寮長室へと向かった。



 寮の入口を入ると、少しの廊下の奥に分かれ道がある。

 当たり前ながら男子と女子は別の建物で、入口だけが共通だ。

 そしてそこに、寮長室はある。

 生徒の確認をする為のガラスの小窓と、その脇にがっちりした扉。

 ノックをすると鈍い金属音が響き、小窓から寮長の先生が顔を出して鍵を開けてくれる。

 畳敷きの小さな部屋に、またもう一つの扉。

 きっとその中が先生の部屋になるのだろう。

 そして今はこの小さな部屋に、すこぶる不釣合いな姿が座っていた。


 まず、私の担任の先生。

 次に、級長会議に居た青の組の先生。

 そして……相変わらず制服の上に真っ黒なローブを羽織った我輩さま。

 今日は珍しくフードは被っていなく、真っ白な顔がしっかり見える。


「やぁ、音無さん。おはよう」


「おはようございます」


 畳敷きだから椅子ではなく、座布団。

 全員揃って正座しているから、勧められるまま同じように座る。

 学園に入ってから洋式の生活をしているから新鮮なような懐かしいような気分になった。


「今日来てもらったのは……いや、担任の先生にお願いしようか」


 青の先生が口を開いたものの、少し考えた様子の後、担任の先生に話を向けた。

 この先生は本当に、最初だけしか喋る気が無いのか。

 私の担任の先生は穏やかな性格の女の先生で、でも叱る時はきちんと叱ってくれる、好ましい先生だ。

 その先生が今は青白い顔をしている。私が、先生に何かしてしまった?

 そうすると、青の先生はまだしも我輩さまがここに居る理由が分からない。

 一人で考えても埒が明かない、先生の話を待とう。


「……音無さん、あの…………」


「はい」


「…………いじめに、あっていない?」


「……はい?」


 いじめ、と?

 学校生活にありがちな、あの?

 陰口を叩かれたり、上履きを隠されたり、机に落書きされたり?


「あってません」


 そんな事、この学園に入ってから一度も無い。

 クラスの仲がとてもいいのは先生も知ってるだろうに。

 それ以外とはほとんど関わりを持っていないというか、関わらないように生活しているのだから、その面でもあり得ない。

 何をどうしたら私がいじめられているなどということになったんだろう。


「本当に? 些細なことでもいいのよ?

 ここで話したことは誰にも言わないわ。言っていいのよ?」


 とてもとても心配そうに、むしろ泣いてしまいそうな様子で言われても、思い当たる点は無い。


「人違いじゃないですか?」


 とりあえず、私が先生に何かしてしまったわけではないと分かって安心ではあるけど、謂れのないことで泣かせていいはずもない。

 否定しても効果が出ていないとしたら、どうすれば分かってくれるんだろう?


「小娘よ。最近起こったことを全て話すのだ」


「最近……? 特に何も無かったと思います」


「全て、と言った筈だ」


 長い前髪の奥からのきつい視線は、それでも責めているようには見えない。

 じゃあ何でこんなに視線が鋭いのか。

 聞いてみようかと思ったけど、それよりも先生たちの視線を感じてしまったから、思い出せる限りを口にした。


 我輩さまが呪いを解いてくれた日から起こった事を、日付なんかは流石に覚えていないから事柄だけを掻い摘んだ。

 本当に些細なことまで聞き出され、終わった時には朝の予鈴が鳴り響いてしまった。


「……何か起こったらすぐに報告しろと命じたのを、忘れておったのか」


 明らかに怒った視線に、低く吐き出すような声。

 担任の先生は青白かった顔色に脂汗が浮かんでるし、青の組の先生も少し腰が引けてしまったようだ。

 大人が怖がるくらいに迫力のある様子に、私も何かを言い返す度胸は無い。

 じっと固まったまましばし、我輩さまが長い前髪をかき上げてため息をつき、それでようやく先生は持ち直したようだ。

 私はもちろん、じっと動かないまま我輩さまの様子を伺っているしかない。

 何か起こったら、と言われたから、何も起こっていないのだから報告することも無い。

 そう思っていたのに、我輩さまにとってはそうではなかったようだ。


「まずその無知な頭に、何によってそのようなことが起こったか叩き込んでやろう。

 魔力を知る知らぬどころの話ではない。自分の身に害か益かすら分からぬようなら、それは生存本能の欠如だ」


 害か益か……そうはっきり判断できる事柄なんてそうそう無いだろう。

 明らかに益と思えることも、廻り廻って害になることなんてざらにある。

 害のようなものでも、結果的に益になるのだから。


「まず、ゴミだ水だ砂だが飛んできたならばそれは風の仕業だ。

 しかし窓の閉まった廊下と言うなれば、魔力で飛ばしただけのことよ。

 躓くのも同じだ、一人の時にだけ躓くという時点で不審に思わんのか。

 眩暈なんてもっとひどい。

 一定の範囲の酸素を追い出したのだろう、加減を間違えば窒息死すら免れぬわ。

 そもそも階段で転んで尻餅をついたと言うが、それがもっと高い場所だったらどうなっていた?

 小娘の周りに起きた事柄はこれで全て説明が付いたが、これをどう思う?」


「……いじめというか、嫌がらせですか?」


「……であろうな」


 私が感じ取れるのは、強かったり濃かったりの、いわゆる個性的な魔力だけらしい。

 ごくごく普通の、小さな作用だけを持つ魔力は気付かなかったらしい。

 それに、魔力で私に何かをしたならまだしも、魔力を使って起こしたもので何かをしたならば、もっと気付かない。

 でも、我輩さまの説明を思い返してみると、私はうっかり死んでもおかしくなかったようだ。

 ついでに、無色でない組の女子生徒が私の部屋の扉に何かをしていたのを、寮長の先生がたまたま気付いたらしい。

 きっと昨日の動物の血液も、嫌がらせの一環だろうという話になった。

 なんと言うか……両極端なやり方だ。

 魔力を使ってみたり、一切使わないでみたり。

 危険な事をしたり、ささやかな事をしたり。

 私にそれらをした人は、何を思って、何を目的にやっているんだろう。

 そう考えたところで、本人にしか分からない話だ。


 時計はとっくに一時間目が始まったことを示しているのに、先生も我輩さまも、一切慌てる気配が無い。

 このまま休み時間まで行かないでいいのか、それとも解決し次第途中でも入らなきゃいけないのか。

 後者だと、目立ってしまうから正直勘弁して欲しい。

 廊下を歩くだけで目立つなんて、それを命令されるほうが私にとってはいじめだ。


「……小娘に、監視を付ける。その結果如何で後の行動を決めることになろう。

 それでよいか」


「それがいいかもしれないね。

 犯人の目星が付いていない状況で、僕たちが常に見ていてあげられる訳でもないし」


「クラスの子には話しておきましょう。できるだけ、一人にならないようにね?」


 先生と我輩さまは納得してるけど、監視ってなんだ。

 黒の女子生徒の時みたいに、生徒に思えない生徒がずっとついてくるつもりなのか。

 そんなの絶対に嫌だ。


「監視って、誰がするんですか?」


「小娘にとって害は無いであろう。プラズマよ、しばしこやつに付いておれ。

 放課後、我輩の部屋に揃って来るがよい。そこで魔力の補給と、監視の結果の報告をする。

 教師連中には後ほど報告を寄越そう」


 我輩さまのローブの隙間から出てきたのは、黒い毛皮を着て紫色の静電気を走らせるプラズマさんだった。

 普段は我輩さまの横でぷかぷか浮いているのに、今日はそんな所に隠れていたのか。

 いつものように浮いていたら……緊張感に欠けていただろう。

 そう考えると、これでよかったのかもしれない。

 て、プラズマさんがついてくる?

 我輩さまの魔獣として、無属性の生徒ですら知っているプラズマさんが?

 ……目立つどころの話じゃない、おかしい。

 そっちのほうが嫌がらせを受ける可能性だってあるだろう。


「嫌です。出来るだけ一人にならないようにするので、やめてください」


「許さん。これは小娘一人の問題ではないのだ。

 我輩の補助役、我輩のしもべに手を出すということは、我輩に手を出していると同じことよ。

 断じて許すわけにはいかぬ」


「これでもし私だけが気に食わなくて、私にだけ嫌がらせをしているんなら、どうするんですか」


「そんなものは知らぬ。小娘は契約を持って我輩の所有物なのだ。それを忘れるでない」


 これじゃ埒が明かない。それに折れる気配も無い。

 こんなのどうしろっていうんだ……。

 正座をして我輩さまをじっと見たまま考えていると、ぷーさん……プラズマさんがふわりとこちらに寄ってきた。

 いつものようにぷかぷかと、いつもと違ってピリピリと。

 鳴かない代わりに静電気を放っているのだろうか? 私の膝の上にたどり着くと、静電気はぴたりと止まった。

 試しに触ってみるととても滑らかな手触りで、体温がじんわりと伝わって緊迫感に強張っていた身体が少し楽になった。

 アニマルセラピーか、これは。確かに効果がありそうだ。

 そんな私の様子を確認したかのように、ふわりと浮かんでピリッと静電気を発した。


「プラズマのほうも問題ないようだな。これでこの場の話は終わりだ。

 我輩はこのまま部屋へ向かう、小娘もついて来い」


「授業はどうするんですか」


「次の時間から出るがよい。まずは先にやっておくべきことがあるのだ。

 教員も、よいな」


 担任の先生はこくこくと、青白く脂汗の浮かんだ顔を上下させた。

 確実に怖がってるし、言いなりだ。

 いくら級長とはいえ、先生に対しこんなに影響力があるなんて、我輩さまはどれだけの人なんだろう。

 いくら黒の始祖の家と言われても、あくまでここは学校でここでは生徒だ。

 それとも、級長は別格なのか?

 膝の上に戻ったプラズマさんを撫でながら考えても、私なんかの頭で分かるような事柄でもないだろう。

 とりあえず今は、先生と我輩さまに従おう。

 促されるまま寮長室から出て、見慣れない道順を通って我輩さまの部屋に辿りつくと、深い深いため息をついてから部屋中の電気を付けた。

 電気をつけるくらいならカーテンを開ければいいのに。

 この時間なら眩しいくらいに日差しが差し込むだろう。

 もしかして日光が苦手とか? 吸血鬼のようだ。


「そこに座って上着を脱ぎ、袖をまくれ」


「……はい?」


 指差された小さな椅子に座るも、その命令が一瞬耳を素通りする。

 なんて?


「小娘に他の呪いがかかっていないかの確認と、防御陣を敷く。

 次の時間に戻りたいと言うなれば、さっさと従うのだ」


 今日はまだフードを被っていないし、部屋が明るいから顔がよく見える。

 怒ってもいないし不機嫌でもない、ただただ作業をしようとしているだけのようだ。


 袖をまくれば、肌が見える。

 部屋が明るいから、はっきり見える。


「……嫌です」


「命令だ、まくれ」


「嫌です。私の身体に他の人の魔力は感じられません。何もありません」


「魔力の痕跡を隠し、小娘ごときを欺くなど簡単なことよ。

 自分の身すら案じられぬ若輩者が、驕るな」


 ……言われたことはもっともだ。

 最近の出来事で、私が感知できる魔力の限界なんて分かってる。

 分かってるから、気付かないかもしれないことも分かってる。

 でも、嫌なものは嫌なんだ。

 衣替えはまだだけど私の夏の制服は長袖を注文してあるし、足元だってどんな季節でも黒いタイツを履いている。

 私は、肌を見せるのが、嫌いだ。


「嫌、です」


「命令だと言っておるのだ。いつまでも従わぬと言うならば、従わせる他無いな」


「…………」


 魔力を使われれば私に抗う術は無い。

 我輩さまの魔力の使い方はきっと、尋常じゃなく上手なのだろう。

 せめてもの反抗をと思い、両手を固く組み合わせ、きつく目を閉じた。


「……魔力で全てを解決すると思っておるのか?

 先の事で分かったかと思っていたが、そうではなかったようだな」


「え……」


 何のことだ?

 そろりと目を開けるとそこに、我輩さまの手が伸びた。

 それは迷いなく私の腕を取り、袖を捲り上げた。


おのれの手で出来ることをわざわざ魔力を使ってすることもない。

 魔力があろうが無かろうが、より楽な手段を使うのは常識であろう」


 明るい電気の下、肌が晒された。

 腕の内側に残る古傷の痕。たくさんの擦過傷。それより少ない切り傷。

 それに紛れるように残る、刺し傷が一つ、咬み痕が一組。

 ケロイド状になってから色が薄れて膨らみが縮み、つるりとした皮膚としてそこに残っている。

 鋭利な刃物による短い直線と、上下の牙によるギザギザとした楕円。

 いくら傷が多いといっても、それらは一種異彩を放っていて、必ず視線がそちらに向いてしまうだろう。


「…………ふむ、確かに不審な痕跡は無いな」


「……それだけ、ですか?」


「何だ? どこか気になるのであれば今言うがよい。

 後々黙っていたと言われるのは、気分が悪いのでな」


「私じゃなく……我輩さまが」


「我輩が何だというのだ」


 腕を取ったまままじまじと観察し、気は済んだとばかりな表情をしている。

 たくさんの傷跡はしっかり目に入っているはずなのに、それに対して何の反応もないのはなんでだろう。

 普通まず驚き、次に様子を伺い、最後に憐みの混じった視線を投げかける。

 そんな工程が何度も何度も繰り返されたのに、我輩さまは最初にすら至っていない。

 なんで驚かないのか。

 なんで気にならないのか。

 なんで憐れまないのか。

 普段なら、普通なら…………あぁ、そうか。


「我輩さまは、普通じゃないですもんね」


「……それはどのような意味を込めている?」


「感心しています」


「理由は分からんが、どうせ大したことではないのだろう」


 一度見られたのだから諦めて、ブレザーを脱いでブラウスの袖を捲り上げる。

 傷跡まみれの腕を見て、我輩さまは大して興味のなさそうな目をしているから、本当に

どうでもいいのだろう。

 だからなのだろうか。つい、言ってしまった。


「傷跡がみっともないので、肌を出さないようにしています。

 わずらわせてすみませんでした」


「傷は生きた軌跡だ、みっともなくなどない。

 しかし消したいのなら言え、時間はかかるが消してやろう」


 真っ黒の分厚い本を開きながら、なんともないような口調で言われてしまうと、あんなにも見せるのを拒否した理由が分からなくなってしまう。

 我輩さまにとって、こんな傷跡……大したものではないのだろう。


「……いいえ、とりあえずいいです」


「消してから後悔しても遅いからな。

 これより両腕に陣を描く、しばし黙っておれ」


 描くと言っても塗料を使う訳ではないらしく、我輩さまの魔力がゆっくりと染み込んできた。

 すると薄墨色が肌に浮き出し、どこか不安を煽るような模様がじわりじわりと浮き出てくる。

 丸や四角や曲線や、白地や黒地や謎の模様や、そんなものをぎゅっと凝縮した物が、腕の真ん中に施された。

 大きさは手の平大だろうか? 想像よりも大きく、こんな物に比べたら私の傷跡なんて……大したことないのかもしれない。

 これは呪いを弾き、悪意のある魔力を感知し、私の身に危険が迫ると我輩さまに知らせる、と言うとても手の込んだものらしい。 

 皮膚の内側から透ける模様はなんだか刺青のようで、不思議な気持ちでそれを撫でた。


「出来うる限り、それは他者の目に触れぬよう気をつけるのだ。

 迂闊な馬鹿者はどうということはないが、理解できる者は厄介であるからな」


 袖を下ろし、ブレザーまで着てしまえば見えることは無いだろう。

 手を洗う程度は問題ない位置のはずだ。

 模様に漂う我輩さまの魔力がなんとも変な感覚だけど、それもじき、慣れるだろう。

 治癒魔術や模様やと、私の体内には我輩さまの魔力がどんどん入り込んできている。

 いつしか私自身の魔力を上回ってしまうんじゃないかと思ったりするけど、確かそれは無いと授業で習った気がする。

 他人の魔力は霧散するし、自分の魔力は日々生成される、とか。

 毎日何かしない限り、そんなことは絶対ありえないらしい。

 …………それはつまり、毎日何かすればありえるということだけど。


 それから私は、毎日怪我をした。

 何をされても全く堪えていない様子に業を煮やしたかのように、それはもう、直接的な攻撃が始まった。

 下駄箱の扉にカッターの刃、上履きの中に画鋲、トイレの個室に入ればバケツが降ってくるし、帰りにはご丁寧に外履きに画鋲。

 その内のいくつかは回避できなく多少の傷を負い、ぷーさんはパリパリおろおろするし、我輩さまからは呼び出しの魔力が飛んでくる。

 いつだろうと関係ないとばかりに来るものだから、授業になかなか参加できなく、このままだとどんどん置いてかれるんじゃないか。

 それはまずい。一年生でそれは非常にまずいと思う。

 いくら我輩さまが教えてくれると言っていても、正直専門的過ぎて授業と全然違う内容で、知識にはなってもテストには役立たないだろう。

 こうなったら、早く犯人を見つけなきゃならない。


「小娘よ……何故こうも毎日毎日こんなに傷を作ることができるのか、非常に疑問である」


 口の端がひくひくしていて視線はとっても怖い。

 呆れたり怒ったりを同時にすると、人はこうも不思議な表情になるらしい。

 私のせいではあるんだろうけど、どうにもできないから黙って治癒魔術を受けることにする。

 ふと考えた通り、私の体内には我輩さまの魔力がたくさん流れているようだ。

 もはや慣れてしまったそれは、例えるなら靴の中に入った砂粒のようなものだろうか。

 最初は気になりつつも、すぐに存在に慣れてしまう程度の些細なもの。

 我輩さまにも黒の組の人にも怒られそうだから、些細なんて口には絶対出せないけど、比喩的にはそんな感じだ。

 薄墨色がぐるぐる巡り、傷口に辿り着き、回復力を速める。

 傷口は痕も残らず綺麗に治り、残った魔力がまたぐるぐる巡る。

 今日は移動教室の椅子に、剣山が貼り付けてあった。

 座面をよく確認して座ったら、背もたれの部分にあったというお間抜けな事態。

 我輩さまが呆れても仕方がない。


「ありがとうございました」


 綺麗さっぱり治りお礼を言うと鷹揚に頷き、毛皮を脱いだぷーさんを抱きかかえた。

 最近は我輩さまからぷーさんへ魔力の補給を行うことが多い。

 私への治癒魔術は多くても小さなものが多いから、そこまで消費はしないらしい。

 治癒魔術がどんどん上達してしまう、とか言われたけど、上達するのはいいことなんじゃないかと思った。


「して、小娘よ。犯人の目処が立った」


 灰桃色のもこもこを抱きかかえて言われても緊張感に欠けるけど、言われたことは衝撃だった。

 なにせ、我輩さまが関わるようになってからは魔力を使った嫌がらせは一切無くなり、一般社会でも起こり得る手段に切り替わったからだ。

 魔力を追って犯人を探すという行為が出来ない以上、最悪は相手が飽きるまで耐えるしかないと思っていたのに。


「今、追い込み作業をしている。数日以内に結果は出るであろう。

 それまで小娘は今まで通りに生活するがよい……怪我には留意してな」


「善処します」


 留意と言われても、警戒を飛び越して仕掛けてくる諸々にはそうそう対応できない。

 こうなったら素直に保健室で一般の治療を受けるべきか。

 いや、腕の模様のせいで私に何かあったらすぐ分かるらしいし、呼び出しを無視して保健室に行くというのも怒られる気がする。

 数日以内と言うならば、ここは我輩さまの治癒魔術の実験台になっているとでも考えておこう。

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