魔導学園の制服事情
書籍発売記念話・その5
発売日です!
イラストを元に書きましたので、表紙をご覧になってからお楽しみいただければと思います。
写真は活動報告に載せてありますので、よろしければ。
肌寒い日の放課後。
掃除当番を済ませてから級長室へ向かうと、我輩さまはすでに本を読んでいた。
学園祭も無事に終わり、しばらく行事もないから余裕があるようだ。
「すみません、遅れました」
「構わぬ。特に急ぎの作業は無いからな」
我輩さまはちらりとこちらを見ると、眉をピクリと動かした。
「その格好はどうした。何事か起こったか」
その格好、とは……水のしたたり落ちる、私の上半身のことだろう。
「今日は外掃除の番で、夕立に降られました」
雨が降ってきてすぐに屋内に入ったものの、髪と上着が濡れるのは避けられなかった。
わざわざ体育着に着替えるほどでもなかったから、ひとまずここに来ることにした。
「暖房で乾かしてもいいですか?」
「うむ。好きにしろ」
隣の部屋の暖房を強めて、風が当たる位置にブレザーをぶら下げる。
ゆらゆら揺れるくらいだからきっとその内乾くだろう。
「女子の制服というのは……何やら不思議な構造をしておるな」
「そうですか?」
風の当たる位置を調整していると、椅子に座った我輩さまが本を閉じてこっちを見てきた。
ブレザーを脱ぐと、残るは指定のブラウスと灰色のリボンだけだ。
ただこのブラウスは、裾の方が少し広がってプリーツが入っている。
それ以外にも、身体の形に添うようにか、何枚かの生地を縫い合わせて作られているらしい。
凝った作りだと、裁縫が趣味のクラスメイトが言っていたのを覚えている。
私はただ、ブラウスをスカートの中にしまわなくても怒られないのが楽だと思うくらいだけど。
「シャツもそうだが、リボンの形が複雑だな。どうやって結んでいるのやら」
「そう言っても、解くのはできてましたよね」
首を傾げてまじまじと見てくる我輩さまに、つい言ってしまった。
茜先輩の印を見ようと、我輩さまがここでしたこと。
自分で言ったくせに、それを思い出すとなんだか……すごく、恥ずかしい。
「む……あれは、その……だな」
「いいです。忘れてください」
それで今後ずっと思い出さないで欲しい。無自覚とはいえ、ずいぶんなことをされてしまったんだから。
気まずさを紛らわすように揺れるブレザーを眺めていると、背中に付いた白いレースがそよいでいる。
フリルのように波打っていて、腰の下でふわふわ揺れるのが結構可愛かったりする。
「これ、クラスメイトが兎の尻尾みたいだって言ってたんです」
歩く度に揺れる様子が、跳ね回る兎みたいだと。
黒と灰色の制服から伸びているせいか、結構な存在感がある。
「あぁ……言われてみれば、そう見えなくもないな。
お前が歩いている時に、よく動くものだと目が行ってしまう」
「色は違いますけど、ぷーさんとお揃いですね。漆黒兎……でしたよね」
肌触りのいい、真っ黒な毛皮。あの紫色の雷がなければもっといいんだけど。
ただそれよりも、ぷーさん自身の毛並みの方がふわふわで気持ちいい。
今日はソファで眠っているから、そっとしておこう。
「即刻、そのレースを取り外せ」
「なに言ってるんですか。無理ですよ、制服なんですから」
「ではぷーの毛皮を別の物にしよう」
いきなり何を言っているのか。我輩さまの顔を覗いてみると、むっとしたように眉が寄っている。
怒っている訳じゃない。これは……拗ねている?
「……ぷーとばかり、仲が良いのが悪いのだ」
「我輩さま、大人げないです」
そもそも、制服という時点で私と我輩さまもお揃いだ。
ブレザーも、スカートとズボンも、全く同じ色をしている。
ただ、男子のブレザーはちょっと変わった形をしていたはずだ。
「男子のブレザーの後ろ、裾が随分長いですよね?」
「ふむ……もはや意識していなかったが、言われてみればそうであったな」
我輩さまは椅子から立ち上がると、真っ黒なローブを脱いで椅子の背にかける。
いつもローブ姿だから、制服姿がなんだか新鮮だ。
そのままくるりと背中を向けて、後ろ姿を見せてくれた。
女子のレースの代わりなのか、二つに割れた裾が膝裏の近くまで伸びている。
確かこれは、なんと言うんだったか……。
「礼服に準ずるようにとのことかもしれぬな。燕尾服は、場合によるが正装になる」
そう、燕尾服だ。
入学してすぐの頃は、クラスメイトの男子が鬱陶しそうにしていたけど、さすがにもう慣れたらしい。
二年以上着ている我輩さまにとっては、慣れ親しんだものだろう。
動く度に揺れる様子は、やっぱり女子のレースに近い物がある。
裾をちょっと摘まんでみると、顔だけ振り返った我輩さまがなんだか楽しそうに笑っていた。
「着てみるか?」
私が答える前に、手早くボタンを外して脱いでしまった。
ブレザーでさえ珍しいのに、シャツだけの姿というのは……なんだかちょっと、目のやり場に困る。
広げて肩に添えられたから、促されるままに腕を袖に通した。
「大きいですね……」
我輩さまの手が離れると、布地が重力に従ってするりと滑る。
袖も、裾も、肩幅も、明らかに違う。
そういえば、我輩さまは細く見えるけど、実はちゃんとした身体つきをしているんだったか。
あの時……学園祭の夜に、知ってしまったこと。
身体を包む服からは、自分の物ではない、嗅ぎ慣れない匂いがする。
落ち着くような、苦しくなるような、そんな複雑な匂いだ。
「あの、我輩さ、ま……っくしゅ」
呼びかけようとしたら、うっかりくしゃみが出てしまった。
顔を上に向けると、後ろに立っている我輩さまを見上げる形になった。
黒い室内の、白いシャツ。見慣れない姿に、少し見入ってしまう。
「冷えてしまったようだな。どれ、我輩が温めてやろう」
さっきよりももっと楽しそうだと思ったら、私のお腹に腕が回ってきた。
すぐに力が入り、そのままぎゅっと抱き寄せられる。
「あ、あの……っ」
「髪も濡れたままではないか。これでは風邪を引いてしまうぞ」
「これくらい大丈夫なので、だから……」
「”弥代子の髪に、暖かな風を”」
そう呟くと、温風がふわりと髪を覆い、すぐに乾いた感触に戻った。
そしてすぐに、私の頭に我輩さまの頬がくっついた。
間近で感じる息づかいに、自分の体温が上がっていくのが分かる。
背中に感じる鼓動は、ゆっくりで穏やかで。
私はこんなに速くて苦しいのにって、悔しい気持ちで我輩さまをちょっと睨んだ。
「どうした? あぁ、これでは背中しか温まらぬな。こちらを向くのだ」
「だからですね……!」
そう言ったところで無駄なのは分かっている。
されるがままに身体ごと回されると、広い胸にぴったり寄せられ、すぐに長い腕が回された。
「我輩さま、私の話、聞いてますか?」
「聞いておる。しかし、愛しいお前が寒そうにしているのを、無視するわけにはいかぬだろう?」
強く抱きしめられると、確かに……温かい。ただ、温めるだけならもっとやり方があるはずだ。
ほんの少しの隙間から顔を上げると、我輩さまの顔が目の前にあった。
「ち、近い……ですっ!」
「近くて何が悪い。ああ、頬も冷えているのではないか?」
そう言うと、我輩さまの顔がさらに近付き、私の頬にぴたりと貼り付いた。
「む……温かいな。我輩の方が冷たいくらいだ」
「……分かって言ってますよね?」
こういう時に私の顔がすぐに熱くなるというのは、何度もしているから知っているはずだ。
なのにいつもこうやってとぼけて、からかって……。
両手で我輩さまの胸を押しても、まったく離れてくれる気配がない。
ただただ、頬を摺り寄せてご満悦だ。
「頬ずりするならぷーさんとがいいです」
「ならぬ。我輩とだけにしておけ」
「ぷーさんの方が触り心地がいいです」
「それは仕方なかろう? 我輩は人間で、毛皮など生えていないのだから」
それくらい分かっている。それに、我輩さまの肌はぷーさんと違う意味で気持ちがいい。
白くて、すべすべで、さらさらしている。
男の人の基準は分からないけど、我輩さまの肌はきれいだと思う。
自分の容姿にはあまり興味がなさそうだけど、お肌のお手入れでもしているんだろうか?
「お前の顔は、毛皮など無くとも心地よいぞ」
「……我輩さまの方が、触り心地がいいと思いますよ」
「ではこのままでよかろう。少し冷えてきたな……お前は、腕を回してくれぬのか?」
頬を離して間近で見つめられた。さっきと変わらず嬉しそうで楽しそうな顔に、ちょっとむっときてしまう。
「寒いならブレザー、返します。だからそろそろ離してください」
「まだだ。下校の鐘は鳴っておらぬだろう?」
「我輩さまの方が風邪をひきますよ」
「お前が腕を回せばよいのだ」
肩に顔を埋めて、耳元で囁かれるとなんだかそわりとする。
くすぐったいようで、なのに嫌だとは思わない、変な感覚だ。
「……少しだけですよ」
ゆっくりと、我輩さまの背中に触れた。
広い背中が寒くないように手の平を広げてさすると、シャツの下の肌の体温が伝わってくる。
我輩さまの手の平と同じ、あったかい体温だ。
私があったかいということは、我輩さまにとっては冷たいんじゃないだろうか?
そう思って離そうとした時、耳元で小さな声が聞こえた。
「そのまま、離すな」
視界が真っ黒に覆われたと思ったら、ふわりとローブが下りてきた。
それは我輩さまの肩にかかり、そのまま私の身体も包み込んでくる。
我輩さまのローブは大きくて、私を包んでもまったく問題ないらしい。
顔の前は真っ白で、他はすべて真っ黒で。薄墨色の魔力が、私の周りをゆらゆら流れている。
「お前は本当に、小さいのだな」
背も身体つきも、女子としては……少し、貧相か。
我輩さまの腕はいつも、私の身体をすっぽりと抱えてしまう。
「細くて小さくて、折れてしまいそうだ。いつまでもこうして、腕の中で囲い込んでいたい」
「そんなの、無理ですよ……」
「分かっておる。それだけお前が愛しくて、大切なのだということだ。それくらい理解せぬか」
むっとしたような声。
我輩さまはいつも素直に、包み隠さず、まっすぐに気持ちを伝えてくる。
私はそれに答えることが出来ていない。だから……
「いつまでもは無理ですけど……今なら、いいです」
我輩さまの身体に、ぎゅっと抱きついてみる。
口で言えないから、これくらいしかできることはない。
これで……伝わるだろうか。
「……ならば存分に、お前を感じることにしよう」
嬉しそうな声が恥ずかしくて、目の前のシャツに顔を埋める。
すると我輩さまは私の髪をするりと梳かして、耳たぶに触れる位置で囁いた。
「弥代子……お前が心底、愛おしい」
こんな言葉に、何を返せると言うんだ。
私はただ黙ってじっと、我輩さまの鼓動を聞いていた。
下校のチャイムが鳴る頃には、我輩さまも満足してくれたらしい。
二人で級長室を出て、薄暗い廊下をのんびり歩く。
すっかり乾いたブレザーは、腰の後ろでレースがふわりと揺らぐ。
それが少し楽しく思えて、わざとレースを揺らしながら歩いてみた。
「なんだ、今日はやけに機嫌が良いな」
我輩さまが意外そうな顔でこっちを見てきた。
私のこの仕草は、機嫌がいいように見えるらしい。いや……実際、機嫌はいいかもしれない。
「お揃いだと、気付いたので」
「……やはり、プラズマをどうにかせねばならぬな」
「――――!!」
ピリピリ、パリパリ。激しく紫色の雷を発しているから、プラズマさんとしても不満らしい。
そして我輩さまのその考えは、間違っている。
私の後ろでは、今もレースが揺れている。
我輩さまのローブの中でも、長い裾が揺れているだろう。
制服だから当たり前なのに、その部分だけでもお揃いなのが嬉しくて……。
ただ、それをわざわざ口にするのは恥ずかしい気がする。
「そんなに言うなら、我輩さまもこれ、付けますか?」
私の腰を指さすと、一気に眉が寄った。
「それは……うむ、いや……」
「冗談ですよ。そんなの出来るわけないでしょう」
「しかしだな……」
ローブの中で腕を組んで考える我輩さまが、少し可愛らしいと思う私は変なのかもしれない。
合わせ目の布を少しだけ引っ張り、我輩さまの意識をこちらに向けてみる。
「早く帰りましょう、寒くなってきましたし」
「寒いのならば、こうすればよい」
するりと出てきた手が私の手に触れ、すぐに指の間に絡まる。
拘束されているような、包まれているような。そんな手の平から、我輩さまの体温が伝わってくる。
「相変わらず、お前の手は冷たいな」
「我輩さまが温かいだけですよ」
「……愛しい者を温める為に、持って生まれてきたのかもしれぬな」
空いたほうの手の平を眺めてぽつりと呟かれた言葉は、私を揺さぶるのに十分すぎた。
頭の中が熱くなって言葉を返すことができないけど、我輩さまは返事は期待していなかったらしい。
つないだ手を握り直すと、ちょっとそっぽを向いて歩き続けた。
私も我輩さまもお互い顔が真っ赤だったということは、食堂で遭遇した級長たちによって知らされた。