1-2.灰桃色の物体
後頭部がずきずきする。
とっさにその部分の触覚を鈍らせたけど、外傷より打ち付けた衝撃のほうが強いらしく、そこまで和らがなかった。
うっすらと瞼を明けると、そこには黒の級長と、得体の知れない物体が浮いていた。
「ぷ・ぷ・ぷ」
「何度言えば分かる! 許可無くここから出るな!」
「ぷぷ・ぷー」
「普段は外に出しているだろう!」
「ぷ・ぷぷぷぷー!」
「勝手な行動をするなと言うのだ! お前は魔獣であろう!」
寝起きの頭にがんがん響く声は……黒の級長だ、多分。
それに答えるようにぷーぷー言ってるのは何だろう?
「それに、何度毛皮を落とせば気が済むのだ!」
「ぷー・ぷ」
「どうしてもと言うならば、最低限の約束は守れ」
「ぷー……」
あれだ。得体の知れない物体だ。
口がどこにあるか分からないけど、音はあれから発せられている。
灰色に桃色を混ぜたような色。
つやつやと、ふわふわと、もこもことしている表面。
きっと女子の部屋に置いてあれば可愛いぬいぐるみかクッションだと思うだろう。
そんな物体が、ぷかぷかぷかぷか浮いている。
「あの……」
「起きたか」
小さく声をかけると、言い争い? をやめてこっちに振り返った。
そういえば私、真っ黒でふかふかな椅子に座ってる。
「頭を打ったようだな。治癒魔術をかけるほどではないと判断したが、状態はどうだ」
「痛いけど平気です」
「そうか」
そこまで話すと、沈黙が広がる。
その間も、得体の知れない物体はぷかぷか浮いてるし、蝋燭の火はゆらゆら揺れてる。
「……じゃあ、帰ります」
「待て」
身体を起こしてもふらつかなかったからさっさと帰ろうとしたら、鋭い声が響いた。
立ち上がる前に額に指を当てられ、そこから動けない。
「貴様には、このまま立ち去るという選択肢は無い」
「なんでですか?」
「我輩の……秘する事柄を知ってしまったからだ」
秘する……秘密か。
秘密って何だ?
「我輩の魔獣に関しては秘中の秘。このまま帰すわけにはいかぬ」
「話すつもりはありません」
むしろ、何が秘密に当たるのかすら分からない。
だから何も言うつもりもない。
「……貴様、名前は」
「音無弥代子です」
「ふ……魔力持ちが簡単に名を名乗るとはな……。
――――”音無弥代子に戒めの呪いを”」
そう呟くと、喉に妙な圧迫感がし、何かが纏わりつくような感覚に襲われる。
手で触っても何もないけど、何かが首をぐるりと囲ってる。
「言わぬと言われてそう易々と信じられはせん。しばらくの間、こうさせてもらう」
「そうですか」
「ついでに、そうだな……貴様の教室へ案内するがよい。
我が魔獣の行動を辿る手立てになる」
「案内役ですか。寮の夕飯前には帰してください」
普段はそそくさと済ませるか、誰も居なくなってから済ませるかだから、中途半端な時間になると困る。
さすがに夕飯を食べれないとなったら一大事だ。
「……貴様、それでよいのか」
「何がです?」
「いや……では、行くがよい」
こうして、黒の級長との放課後が始まった。
いつものように人の少ない廊下を選んで歩いていると、斜め後ろの黒の級長が不満そうな声を漏らした。
「何故、このような道を辿る?」
「他のクラスの人に会うと面倒なので」
「何故だ?」
「無のBだからです」
「…………」
そのまま黙ってるけど、意味が通じてないのかもしれない。
黒のA組のトップの人には理解できない苦労なんだろう。
そんな人と歩いていることもあまり知られたくないから、なおのこと道を選んだ。
そういえば、さっきの灰桃色のもこもこの代わりに、プラズマと言う魔獣が浮いてた。
いつの間に入れ替わったんだろう?
そもそも二体も従えるなんて、魔力も財力も桁違いの人らしい。
最短距離の倍くらいの距離を歩いて、ようやく私のクラスの教室、一年無のB組に辿り着いた。
そろそろ夕焼け空になっているのは仕方がない。夕飯は遅くしよう。
「ここに落ちてました」
引き戸の前の、廊下の真ん中。
誰もが気付く場所に毛皮は落ちてた。
周囲はといえば、薄暗い中庭へ続く粗末な扉くらいしかない。
それだって、需要が無いから開けることはほとんど無い。
何をするでもなく立っていると、黒の級長の横から魔獣がぷかぷか近寄ってきた。
心なしか紫のビリビリが強くなっているようで、静電気どころの話じゃなくなってる。
真っ黒すぎて目があるのかどうかすら分からないけど、なんだか目的を持って動いているようだから進行方向からずれると、そのまま扉に向かって進み続けた。
「この扉はどこにつながっている」
「裏庭です」
「鍵は」
「開けたことがないので知りません」
鍵穴があるから鍵はかかるんだろうけど、ドアノブに触ることすらなかったからそんなの分からない。
裏庭につながってるって知ってるのはクラスメイトが言ってたから。
ということは、開いてる?
魔獣はぷかぷか移動し、器用にドアノブを押し下げ、そのまま扉に体当たりをした。
するとうっすら扉が開き、その拍子にとんでもなく強い風が吹き込んできた。
建物の形状のせいなのか、吹き溜まりだからなのか。
その風をバサバサと一身に受け止めつつ、真っ黒の身体が隙間からずるりと外に出ると同時に、黒い毛皮が飛んできた。
そしてそれは残った風に吹かれて、さっき指差した場所へ滑ってくる。
「…………」
難しそうな顔をした黒の級長が扉を開けると、またも風が吹き込んできた。
黒い毛皮がまた飛びそうだったから拾ったものの、これはどうすればいいのか……。
というか、これはあのプラズマって魔獣の脱皮したもの?
そう考えるとちょっと気持ち悪い。
「原因が分かったようなので帰ります」
毛皮を風の当たらない場所に置き、扉を開けたまま外を眺めている黒の級長の背中に頭を下げた。
魔獣が放浪した上、強風で脱皮。
剥けた後がどうなっているのか少し気になるけど、気にしないことにした。
無言の黒の級長に背中を向け、寮への道を歩き始める。
普段から人の気配は無いものの、何だかいつも以上に静かな気がする。
そんなことを思いながら少し歩くと、廊下の途中で違和感を覚えた。
廊下のど真ん中なのに、空気の流れが途切れてる。
手を伸ばしてみると、そこには透明な硬い壁のようなものが道を塞ぐようにあって、軽くノックすると重い音が響いてきた。
「貴様、何を勝手に帰ろうとしている」
背後から響く声。
扉をしっかり開け放ったようで、風はさっきより弱くなってる。
勝手にって言うけど、私はちゃんと挨拶した。
それに答えなかったから了承だと思ったのに、それで勝手と言われるのは心外だ。
「まだ何か?」
「追いかける。ついて来い」
短く言うと扉の外へ歩いて行った。
級長のくせに、上履きで外に出ることに躊躇いが無いらしい。
ついてこいと言われて素直について行くはずがない。
とりあえず、目の前の透明な壁に隙間が無いか調べよう。
私の教室の先は行き止まりだから、ここを通らないとどこへもいけない。
はたから見るとパントマイムでもしているように見える動きを、壁の端から端までしてからため息をついた。
少しの隙間も無く、破れそうな場所も無い。
さっきまでは普通に通れたんだから、きっと黒の級長が何かをしたんだろう。
そこまでしてついてこさせたいかと呆れ、仕方なしに従うことにした。
裏庭の木々のは夕日に染まり、ひたすらに眩しい。
建物と高い木に囲まれて、昼間でも薄暗いと聞いていたけど、日が低くなると部分的に入り込んでくるらしい。
例え日があろうがなかろうが、私には縁が無い場所だけど。
「遅い。見失ったではないか」
なら一人で行けばよかったのに。
そう思っても口には出さず、無言で後ろに続いた。
見失ったと言っても、きっと魔力で探ってるんだと思う。
木の葉が風に吹かれてガサガサ鳴ってても、日陰で視界が悪くても、迷いなく歩き続けてる。
初めて来たのにすぐ分かる、この場所の陰鬱さ。
木の根元にはもれなく茸が生えてるし、木々に茂る葉っぱもやたら色が黒っぽい。
地面の土は妙に柔らかく、この様子だと上履きの底を洗わなきゃいけないだろう。
そんな中文句も言わずついて来てるんだから、少しは偉そうな態度を和らげて欲しい。
と、いきなり黒の級長の足が止まった。
視線の先を見てみると、夕日がうまく当たった場所にある草むらで、灰桃色のもこもこがもぞもぞ動いていた。
「野苺か……」
深い暗いため息と共に出た言葉によく見ると、もこもこの口元らしき場所に真っ赤な果物が吸い込まれている。
食べてるではなく、吸ってる。
ひゅんひゅん吸い込み咀嚼し、飲み込む。
その近くにある真っ黒の小さな小さな目が、その度に苺色に点滅した。
「留守番中に抜け出したんですか?」
「……何だ?」
「いえ、さっきの部屋に居るものだと思っていたので、驚きました」
「その割には驚いているようには見えんな」
喜怒哀楽が少し表現しづらい顔なのは私のせいじゃない、多分。
これでも案外驚いてる。
主人の命令を無視して級長室の真っ黒で重い扉から出て、わざわざこんな場所まで一人で来て野苺を貪る。
魔獣ってこういう生き物だったのか。
「……貴様、もしや」
「はい?」
「……気付いてなかったのか!?」
「なにがですか?」
灰桃色の魔獣から目を離し、驚きの顔でこちらを見てくる。
気付くって、なにをだろう?
「この毛皮は何だと思っているのだ?」
「さっきの魔獣の抜け殻ですよね? 魔獣って脱皮するんですね」
「せんわ!
こんな簡単なことにすら気付かんとは……捨て置けばよかった」
なんか失礼なことを言われてる。
簡単といわれても、私には魔獣ってモノがどんなものかよく分かってないから、いわゆる一般常識的な知識は一切無い。
むしろ、そんなの無属性クラスには必要ないものらしいから教わりすらしないのかもしれない。
だから魔獣がどんなことをしても、へぇそうなんだ、で納得できるのに。
「気付いてないとしても、ここまで知られたからには何をきっかけに気付くか分からん。
故に、我輩が説明してやろう」
いや、いいです。
とは言えない雰囲気だ。
気付くだ気付かないだと、そんなに大事なことなのか?
知らないなら知らないでそれでいいのに。
さっきも思ったけど、私のクラスで魔獣について学ぶかすら分からないんだから、きっかけは存在しないかもしれないのに。
「これは、漆黒兎の毛皮だ」
手に持った、黒い毛皮を持ち上げて言う。
そういえば、触り心地はとんでもなくよかった気がする。
静電気防止ですぐに触覚を鈍らせたからそこまで堪能してないけども。
「それに、魔力の雷を纏わせている」
静電気なのに雷と呼ぶと。
種類的には同じなのかもしれないけど、仰々しすぎる。静電気なのに。
「つまり、分かるな?」
「魔獣のお洋服ですか?」
「……平たく言うと、そうだ」
なんとこの人、魔獣をファッションアイテムにする種族の人だったらしい。
兎の毛皮はよくアクセサリーに使われてるけど、あんなサイズだと正直あまり可愛くない。
静電気を帯びてる時点で触りづらいんだから、もったいない気もする。
それとも、闇属性にとって兎ってのは意味のある動物なのかな。
「趣味は人それぞれと思いますから、いいんじゃないでしょうか」
「立場というものがあるのだ、貴様と違ってな。
そしてこれが我輩の魔獣の秘め事だ。他言は許さん」
「誰がどんな趣味で服を着せてても興味が湧かないので。他言する人も居ませんし」
「……それは真だな」
「中身を見てないのでどんな容姿か知りませんし。
服を着てる姿しか知らないので、それが本体だと思ってます」
さっきは扉から出ると同時に脱げたらしいから、その中身は見てない。
今後、脱皮後の姿を見ることは無いだろうし、知りたいとも思わない。
だから、黒の級長の魔獣は黒い毛が生えて紫のビリビリを発する物、と認識しておけばいいだろう。
「何を言っている? 貴様は既に見ているだろう」
「見てますか?」
困惑した様子で言われても、心当たりは無い。
外では黒いビリビリで、部屋では灰桃色のもこもこ。
その二つしかお目にかかってない気がする。
「こいつが、プラズマだ」
近くで野苺を貪っていた魔獣が、口元を真っ赤にしたままぷかぷかと戻ってきた。
木に実った真っ赤な野苺はほぼ食べつくされ、明日明後日に完熟しそうな物はわざわざ残してあった。
つまりまた来るつもりなのか。
今度は毛皮を落とさないようにして欲しい。
て、そういえば黒の級長、なんて言ってたっけ。
「貴様は勘違いしているようだが、我輩は魔獣を二体所持している訳ではない。
こいつが……プラズマの、中身だ」
……中身?
……これが?
「黒の級長である我輩の魔獣が、黒で無いと色々問題がある。
故に、黒い毛皮を被せているのだ」
「はぁ……」
この人の言う事を整理すると……
魔獣は一体だけで、毛皮は衣装で、中身は灰桃色のもこもこで、黒のイメージが大事……で、いいのか。
正直、なんで黒の組だからってだけで黒い魔獣じゃないといけないのかが分からない。
「イメージ戦略ですか?」
「……何を言っている?」
「黒の級長だから黒の魔獣じゃなきゃいけないんですね。大変ですね」
「貴様は……魔獣の何たるかを知っているか?」
「魔力の貯蔵庫だと。あと、ファッション」
「違ってはいないが……それ以上の知識は持ち得ていないのか」
「校内に居るから目に入るだけで、授業として習ったことはないです」
「……何の為に呪いをかけたのだか分からん」
ローブを被った頭を掻き毟り、低く呻いた。
夕日が眩しくてよく見えないけど、疲れてる雰囲気だ。
そういえばさっき変な魔法を使われたんだった。
いましめののろい? とか言ってたけど、あまり意味を成していないらしい。
「じゃあ解いてください」
「駄目だ。
……丁度よい、貴様に重要な仕事を命じよう」
灰桃色のぷかぷかがなぜかこっちにきて、ぽいんと頭にぶつかってきた。
全然痛くないし、むしろ可愛いけどその行動がよく分からない。
確かに、黒の級長のイメージには合わないかもしれない。
「ぷーに野苺を届けろ。一日一回、放課後に我が部屋まで」
「ぷー?」
「……プラズマだ」
どうやら、プラズマ=ぷーらしい。
脱皮したらぷーになるのか。大変可愛らしい名前だ。
「拒否します」
「一定期間従事したら、貴様の呪いを解いてやろう」
「今の所不自由ないのでいいです」
最初はなんだか圧迫感を感じたけど、今はなんともない。
無意識に喉の触覚を鈍くしているのかもしれない。
呼吸は出来るし、声も出る。問題ない。
「……呪いをかけられているということに、思うところは無いのか?」
「実害が無ければ」
「今ここで貴様の喉を絞めることも出来るのだぞ?」
「それは嫌です」
もはやそれは殺人未遂だ。
校内のことに警察はほとんど介入してくれないらしいが、先生に言えば何かしら……なさそうだ。
下の下の無のB組の一生徒対、最高学年A組の黒の級長。勝負は目に見えてる。
「野苺を届けて魔獣のことを口外しなければいいんですか?」
「左様」
「期間は」
「そうだな……野苺が尽きるまで、か。
実っている限り脱走の可能性は零にならぬからな」
今が旬っぽいから、長くてせいぜい半月か。
教室前から外に出て野苺の収穫、その後黒の級長の部屋に届け、帰寮。
頭の中でルートを考えてみると、そこまで無茶なものじゃなかった。
「分かりました。今日はもう帰ります。靴、洗わないといけないので。夕飯ですし」
「何だ、靴に魔力膜を張っていなかったのか?」
そう言われ足元を見ると、やたらきれいな上履きがあった。
対する私の上履きは靴底はもちろん、それ以外の部分にも泥が飛んでいる。
「……無属性の魔力は体内のみ作用するので」
「そうか。では明日は下履きを準備するんだな」
それだけ言って、元来た道を歩いていった。
灰桃色の魔獣はいつの間にか毛皮を被せられ、真っ黒の中に紫色のビリビリを纏っていた。
この靴だと私は入れないだろう。
仕方なく、人に見つかりませんようにと祈りながら、裏庭から下駄箱へと進んだ。
結果的に、私は見つかった。
というか、絶対に通らなければいけない道が職員室に面している時点で諦めるべきだ。
そろりそろりと歩く足元に目をやられ、即座に赤と青のクラスの先生が洗って乾かして説教してくれた。
こういう時、自分の体内にしか作用しない無属性は本当に不便だ。
不便だけど実害が少ないから一般社会に溶け込みやすいって言うけど、学園においては完全に溶け込めてない。
先生はそこまで差別……区別はしないけど、やっぱりおちこぼれ扱いはされてるのかもしれない。
そのお陰で真っ白できれいな上履きになったんだから、役得なのかも。
ついでに言えば、クラスメイトと共に終わりかけの食堂に行くと、残すのがもったいないからと結構な量を盛ってくれた。
普段は決まったメニューに大中小で決まった分量、おまけは無い状況だから、実は終わりかけのほうが穴場なのかもしれない。
今後、野苺配達をしてからだと中途半端な時間になるから、しばらくはこの時間に食べよう。
自分の部屋に戻ってお風呂に入って、明日の授業の準備をしていたらすぐに消灯時間になった。
一年生である私はまだまだ魔力を使う授業は少なく、その上無属性だから実技も少ない。
ほとんど普通の学生として生活しているからこそ、授業は真面目に受けなきゃいけない。
睡眠不足で授業は辛いから、いつも通りちゃんと眠った。
放課後、私は裏庭に居た。
靴を持ってこなければと思ったけど面倒くさく、結果上履きが汚れなければいいことに気付き、足首までビニール袋で覆うことにした。
終わったらそのまま捨てればいいし、下駄箱までの往復の手間もない。
こういう工夫は他のクラスでは考えない、というか考える必要が無いから、この思い付きに我ながら満足した。
昨日魔獣が居た場所に行くとやっぱり夕日が眩しくて、その光をさんさんと浴びた野苺は真っ赤に染まっていた。
あの魔獣の適正量が分からないけど、収穫できる分だけ収穫する。
人の頭と同じくらいか少し大きいサイズの魔獣は、内臓器官はどうなってるんだろう。
むしろ、魔力の貯蔵庫という事は、食事が必要かどうかも定かではない。
けど、私にそれを教えるような奇特な人も居ず授業も無く、今後も知ることはないと思う。
必要もないと思う。
収穫を終えた私は教室前でビニール袋を剥がし、黒の級長の部屋へ向かう。
いつも通り人の少ない道を、速くも遅くもない速度で。
時たますれ違ってしまった先生には会釈をし、昨日と同じくらいの時間をかけて辿りついた。
聴覚を強めて辺りをうかがうと、今日も人の気配は無い。
それを言ってしまうと黒の級長の気配も感じないけど、それは昨日もだった。
きっとよっぽど静かに作業をしてるんだろう、もしくは寝てるのかもしれない、真っ暗だったし。
ぐずぐずして人が来ても嫌だから、昨日と同じく扉をノックした。
やけに重い音に、防音だったことに気付き扉を開ける。
確か念話でとか言ってたけど、習得してないし出来ないから仕方がない。
真っ暗な室内。
そしてまた、手前から左右同時に順番に灯る蝋燭。
最後の一組が灯った時、机に向かう黒い姿が浮かんだ。
「何故勝手に開けた」
昨日ほどではないが不機嫌な顔。
理由は説明したのに覚えてないのかもしれない。
「念話は使えません」
「……そうであった」
一瞬表情が無くなり、すぐに渋面を浮かべる。
本当に覚えてなかったらしい。ちゃんと説明したのに。
一ヶ月間、毎回こんなやりとりをするのも嫌だから何か方法が無いものか。
室内は真っ暗で、目に見える家具も真っ黒で、そんな中で思い浮かぶわけもなく。
とりあえずと手にしたビニール袋を真っ黒な机に乗せた。
「野苺です」
「ご苦労」
鷹揚に頷き、椅子から少し身を起こしてビニール袋を取ろうとした、その時。
「――――!」
黒い毛皮、もとい毛皮を被った魔獣が勢いよく飛んできた。
手が触れる前にビニール袋に突っ込み、ガサガサ音を立てながらもがいてる。
「ぷー! その格好では食べれないと言っているだろう!」
「――、――――!」
「待て! 脱いでからにしろ!」
叱り付ける声を無視してごろごろと暴れ、真っ黒な毛皮が少しずつ湿ってきた。
食べたくてもがいてるのか、苺に塗れたいのか。
黒の級長の言葉によれば、毛皮を着てると食べれない、つまりやっぱり口は出てないらしい。
ぷーぷー鳴かない代わりに、紫色のビリビリが強弱を付けている。
どうやらそれで会話が成り立っているらしい。
にしても、好物を目の前にこの状況は少し可哀想だ。
強風で取れるならどこかしらに穴があるんだと思う。
頭頂部を摘まんでぐっと引っ張ってみると、少しの抵抗の後すぽんと脱げた。
「ぷ――――っ!!」
「っぶ!?」
脱げたんだからそのまま食べればいいのに、灰桃色の魔獣はなぜか私の顔に突っ込んできた。
もこもこふわふわだとしても、これは痛い。
「痛いです」
「ぷー」
手で押しのけると、小さくて真っ黒の目がこっちを向いてる。
黒目だけのはずなのに、少し悲しそうに見えるのは気のせいなのか。
「…………もう痛くないです」
「ぷ!」
満足気な声を出し、私の頬に数回頬ずり? 体当たり? をしてからビニール袋の前に戻った。
するともこもこふわふわの毛並みに割れ目ができ、そこに向かって野苺が一つ、吸い込まれた。
一つ食べて赤く点滅する瞳。
真っ暗な中で見るには少し怖い色合いだけど、正体がこの灰桃色の魔獣だと分かっているから少し微笑ましい。
一つ吸って咀嚼し飲み込み、またもう一つ吸って。
両手一杯はあった野苺はすぐに無くなり、そこには空っぽのビニール袋だけが残った。
「ぷ・ぷ・ぷ」
ごちそうさまとでも言いたいのか、袋に向かって一度上下に動き、存在感が無かった黒の級長の側で漂う。
すっかり忘れてた。
「……明日も採ってくるがよい」
「分かりました。ですが、入る時の方法を教えて下さい」
言われた通りにお使いをしているのに、入室方法で毎回怒られるのも癪だ。
念話が出来ないのが悪いと言われたら、最初に無属性だと名乗っていると反抗したい。
じっと見ていると、黒の級長の頭の周りをぷかぷか回る魔獣のせいで緊張感が皆無だけど、仰々しく顎に手をあてた。
「……貴様、携帯端末は持っているか」
「携帯……はい、常に」
魔導学園と名乗っているのに、生徒には携帯端末が支給されている。
学園からの連絡事項と、個人間での通話とメールが可能だ。
生徒手帳と同じく常に持ち歩くように指導されているけど、個人用の端末を持っている人は二台持ち歩くのが面倒らしく、鞄に入れっぱなしともよく聞く。
私は個人で持っていなく、支給された端末が唯一の連絡方法だからきちんと持っている。
「では、この部屋の端末番号を授けよう。入室前に鳴らすのだ」
真っ黒な机の引き出しから真っ白なメモ用紙を取り出し、黒の万年筆で短い数字を書き、それを突きつけられた。
職員室の端末の脇に張られてる番号と同じような数字なのに、なぜこんなに仰々しくするんだろう。
受け取ってポケットから携帯端末を取り出し数字のボタンを押し、登録しようとして名前が未入力だと表示された。
……黒の級長でいいか。
そのままメモ用紙を返すと、なぜか複雑そうな顔をされた。なんでだろう。
「貴様……妙に手馴れているな」
「無属性なので、どちらかというとこちらのほうが馴染みがあります」
黒の念話とか、他の属性の何かとか。
そういう不思議な連絡手段がまったくないから、魔力を持たない一般人と違いがない。
科学の進歩万歳。
用は済んだので帰ろうとすると、魔獣がもう一度頬ずりらしきことをしてきたけど、今回は程よい勢いでふわふわと気持ちがよかった。




