3-4.お茶会
キャンプ合宿から帰ってきて、後片付けをしたり一応検査を受けたりしていたら、すぐに休みは終わっていた。
その間、茜先輩とのメールで休み明けにお茶をする約束が出来た。
数日振りの登校は、なんだか少し気分が違う。
クラスメイトとは寮で普通に過ごしていたけど、他のクラスの人と顔を合わせるのはあの時以来だ。
私と我輩さまのことは、一年生全員が知ってしまっただろう。
寮から教室までの道のりは、クラスメイトが両脇をしっかり固めてくれたお陰で何事もなく、教室に入ってしまえば何かが起こるはずもない。
男子女子問わず心配してくれて、なんだか申し訳ない気分になった。
SP気取りでごっこ遊びをしていたから、向こうも楽しんでいたのかもしれないけど。
最初の授業が終わり休憩をしていると、何やら廊下からざわついた声が響き始めた。
それは遠くから順にどんどん近付いてきて、校舎の端であるこの教室まで辿り着く。
何事かとクラスメイトが顔を出すと、揃って動きが止まってしまった。
一体どうしたんだろう?
「――――小娘」
開けたままだった扉から声がし、振り返るとそこには真っ黒なローブを羽織った我輩さまが居た。
近くの席の人は、肉体強化の能力を遺憾なく発揮してその場を離れ、我輩さまを中心に数メートルの空間が出来ている。
「居たか。大事は無いか」
「はい、問題ないです」
「なら、よい」
それだけ言って、そのまま出て行った。
少し遅れてプラズマさんがぷかりと顔を出し、紫色のパリパリを一瞬強くしてからそれに続く。
ざわつきが順に離れていき、ようやく静まった時にはチャイムが鳴り響いた。
我輩さま……一体何をしに来たんだろう。
わざわざこんな離れた場所まで来て、授業に間に合うのだろうか?
放課後、茜先輩との約束通り茶道室へ行くと、すでに準備は整っていた。
部活動はないそうで、邪魔は入らないと嬉しそうに言う。
今日のお茶はほうじ茶で、その横には漆器のお皿に入ったお煎餅が置いてある。
「検査結果、聞いたわよ。身体、問題ないようでよかったわ」
「はい、本当にありがとうございました。
我輩さまも、きちんとお礼を言うようにと」
「弥代ちゃんからだけで十分よ。
それにしても黒峰のあの……頼りない様子、初めて見たわ」
「頼りない?」
小ぶりなお煎餅を更に割り、小さな欠片を口に運ぶ。
呆れたような表情に、我輩さまに頼りない部分があったかと思い返したけど、浮かばなかった。
「川から上がってすぐしたことが、女の子の頬を叩くって何なのかしら。
気道確保とか心音の確認とか、人工呼吸までしろとは言わないけれど、もっとやることがあるのよ」
ぽりんと小気味良い音が響いた。同じように割ってから口に入れると、醤油の焦げた風味が広がる。美味しい。
「人工呼吸……してもらったんでしたっけ」
「ええ、呼吸が止まっていたから。……もしかして、初めてだった?」
初めて、とはいわゆる、あれのことだろう。
不安げに聞かれてるけど、同性だから気にすることは無い。
「初めてでしたけど、問題ないです」
「女同士だものね、数に入れないでいいと思うわ」
そういうものだ。何よりあれは人命救助なんだから気にすることじゃない。
お互いの認識が一致したところで、お茶を飲んでから話は続く。
「そうそう、蘇生してる時もぽかんと座り込んじゃって。あれじゃ十年の恋も冷めるわ」
「魔力を使いすぎたみたいだったので」
「分かってるわ、大分無理な使い方してたもの。
それだけ弥代ちゃんを助けたかったのね」
にこりと浮かべた微笑はどこか余裕を感じられる。
出会った当初の恋する女子の目ではなかった。
諦めとは違う、落ち着いた雰囲気だ。
「……昨日、婚約者に会ってきたの」
婚約者……赤の次期当主だったか。
我輩さまが好きだけど叶わなくて、諦めた様子で話していた、あの。
「赤山焔さんと言ってね……少し年上だったから不安だったのだけど、うまくやっていけそうだわ」
「え?」
「何年も会っていなかったの。だから不安だけが大きくなっていたのね。
とても立派で、紳士的で、しっかりした人だった。
赤の当主としても、わたしのパートナーとしても、問題ないと思う」
「そう、ですか……」
余裕の理由はそれなのだろうか。
それとも、本当に十年の恋が冷めてしまったのだろうか。
「初恋は叶わないと、よく言うでしょう?
これからは焔さんに恋できるよう、頑張ってみるわ」
いや、我輩さまへの気持ちを、きちんと消化できたのだろう。でなければこんなに穏やかには笑えないだろう。
この間のことはきっかけにすぎないのだろうけど、それで茜先輩の気持ちの整理が付いたと言うならば、死に掛けたかいもあったものだ。
「あ……」
「黒峰の魔力ね」
会話の途中に割り込んできた、薄墨色の魔力。
いつもの呼び出しの合図だ。
何か仕事があるのだろうか。だったら教室に来た時に言ってくれればよかったのに。
お茶もお煎餅も口を付けたばかりだし、茜先輩も話したりない様子だからまだ帰りたくない。
「少し待たせてしまいましょう。やきもきすればいいのよ」
「やきもきというか、いらいらはすると思います」
「たまにはそういう気持ちも味わうべきよ」
そんなものか。自分の意思と茜先輩の言葉で、ここは少し待ってもらおう。
急ぎの仕事なら少し居残りしても構わない。
そもそも我輩さまがお礼に行くようにって言ったんだ、それに従ったまでと言い訳しておこう。
茜先輩と赤山さんの話は続き、料亭で会食という学生には背伸びさせすぎな会わせかただったとか、あとは若い二人でとかいうお決まりの文句を言われたとか、そんな感想をたくさん教え
てくれた。
そんな場面、お話の中でしかありえないだとうと思っていたけど、実際にあるものなんだ。
「焔さんの魔獣が、鳳凰だったの。わたしの子はハトだから最初は驚いてしまったのだけど、同種同士、先に仲良くなってしまったわ」
「茜先輩も、魔獣が居るんですか」
「ええ、臆病な子だからあまり外に出ないけれど。
でもそうね、ちょっと会ってみましょうか」
窓を開け、ほんの少しの魔力を飛ばすとすぐに何かが飛んできた。
クリーム色の羽毛に、灰色の目。ハトと言うには少し大きい鳥だった。
髪を寄せて空いた肩に乗ると、そのまま毛づくろいを始める。
特に怖がってる様子もないから、臆病とはちょっと違うのかもしれない。言わないけど。
「さあ、ご挨拶よ。この子はつばさと言うの」
「音無弥代子です、よろしくお願いします」
頭を下げると、くるる、と鳴き声がした。
ぷーさんと同じように、人間の言葉は分かるらしい。魔獣というのはそういうものなのかもしれない。
それにしても、白の級長だからクリーム色、なのか。
きちんと飛んでいたから何かを被っているとかは無いだろう。
「魔獣って、どうやって作るんですか? 姿形は自分で決めるんですか?」
「いいえ、核に魔力を流し込んで、魔獣生成の呪文を唱えるだけ。
魔力の性質に左右されるけれど、それ以上に、術者の性格や本質が関わるそうよ」
まず、魔力の色。量。質。
次に、術者の性格。思考。
最後は核の品質と、多くの要素によって決まるらしい。
魔獣を従えようと思う者は、出来うる限り最高の核を探すそうだから、最後のはあまり関係ないだろうと。
「鳥という姿になる場合は結構多いそうよ。何というか……自由を求めてるとか、開放されたいとか、そういった意味を持つと言われているの。
心理テストのようなものだから、証明されているわけではないけれどね」
「現実に無いものだとどうなのでしょう?」
「黒峰のプラズマね。
数が少ないからはっきりとは言えないけれど、実在の生物に当てはめられない混沌、と言ったところかしら。
あそこまで黒ければ、姿形なんて問題ないでしょうけれど」
くるるくるると小さく鳴き続けるクリーム色の魔獣は、お煎餅の欠片を差し出されると啄ばみ始めた。
ぷーさんだけじゃなく、魔獣は食べ物を摂取するようだ。
「少し、羨ましいもの。
いくら白に近いとはいえクリーム色だから、心に迷いがあるんじゃないか、なんて言われて。
ならば思春期真っ只中にそんな作業、させないでもらいたかった」
魔獣を従えるのは魔導学園に入る時なのだと。
そして在学中に関わり方を学び、卒業を持って正式に外に連れて歩けるようになるそうだ。
だから我輩さまでも、ぷーさんを連れてこなかったのか。
それで魔獣の話は終わり、普通のお喋りの時間になった。
焔さんの話だったり、白の組の話だったり、あとは家族の話だったり。
茜先輩は白の本家の次女だそうで、お姉さんはもう婿を取っていて、数年もすれば当主になるらしい。
白は女系の家系で、代々婿を取って血を繋いでいると。
逆に黒は男系の家系で、色の近い家から嫁を取っていると。
「大昔は近親婚ばかりだったそうだけど、今はそうもいかないから大変だそうよ。
いっそのこと、弥代ちゃんがお嫁に行けばいいかもしれないわね」
「…………っ! なんで、そんな話に……」
いきなり軽い口調で言われてしまえば、口に含んだお茶もこぼれかけるだろう。
長年の初恋はどうしたんだ、そんな簡単に。
「わたしはもう、いいと分かったの。
ただ、どうせならわたしが好きな女の子とくっついてくれたほうがいいわ。
家は替われどこれから先も縁は続くのだから」
「だからといって、それは、無いです!」
慌てる私の反応を楽しそうに見てきたから、からかっているんだろう。
にしても、冗談が過ぎる。
学園内でさえ私が我輩さまの近くに居るのをよく思わない人が多いのに、それがそんな、家とか、本家とか。
ありえなさ過ぎて笑えない。
「あら……また飛んできたわね。何度呼ぶつもりかしら」
話している間も時たま我輩さまの魔力が飛んできていたけど、今度は連続でいくつもいくつも飛んできた。
よっぽど急用なのだろうか。でもそれなら電話でも……
「まさかまだ電話すら使えないのかしら……いいわ、こちらからかけましょう」
機械音痴にも程がある。
携帯端末を使えないのは分かったけど、固定端末もだとは。
取るのは出来ていたから、かけるのだけが出来ないんだろう。
受けるしか出来ないとは、もどかしいだろう。
もちろん茜先輩は普通に使いこなせ、数度ボタンを押して受話器を耳に当てた。
これが普通だ、絶対に。
『小娘か』
「白空よ」
少しだけ聴覚を強化すれば会話は聞こえる。なんとも不機嫌で、急いたような声だ。
『小娘はそこに居るのだろう、早く我輩の元に戻せ』
「嫌、今お話してるのはわたしだもの。一体なんの権利があってそう言うのよ」
『小娘は我輩の所有……』
「所有物ではないです」
続きが予想できたから先に断っておく。この声量なら聞こえているだろう。
詰まった声と沈黙の後、私に替わるようにとのことで受話器を渡された。
けどもう面倒だからスピーカーホンにしよう。
ここは茜先輩の部屋なんだから、聞かれて困る話はしないだろう。
『これより佐々木がやってくる、先日の対処の報告だそうだ。
当事者である小娘が不在ではどうにもならぬ。さっさと戻って来い』
なるほど、その理由なら私が居なければいけないだろう。
お茶もお菓子もお話も堪能したし、素直に従おうか。
「茜先輩、私戻ります」
『あと十分ほどで来るだろう、急ぐのだ』
「わたしも行くわ。何度も説明させるのは大変だもの」
『…………好きにするがよい』
距離を考えるとすぐに出なければ間に合わないだろう。
今回ばかりは別行動は難しいという事で、二人揃って足早に廊下を歩いた。
途中何度か、白や他の色の生徒とすれ違い、その度に挨拶と不躾な視線が投げ付けられる。
表立って何かをする生徒は居ないけど、人の抑えられない気持ちというものはどうにもしがたいのだろう。
実害は無いから、気にしない。気にしないのが一番だ。
黒い扉の前で茜先輩が魔力を飛ばし、そのまま入る。
魔力を体外に出せるというのはなんて便利なんだろう。
扉が閉まった途端ぶわりと薄墨色の魔力が迫ってきて、低い声が響いた。
「遅い」
「すみません」
我輩さまだって会いに行くよう言ってたんだから、ここまで怒らなくてもいいと思う。
でもここは素直に謝っておくべきだろう。最初に無視したのはこっちだから。
「貴方に行動を制限されるいわれはありません。
弥代ちゃんは弥代ちゃんの都合があるの」
「む……」
「弥代ちゃんのファーストキスをもらえたって喜んでたのに、台無しだわ」
「……救命措置にそんな意味は無かろう」
「さぁ、どうかしらね」
茜先輩、さっきは我輩さまと同じことを言ってたのに……意地悪だ。
巻き込まれないよう静かに自分の席に着き、茜先輩は小さな丸椅子を指差されそこに座った。
この部屋ではお茶とか接待とか、そういうのは無いんだろう。
私も出来ないから何も言わないけど、白の部屋の後に来ると、全てが真逆に思えてしまう。
『――――――。』
外から足音が聞こえた。
雰囲気からして佐々木さんだろう。
念話だとか魔力を飛ばすだとかいうことをしないはずだから、扉の前に立ったと同時、こちらから扉を開ける。
少し驚き、部屋の中の不機嫌な我輩さまと無表情な茜先輩を見てまた驚き、躊躇いながらも部屋に入った。
「……時間を頂き、ありがとうございます」
「よい、本題に入れ」
椅子に深く背中を預け、偉そうで不遜な態度。
横でピンと背を伸ばし、静かで近寄りがたい態度。
本当にこの人たちは、表裏が激しい。
「音無さんに危害を加えた生徒、一年無A組の三名は……別棟に移動させます」
「……妥当、ね」
「…………黒であれば呪ったものを」
重苦しい表情で頷く三人だけど、私だけ意味が分かっていない。
別棟って何だ。
その疑問が分かったのだろう。佐々木さんが少し表情を緩めて説明してくれた。
国立魔力指導学園。
魔力を持つ者を強制的に入学させる学園。
故に、途中退学は許されず、そして、転校先も存在しない。
しかしどんな集まりであれ問題児という者は存在してしまい、代々その取り扱いには手を焼いたらしい。
それを解決する為に作られたのが、学園の建てられている山の中に建てられたもう一つの棟。
そこは学校機能と寮として生活できる機能を持った、学園の縮小版らしい。
学園より奥に作られた棟は、出入は学園を介してしか出来ず、そしてそれ以外は崖で覆われていると。
つまり、学園を通らずに外界へ出ることは叶わない、謂わば隔離施設だそうだ。
「学園として、警察の介入は避けたいと。魔力持ちの犯罪に関して、法が確立されていないからね。
謹慎処置で済ませていいような行動ではなかったし、今後音無さんに近寄らない保証も無い。
厳しい処置かもしれないけど、人の命を軽んじたんだ、これくらいは必要だと判断した」
「別棟は……どんな所なんですか?」
「魔力の使用を制限され、属性分けもされていない。
無属性にとっては……とても、居心地の悪い場所だろうね」
いくらA組だったところで、属性持ちには劣る。
問題児が一緒くたにされ、隔離された場所で生活すると……。
「……私は、別にそこまでの」
「ならん」
そこまでの処置は望んでいない、と言いかけた私を、我輩さまは強い一言で止めた。
思わずそちらを向くと、茜先輩も頷いている。
どうして。本人がいいと言っているのに、どうして駄目なんだ。
「小娘は、自身に害をなした者に対し、甘い。
五感操作で痛みを感じ辛いとしても、害した事は事実なのだ。そしてそれは、罪だ」
「でも……」
「属性の有無ではない。学園の生徒としての、それ以前に人間としての問題だ。
他者を易々と害していいという思考が問題だ。
それを矯正するには、並大抵の措置では足りぬだろう」
だからって、そんな……。
私に手を出した理由は、納得は出来ないけど理解は出来る。
理解は出来るなら情状酌量の余地はあるんじゃないか。
「あの者たちは、小娘が我輩に仕えていることが不満だと。そうであったな?」
「教師立会いの話し合いで、そう答えました」
「ならば小娘。あの者たちの思惑通り、我輩の元を離れるか?」
「え……」
あの夜、聞かれた言葉。
口調も意味合いも違う。でも、答えは変わらない。
「あの者たちの悪感情を理解し、それで行動できるのか?
そしてそれで、納得できるのか?」
重い表情の中に少しだけ混じる、違う表情。
我輩さまは、分かって言ってるんだ。私がこんな理由で下りないって。
分かった上で挑発して、でももしもを考えてこんな……不安そうな顔なんだ。
「辞めません。そう、言いました」
「ならば我輩の補助役として、処置を受け入れよ。
この処置はこの場に居る三名の級長によって支持されている。
それを覆すだけの論があるのなら、聞くだけは聞いてやろう」
「……ありません。佐々木さんの……無の級長の決定に従います」
その後細かなことを話し、佐々木さんは出て行った。
級長として、級長に対し、毅然とした態度で対応する姿は、やっぱりとても頼もしかった。
「級長に選出されただけのことはある。よく判断した」
と、相変わらずの偉そうな言葉に、一瞬惚けて、すぐに理解して照れていたのは愛嬌があると言える範疇だろう。
その後すぐに下校時間を告げるチャイムが鳴り、茜先輩も帰った。
私も帰ろうとしていると、我輩さまが動く気配は無い。
仕事があるのだろうか。私も居たほうがいいのか。
腕を組んで目を閉じているのを、ぷーさんと一緒に眺める。
報告の最中は隣の部屋に居たらしい。終わって出て行った途端、すぐに飛び込んできた。
それからずっと、私の腕の中でぬくぬくとしている。可愛い。
「小娘よ」
「はい」
それから言葉が続かない。
眉をしかめて睨まれても、言ってくれないと分からない。
その点ぷーさんはとても分かりやすい。表情がすぐに目に出るというか、全身で表現してくれるというか。
……あれ? 魔獣の性格って、術者の性格に影響されるんじゃなかったっけ。
そもそもどうしてぷーさんは灰桃色なんだ?
灰色は多分、薄墨色の魔力の影響だろう。
じゃあ桃色は? 赤と白に縁者が居るとか?
いや、黒は近親婚の後、近い色とって言っていた。
「ぷ?」
ふわふわもこもこの身体。
灰桃色の毛皮。
表情豊かな態度。
我輩さまの本質は、ぷーさんのどこと繋がっているのだろう。
まぁ、いいか。
茜先輩だって、心理テストのようなものだって言ってたんだから。
きっと、私には理解できないような属性とか本家とか、そういうのが影響してるんだろう。
知らなくても困らない。問題ない。
「白空と茶をするのは、構わん。しかし呼び出しには応じろ」
「善処します」
はっきりとした肯定は返せない。
そしたら、今日みたいに始まったばかりの時でも帰らなきゃいけなくなる。
それは嫌だ。
「白空と茶をするならば……
うむ、小娘よ。今日は我輩と夕食を取るのだ」
「はぁ……」
今日はもう、時間が時間だから別室でないとご飯を食べられない。
だからそれでいいはいいんだけど……そんな当たり前なことをこんなに悩んで言ったのか。
さっきの話し合いの方がよっぽど難しい話だろうに。
「そうと決まれば行くぞ。ぷー、毛皮を着ろ」
「ぷ……」
嫌がっているのがすぐに分かる。
「部屋に戻ったら菓子をやろう」
「ぷ!」
喜んでるのもすぐに分かる。本当に、喜怒哀楽が分かりやすい。
すぽんと毛皮を被り、我輩さまもローブのフードを目深に被る。
これでよく前が見えるものだ。
私も身支度を整え、揃って部屋から出て、鍵をかける。
こういうところは魔力がどうこうではなく、アナログだ。
「我輩さま、筋肉痛はどうですか?」
「………………今日はあの後、部屋にこもっていた」
なんと、級長ともあろう人がサボタージュと。
よく見てみれば、歩き方が少しぎこちない。
ローブのはためきが邪魔をして、気にしてみないと分からないだろうけど。
「小娘は……元気なようで、何よりだな」
「そう言うなら、その恨めしそうな顔はやめてください」
「……しておらぬ」
「しています」
「おらぬ」
「しています」
そんなくだらない言い合いをしながら食堂へ行くと、珍しく級長が揃っていた。
佐々木さんが報告に回ったそうで、帰りが似たような時間になったらしい。
ちょうどいいので、騒がせたことに謝罪とお礼を一まとめに言い、黒色の布のかかった椅子に腰掛けた。
今日は豚の生姜焼きだ。
「豚肉は筋肉にいいらしいですよ」
「この場でその事を口にするでない」
そう言いつつ、しっかり食べてたから気にはしていたようだ。
前に指摘してからこの部屋の中ではフードを脱ぐようになり、表情がよく分かる。
拗ねたような不満なような、むっとした表情は見ていて飽きない。
物珍しさか、元が美人だからか。それとも、私が思いつかないような理由があるのかもしれない。
茜先輩とのお喋りとは違うけど、我輩さまとの食事も同じように楽しいと感じるというのは、よく分かった。
問題は、次の日から始まった。
授業が終わり帰り支度をしていると、我輩さまの魔力が飛んでくる。
呼び出しに応じて部屋まで行くと特に仕事はなく、勉強を教えられたり歴史を教えられたり、ぷーさんの相手をするように言われたりと、日によって様々なことを言われた。
正直、我輩さまが教えてくれる色々は無属性には不要の知識で、成績に活かせることは無い。
そう伝えると今度は、教科書を元に教えてくれるようになった。
その度に、カリキュラムがどうのこうのと愚痴を零す。
そして下校のチャイム。後に別室で夕食を食べ、各々寮に戻る。
「我輩さま、今日は帰っていいですか?」
それが何日も続き、今日もそうなりそうだったから言うことにした。
今日も部屋の中ではぷーさんがぷかぷか浮かんでいて、我輩さまの頭に軽く体当たりをしている。遊ばれてる。
「何故だ」
「ここのところ毎日じゃないですか。
クラスメイトとご飯を食べたの、ずい分前です」
「だからどうした」
だからどうした、と?
人間関係を築くのが不得手な私にとって、クラスメイトとの関係は相当に大事な物だ。
三年間同じクラス、三年間同じ寮。そんな人たちと上手くやっていけているのだ。
これを壊すのは正直避けたい。
「私にも交友関係というものがあります。
明日は茜先輩と約束もあるので、仕事は今日のうちにお願いします」
「……級友とは、昼に一緒であろう」
「食堂とお弁当は違います」
「……白空とは、この間会ったであろう」
「もう先週です」
「…………」
なんだ、この会話は。
前はこんなに呼び出しは無かったし、誰とどうしたというのも無かった。
薄暗い中でフードを目深に被って、明らかに表情を隠して言われても、私には理解できない。
つい、出来心で……なんて言うつもりはない。
ただ、表情を見たかった。だからフードを掴み、一気に引き上げた。
「なっ……何をするのだ!?」
「我輩さまがよく分からないことを言うからです。
私は五感操作に頼っているので、五感に映らないものが分かりませんから」
「だからといっていきなりこんなことをする奴がおるかっ!」
「ここに居ます」
怒ってるのは分かった。
ここからはもっとよく観察して見極めよう。
「小娘は本当に……我輩の常識を破りおる」
「闇の本家と、無の一般家庭とでは常識そのものが違います」
「そうではない。そうでは、ないのだが……」
じっと見つめると、ふいに視線が逸らされた。
少し汗をかいていて、少し鼓動が速くて、少し……動きがぎこちない。
筋肉痛はとっくに治っているはずなのに、何が原因だろう。
「体調が悪いんですか?」
「……よくは、無い」
「熱は無いですね。風邪ですか?」
「……分からぬ。ただ、気分が異様なのだ」
「異様とは、どう?」
「…………知らぬ」
ここまできてとぼけるらしい。
ぷーさんを見てみると、上目遣いで身体を傾げてきた。
分かっているのかいないのか、そこまでの判断はつかない。
異様な気分、か。
気分……感覚? 気持ち? どちらの意味だろう。
前者なら分かる可能性もあるけど、後者なら不可能だろう。
「誤魔化さないで、早く話して下さい。帰りますよ」
「む……小娘は、そうだな……我輩が、他の人間と共に居る場面を見て、どう思う」
「……珍しい、ですかね。一人で居ることが多いので」
「それ以外は無いのか」
「特には」
「それが普通だな……しかし、今の我輩は、そうでないようなのだ」
意味が分からない。
何が言いたいかも分からない。
「小娘が他の人間と居ると思うと……ひどく、落ち着かぬ。
先日教室まで赴いた時も、白空と会っている時も。
よく、分からぬ。このような気分は初めてだ」
私……?
私が我輩さま以外の人と居ると、落ち着かないと。
それも白と黒で微妙な距離な茜先輩だけでなく、一緒が当たり前のクラスメイトでも。
「妙に……気分が急く。理由は分からぬが」
蝋燭の明かりのせいか、我輩さまの表情がとても揺らいで見える。
真っ黒な、薄暗い部屋の中で、ただの男子生徒が、悩んでる。
腕の中のぷーさんが頷くように動いたが、何か感じるものがあるのだろうか。
確か魔獣の考えが伝わると言っていたから、その逆もあるのかもしれない。
手を伸ばしてもこもこした毛皮を撫でると、擦り寄ってくる。
「寂しい、ですか?」
ぷーさんは多分、寂しがり屋だ。そして甘えたがりだ。
ならばその主人である我輩さまも、そんな片鱗を持っているのかもしれない。
「寂しいとは……違う気がする。よく、分からぬ。
ただ小娘が、我輩以外の人間と親しげにしていると……何故か呪いたくなる」
「物騒なこと言わないでください」
「そう易々と呪いなどかけぬわ。気分の問題だ」
そんな気分になられても困る。
寂しいとは違うけど、私が他の人と居るのは落ち着かないと。
どういうことだろう。
そんなよく分からない、繊細な心境を吐露されても、返せる言葉が思いかばない。
落ち着かない、気分が急く。焦っている? 何に。
最近我輩さまが一番心を乱したのは何だ?
態度が変わったきっかけは何だ?
「…………私は、居なくなりませんよ?」
「……偽りは無いか」
「事故や病気は避けられませんが、それ以外では」
黒の級長の補助役を辞めるつもりはないし、生きるのを止めるつもりもない。
どちらもきちんと、望んでいることに気付いたから。
私の中で決めたことを口にして伝えれば、少しは気持ちも落ち着くんじゃないだろうか。
……我輩さまにとって、私がそう大層な人間かは、分からないけど。
「……我輩の許可なく居なくなるな。絶対にだ」
「はい、分かりました」
「……小娘の返答は、たまに空返事の場合があるからな。腕の陣を広げるか」
「そこまでしないでください」
「しかしだな……」
やっぱり私の言葉ごときでは、我輩さまの変調は変えられないようだ。
言葉以外で何が出来るだろう。
落ち着かない気持ちを治められる、落ち着かせられること……。
「我輩さま、手を貸してください」
「……何だ。また何事か抱えておるのか」
「いえ、そうじゃなくて。手を出してください」
机を挟んで立ったまま、右手を突き出した。
いわゆる、握手を求める格好だ。
私の行動の意味をはかりかねているようで、しばらく考え込んでいる様子だったけど、諦めたのか右手を少しだけ伸ばす。
机に身を乗り出して、半ば強引に手を取ると、そのままぎゅうっと握った。
「さすがにおんぶは出来ないので」
あの日、あの夜。疲労もあっただろうけど、夢を見ることなく眠れた。
我輩さまからもらった体温と、拘束と言いつつ握っていた手の平と。
きっとそれがよかったんだと思う。
だからこうすれば我輩さまも、少しは気分が落ち着くかもしれない。
落ち着くと、いいな。
「……小娘は、体温が低いのだな」
「我輩さまはあったかいですね」
いつもいつもローブを被っているからなのか。
こんな格好で、夏はどうしているんだろう。
「こうされると、幼子のような気分だ」
「小さい子供はこういうことするんですか?」
「どうだろうな……我輩は、そうではなかった」
「私もです」
「……小娘、腕が疲れた。こちらに来い」
そう言うなり、またしても魔力を使って椅子を引き寄せ、自分の左隣に置いた。
自分の手でやってもすぐなのにと思うけど、今日の我輩さまは魔力に満ち満ちてるから何も言えない。
命令通り椅子に座ると、そのまま右手を取られた。
横に並んで、我輩さまの左手と私の右手とで繋がれる。
握手ではなく、手を繋ぐ、になるのか。
思い返してみれば、手を繋ぐという行為はほとんどしたことがないかもしれない。
遠い記憶の中、母方の祖母としたくらいか。
「落ち着きましたか?」
「ふむ……悪くはないな」
さっきまでの機嫌の悪い雰囲気はなくなり、どこか力が抜けたような感じだ。
それを察したのか、いつの間にか天井近くをぷかぷか浮かんでいたぷーさんが下りてきて、私の膝の上に収まった。
左手に擦り寄ってきたから撫でてみると、満足したのかされるがままだ。
右手と左手から伝わる温度はほとんど同じで、両手を繋いでいるように感じる。
キャンプでやっていたフォークダンスみたいだ。
両手を繋いで、回って、離れて。
今は片手ずつだし、座ってるし、離れないから違うけども。
そんなことを考えていると、我輩さまは引き出しから本を取り出し、器用に片手で広げて読み始めた。
見たことのない文字と見覚えのある模様が描かれているから、もしかしたら呪文書なのかもしれない。
属性持ちの人たちは魔力を使って様々な事ができて、その中には私の腕にあるような陣を敷くこともあるそうだ。
無属性には無用の長物。教科書すら配られていないから想像でしかないけど。
「あの……」
「なんだ」
「手、離さないんですか」
「……」
「両手塞がってると、何も出来ないんですけど」
「……仕事は特にない。ぷーの相手をしておれ」
本に目を向けたままそっけなく言われる。
確かにそれなら塞がってても困らないけど……。
「小娘は普段……誰彼無しにこのような事をするのか」
「いえ。昔、祖母としたのを思い出したくらいです」
「そうか」
左手にじゃれるぷーさんは、いつもよりご機嫌だ。
我輩さまももっと分かりやすく感情を出してくれればいいのに。
「これ、気に入りましたか?」
「…………悪くはないと言ったであろう」
そう言うと、むすっとした表情で本を読み始めてしまった。
今はフードを被っていないから顔がしっかり見える。
真剣な目で文字を追い、口元だけが何かの表情につられているようだ。
それが何かは分からないけど、不機嫌じゃないだけいいだろう。
この日以降呼び出しの回数は減ったものの、仕事が終わってから下校のチャイムが鳴るまでずっとこの状況を強いられてしまい、良かったのか悪かったのか……。