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我輩さまと私  作者: 雪之
本編
6/50

2-2.級長会議

 怪我の多い子供だった。

 痛みによって覚えることはたくさんある。

 子供のうちはそれが顕著だっただろう。

 けど、私は……痛みを感じなかった。

 何かあればすぐ触覚を閉じ、子供特有の擦り傷切り傷なんて気にしなかった。

 無茶な行為も痛みを知らなければ恐れも感じない。

 例えその結果、大流血が起ころうとも平然とした顔をし、泣くことも叫ぶこともしない。

 その異様さに気付くのは、子供よりも大人が先だった。


『音無さんの娘さんは、痛みを理解できない』


 それは身体の傷とも、心の傷とも言えただろう。

 自分の痛みを知らなければ、他人の痛みは知れない。

 ともだちがなぜ、痛がっているのかが分からない。

 ともだちがなぜ、泣いているのかが分からない。


 少し大きくなった頃、骨を折った。

 度胸試しにも似た遊びの中で、勢いのついたブランコから飛び降りるというものだった。

 着地に失敗し、腕をつき、身体を支えきれずに、骨が折れた。

 ありきたりな骨折だったのだろう。複雑とも粉砕とも言わない、ただの骨折。

 でもそれは子供には、初めて痛みを知った子供には、耐え難いものだった。


 痛い、痛い、痛い、触覚を閉じる、痛い、まだ痛い。

 どこを閉じればいいんだろう。

 味覚、関係無い。

 嗅覚、土の臭いが消えた。

 聴覚、周りの叫び声が消えた。

 視覚、目の前が真っ暗になった。


 暗い暗い場所で、激痛だけが響く。

 暗い、痛い、苦しい、痛い、辛い。

 その瞬間私の心は、ショートしたんだと思う。


 薄墨色が視界を覆っている。

 どんどん、どんどん濃くなっていく。

 薄墨色が濃くなって、それは黒色になって。

 黒色をかき分けてもそこはただの黒色で。

 その黒色は、私を包み込んだ。

 暗いとは違う黒色の世界は、多分、私に悪意を抱いてはいない。

 そう思える程度には、心地いい空間だった。



 窓から朝日が差し込み、自然と目が覚めた。

 携帯端末の時計を見るとまだ、食堂が開きもしていない時間。

 けれど起きてしまったのだからと起き上がると、身体の中に不思議なものを感じた。

 ゆらゆらと身体を廻る、何か。

 じっと集中してそれを追いかけると、薄墨色の魔力だった。

 恐らく、昨日の治癒魔術の名残だろう。

 かなりの怪我だったからそれだけ魔力を多く注ぎ込み、使いきれなかった分が消化しきれず体内を循環している。

 残留魔力は一日も経たない内に霧散するのは分かっているから、気にすることはない。

 少しの違和感は治癒魔術の副作用と思えば、問題ない。

 何度もお世話になっていた経験上の答えだ。

 寝巻きをめくって手首と足首を見てみると、やはり何の痕跡も無く、痛みも無い。

 闇属性の人なのに、本当に治癒魔術がお上手だ。

 その才能の欠片でも分けてほしいと一瞬思ったものの、無属性による今の自分の能力に異存はないのだから、無いものねだりするものじゃないと思った。


 登校時間までかなりの時間がある。

 少し気温が上がり始めた時期だから、朝風呂と洒落込もうか。

 寮は一人部屋で、お風呂とお手洗いは個々に付いている。

 強制入寮の代償といえば、学園としても仕方ない設備だろう。

 小さなユニットバスの浴槽にお湯を溜め、身につけていたものを洗濯箱に放り入れ、顎まで浸かる。

 透明なお湯の中で揺らぐ自分の身体。ゆらゆら、ゆらゆら、輪郭がはっきりしない。

 さっき見た夢はなんだったんだろう。

 久しぶりに感じた痛みが古い記憶を呼び起こしたのか、それとも薄墨色の魔力に影響されたのか。

 水面から覗く身体は、一見何事もなく見えるだろう。

 でも、水から出してしっかりと目視すれば、消えきらない傷跡が残っている。

 その多くが擦過傷で、若気の至りと言えるのかもしれない。

 ただ、その量は普通ではなく、両手で余る数に及ぶ。

 痛まないからと痛めつけた身体は、消えない傷を残すことで抵抗としたのか。

 女の子なのだから、なんて台詞はとうの昔に聞き飽きた。

 男でも女でも、傷は少ないに越したことはない。傷の言い訳をし辛いのが、女だというだけだ。


 夢に引きずられているらしい。妙に感傷的になっている。

 過去は変わらず身体も変わらず、出来ることといえばせいぜい、これからは無茶をしないということぐらいだろう。

 平和に平穏に平均的に。

 身支度を整えて制服を身につけ、灰色一色のリボンを首に巻く。

 なんの色も持たない、無の属性。私にお似合いの属性。

 最後にブレザーを羽織ると、校章の下に付けられたバッジが、黒く光った。



 いつも通りに授業を受けていると、魔力操作の時間に普段と違う先生が来た。

 なんでも、他のクラスに教えている先生で、無属性のクラスに定期的に教えに来るとのことだ。

 普段受けている体内の魔力操作の話は一切出ず、基礎知識、一般常識、魔力の歴史の復習。

 一番最初に受けたものより深く掘り下げた内容で、クラスメイトは目を白黒させていた。

 もちろん私もだ。

 それでも、我輩さまが言っていたことが頭にあったお陰か、どうにかついていけた……はず。

 少し長引きながらも終わり、放課後となった時間に突然、薄墨色の魔力が飛んできた。


「あれ? 今何か通った?」


「鳥? ボール? 紙?」


 何もないよとだけ言って、荷物を持って教室を出た。

 魔力だよと言うべきなのか迷ったけど、私が感じることが全員に感じることではないだろう。

 ようやく我輩さまの魔力の色が分かるようになった程度の私が、どうこう言えるものでもない。

 廊下を歩いている間に何度も魔力が飛んできたけど、いつも通りの道をいつも通りの早さで歩いていった。



「遅い。小娘、何をしておった」


「ここに向かっていました」


 人の少ない道を通る私と最短ルートを通る我輩さまとじゃ、到着時間に差が出るのは当たり前だ。

 真っ黒い部屋に灯った蝋燭は今日も薄暗く、ローブを着た姿を不気味に浮き上がらせる。

 なんでずっと着ているんだろう。趣味なのか、義務なのか。それとも日光が苦手な体質なのか。

 いや、こんな締め切った部屋で日光も何もないからそれは違うだろう。

 髪は長めだしフードは深く被ってるし、視力が落ちるとしか思えない格好だ。


「聞いておるのか?」


「聞いてませんでした」


 何かをずっと話していたのは耳に入っていたけど、自分の考えに集中していたからそれがなんだったかは聞き取れていない。

 失礼かとは思ったけど、会って早々不機嫌な態度を取られて素直に聞く気が薄れていたから。


「この後、級長会議がある。小娘も出席するのだ」


「……絶対ですか?」


「うむ。全員の顔見せの意味も込められているのだ。新顔が出ずにどうする」


「私なんかがそんな大それた場所に行っていいとは思えません。

 どうぞ、色を持った人たちだけでやってください」


「小娘はすでに我輩の色を持っている。故に、参加だ」


 制服を指差され、その先を見るとそれは昨日のバッジだった。

 透明だった物が黒色に染まり、そこからほんの僅かな魔力を感じる。

 我輩さまの薄墨色のものと、恐らく私の揺らいだもの。


「それが補助役の証であり、我輩の色を与える物である。

 それをつけていれば、色を感じ取れる者は我輩の物だと気付くであろう。

 その上で何か起ころうものなら、それは我輩に対する悪意であり、断罪に値する。

 ……昨日の雌のようにな」

 

 保健室に運ばれ、その後親が引き取りに来たという噂の女子生徒。

 僅かに眉を寄せた表情に、きっと何かしらの処罰が下るのだろう。

 それをよく思っているか否かは、表情が如実に語っている。


「身の程知らずが補助役になどなろうはずが無い。

 故に、小娘は大人しく我輩に付き従うがよい。時間が迫っている、行くぞ」


 部屋の奥からぷーさんが飛んできたかと思うと、毛皮を着てから私の横でぷかぷか浮かんでいる。

 小さくため息をついてから、長い足を進める我輩さまの後ろを、小走りでついていった。



 級長会議。

 普通の学校で言えば、生徒会の役員会議のようなものなのだろう。

 魔力持ちで構成されたこの学園において、級長がどのような役割をするのかは分からない。

 ただ、確実に分かることは、決して平和なだけの役割じゃないということだ。


 校舎の最上階の最奥の部屋。

 一般生徒が近寄ることのない場所に、豪奢な部屋があった。

 扉もドアノブも、中に置かれた家具や装飾の数々も、未成年の生徒が使うには分不相応としか言いようがない逸品揃いだ。

 食堂のあの部屋と同じように、椅子にかけられた布の色に従い席に座ると、教師が腰を上げた。

 私たちが最後だったらしい。


「これより級長会議を始めます。

 級長の皆さん、補助役の諸君、御足労有難う」


 昨日の先生は顧問なのか、進行役を勤めるらしい。

 丸いテーブルに順に並んだ級長と、その横に補助役。全部で十四名。

 それに教師が何人か居るというのに、部屋に圧迫感は微塵も無い。

 魔力の密度で息苦しさを感じるのはきっと私だけだろう。


「それぞれ今の学年に慣れた頃合ということと、補助役が全員揃ったということ、あとは来月から校内行事が始まるということ。

 それらの理由で開催しました」


 始まりの挨拶のようなものをしたかと思うと、年内行事の一覧が書かれた紙を渡し、そのまま後ろに下がった。

 あくまで進行役なだけで、生徒の自主性に任せるらしい。

 各組の級長が揃って、さてどんな会話になるのか……。


「ようやく十四名揃ったっつーことで招集した、ってこと?

 食堂で集まっても良かったんじゃね?」


 軽い口調で口火を切ったのは、茶の級長だった。

 言葉は少し適当なものの、雰囲気は柔らかい。


「こういった場でないと来ないのが出てくるだろうからね」


「そうね、人嫌いな人が数名居ますから。仕方ないわ」


 青、白と続き、会話の上では穏やかだ。

 なのに、補助役の人たちはやけに周りを警戒しているし、級長たちもどこか腹を探っているような印象を受ける。

 ……嫌な空気だ。

 無属性だから外に魔力を出すことがほぼ無い場所で生活している身では、各組の最上位の魔力持ちの集団に晒されるというだけで、十分な負担なのに。

 我輩さまとは違う、濃密なものをいくつも感じる。

 無意識で漏れてしまうほどに溢れる魔力量は、身近に居るはずもない。

 悪意も害意もないようだから、これは慣れるしかないんだろう。


「それで、黒の級長。噂で聞いてはいたけど、本当に無属性を補助役にしたのね?」


 級長で唯一の女子生徒、白の級長がおもむろにこちらを向き、小さく微笑んだ。

 場所が違えば女神の微笑みとでも言えそうな表情なのに、溢れる魔力は少し嫌な感じがする。


「それが何だ? 貴様に関係なかろう」


「歴代の級長は一族から補助役を選ぶと言うのが慣例でしょう?

 それに逆らうからには、よっぽどの理由があるのかと思いましてね」


「えー、俺の補助役は別に一族じゃないよぉ?」


「貴方は将来家を担う訳ではないのだからいいのよ」


「あー、そっかぁ」


 私の隣に座る赤の級長……赤山さんは、級長ごっこはしていないらしい。

 ここには関係者しか居ないからなのか。

 そのまま椅子にもたれ掛ると、隣の補助役の人が渋々といった様子で姿勢を正させた。

 世話になってると言っていたけど、確かに世話役になってる。


「我輩の手足に血はいらぬ。

 無闇に色に手をつけようものなら、無駄ないさかいの元となるだけだ」


「黒は狂信的だもんねぇ」


「級長という立場に恥じない行いをしてくださいね?

 でなくては、他の者達まで同列と見なされてしまいますから。

 各補助役も、しっかりと立場を自覚してもらえますよう」


 ぐるりと見回し、最後に私を見てにっこりと……それはそれは綺麗に笑った。

 灰色の虹彩を持つ目はどこまでも無機質で、決して感情を映してはいない。

 このような物言いは通常なのか、誰一人として声を上げることも、顔をしかめることもせず、配られた資料の読みあわせをするだけで解散となった。


「んじゃ、終わりかね? 次はそーだな、行事前にちっと集まれば十分っしょ。

 自分らは只の御輿だからやることもそんなねーし」


 始まりと同じく茶の級長が締め、すぐさま我輩さまは立ち去った。

 気付けば机に乗っていた資料も手にしているし、誰よりも早く退室したいといった感じだ。

 私は当然そんな人に追いつけるわけもなく、急いで資料を集めているところで声がかかった。


「貴女、お名前は?」


 三つ隣に座っていた、紅一点の白の級長だった。

 表情だけは変わらず笑顔で、目も変わらず無機質だ。

 女子が珍しいのかと思ったものの、補助役を含めれば数名居たはずだ。

 なのに私だけというのは、初めて会うから……なのだろうか。


「音無です」


「そう、音無さん。わたしは白空と言います。白の級長をしているわ」


「よろしくお願いします……?」


「黒峰に仕えるだなんて災難ね。出来うる限り距離を置くことを勧めるわ」


「放課後だけなので」


「本人はああ言っていたけれど、彼は一人の方がいいと思うわ。

 補助役の辞退も考えなさい」


「はぁ……」


 白と黒はイメージ通り仲が悪いらしい。

 我輩さまはあの感じだと気にしていないようだけど、白の級長は噛み付きたいらしい。

 そういうのは級長同士で、私を巻き込まないでもらいたい。

 困惑のため息を返事と受け取ったのか、白の補助役の人と共に出て行くと、部屋に残っていたのは先生だけだった。

 本当に最初だけで、残る仕事はこの部屋の戸締りだけらしい。

 わざわざ居なくても部屋の管理だけしてればいいんじゃないかと思うのは、失礼なことなんだろう。



「遅い。何をしておった」


 人の少ない道を選ぼうとしたものの、そもそも人が近寄らない場所だったから最短距離で部屋に戻ったのに、我輩さまのお叱りを受けてしまった。

 プラズマさんはすでにぷーさんになっていて、やっと開放されたとばかりに部屋をぷかぷか動き回っている。


「白の級長から話しかけられたので」


「白空か。彼奴あやつはやけに我輩に歯向かうのだが、何事も無かったか」


「特には。

 補助役にされて災難だと労われたあと、我輩さまは一人の方がいいから辞退するよう言われました」


「はっ、そこまでして我輩の手を煩わせたいのかあの女は」


「あと、距離を置くようにとも。どうしますか?」


「補助役が距離を置いてどうする、小娘は我輩の手足なのだぞ。

 契約を交わしたのだから理由も無く辞退など許さん。

 我輩を、約束を反故ほごにする無法者にしたいのか」


「私はどうしたいとも思いません」


「……辞退は不要だ。白空の戯言に付き合う必要はない。

 聞き流すか、それが難儀ならば近寄らぬがよい」


 そう言うなりさっきの資料に目を落としたので、とりあえず隅で立っていることにした。

 用事があるならやるけど、無いなら開放してほしい。


「小娘……何故、立っている?」


「駄目ですか?」


「席があると言うのにそんな場所に立たれてなるものか。

 そこで何の仕事が出来るのだ? さっさと移るがよい」


 指差されたのは我輩さまの机から一メートルくらい離れた場所にある、真っ黒な机と椅子。

 入口からは本棚に隠れて見えない位置にあり、言われてみないと気付かない。

 あと、真っ黒な部屋の奥に真っ黒な家具があっても気付けない。

 言われて座った椅子はまたしてもふかふかで、仕事をするよりリラックスしてしまいそうな座り心地なのはどういうことだ。

 偉い人はこれが通常で、リラックスする時はさらに別の椅子になるのか。

 そんなくだらないことに思いを馳せていると、目の前に数枚の書類と白紙が置かれた。


「これを全て、二部ずつ写すのだ。元の分を棚にしまうよう」


「……手書きですか?」


 数枚とはいえ書類は書類。手で写すには億劫な量だ。

 そういえばこの部屋、級長の為の部屋のくせに、電化製品に乏しい。

 パソコンやプリンタやコピー機の類が一切見当たらないけど、さすがに一生徒に与えるような設備じゃないのか。

 いや、部屋一つをこんなに黒くしているくらいなのだから、そういう理由ではない気がする。


「手段は問わん」


「はぁ。コピー機はどこのを使えばいいですか?」


「……機械を使うか」


「はい。手書きでは時間がかかりますし、無意味かと」


 見たところ全てパソコンで作られた書類だったから、ここで手書きにしたら見辛いし、書き間違いも起こるかもしれない。

 そして何より無意味だ。


「職員室ですか? それとも、校内に印刷用の部屋がありますか?」


「…………」


 書類を手に立ち上がると、なぜか視線を逸らされた。

 不快というより気まずい様子は、ごく当たり前の質問に対するものではない。

 とりあえず返事を待っていると、我輩さまの目の前にぷーさんが飛んできた。


「ぷ!」


「ま、待て……」


「ぷ・ぷ!」


「いや、しかし……」


「ぷー!」


 ぷかぷかと動き始め、一度私を振り返ってからまた動く。

 ついて来いということか。

 部屋の奥の本棚の裏。影に隠されたかのような場所に、真っ黒い扉があった。

 そこへ向かう間も二人は問答のようなものを続け、最終的には我輩さまが折れたらしい。


「ぷ!」


「開けていいんですか?」


「……構わぬ」


 一応、うな垂れている部屋の主の許可をもらい、簡素なドアノブを回し、扉を開いた。


「…………普通の部屋だ」


 思わず、呟いてしまった。

 真っ黒な部屋の四分の一程度の面積の小部屋は、木の床に白い壁、普通の窓がついている。

 いわゆる、教室と同じような部屋だ。

 壁際には長机の上にパソコン一式、その脇に業務用の複合機。

 さらには職員室に置いてあるのと同じ、ボタンの多い電話機。

 級長の作業部屋と言われれば納得できる十分な設備は、薄く埃をかぶっていて、触れた様子が無い。

 こんなに揃ってるのに、なぜ我輩さまは使わないんだろう?

 それに、こっちの部屋の方が健康的だ。白いレースカーテンから日差しがきちんと差し込んでいる。

 まじまじと眺めていると、ぷーさんが部屋の窓際に置いてある、一人掛けの小さなソファに転がった。

 ベージュの布に灰桃色のもこもこは、なんだか落ち着く色の組み合わせだ。


「……使っても?」


「…………構わぬ」


 それを聞いて、試しにまずパソコンの電源を入れるとすぐさま立ち上がり、最初に表示された画面によると最新OSが搭載されている。

 複合機は業務用に相応しい機能が多々あるようだし、これらを使っていなかっただなんて、宝の持ち腐れでしかない。

 さっそく、指示された書類をコピーし、画質の良さにまた勿体なく思う。

 もしかして毎年入れ替えたりしてるんじゃないか。使われないのを分かっていながら。


「はい、出来ました」


「……うむ」


「一応聞きますが、我輩さまは使わないんですか?」


「…………使わぬ、小娘が使え」


 壮絶な程の渋面。

 これはもしかすると、使わない、じゃないのかもしれない。


「パソコン、苦手ですか?」


「…………」


「もし必要な時が来たら言ってください。人並み程度には使えるので」


 どちらかというと好きなほうだ。

 そうやすやすと買い与えてもらえる金額でもないから、最新機種なんて触ることは無いけども。

 カチカチとパソコンの操作を続け性能の確認をしていると、いつの間にか黒い部屋に戻っていた我輩さまが、一抱えの書類を持ってきた。


「これらを全て複製するように」


「原紙は棚にファイルしますか?」


「……うむ」


 いくら多いと言っても機械にかかれば一瞬にも等しい。

 扉の前から落ち着き無く観察されるのを無視して作業をし、まだ温かいコピー用紙をどんと手渡した。


「……上手く使うものだな」


「この程度なら誰でも出来ます」


 あ、我輩さまは出来ないんだった。確実に嫌味だ。

 どうにか誤魔化す言葉……


「無属性はできるだけ、普通の人と同じことを習うので」


「そうか……。

 我輩は、いや、魔力の強い者や家は、あまり科学的な物に手を出さぬようとの方針である」


「はい」


「故に、一般社会で常識的な知識や技術が……乏しい」


「はい」


「その為、身内でも魔力に関わらない技術を持つ者を補助役にするのだが……」


「はい」


「小娘、聞き流してはおらぬか?」


 聞き流しはしてないけど、とても言い訳めいたことをつらつらと気まずそうに並べられると、どう返答していいものか分からない。

 そうですね、と返すわけにもいかないけど、そんなことないですよ、と言えるほどお互いを知っている訳でも、気を使う必要がある訳でもない。

 聞いてはいるから返事はするけど、それ以上はしない。


「私は補助役として適していそうだ、でいいですか?」


「……うむ。我輩は思わぬ拾い物をしたようだ」


 自分の手だけでは足りないなんて言ってたけど、コピーの代わりに手書き複製してたからなんじゃないか……。

 そう思っても言葉には出さず、机の隅に並んでいたごくごく普通な文房具を使い穴を開け、真っ黒なファイルの並ぶ真っ黒な本棚のある部屋へと戻った。

 明るい部屋で作業すればいいのに。

 そういえば、イメージが大事と言っていた気がするから、あの部屋はそれに反するのだろう。

 闇属性の黒の級長は、薄暗い部屋で目深にローブを被っているイメージなのか。

 属性持ちの人の考えることはよく分からない。



 我輩さまの補助役に任命されてから数日。

 毎日放課後に呼び出され、ひたすらに書類整理を命じられた。

 コピーに清書、ファイルにラベル貼り。

 コピーくらいはボタン一つで出来るからと教えようとしたものの、近寄るのすら嫌のようだ。

 手書きの書類をパソコンで清書していると、扉の前からじっと観察されるし、ファイル用にラベルライターでシールを作っていると、これまた遠くから観察される。

 なんか、最新の電化製品を避けるお年寄りに見えた。

 必要であろう設備がこれだけ揃っているのに一切合財使っていなかっただなんて、ただひたすらに勿体ない。

 これから任期の間、私が存分に使うことにしよう。

 それらを使っている時は明るい小部屋に入れる、と言うのも大きな理由だ。

 ぷーさんも私に付いて小部屋に入り、ソファで日向ぼっこをするのが好きらしい。

 イメージを大事にする我輩さまだけが黒い部屋に席を構えればいいんだ。


『――――――。』


 窓を少し開けて空気の入れ替えをし、外から響く放課後の喧騒に混じり、廊下から気配がした。

 またしても私を観察していた我輩さまも気付いたようだ。

 私は五感で、我輩さまは魔力で。きっかけは違うものの結果は同じだ。


「はて……彼奴が何の用事か。小娘、席に戻れ」


 念話の魔力が飛んでこないからか、少し警戒した様子で黒い部屋に戻る。

 私、居る必要あるのかな。

 出来れば小部屋で作業をしつつ知らない人とは距離を置いておきたいんだけど、それを許してくれる様子ではない。

 黒い重い扉がゆっくり開き、蝋燭がぼう、ぼう、と灯っていく。

 これも多分、今考えてみればイメージの一環なんだろう。

 不気味だったり重厚だったり、そんな印象を受ける。


「相変わらず暗いのね。わたしの部屋とは大違いだわ」


 聞いたことのある声が響き、躊躇い無くこちらへ向かってくるということは、ここに来たことがある人なんだろう。 

 この数日で何人もの人が来たから、その中の一人かと思っていると……予想に反し、でも聞いたことがあるのは当たり前な人だった。


「音無さん、でしたね? 忠告、聞き入れてくれなかったの」


 白の級長は今日も綺麗な笑顔と無機質な瞳をして、きちんとした姿勢で立っている。

 優等生然とした様子は正しく級長、と言ったもので、絶対の信頼感があるだろう。

 白の組の人にとっては。

 無色の私や正反対の色の我輩さまにとっては、そういう感想は持てないけれど。


「我輩の部屋に無断で入り、あまつさえ所有物に手を出すとは」


「手なんて出してないわ、話しただけだもの。ねぇ、音無さん?」


 にっこり。でも目は笑っていない。

 むしろ攻撃的で、視線だけで私の身体を射抜こうとでもしているようだ。

 私にそんなことして何が楽しいのか。偉い人は偉い人だけで揉めてほしい。


「して、何用だ? そんな下らぬ事を言いに来ただけではあるまい」


「ええ、そうよ。

 ――――最近、黒の組の生徒の行動は目に余ります。指導して頂戴」


「どういった風にだ?」


「廊下で珍妙な模様を掲げたり、窓から変なものを撒き散らしたり、あと揃いも揃ってローブを着ているのはなんです?

 貴方もだけれど、それは授業用のローブよ?」


「制服と同列のものを纏って何が悪い」


「不気味と言っているのよ。校内が暗くなるわ、この部屋みたいに」


 ……白の組の人にとって、この部屋は大層居心地が悪いのだろう。

 ただこう……この人の言い分は、なんというか。


「言いがかりも甚だしいな」


「迷惑をこうむるのは他の組なのよ」


 声を荒げないよう努力しているようだけども、言葉尻が少しずつ強くなってしまっている。

 それも仕方ないだろう、我輩さまは何ともないような顔をしているから。


「迷惑? それは貴様の組が連日教室で、大声で聖歌を合唱しているのと何が違う?」


「そ、それは――――」


「窓からとは言うがそれがどの学年であれ、下は同じ色の組か地面だ。何の問題がある?」


「ゴミを撒くのが――――」


「ゴミ? 術式の為の触媒だ。教師指導の下の行動に、他色の級長ごときが異を唱えると?」


「じゃあその格好――――」


「またそれか、寒くなればどの組でも着ているだろう。

 我らは黒の誇りで纏っているのだ、ただ防寒などと言う為に着る阿呆共とは違うのだ」


「だ、けども―――――」


「まだ何かあるか? いくらでも言うがよい。しかし我輩はそれを全て打ち返すぞ」


 白の級長の言葉が終わらない内に答え、次の質問もどんどん返す様子は、ただただ不憫に見えた。

 我輩さまは、機械は苦手でも口は達者のようだ。


「……白空、貴様はそうも黒を邪険にするか。

 白だろうが黒だろうが、それが他色だろうがどうでもよかろう。

 わざわざ此処まで訪ねた上での言葉、そろそろ不快だ」


「………………」


「そして小娘に手を出すのは許さん。それは、我輩の物だ」


「…………っ」


 顎で指さないで欲しい。それに物じゃない。

 そう文句でも言おうかと思ったのに、白の級長の様子でそれは飲み込んだ。

 まなじりを上げて唇を噛み、頬を何かの感情で染め上げる。

 憤怒か、羞恥か、でもどこかで見たことのある様子は私なんかが邪魔していいものではない。

 ぐっと身体に力を入れ、なぜか私を強く睨んでから乱暴に出て行った。

 本当に、よく分からない。偉い人は。

 プライドなのか、意地なのか、それとも全然違うものなのか。

 白の級長が他人に噛み付くのも、我輩さまが神経を逆撫でするのも、全く理解できない。


「物じゃないです」


「契約を交わしたのだから、所有物だ」


「補助役に任命しただけですよね」


「それが所有の契約だ」


「……聞いてません」


「知らぬのが悪い。こんなもの、誰であろうが知っている事柄だ」


 無知は罪で、無知は弱さ。

 我輩さまと関わってから、そう痛感することが格段に増えた。

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