7-1.卒業
少し温かくなってきた時期の、晴れた日。
私は久しぶりに外に出た。
数ヶ月ぶりの制服は、なぜかやけに身体に馴染む。
今日は、学園の卒業式。
一年生の私には関係ないけど、三年生にとっては何より大事な日。
式に参加することはさすがに許されなかったから、外で終わるのを待つことになった。
広く開いた中庭の端の、小さなベンチに腰掛ける。
するとすぐに膝の上にプラズマさんが納まり、静かだけどご機嫌な様子だ。
『――――。』
遠くから、たくさんの人の声がした。
聞いたところによると、式が終わってから中庭に集まり、学園に残る人間と最後の交流をするそうだ。
だからどんどん人が集まり、いたるところで人だかりが出来ていく。
たくさんの色のローブには、揃って薄ピンクの花が飾られていた。
卒業おめでとうの花は、属性や組など関係なく、みんな一緒だ。
いくつかの人だかりはどんどん大きくなり、その中心に居るのは級長のようだ。
赤の級長、赤山さんはいつもの級長ごっこに励んで叫んでるからよく目立つ。
他の級長もそれぞれ、同じ色のローブを羽織った集団と仲睦まじくしている。
もうしばらく、落ち着くのを待ったほうがいいか。
遠くに見える黒い人だかりも、やっぱり大きくなっている。
あの夜……黒峰本家から学園に戻り、級長さんたちやクラスメイトに会い、すぐに荷物をまとめた。
名目上は病気療養。級長には全て伝わってるから、あくまで外向きの理由だ。
学園から遠く離れた、山とも海とも離れた場所の、やけに白い大きな建物。
それが私が今、保護されて、隔離されて、指導されてる場所だ。
黒峰家を通して入ったから、格別の待遇ではある。
部屋も食事も指導内容も不自由は無い。
ただ、我輩さまに会えないだけ。
何度も挑戦はしたらしい。
けど、私がまだまだ未熟だから。迷惑をかけるから。そういう理由で許されなかった。
悔しくて、悲しくて、申し訳なくて、今まで以上に努力して。
ようやく外出を許されて、今、ここに来れた。
「――――?」
プラズマさんは、今も外では毛皮を被っている。
そして、我輩さまの元を離れ、私とずっと一緒に過ごしている。
増えすぎる魔力を吸う為にか、一人離れる私を気遣ってくれたのか。
ただ、そのお陰で指導は順調に進み、一人で寂しい思いをすることも少ないのは事実だ。
「もう少し、待ってましょう」
真っ黒な毛並みを整えるように撫でると、小さな静電気を発する。
痛くも痒くも無い、ただの意思表示。
日向でのんびりと、遠くの喧騒を感じて過ごす。
『――――。』
ざわりと、どこかで声が上がった。
それは遠くからゆっくりと近付き、一番近い人だかりまで伝わってきた。
何かあったのだろうか。
視線をそちらに向けると、ばらばらと人波が割れ、真っ黒な姿が駆け込んできた。
「弥代子っ!」
真っ黒なローブを羽織って、深く被っているはずのフードは勢いで脱げて、少し長い髪を乱して。
胸元に薄ピンクの花を付けた、我輩さまが居た。
夏休みより少し長いくらいしか、離れてないのに。
「我輩さま……っ」
なのに、会えてこんなに嬉しい。
「……久しい、な」
「はい……」
人だかりは遠くからこちらを見ていて、様々な視線をぶつけてくる。
だけど、本家の大人の視線に比べたらなんてことない。
そんなものより、もっともっと大事なことがある。
「卒業、おめでとうございます」
「……うむ」
ベンチから立ち、一歩進む。
少し、痩せただろうか? 仕事が忙しいのだろうか?
級長の仕事を一人でさせてしまっているから、負担になっているのかもしれない。
「少し、痩せたな」
「それは我輩さまのほうですよ」
「我輩はさして変わらん。
しかしお前は、以前より細くなった……いや、魔力が増えたからそう思えるのか?」
「多分、そうですよ。ご飯、ちゃんと食べてますし」
胸が苦しい夜がある。
寂しくて悲しくて愛しくて辛い、そんな夜。
これが、恋煩いとでも言うのだろうか。
「……会いたかった」
「……私もです」
話したいことはたくさんあるはずなのに、言葉が出ない。
我輩さまを見るだけで、恋しくて愛しくて、胸が苦しくなる。
離れてるのが辛くて、また一歩進む。
ああ、やっぱり少し、疲れてる。
「来れるかもしれないとは、聞いていたのだ。
その日からどうも……うまく眠れなかった」
「ちゃんと、寝てください。身体を壊したら大変ですよ」
「うむ……」
「――、――――!」
ぎこちない雰囲気を壊すようにぷかぷかと、プラズマさんが漂ってきた。
気を遣ってくれたのだろうか。
我輩さまもそれに気付き、手を伸ばした。
「プラズマも、よく働いてくれているな」
「――、――――」
ピリピリ、パリパリ。それで会話が成立してる。
これを見ると、やっぱり主は我輩さまだなって感じた。
「…………さて、やるべきことを終わらせよう」
「やるべきこと、ですか?」
「うむ……お前に言わずに動いたのは、咎めてよい。
しかし、近いうちに必要なことだったのでな」
そう言うと、どこかに魔力を飛ばした。
久々に見る薄墨色は、前に見たものより鮮明に見えた。
私の魔力を感じる力も、強くなっているのだろう。
すぐに聞こえた、三つの足音。
押し殺したような小さなものと、重たい物を抱えたようなものと、それに追随するものと。
個性的な音に振り返ると、そこには……懐かしい、顔が居た。
「…………久しぶりね、弥代子」
一年前に見た、一年前に別れた、顔。
「おかあさん……」
一年前と違う、お腹。
「……ごめんなさい」
ゆったりとした服装。
「あなたが入学して、しばらくしたら……」
険の消えた表情。
きっと、私という圧を感じる存在が居なくなったことにより、ストレスもなくなったのだろう。
結婚前には親族の、結婚後には私の。
それから開放され、ようやく望んだ存在を得たようだ。
大きく膨らんだお腹は、その中に確かな命を感じる。
驚いた、が一番だろう。
居るなんて思わなかったし、妊娠してるとも思わなかった。
おかあさんもおとうさんも、私が知ってる怖い顔じゃなくなった。
穏やかで、でも不安で、申し訳なさそうな表情だ。
多分、私に気を遣っているんだろう。
それが分かるくらいには、私だって成長している。
「……おめでとう」
素直に、口に出た。
普通の何倍もの重圧に耐えてきた夫婦が、やっと手に入れた幸せなら、祝って当然だろう。
その後の言葉が続かないのは、私が話し上手じゃないのが原因だ。
「弥代子は、黒峰が貰い受ける」
隣に立った我輩さまが、無感情に言い放つ。
威圧的なその様は、黒峰の次期当主に相応しいものだ。
「当主からの許可も得た、正式な物だ。断るならば、相応の理由を述べよ」
ピリピリと肌を刺す威圧に、私まで力が入ってしまう。
貰い受ける、って……解釈が難しい。
「……娘を、よろしくお願いします」
おとうさんが頭を下げ、おかあさんもそれに続いた。
娘。そう、言った。
「詳細は後に使いを送る。……弥代子、何か話すことがあればしておけ」
私と両親の関係を知った上での言葉だろう。
学園に居ないことを教えていないし、黒峰家とのことも教えていない。
丸一年の空白を考えて、無理に話せとは言わないのだろう。
私はきっとこのまま、両親との縁が消えるのだろう。
子供が生まれて、家族になって。部外者である私は居場所がなくなる。
いや、居場所を作ろうとしなかった私に問題があったんだ。
ひとのきもちがわからないと思って壁を作り、近寄ることを恐れた。
そんな子供に、手を差し伸べる余裕のある大人がどれくらい居るのか。
私自身が負担になっているのに、それ以上何を求めるんだ。
「育てづらくて、可愛げのない子供で、ごめんなさい」
おかあさんが小さく首を振った。
「何の縁も無い私を、育ててくれてありがとう」
おとうさんが目を伏せた。
「私は私で、幸せになるから……二人も、そうして欲しい」
おかあさんとおとうさんの視線が、私の視線とぶつかった。
「今まで、ありがとうございました」
深く深く、頭を下げる。
本当に、感謝してる。
辛いことばかりが浮かぶけど、それ以外の事だってたくさんあった。
おかあさんはちゃんと私を育ててくれた。
おとうさんはちゃんとそれを助けてた。
だから、これでいい。感謝と、別れを言えれば、それで。
「駄目な母親で……ごめんな、さい……っ!」
引きつる声で涙を流すおかあさんの肩に、おとうさんがそっと手を置いた。
二人は静かに泣いていて、ひどく、辛そうだ。
「……お腹によくないから、泣かないで」
「でも……っ!」
「元気な子を産んで、幸せになって」
小さく頷いたのをきっかけに、付き添っていた黒峰の人が退席を促した。
その姿が見えなくなるまで追って、それから隣に身体を向ける。
「我輩さまも、ありがとうございました」
「勝手に奪うわけにはいかぬだろう。……先日、父上と話したのだ」
少し気まずそうな表情は、困惑も混じっている。
一体、どんな話をしたんだろう?
「何故か、身の上話をされた。父上の経歴は覚えている故、ほとんどが確認作業のようなものだったが……。
その後、お前の話をされた」
「私の、ですか」
「俄かには信じられぬのだが……我輩が求めるのならば、望む人間と籍を結べと。
お前の血を認めての事かと思い言葉を返したのだが、そうではないと。
例えどのような血でも、我輩が望む人間でよいと……そう言ったのだ」
我輩さまのお父さん。黒峰家当主。
靄から見えた景色には、望みを断たれた姿が映っていた。
我輩さまがそうならないように、言ったのだろう。
上手く伝わってないみたいだけど。
「我輩は、お前以外を望む気など無い。故に……」
手が伸びて、指が絡んだ。
引かれるままに近付き、顔を見上げる距離で止まった。
「我輩と、生涯を共にして欲しい」
緊張した、真剣な表情。
両親への言葉と合わせて考えればこれは……プロポーズ、なのだろうか。
「必ず、当主に相応しい人間になる。その為には、隣にお前が居て欲しい」
もう十分、相応しく思えるのに。
なのにもっと、頑張るらしい。
「普通に生活できるようになったら……そうなったら、ずっと隣に居ます」
「……うむ」
未確定な返事。
条件付の返事。
もっとはっきり答えたいのに、答えられない。
「私、進級できるみたいなんです。
出席日数はどうにか足りてて、テストは問題ないからって。
我輩さまが、たくさん教えてくれたお陰ですね」
「……そうか」
「二年生になったら今の場所と学園を行ったり来たりして、ちゃんと進級できるように調整してくれると言われました。
我輩さまは、進学……でしたっけ」
「すぐにまた、寮に入ることになろう。しかし、こことは違い出入りは自由だ。
故に……お前がここに戻る時、必ず連絡しろ」
「じゃあ、携帯端末使えるようにしておいてくださいね」
「…………致し方あるまいか」
「頑張ってください。私も……頑張るので」
渋い顔で頷く姿が、愛らしい。
そう感じているのに、絡んだ指が震えてしまいそうだ。
幸せなのに、悲しい。
悲しいけど、幸せ。
もう靄の制御は出来るようになったから、我輩さまの顔がはっきり見える。
その顔もどこか、悲しそう。
「……怖いんです」
「……何がだ?」
「私がちゃんとしたら我輩さまと離れないでいいって分かっても……本当に出来るのかとか、どれだけかかるのかとか、考えて……」
順調ではあっても、それは今の段階では、だ。
「先にあることが、とても嬉しいから……その分、耐えるのが……辛い、です」
幸せが見えるから、それに届かないのが怖くて。
今が苦しいから、それを諦めたくなって。
でも、幸せに届く為には、諦めるわけにはいかなくて。
「……大丈夫だ」
手を引かれ、真っ黒なローブの中に包まれた。
真っ黒で真っ暗で、温かい。
背中に回った腕に力が入り、距離がなくなった。
「お前は我輩が選んだ人間なのだぞ? 出来ないわけがあるまい。
我輩の目に狂いは無い」
「そんな、理由……ですか?」
「我輩の言葉が信じられぬか?」
耳元で囁かれ、温かい吐息が耳をくすぐる。
久々の感触に胸が詰まり、同じくらい幸せを感じてしまう。
「……頑張らないと、いけませんね」
「うむ、励め」
ローブの中から見上げる我輩さまは少し笑っていて、少し無理をしているようにも見える。
無理にでも笑わないと、越えられない。
だから、私もどうにか口元を緩める。
腕を回しても、いいだろうか。
抱きしめても、いいだろうか。
腕をゆっくり動かすと、ポケットの中から小さな電子音が鳴り響いた。
「あ……」
「何の音だ?」
「時間、です……行かないと」
外出の条件として、場所と時間の制限がかけられている。
もう少ししたらもっと緩くはなるんだろうけど、今の時点ではまだこうして管理されたままだ。
多分、門の前で迎えが待ってる。
行かないと、いけない。
「会えて、嬉しかったです。我輩さまの制服姿、最後ですから」
この真っ黒なローブも、これで最後なのだろうか。
いつもいつも羽織っていて、いつもいつも深く被っている。
我輩さまの一番見慣れた姿は、この敷地から出れば止めてしまうのだろう。
「じゃあ……行って、きます」
帰ります、じゃない。
だって私が帰る場所はここだから。
我輩さまの、隣だから。
腕を回すのは諦めて一歩後ろに下がると、ようやく周囲の状況が見えてきた。
ここは卒業生と在校生が集っている場所で、我輩さまの通った道はざわめいていて、その終着点であるここは視線が集中している。
そんな状況で……なんてことをしてしまったのか。
これはなんとも、恥ずかしい……。
「れ、連絡先、送ってください。じゃあ、また……っ」
急がなきゃいけないから急ぐ。決して恥ずかしさで逃げるわけじゃない。
そう言い訳しながら門へ走ろうとすると、その直前で……捕まった。
「弥代子」
長い腕がお腹に絡んで、引き寄せられて。
くるりと回されたと思ったら、目の前には我輩さまの顔があって。
ふわりと、温かくて柔らかいものが、唇に触れた。
周りからものすごい声が聞こえてきた。
女子の悲鳴と、男子の冷やかしと、男女関係無い歓声と。
こんな、衆人環視の中……何をしてしまったのか、この人は……。
「愛している」
「わ……我輩さまっ?」
「すぐに戻って来い。これは、命令だ」
もう級長と補助役の関係は途切れたのに。
だけどこんなことを言われると、従わなきゃとも思ってしまう。
そう思ってしまう時点で、私はやっぱり、どこかおかしいのかもしれない。
「ぜ、善処します……」
どうにか搾り出した返事に頷くと、もう一度キスをされた。
またしても歓声が上がり、もう……どうしていいのか分からない。
満足そうな顔で離してくれたから、プラズマさんを掴んで全速力で走った。
嬉しいより恥ずかしい。けど……なんだか、頑張れるような気がした。
初夏より少し早い時期の夜は、少し肌寒い。
灰色のローブの合わせを重ね、冷たい風が入りこむのを防いだ。
川の水の流れる音と、木々が風に吹かれる音と、人間のざわめき。
私が二年前に経験したものだ。
教師に誘導され指定された場所に向かうと、興味のなさそうな顔ぶれが並んでいる。
それはそうだ。私だってそうだったんだから。
二年生を施設と学園の往復で過ごし、三年生になったのを機に、寮に戻った。
定期的に検査は受けなければいけないけど、ようやく通常の生活に戻れた気分だ。
我輩さまは文句を言いつつも進学先で寮生活を続け、当主を継ぐ為の勉学と人脈作りに励んでいるらしい。
お互いに忙しい生活を送っているからいつもは会えないけど、あの長い長い期間に比べたらなんてことない。
私の後ろには、緑色のローブを羽織った女の子が居る。
二学年上の緑の級長、緑原さんから紹介された子は、私の一つ下の二年生だ。
三年生と二年生が、一年生の前に立つ。
目の前に居るのは、灰色のジャージの生徒。
かがり火を背に、口を開いた。
「初めまして、こんばんは」
渋々と上げた顔はやっぱり興味がなさそうなままで、そんな生徒にも声を投げないといけないのは面倒な立場だ。
これから言う言葉は、少なからず騒ぎの元になってしまうだろう。
平和で平穏で平均な生活を送ろうとして送れなかった私が、こんな言葉を口にする日が来るなんて。
「――――無属性の級長をしています、三年無のB組、黒峰弥代子です」