表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
我輩さまと私  作者: 雪之
日常
49/50

無の級長室

 三年生の四月。私にとっては怒涛の日々だった。


 まず、始業式前日の夜に寮に戻った途端、担任の先生から級長の指名を受けた。

 もちろん辞退しようとしたけど、そもそも拒否権はなかったらしい。

 数字として出ている成績と、私の複雑すぎる立場。

 それに、学園側としては足りない内申点の補充という目的もあったらしい。

 進学する気はないから、そこはいらぬ気遣いをさせてしまったけど。


 そして、翌日の始業式で壇上に上がり、他の組の級長と共に名乗りをする。

 三年無のA組の面白くなさそうな表情が見えたけど、それよりもどよめきのほうが大きかった。

 無属性で黒峰。二学年上の卒業式の出来事。

 あの日を知る生徒にとっては、すぐに繋がってしまったのだろう。

 久々に羽織った灰色のローブのフードを、思いっきり引き下げてしまったのは許してもらいたかった。


 そのあとは、級長の顧問の先生に早く補助役を探すよう言われてしまった。

 クラスメイトは手伝うと言ってくれたものの、補助役という立場にはなりたくないようだ。

 私も最初は同じようなことを思っていたから、仕方がないと思う。

 そもそも、私は人に何かをお願いするという行為が得意ではない。

 だから正直、一人でこなせばいいと思っていた。

 そんな私を見かねたのか、我輩さまと、学院の同級生である草薙さんが、一人の生徒を紹介してくれた。


 そんな日々を重ね、級長になって約一週間。

 補助役も揃ったということで、級長室が支給された。

 クリーム色の壁に、教室と同じ木目の床。

 ベージュのカーテンと、職員室でも見かける灰色のスチール棚と机。

 ごくごく普通な作業部屋は、無属性ならではのものなんだろう。

 私の知らない代が使ったであろう部屋は、思っていたよりも散らかっていなかった。

 成績重視だという無属性の級長は、真面目な人が多いのかもしれない。

 本格的に使う前に掃除をしようと思って来たけど、そこまで気にしなくてもよさそうだ。


「草薙さん、今日はそろそろ終わりましょう」


 濡らした雑巾を手に、丁寧に棚を拭いている後ろ姿に声をかけた。

 私より少し背の高い女生徒は、肩のあたりで二つに結んだ髪を揺らしながら振り返った。


「もう少しで済みそうなのですが」


「……じゃあ、そこだけお願いします」


 ほっそりとした顔に表情は浮かんでいなくて、声の調子も単調だ。

 だけど敵意のようなものは感じられないし、ただただ真面目な子なんだと思う。

 この子は二年前の級長、緑原さんの補助役だった草薙さんの妹だそうだ。

 緑原家に縁が近いということで、生まれ持った色はもちろん緑。

 なのに、どうしてだか分からないけど、自分から私の補助役に立候補してくれたらしい。

 基本的に、補助役は同じ学年の同じ属性を選ぶそうだ。

 我輩さまはその基本を大いに逸脱していたようだけど、私だって大差ないだろう。

 これから何度も向けられるであろう好奇の視線を考えると、今から申し訳ない気分だ。


「――――何を浮かない顔をしておる」


 どうしたものかと考えていると、部屋の最奥から声がかけられた。

 どこの級長室も同じような配置で、窓を背に大きな机が置かれている場所。

 威厳も何もないありきたりな机に向かっているのは、本来ここに居るはずのない、我輩さまだった。


「なんでもありませんよ」


「なんでもないわけあるまい。我輩が妻の顔色を読み間違えるものか」


 悠然と構えるその姿勢は、この部屋の中で大いに浮いている。

 いつものように真っ黒なスーツを着ている姿は、二年前に白の級長室へ行った時のことを思い出した。

 完全なる異分子。そう考えるのも当たり前だろう。

 ここは学園の中で、部外者は立ち入り禁止のはずだ。


「我輩さまがこんな場所で寛いでいるからです」


「妻に会いに来ることの何が悪い?」


「権力を乱用しているのが悪いです」


 黒峰本家の人間なら、学園への力は絶大だろう。

 ほとんどの規則は免除されるだろうし、多少の違反も目を瞑られる。


「それと、頻度を考えてください。草薙さんと来た時から一週間しか経ってません」


「一週間も経っておる」


 始業式直前に一日だけ会って、私はすぐに寮に入ってしまった。

 その次に補助役の紹介という理由で来た時だって、大して時間は取れなかった。

 だからなのか、今日は特別な用事ではなく、ただただ私の顔を見に来たらしい。

 ようやく会えるようになったのに、という理由なんだとは思う。

 でも、そうは言っても頻度がおかしいだろう。今の時点で週に一度も会いに来ている。

 ただ、指摘したところで納得してくれることはないんだろう。

 話している間も掃除を続けてくれている草薙さんを思い、私も手を動かすことにした。


「すみません、黒峰先輩」


「なんだ?」


 草薙さんの呼びかけに、我輩さまが眉を上げる。

 二人は学年が離れているから、学園内で遭遇することはなかったはずだ。

 だけどお兄さんを介しての交流はあったのかもしれない。

 そう思って、始まるであろう二人の会話から意識を遠ざけようとすると、草薙さんが初めて声色を変えた。


「いえ、黒峰さんではなく」


 戸惑ったような声に顔を向けると、視線は私を向いていた。

 草薙さんは私に用がある?

 だけど呼ばれたのは我輩さまというのは、どういう意味なんだろう。


「あぁ……そういうことか」


 そう呟いた我輩さまは、徐に椅子から立ち上がり、長い脚で私のすぐ隣へと来た。

 顔にはうっすらと笑みを浮かべていて、面白がっているような表情に僅かに嫌な予感がしてしまう。


「お前のことのようだな、弥代子」


「……あ」


 胸元を人差し指でとんと差され、服の下にあるものを思い出す。

 黒峰家の陣。

 世間的にも家柄的にも、しっかり結ばれたというのに。

 まだ呼ばれることの少ない名字が、自分のものだと認識できていなかった。


「忘れておったのか? たったこれだけの陣では、どうやら足りぬようだな」


「いえ……まだ、慣れてなくて」


「お前の身体に我が魔力を残せるというのは心地が良い。さて、次はどこに……」


 楽しそうに口角を上げた我輩さまだったけど、ここでそんなことを許すわけがない。

 慌てて草薙さんのほうに向き直り、我輩さまの指をするりと躱した。


「草薙さん、気づけなくてごめんなさい。

 もし可能なら、名前で呼んでもらってもいいでしょうか」


 私と我輩さまのやりとりをなんともないような様子で見ていた草薙さんは、小さく頷く。

 そして私を真っ直ぐに見てから、丁寧に名前を口にした。


「弥代子先輩、でいいですか?」


 先輩……。

 二年生が三年生を呼ぶのにふさわしいものだけど、なんだかくすぐったいものだ。

 私だって茜先輩のことを今もそう呼んでいるんだから、呼ばれるほうにも慣れなければ。

 

「はい、お願いします」


 そう答えると、草薙さんの口がほんの少し弧を描いたのは気のせいか。

 一瞬のことだったから、見間違えだったのかもしれない。


「でしたら、わたしのことも名前で。あと、敬語もいりません」


「でも……」


「お願いします」


 先輩後輩の関係というものは、あまりよく分からない。

 だけど、思い返してみれば自分が一年生の時だってそう接していた。

 これで先輩からずっと敬語を使われていたら、もしかしたら距離を感じてしまうのかもしれない。

 草薙さんの名前を頭に浮かべ、呼ばれたものと対応する呼び方を口にした。


「咲ちゃんで、いい……かな?」


「はい」


 あまりにも辿々しいものだったけど、どうやら希望に答えられたらしい。

 私を見ていた草薙さん……咲ちゃんは、うっすらと口元を緩めていた。


「えっと……それじゃあ、今日は終わりにしま……する、ね?」


 もうじき下校時間だ。仕事がないなら早く帰るほうがいいだろう。

 咲ちゃんは私の指示に従い、帰り支度を済ませた。

 だけどすぐに帰ろうとはせず、私のほうに身体を向け、すっと背筋を伸ばす。


「弥代子先輩。これから一年、よろしくお願いします」


 きれいなお辞儀をし、数秒後にまた真っ直ぐ立つ。

 歳上に対する見事な礼儀作法は、過去に運動部にでも所属していたのかもしれない。

 私は大したことはできないから、同じように頭を下げた。


「こちらこそ、よろしく」


 咲ちゃんがはっきり分かるくらいの笑みを浮かべていて、ほっとする。

 どうやら今日の印象は悪いものにはならなかったらしい。

 安心して送り出そうとすると、私のすぐ近くで立っていた我輩さまが、突然身体を割り込ませてきた。


「級長と補助役は誰よりも近くで過ごすものだ。学園内での縁は深いものになろう」


 我輩さまの広い背中は、小柄な咲ちゃんを隠してしまう。

 だから慌てて横から顔を出すと、咲ちゃんはきちんと我輩さまに顔を向けていた。


「しかし、我輩と弥代子のようになることはなかろう。何せ、夫婦なのだからな」


「知っています」


 我輩さまは一体何を言っているんだろう?

 私と咲ちゃんが親しくなると言いながらも、自分たちのようにはならないだなんて。

 我輩さまと咲ちゃんは別人なんだから、同じになんてなるはずがない。


「我輩さま、何を言って……」


「黒峰さんと同じになろうとは思っていません」


 無駄に威圧するようなことを言う我輩さまを止めようとすると、咲ちゃんは少し強い声を出した。

 そんな姿に、少し驚いてしまった。

 我輩さまに話しかける人というのは、大抵二種類に分けられる。

 尊敬か、畏怖だ。

 だけど咲ちゃんはそのどちらにもあたらず、背の高い我輩さまの顔を正面から見上げていた。


「ほう? ならばどうなると言うのだ」


「黒峰さんとは違う意味で、親しくなれるよう努力します」


 そう言い切った咲ちゃんは、制服に付けたブローチに触れた。

 私も二年前にもらった、級長から補助役に渡されるブローチ。

 魔力を体外に出せない無属性にとっては、ただの形式的なものだ。

 だけど魔力も何もこもっていないものを、咲ちゃんは大事そうに受け取ってくれたっけ……。

 そんなことを考えている間に、私の隣から不穏な魔力が立ち上ってきた。

 どういうことだ。今ここで、どうして我輩さまの感情が高ぶっているんだ。

 慌てて袖を引っ張ると、我輩さまは小さく鼻を鳴らして魔力を収めた。


「……どうやら、お前とは長い付き合いになりそうだな。草薙の妹よ」


「はい。末永く」


 そう言って、咲ちゃんは再び頭を下げてから出ていった。

 その時浮かべていた表情は、夕日の逆光でよく見えなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ