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我輩さまと私  作者: 雪之
日常
45/50

年始の会合

「失礼します。当主、奥様、お呼びでしょうか」


 年末の近い、芯まで冷える季節の黒峰家は、外の気温とは違いほのかに温かい。

 そんな廊下から更に温かい談話室へと入ると、そこには黒峰家の当主と奥様がソファに腰掛けていた。

 ということは、今はプライベートな時間。

 そう判断できるくらいには、この家に慣れることができている……と思う。

 私が黒峰家で暮らすようになってから一年と数ヶ月。

 春になれば二年経つというこの時期に、一体どんなお話なんだろう。

 若干の不安を感じながら、促されるままにソファの一角に腰を下ろす。


「今年も、年始の会合に出席してもらいたい」


 無表情に、淡々と。少し固い、当主としての声。

 普段はもう少し柔らかい声色をしている当主の言葉に、元から伸ばしていた背筋が更に伸びる。

 年始の会合とは、それぞれの色の本家が集まる、魔力持ちにとっては最高峰の人たちが集まる場所だ。

 一昨年は学生を理由に免除されていたけど、去年は遂に出席することになった。

 だけど、黒峰家に入りたての私が何かをするはずもない。

 ただただ黙って当主の後ろに続き、長々とした話を聞いただけだ。

 それでも、わざわざ分かりきったことを伝えたということは、去年の私に不都合があったのかもしれない。

 ほぼ一年前の失態は残念ながら思い出せないけど、ここはマナーの覚え直しをするべきだろう。


「分かりました。黒峰家の嫁として、恥ずかしくない立ち振る舞いを……」


「弥代子さん、そうじゃないの」


 向かい合った当主ではなく、その隣の奥様が穏やかな制止をかける。

 外ではほとんど口を開かない奥様だけど、屋敷の中ではそうではなかった。

 そんな奥様の前では、当主はあくまで夫であり、一人の男性になる。


「あなたも、そんな言い方では弥代子さんが緊張してしまうわ」


「……そうですね」


 困ったように笑った当主は、いつの間にやら並べられていたお茶を一口飲んだ。

 私もつられてカップを手に取り、口元を隠して小さく深呼吸をした。


「貴女には今年も同席してもらうだけです。ですが、少々変えて欲しいことがあるのですよ」


 立場に縛られていない当主は、時折柔らかな表情を浮かべる。

 それは穏やかな奥様に似た表情だったり、気の緩んだ我輩さまに似た表情だったり。

 それを見ると、三人は親子で家族なんだと気付き、なんだかほっとしてしまう。

 今の当主は、ほんの少しだけ悩んでいるような、だけど親しみを込めているような。そんな温かな表情をしていた。


「当主、奥様。その、呼び方です」


「呼び方、ですか?」


 黒峰家に属してから、ずっと呼び続けていたもの。

 それを今になってどうして……。そんな私の疑問を予想していたのか、当主はゆっくりと話を続けた。


「その呼び方は、外部の人間が使うべき名称です。公の場で使う言葉として、外聞的によくはないでしょう。

 そしてそれ以上に、私どもは弥代子さんに父と母として呼ばれたい。

 こちらは、外聞的な意味ではありません」


「弥代子さんは娘なんだから。

 親として子どもを呼ぶ方法があればいいのに、不都合なことに見つからないの」


 確かに、子どもは親を親として呼ぶ言葉があるけど、親は子どもを子どもとして呼ぶ言葉はない。

 考えてもみなかったことに驚きを感じていると、二人の視線がこちらに向いていることに気付いた。

 それは期待をしているような、否定を覚悟しているような。

 多分これは、歩み寄りなんだと思う。

 家族というものを意識しづらい私を、二人は今まで気遣ってくれていたのかもしれない。

 我輩さまを介した、舅と姑と、嫁の関係。

 黒峰家という大きすぎる立場に邪魔をされ、すっかり有耶無耶になっていた。

 二人にとって私は嫁であり……娘でも、あるんだ。


「お、とう、さま?」


 つっかえながらの言葉は、届いたらしい。

 ほんの少し弛緩した空気の中、もう一度口を開いた。


「おかあ、さま」


 まるで初めて喋った子どもを前にしたような、微笑ましさを感じているかのような顔。

 揃って同じ表情を浮かべた二人を見て、いつの間にか手の平を握りしめていることに気付いた。

 普段とは違った意味で緊張していたらしい。

 軽く湿っていた手の平をスカートに押しつけていると、当主……お父様は、僅かに眉を寄せた。


「敬称は自由です。もっと砕けても構いませんよ」


 これだって、私を気遣っての言葉なんだろう。

 だけどこれは、立場や距離を思っての敬称ではない。

 明確な区別のある、理由あってのものだから。

 

「私にとって、お父さんとお母さんは……縁は切れてしまったかもしれないけど、あの二人だけですから」


 目の前で私を受け入れてくれる二人とは別の、私を育ててくれた二人。

 決していい関係だったとは言えない。これから会うことがあるかも分からない。

 だけど、十六年間の関係は、きっと消えることはないから。


「……そういう理由でしたら」


 そう言って少しだけ眉を下げたお父様は、何を思ったのか。

 何か声をかけるべきなんじゃないか。

 考えなければと思っていると、奥様……お母様が、お父様の手にそっと同じ物を重ねた。


「あとは、夫への呼び方ですね」


「それ、は……」


「こちらは外聞的な意味だけですから、普段は好きに呼んで構いません」


「……努力、します」


 そんなお父様の言葉にどうにか頷くと、扉の外からノックが響いてくる。

 それは女中さんからの連絡で、我輩さまが帰ってきたとの知らせだった。

 なんていうタイミングだろう。

 学院の四年生である我輩さまは、一度帰宅したものの今日は別件で外出をしていた。

 なんでも、緑原さんに呼び出されたとか。

 散々悪態をつきながらだったけど、我輩さまにとって緑原さんは大切な友人なんだろう。

 私にとっての茜先輩や咲ちゃん、クラスメイトのように。


「お父様、お母様、席を外させていただきます」


「弥代子さん、頑張ってね」


 そんなお母様の声援を背中に受けながら、いつもよりも重い足取りで部屋を後にした。



 遠い場所にある玄関へと向かう途中。

 まだまだ道半ばという位置で、正面から黒い姿が近付いてきた。

 その姿は落ち着かない足音を鳴らし、長い脚を大きく開き、私とは段違いの速度で歩いている。

 真っ黒なスーツとネクタイに、灰色のシャツ。それと、二年前に贈ったマフラー。

 今の私の格好と同じような色合いに身を包んだ姿は、飴色をした木の扉の手前でようやく向かい合う。


「弥代子、今戻った」


 我輩さまは脚を止めることなく歩き続け、そのまま私を抱き締める。

 いつも通りの行動だけど、今の私にとっては刺激が強いものだ。

 思わずびくりと身体を震わせると、我輩さまは腕の力を緩めて私の顔を覗き込んでくる。


「何事かあったか?」


 その顔は眉間にしわがより、切れ長な目つきは鋭さを増している。

 心配しているんだと分かる表情を浮かべていて、咄嗟の行動に後ろめたさが湧いてくる。

 帰ってきた我輩さまに、不必要な心配をさせるべきじゃない。

 そう自分に言い聞かせながら、ワンピースの胸元で両手を握りあわせた。


「お帰りなさい……十夜、さん」


 尻すぼみになった声でも聞こえただろう。

 目の前にある紫色の虹彩を持った目が、ぱちぱちと瞬きをした。

 あぁ、やっぱりきれいだな。

 冬でも関係なくすべすべした肌は、真っ白なままで少し寒々しい。

 そう思った瞬間に、そこにふわりと朱が差した。


「……弥代子よ、まずは部屋に行くぞ」


 そう言って、目の前にあった扉を勢いよく開いた我輩さまは、私を抱えたままするりと部屋に入る。

 私と我輩さまの部屋は、今日もきれいに保たれている。

 我輩さまはすぐに部屋の明るさと温度を調整し、大きなソファにすとんと腰を下ろした。

 三人でも悠々と座れるであろうものなのに、我輩さまはいつも自分の膝の上に私を乗せたがる。

 今日も私は我輩さまの脚の上で、横抱きにされてしまった。


「あの、お出かけで疲れてるんじゃ……」


「緑原が卒業が危ういから手伝えと言ってきただけだ。

 草薙がいるのだから我輩がやることなど無いに等しい。故に、疲れなど無い」


 学院の四年生はもうじき卒業だ。

 そんな時期に慌てている緑原さんは、大丈夫なのかな……。

 そんな考えがよぎっている間に、我輩さまは私のお腹に腕を回してぎゅうっと引き寄せてきた。


「して……我が愛しい妻は、何ゆえ呼び名を変えたのだ?」


 引き寄せながらも埋めはせず、我輩さまの顔は下から私を見上げてくる。

 その目はいろいろな感情が交じり合っているように見えて、我輩さまの考えがまったく分からなかった。


「年始の会合に向けて、お父様と、お母様からご指摘を……」


「ああ……もうそんな時期か」


 眉を寄せる我輩さまは、去年もこんな顔をしていたっけ。

 自分の立場を分かってはいても、面倒なものは面倒だと言っていた。

 だけど我輩さまの表情はそれだけじゃなくて、どことなく……戸惑って、いるんだろうか?

 私が我輩さまの名前を呼んだことに。


「名前、駄目……でしたか?」


 我輩さまと過ごして何年も経つのに、今更だなんて。

 そう思われても仕方がないけど、外聞的な理由と言われては断れない。

 どうするべきかと思っていると、我輩さまは握りあわせたままだった私の手を包んだ。


「駄目なわけがなかろう。しかし……父上と母上しか呼ばぬものだから、少し慣れぬな」


 触れた手はやっぱり温かくて、言葉と相まって安心できる。

 気持ちと一緒に緩んだ手で、我輩さまの手を包みかえした。


「その名で呼ばれると、弥代子も……家族になったのだと。

 ただの呼び方の違いだけだというのに、強く感じられるな」

 

 初めてこの屋敷に来た時は、家族という言葉なんて僅かにしか感じられなかったのに。

 私とは違う意味で家族というものに縁遠かった我輩さまから、こんな言葉が聞けるだなんて。

 そのことが嬉しくて、自分の顔が緩んでいくのを感じた。


「しかし、お前が我輩を呼ぶ名はまさしくお前だけのものだ。

 たとえ名前で呼ぶことが当たり前になったとしても、決してなくすでないぞ」


 少し不機嫌そうな声と顔は、とっくに成人しているはずなのに子どもっぽい。

 それを言うと、私だって成人してしまったのに子どもみたいな座り方をしているんだから。

 子どもという立場は、難しい。


「私は不器用なので、すぐには変えられません。

 それに……我輩さまって呼び方は、私にとっても大事なものですから」


 私が我輩さまと過ごせたきっかけは、きっとこの呼び方だから。

 あの日、あの時、私が我輩さまの名前をきちんと知っていたら、今のこの状況はなかっただろう。

 だから、この呼び方は、絶対になくせるものではない。


「我輩さまは、十夜さん、ですけど……やっぱり、我輩さまです」


 そう言って、私を引き寄せる身体を抱き締める。

 前に比べたら慣れただろう。だけど、慣れきることは一生ないだろう。

 いまだに高鳴る胸の音は、すぐ近くにある我輩さまの耳に届いているはずだ。

 ひとのきもちは分かりづらいから、私の音を、感じてくれればいいな。

 そう思っての行動が、届いたのか届いてないのか。

 我輩さまは私の首の後ろに手を添え、躊躇うことなく唇を触れあわせる。

 手は温かいのに、唇は冷たい。

 だから少しでも温めたくて、私も同じように体温を押しつけた。


「弥代子、名前を」


「我輩、さま……?」


「もう一度」


 すぐに熱くなった唇が頬をかすめ、耳元に忍び寄る。

 私の触覚は、強めてもいないのに我輩さまの存在をすぐに感じ取った。

 肌の熱さと触れる吐息。体温の上昇によって、落ち着かない匂いも近付いてくる。


「とお、や、さん……」


「そのように辿々しくては、不仲を疑われてしまうかも知れぬな? さあ、もっと呼ぶのだ」


 辿々しい理由は、そんなのじゃないのに。

 我輩さまだって分かってるくせに、意地悪な触れあいは止まらない。

 胸が苦しい。呼吸も苦しい。だけど、その苦しさが心地いい。

 触れた場所からは自分と同じ音と温度を感じられて、キスの合間に思わず名前が零れていた。


「我輩さま……」


「やはり、お前に呼ばれるならそれがよいな」


 間近で見せつけられた微笑みは、きっと私しか知らない。

 そんな顔を見せてくれるというなら、私はいつまでもこうして呼ぶだろう。

 お互いが特別な存在なんだって感じたくて、私と我輩さまは飽きることなく名前を呼び続けた。



 年が明け、昼を過ぎた頃。

 馬車と車を乗り継いで辿り着いたのは、赤山家の屋敷だった。

 何度か来たことのある屋敷は、ほんの少しだけ緊張が和らぐ気がする。

 なんでも年始の会合は、各本家の屋敷で持ち回りらしい。

 いつか黒峰家でやる年が来たら、馬車の振動でさぞ大変なんだろうなと思ってしまった。


「どうしたか」


 先に車を降りた我輩さまは、いつものスーツにマフラー。

 そして続いて下りた私も、いつものワンピースにコート、そしてストールを掛けている。

 我輩さまとまったく同じ生地で作られたものは、去年の聖夜にもらったものだ。

 わざわざ探してお揃いに仕立てたことに、驚きと一緒に嬉しさもあった。

 ただ、茜先輩は呆れていたっけ。いい大人が大人げないって。


「いえ、なんでもないです」


 別の車で先に着いていたお父様とお母様と合流し、大きな門の前に立つ。

 年始の会合は去年と一緒。だけど、心持ちは去年とは違うものだ。


「弥代子さん、寒くない?」


「大丈夫ですよ、お母様」


「緊張はしていませんか」


「それも大丈夫です、お父様」


 それぞれに答えると、二人はゆっくりと門を潜る。

 その背中からは家族としての親しみが消えた替わりに、厳格な緊張感が放たれた。


「しばし退屈な時になるが、決して離れるでないぞ」


「はい、十夜さん」


 差し出された腕にそっと手を添え、ほんの少しだけ身を寄せる。

 目元を隠した髪飾りと、肩に掛かったストールに触れ、磨き上げられた靴を前へ進める。

 黒峰家の嫁として。十夜さんの妻として。きちんとした姿を見せなければ。

 その意気込みを感じ取られたのか、我輩さまが私のほうへと首を伸ばしてきた。


「お前は立派に我が妻だ。

 しかし、黒峰家の嫁という立場よりも先に我輩の妻なのだということを、努々忘れるでないぞ。弥代子」


 耳元で囁かれた言葉が頭に染み渡り、頬が熱くなる前に脚を進められる。

 そして敷地に入る一歩前。添えた手に力を入れ、少しだけ背伸びをした。


「分かってます、我輩さま」


 他家の敷地に入った我輩さまは口を開かず、だけど口元だけで笑ってくれた。

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