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我輩さまと私  作者: 雪之
本編
24/50

5-6.学園祭の夜

 まずは部外者、次に一般生徒。

 教師と実行委員以外が居なくなったところでようやく解散となった。

 教室には寄らなくていいと言われたから、荷物を持って我輩さまの部屋へと向かう。

 朝と同様に、生徒は教室にいるらしいから廊下はとても静かだ。

 窓の外はもう夕闇で、いつのまにやら日が落ちるのが早くなっていたらしい。

 最近、忙しくしていたからか気にしていなかった。

 誰ともすれ違うことなく部屋に着き、すぐさまぷーさんが毛皮を脱ぎ捨てる。

 今日は一日我輩さまの横で静かに過ごしていたからか、どうやら鬱憤が溜まっているらしい。

 天井付近を意味も無く飛び回り、時たま頭に体当たりをしてきた。


「ぷーさん、お疲れ様でした」


「ぷ!」


「小娘……何故ぷーなのだ?」


 書類をどんと置いてから、さも不満気に睨んでくる。

 怒っているわけではない睨みは大して怖いとも思えず、むしろ拗ねているように見えてしまった。


「我輩さまも、お疲れ様でした。成功してよかったですね」


「ふん、あのような術を失敗する者が級長など務まるはずも無かろう」


「佐々木さん、大丈夫だったみたいですね」


 舞台から下りる時、佐々木さんはすぐさま白衣の集団に囲まれどこかに連れて行かれた。

 審査発表の前に急いで戻ってきて、終わってからまたすぐどこかに連れて行かれてと忙しなかったものの、会話を漏れ聞いたところ問題なく外せたようだ。

 機械を使えば無属性でも魔力を体外に出せると知ったものの、それを私が使うことは無いだろう。

 出したところで、何が出来るかも分からない。

 そして身体から溢れるほどの魔力量は、今後も持ち得ないだろう。


「して、小娘。何があったのだ?

 先程は忙しなかった故聞けなかったが、もうよかろう」


 いつもの椅子に深く腰掛けフードを外すと、さすがの我輩さまも疲労の色が見える。

 級長は審査の為によくよく出し物を見なければならなかったし、好奇ではない視線に晒され続けていたんだ。

 元々体力の少ない我輩さまにとっては、もう上限に達していそうだ。


「我輩さま、疲れてますよね。ご飯食べに行きましょう」


「誤魔化すな。知らぬ魔力を漂わせおって、それを看過しろとでも言うか」


「知らない人でしたし、居なくなってしまったので。私自身、よく分かりません」


「なら話せ」


 隣の椅子を引き指差しているのは、座れということだろうか。

 ぷかぷかしていたぷーさんも降りてきて、椅子の周りをくるくるしている。

 大人しく座りぷーさんを膝に抱え、やっぱり右手を我輩さまに取られてから、あの時のことを話した。

 といっても、大した長さでも密度でもない。

 時間で言えば数分も無いだろう。

 ただ確かに、あの圧倒的な魔力は記憶から消すのは難しい。


「ふむ……無属性でその量というのも珍しい。

 そういう者は大抵、名が知られているものなのだが、当てはまる者は浮かばぬな。

 しかし我輩は、小娘の感覚の方が気になる」


「同じ属性だからじゃないですか」


「だからといって、他人の魔力に馴染みを感じることは無い。

 魔力はそれぞれ違い、同じ物は無いのだ。

 あえて言うとすれば、血縁関係になるかもしれぬが……」


 血縁関係。

 血の繋がった人間。


「居ません」


「……無理に聞き出す事柄でないことは分かっておる。

 しかし、様子から察するに小娘と関係がある人間であろう。

 次が無いとは限らぬし、何事も無いとも限らぬ。

 故に……そろそろ、知っておくべき時期が来たのであろう」


 私の血縁関係。家族構成。

 そういったものは自分から言うことは無い。聞かれてもよっぽどでないかぎり言わない。

 言ったら何か、変わってしまいそうな気がする。

 だから、言いたくない。言いたくなかった。

 でも、今はその、よっぽどの時なんだろう。

 言わずになにか起こったら、そしてそれが我輩さまの害になったりしたら。

 言わなかったことを後悔しないだろうか。

 我輩さまは、魔力を使えばなんでも出来るだろう。

 でも、魔力を使わなければ出来ないことの方が多い。

 私のせいで我輩さまになにかが起きたら…………耐えられないだろう。

 だから今が、言う時だ。


 話さなきゃ。

 事実としてそこにあっても、出来る限り触れないようにしていた、その事実を。



 まだ片手で歳を数えられる頃の事。

 真夜中に起きてしまったあの日の事。


『あの子が居なければよかったのよ』


『あの子が居なければよかったのにな』


 そのまま部屋に戻って眠ってしまえばよかったのに。

 声をかけてしまった。

 聞いていたことを、知られてしまった。

 ふらりと、おかあさんが立ち上がり、綺麗に掃除されたキッチンへ向かうのを、ただ黙って見ていた。

 音も無く開いた引き出しから、鈍く光る銀色を見た。

 それを手に持ったおかあさんは、とてもしっくりきた。

 きっと、どんなアクセサリーよりも似合っていただろう。

 髪を梳かしてくれる時と同じように近付いて、身体を洗ってくれる時と同じように腕を掴んだ。

 鈍く光る銀色が、癒え始めた犬の噛み痕の近くに添えられた。

 おとうさんの制止の声、おかあさんの悲痛な声、私の声にならない声。


 さくり。


 尖った先端が埋め込まれた。

 隙間から赤い液体がにじみ出て、咄嗟に触覚を閉じていた。


『ほら、平気じゃない』


 鈍く光る銀色が叩き落とされ、隙間から見えた真っ白な肉は一瞬で赤い液体に塗りつぶされた。

 たらたら、だらだら、ぼたぼた。いっぱい出てきた。

 おとうさんの声も、おかあさんの声も、よく分からない。

 気づいた時にはおばあちゃんの家にいて、おとうさんとおかあさんは居なかった。


『弥代子が大きくなったら言うつもりだったの』


 そう前置きして、おばあちゃんは話してくれた。

 私は、おかあさんの子じゃないらしい。

 私は、おとうさんの子でもないらしい。

 私は、おかあさんの双子のおねえさんの子らしい。

 そんな私を、おかあさんとおとうさんは引き取ったらしい。



「――――父親の、音無の家は無属性として代々子孫を残しているそうで」


 上手く話せている自信は無いが、我輩さまは口を挟まず聞いてくれている。


「家の老人からの指示で、無属性の嫁を取るよう言われたそうです。

 母方の家は無属性で、子供は女の双子でした。

 なので双子のどちらか、子を成したほうと籍を入れるようにと」


 時代錯誤も甚だしい。

 自由恋愛を推奨しているわけじゃないけど、妊娠したら結婚なんて、順序すら守れない人間はどうかと思う。


「父親は母親との結婚を望んでいたけど、身体の相性がよくはなかったようで難航したそうです」


 妊娠しなければ結婚させないなどというプレッシャーを与えられれば、そのストレスで上手くいくものもいかなくなるだろう。

 そしてそれは、母親の精神を蝕んだ。


「家からの催促がひどくなった頃、関係を持っていなかった姉がいきなり乳児を押し付け、消えてしまったそうです。

 夫婦の話し合いの結果、その子供を自分たちの子供として報告し、結婚したと」


 その子供が、私だ。

 実際の関係としては、母親は叔母で、父親は義理の叔父か。

 それは父方の家には今も知られていなく、極力関係を持たないことでどうにかしているらしい。


「なので、私の血縁関係はほとんど分かりません。

 血縁的な父親は誰も知りませんし、産みの母親は今も行方知れずだそうです」


 聞かれたこと以上の事を話してしまったかもしれない。

 気を悪くしたのか、それとも呆れているのか、反応は無い。

 膝の上のぷーさんは心配そうな目でこちらを見上げてきて、それがなんだか慰められているような気分がして、嬉しい。

 それからしばらく経っただろうか。

 深い深いため息をついたあと、いきなり腕を引っ張られた。


「何を……」


 痛みを感じるくらいの強さに引かれ、勢いのまま倒れこんだのは真っ黒なローブの上だった。

 両腕を背中に回され、そのまま強く引き寄せられる。

 中腰のままの姿勢は、結構辛い。


「さすがにきついです」


「適時動け。離すつもりは無い」


 床に膝でもつければましなんだろうけど、そうするには位置が高すぎるようだ。

 仕方なく椅子の座面の空いている部分に乗ってはみたものの、これはすごくバランスが悪い。

 動いたら椅子ごとひっくり返りそうだ。


「跨ればよかろう」


 頭の上から指示され、我輩さまの太ももの上に跨ってみた。

 これならバランスは取れるけど、なんにしても近い。

 真っ黒な部屋と真っ黒なローブの圧迫感はすごい。


「うむ、やはりこれがよい」


「……私は落ち着かないと言いましたよね」


 向き合って抱きしめられるのは、海に行った日以来だろうか?

 あの日は夏の服装だったから、今のほうがまだ心臓に優しいかもしれない。

 ローブと制服とを挟むと、体温も鼓動もさして響かない。


「ある程度予想はしていたが、なかなかの環境だな」


「同情しましたか」


「どこにそんな必要がある?」


 鼓動は変わらず、不自然な点は見当たらない。

 本心での言葉のようだ。


「生まれは変えられぬ。そしてその環境で育ったからこそ、今の小娘があるのだ。

 同情など、部外者の自己満足だ。そんな下らぬことをすると思ったか?」


「……されたらどうしようか、とは思いました」


「我輩を見くびるな。

 どんな生まれであれ、小娘は小娘だ。

 音無弥代子という人間は、どこで生まれ育とうが、音無弥代子でしかない」


 本当にこの人は……私の考えをあっさりと覆す。

 いい意味で裏切ってくれて、自分の中で積もっていた物をどんどん崩してくれる。

 強く抱きしめられた身体がだんだんと温まり、鼓動は速く、苦しくなった。

 なのにそれ以上に……心地いい。


「じゃあなんで抱きしめてるんですか」


「押えていたものが限界を迎えたのだ。もう、我慢するのは無理であろうな」


「我慢してください……」


 こんな格好、人に見られでもしたらどうするんだ。

 それにさっきとは違うところが辛くなってきた。

 上半身は預けているものの、下半身は浮かせている状態のままなんだから、そう長く持つはずが無い。


「脚が辛いので、離してくれませんか」


「座ればよかろう」


「筋力無いんですから、無理なことを言わないでください」


「そんなもの、強化すれば問題あるまい」


 問題しかない。

 おんぶしただけで三日間筋肉痛になるくせに。

 そんな思いをしてまでこれを続けたいのかこの人は。


「……我輩の言う事に従っていればいいのだ」


 そう言うと腰をぐっと抱え込まれ、そのまま脚の上に座り込んでしまった。

 絶対、重い。

 椅子の座面に膝をついてるとはいえ、重心は完全に我輩さまの脚だ。


「駄目です、離してください」


「聞こえぬな」


「聞こえてるじゃないですか」


「さてな。しかしこの方が楽であろう?」


 それは、自分で支える必要が無いんだから楽になるに決まってる。

 その分ぎゅうぎゅうと隙間が埋められてるけど、布の厚みのお陰で変な感じにはならないで済みそうだ。


「邪魔だな」


「は?」


 勝手にローブを脱がされた。

 山の上のこの時間は思いの外気温が下がるせいか、少し肌寒い。

 ごわついたローブはやっぱり慣れなかったけど、防寒という意味では働いてくれていたようだ。


「寒いです」


「ならばもっと近寄れ」


 そういう意味で言ってるんじゃないのに。

 布一枚の違いなのに、さっきより体温と鼓動が近くなってしまった。

 少しずつ高く速くなっているのは、どうやら私だけじゃないらしい。

 とくとくと響く鼓動はだんだんと強くなり、触れた部分から伝わってくる。

 きっとこれは、苦しいはずだ。熱くて苦しくて、でも多分、心地いいんだ。

 だって私がそう思うから。きっと我輩さまもそう思ってる。


「……我輩さまは、横暴です」


「何故そう思う?」


 苦しくて、胸が詰まって声が出しづらいのを分かっているのかもしれない。

 だって、問いかける声が笑ってる。


「舞台で……なんで、あんなこと」


「進行通りであろう?」


「違います!」


 他の人は、手袋を取らなかった。

 他の人は、指を絡めなかった。

 決まりじゃなかったけど、普通そんなこと、しないはずだ。


「各々好きなように手を取っていたはずだ」


「じゃあなんで舞台上の人、驚いてたんですか……」


「さて、どうしてであろうな?」


 分かってる。絶対、分かって言ってる。

 腰を掴んでいた腕を少し緩め、ようやく顔を見合わせた。

 ほら、やっぱり笑ってる。


「呪文の意味を、考えたのだ」


「……意味、ですか」


 代々伝わる術という話だから、今まで何度も同じ呪文を唱え続けられてきただろう。

 そんな呪文を改めて考えるのに、どういう意味があるんだろう。


「愛しき物よ……人を人と思っていない、黒に相応しい言葉であるな。

 我輩にとって愛しき物とは何であろうかと、考えた」


 いつの間にか手の平が首筋に回り、軽く力を込められる。

 されるがままに従うと、間近にある顔と真っ直ぐに向かい合った。


「黒の者は、必要であり不可欠だと思うが、それ以上ではない。

 親族も同じだ。親愛などと言う言葉は、黒峰の家には存在しない」


「お母さんは……」


「幼子の頃はそうであったのだろうがな。しかし、歳を重ねれば自然とそれもなくなるものだ」

 

 そういうものなのか。

 親というものに親愛という感情を抱いたことが無いから分からない。


「知人、友人、どれも違う。愛しいという言葉に見合う感情は、抱いていない」


「我輩さま……友人、居たんですね」


「小娘は我輩に、一体どのような印象を抱いているのであろうな……。

 少なからずおるわ。級長連中は昔なじみの者ばかりだからな」


 幼馴染と言えるのだろうか。

 私には存在しない関係が、少し羨ましい。


「では他に、そのような存在が居るのか。

 そう考えた時、一人だけ思い浮かんだのだ」


 続きを聞くのが、怖い。

 誰なのか。私の知っている人なのか、知らない人なのか。

 いや、ここまで言われればなんとなく分かる。

 ただその言葉を、聞いた時に抱く感情を想像できないのが、怖い。


「我輩が唯一愛しいと思えるのは、音無弥代子だと」


 真っ直ぐな視線が私を縫いとめる。

 身体も、視線も、思考も、全てが奪われた。

 さっきなんかと比べ物にならないくらい、身体がおかしい。

 何もしていないのに、頭が沸き立っているような熱さを感じる。

 何もしていないのに、全力で走り続けたように心臓が暴れている。

 それ以上に、胸が、苦しい。

 息が出来ないくらい、苦しい。

 理由は……理由は。


「もう、抑えることは止めた。

 我輩にとってお前はもはや、ただの小娘ではない。

 愛しいのだ。手放すことも、他者に委ねることも許せない。

 ……お前は我輩の物だ、弥代子」


 フードを被っていない我輩さまは、真っ白な顔がよく見える。

 薄暗い室内で、ゆらゆら揺れる蝋燭に照らされて、その光を瞳に映して。

 真っ黒な瞳に、紫色の虹彩。

 黒い、闇の色。

 その中に映るのは、私だけだ。


「……だから、私は所有物じゃないと、言ってるじゃないですか」


 声が震えてしまっている。

 喉が縮んでかすれてしまっている。

 こんな、誤魔化すような言葉すら、上手く言えない。


「補助役だなんだという意味ではないわ。

 契約など関係ない。我輩が愛しいと思うから、我輩の物なのだ」


「だから……横暴、です」


「それがどうした。抑えぬと言ったであろう?」


 視線が痛い。

 綺麗で、真っ直ぐで、強くて、熱い。

 視線に魔力でも乗せているかのように、私の肌を突き刺す。


「諦めろ。我輩はお前を手放すつもりは無い。今後、ずっと」


 今後って、いつまで。

 ずっとって、いつまで。

 私と我輩さまの関係は、我輩さまの卒業までじゃないのか。

 そういう約束で、補助役になったのに。

 なのに、関係が途切れると思うと……苦しい。

 どうしてだ。苦しくて、悲しい。

 我輩さまは、私との関係が途切れると、どう思うのだろう。


「卒業したら……もう、会えないと思います」


「そんなことは許さぬ。何があろうと、お前は我輩の元に置く」


「私は卒業まで、学園から出られませんよ?」


「ならばこちらから出向けばよいことだ。

 そして陣がある限り、お前の行方はいつだって分かる」


 私の危険を知るだけじゃなく、そんな効果もあったのか。

 本当に我輩さまは、用心深い。


「これももう、いらぬな。”印の効果よ、消えろ”」


 ブレザーの胸元に指を置き、静かに唱えた。

 印……そこにあるはずの茜先輩の、羽の形の印。


「勝手に消さないでください」


「安心しろ、効果のみだ」


「効果を消しちゃ、意味無いじゃないですか」


「我輩の物を他者に制限される謂れは無い。

 見えないお洒落なのだろう? 印自体は消さずに許してやったのだ、感謝するがよい」


 茜先輩は、無意識に不純異性交遊をしないようにって言ってた。

 抑えるのを止めた我輩さまには、一番大事な効果だったのに、どうして消してしまったんだろう。

 自分だって、あったほうがいいと言っていたのに。


 我輩さまは、私の身体に他人の痕跡があることを嫌がる。

 ただの治癒魔術でも、他人から漂ってきた魔力でも、茜先輩の印でも。

 それは、それが意味するのは……


「嫉妬、ですか……?」


 おこがましい発言かもしれない。

 でも我輩さまのこの行動は、それに似通っている。

 自分の物は、自分だけの物で。自分以外と接するのが、許せない。

 そんな嫉妬心と、よく似ている。


「そう、かもしれぬな…………嫌か?」


 間近にある顔が少し歪む。

 苦笑にも近いその表情は、どこか自嘲気だ。


 一番最初に嫉妬されたのは、茜先輩だ。

 ただそれは今とは違う立場で。

 我輩さまを好きな茜先輩が、近くに居る私に嫉妬した。


 私を自分の物と言う我輩さまが、近くに居る他人に嫉妬する。

 自分が必要とされているようで、自分が求められているようで。

 それはとても……悪くない気分だ。


「多分……嬉しい、です」


「なら、許せ。我輩は考えを変えるつもりはない。

 そしてこれからは存分に触れることにしよう」


「節度は守ってください……」


 ここは学園の一室だ。

 不純異性交遊は絶対に駄目だ。

 級長なんだから。いや、級長でなくても。


「弥代子」


 耳に響く声。

 その声に呼ばれ慣れていない名前。


「小娘、じゃないんですか?」


「言ったであろう、もう小娘ではないのだ。

 まさか呼ばせないとは言わぬな? 白空には呼ばせているのに」


 本当に我輩さまは、茜先輩を眼の敵にしているようだ。

 まずそもそも性別の違いがあるのに。

 茜先輩は茜先輩で、我輩さまは我輩さまなのに。


「呼んでもいいです。慣れるまで、かかりそうですけど」


「慣れるまで何度でも呼んでやろう」


 首を支えていた手を離し、再び腰に巻きつける。

 力を込めて抱き寄せられ、口を耳元にあてられた。


「弥代子」


 吐息が熱い。

 ただの名前なのに、他の誰に呼ばれるのとも違う。

 耳から頭に、身体に響き渡り、胸が苦しくなる。

 名前を呼ばれるのが、嬉しい。

 別に小娘だって、慣れたし特に不満もない。

 けど、やっぱり名前は特別だ。


「弥代子」


「……なんですか?」


「……呼んでいるだけだ」


 小さく笑われ、その息が耳にかかってくすぐったい。

 ローブ越しに伝わる鼓動が、背中に回った腕から伝わる体温が、嗅ぎ慣れない匂いのする身体が。

 私を包む全部が、私の身体をおかしくする。


「我輩さま……」


「どうした」


 それが全然嫌じゃないから。それがむしろ心地いいから。

 分かった。私は……


 私は、我輩さまに、恋してる。


「呼んだだけ、です」


 ぱんっ、と。外から音が響いた。

 それは真っ黒なカーテンに隠された窓の外からの音で、何かが破裂したような音だった。


「もうそんな時間か」


 肩に顔を埋めていた我輩さまが首を上げ、窓のほうを向く。

 離れた体温にひんやりとした空気を感じ、少し寒気がした。


「何の音ですか?」


「後夜祭、とでも言うのだろうな。

 客が全て帰った後に、生徒と教員で騒ぐのだ。見てみるか?」


 騒ぐってどんなのか気になるから頷くと、ようやく腕が離された。

 そっと椅子から降りて離れた今、よく分かる。我輩さまはやっぱり体温が高いんだ。

 普段は一切開かれないカーテンを引き、そこに見えたのは校庭だった。

 中心に数名の先生が立っていて、手の平を上に上げ、そこからひゅんひゅんと魔力を打ち上げていく。

 それはどんどん上昇し、遥か上空で弾け飛ぶ。


「花火……ですか?」


「それを模した物だな。毎年教員が派手に打ち上げ、その後生徒が真似をするのだ。

 自由参加だが、どうする?」


 行きたいといえば行かせてくれるんだろう。

 ただ、無属性の私にとっては行ってもやることはない。

 それならば、観るに徹したほうがいいだろう。

 それに……


「我輩さま……この間の、願い事を叶えてくれるという話は、まだ有効ですか?」


「む? 思いついたか」


 窓辺で並んで花火を見ていると、様々な色の光が我輩さまに降り注ぐ。

 級長の出し物とはまた違った光で、夏の夜のように感じられる。

 肌を包む空気は、季節に相応しい低さだけど。


「…………抱きしめて、いいですか?」


 ぱん、ぱんと。また数発の光が上がった。

 その光がきらきらと落ち、消え、また再び光が上がる。

 我輩さまは無言で、切れ長の目をいつもより大きく開いてこっちを見てる。

 また光が上がり、落ち、消え。

 そこでようやく、口を開いた。


「願っても無い機会というのは、このことなのだろうな」


「嫌なら、いいです。他のことにします」


「誰がそんなことを言うか。

 お前からそのような事を言われるとは思っていなかった故、驚いただけだ」


 真っ黒なローブの合わせを開き、手を引かれる。

 灰色のブレザーと、黒の色が入ったネクタイを見るのはいつぶりだろう?

 お互い立ってしまえば、身長差が大きい。

 私の顔は我輩さまの胸の位置にしか届かない。

 でも、それでいい。この場所なら、我輩さまの鼓動がよく聞こえるから。

 背中に腕を回し、ぎゅうと力を込める。

 筋力無いくせに、何でこんなに広いんだろう。腕が届かない。

 なのに腰周りは細くて、脚もすらっと長い。

 本当に、ローブで隠しているのが勿体無いほどだ。


「ローブはいつも、羽織ってるんですか?」


「寮の自室以外、常に羽織っておるな。それがどうかしたか」


「いえ、なんでも」


 知られて騒がれても、困る。

 我輩さまのローブの中を知っている人間は、少しでいい。


「我輩は今……とても満たされた気分だ。お前にこうされるとは、思っていなかった」


「……今だけです」


「いつもしろ。これは命令だ」


 だから、横暴だって。

 そう思っているのに、言葉は口から出てこない。

 外からの光に照らされた顔が、すごく穏やかで、少し赤かったから。

 幸せと、表情で語られているようで。

 そんな我輩さまに、何か言えるはずも無い。


「こちらを向け」


「駄目です」


「弥代子の顔が見たい」


「……駄目です」


 だって、顔が熱いから。赤いって、分かってるから。

 こんなの見られたら……恥ずかしくて仕方がない。


「耳まで赤いのは分かっておるぞ?」


「なっ……」


 嘘だ。髪で隠れてるから、分かるはずがない。

 なのに確信的な言いかたはなんだ。

 思わず顔を上げると、すぐ近くに我輩さまの顔があった。

 そして大きな手の平が、私の頬に触れた。


「体温は低いくせに、顔はすぐに熱くなるな」


「さ、触っちゃ、駄目です」


「我輩も同じようなものなのだ、気にすることはなかろう。

 今はお前を、五感で感じたいのだ」


 目で見て、耳で聞いて、鼻で香って、肌で触れて…………口は?


「味覚か……さて、どうしてくれよう?」


「ど、どうもしないでください……」


 目の前の胸に顔を埋めると、真っ黒なローブがすっぽりと身体を覆った。

 そのまま強く抱きしめられると、我輩さまに包まれているんだって強く感じる。

 私より断然広い胸も、ぐるりと抱え込んでいる腕も、我輩さまは男なんだって主張している。

 冷たい空気が遮られ、ただただ我輩さまの体温が伝わってくる。

 それから、花火が上がらなくなるまでずっと、そうしていた。

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