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Part 7

 幌馬車が、緩やかな山道をトロリトロリと進んでいる。

二頭の馬の手綱を握る御者は赤っ鼻から垂れる水をすすって、

「見事な秋晴れだわい」

と嬉しそうに言って、木漏れ日に眼を細めた。

 道の先から、猟師の集団が歩いてくるのが見えた。

毛皮を纏った五人組の男たちは矢筒を腰に、弓を肩に掛けていた。

「爺さん、一人で峠越えか?」

猟師の一人が訝しむように御者を眺めると、残りも同様に彼を見た。

「へぇ、あいにく人を雇う余裕が無いもんで」

「麓の立て札を見なかったのか。ここらは山賊が根城にしてるんだ」

「悪い事は言わない。引き返して従者なり人を雇え」

「ここいらの山には、昔から人が住んでますわ」

御者はフガフガと笑いながら、

「老いぼれを虐めるほど虚しいこともありますまい」

「忠告はしたからな」

「へへ、ええ、こりゃ親切にどうも」

御者は手をヒラヒラ振って、すれ違う一団を笑顔で見送った。


 峠には検問が敷かれていた。

山道は柵で封鎖され、武装している者も幾人かいる。

町の人間が通行証に判を押したり、積荷を改めたりしている。

 通行許可を待つ行列ができていた。

うな垂れる馬たちの背中は湯気をまとい、

周囲は薄っすら(もや)に覆われているようであった。

 御者はその列の最後尾で幌馬車を止めた。

(ふもと)とは気合の入れ方がケタ違いだ」

 荷車に積荷の隙間から二人、青年と少女がヌッと現れた。

「ここからは歩いて行きます」

「本気か?」御者は眉をひそめた。

「妹さんも行くのかい?」聞かれた少女は俯きがちに頷いた。

時折、検問所からは馬の(いななき)に混じって複数の怒号が聞こえる。

引き返すための回り道も用意されており取調べの容赦の無さがうかがえた。

「言わば僕らは不法入国者。捕まれば貴方にも迷惑がかかる」

「だからって、奴らも子供相手に手荒な真似はせんだろうに」

「僕は本気ですよ」

御者は青年と目を合わせ何を感じ取ったのか溜め息をついて項垂れた。

「まぁ、好きにしたら良いさ…」彼は呟いた。

「何かの縁だ。良かったら名前、教えてくれるかい?」

「お互い、知らない方が良いこともある」青年は首を振って答えた。

「そうか。そうかもな」

行列が動いた。

御者は別れの言葉を告げ、馬車は彼らを置いて動き出した。

彼が曲がり道に消えるのを見届けて、アランとリリィは歩き始めた。

検問を遠巻きに見ながら、二人は傍らの斜面を登りはじめた。

「やっぱり、麓で許可証を買うべきだったわ」

リリィはウンザリしたように足下の雪を蹴り上げた。

「せっかくの移動手段が台無しよ」

「手持ちも満足に持ってないのに?」

アランは彼女の蹴った雪の粒子が舞うのを見て、

孤児(みなしご)も同然の俺らが怪しまれずに買えるもんか」

「親が居ないなんて、そう珍しいことじゃないでしょ」

不貞腐れたようにリリィは言った。

「私たちには叔父さん達もいるし」

「でもここに飛んで来て、助けてはくれないよ」


 ひとつの山を登り切ったようで、急に視界が開けた。

見えたのは恐らく一生辿り着けないであろう真っ白な山脈だった。

「いったい、いくつ山を登ればいいのかしら」

リリィは太い木の根に座り込んで汗を拭った。

その横でアランは地図とコンパスを重ねて見て、

「大丈夫、方角は合ってる。そんなに遠くない」

「でも、この後も登るんでしょう?」

「断崖を登るわけじゃないし、行けるんじゃないかな」

「そんな上手く行くものかしらね」

 アランが下り始めの一歩を踏み出した時、

「シュッ」と、鋭い風切り音が彼の足下を掠めた。

彼は反射的にリリィの手を取って駆け下りた。

リリィはすぐさま兄の手を振りほどき、両手を振って全力で彼と並走する。

「見えたか?」

「なにが?」

「いや、なんでもない」

「兄さんに見えなくて、私に見えるわけ無いじゃない」

彼らが雪面を通ると、足下の細かな雪が舞い上がる。

アランは襲撃から逃げつつ樹木を蹴りつけ、周囲に粉雪を振り落とした。

数回、矢の通り抜ける音がするが幸いどこにも当たらなかった。

 根元から横倒しになった木を見つけ、二人はそこへ隠れた。

幹の太さがアランの身長を優に超える巨木で、中身は空洞であった。

「誘導されてるんじゃないの?」

「そんなこと知るもんかッ」

なおも後方からは執拗に矢が放たれ、無数の矢羽が周囲に立っている。

「何人か分かるか、リリィ?」

彼女は雪面に手を当ててみたものの、早々に手を引っ込めた。

雪の記憶などは曖昧模糊で、雲を掴むことと大差なかった。

「わかりっこないよ。ただの雪だもん」

「どうすりゃ良いんだ」アランはため息混じりに呟いた。

突撃を決め込むほどの体力も気概も、今の彼には残っていなかった。


「待って」リリィは彼方を指さした。「何かが…」

「どこに?」アランは鳩のように素早く周囲を警戒する。

しかし、あるのは雪だけで、人影はおろか気配すら掴めない。

「本気かい、リリィ?」

「冗談なんて言うわけないでしょ」

目の前の樹木から伸びる枝が、カタっと音を立てた。

枝は大きく揺れて、雪の粒子を花びらのように落としたが、

それを見届ける猶予も無く、アランは顔から地面の雪へと突っ込んだ。

何者かが両手足でもってアランの肩から背中にかけて飛び乗り、

上空から獲物を仕留める猛禽類が如く襲いかかってきたのだ。

「嘘ッ…!」

リリィの目にしたのは、厚手の白い服に顔の下半分を布で覆った男であった。

アランは羽交い締めのまま無理矢理に身体を起こされた。

「この野郎ッ」彼はの幹を蹴り上げ、

体重を背後の男に預けながら、

男ごと登ってきた斜面を滑り落ちた。

地面から顔を覗かせる枝を薙ぎ倒し何度も回転する中で、

アランは男の背後にまわり首を絞め上げていた。

「グエッ」と、まだ若々しさを残す声で男は呻いた。

「それ以上はやめときな」

声の主は上からだった。山賊がもう一人現れたのだ。

いつの間にか現れた白装束はリリィの腕を絡め取り、

彼女の喉元にキラリと光る刃を当てていた。

アランも片腕で男を絞めつつ、

(ふところ)からナイフを抜いて人質の首筋に当てた。

「諦めな」山賊は再び、アランに忠告した。

よく聞くと、それは女の声らしかった。

「彼女を離せ」アランの声が木霊(こだま)する。

「お互い、怪我したくないだろう」

彼の言葉に動じるような素振りは見せず、むしろ余裕綽々(しゃくしゃく)といった態度で、

「仕方ないね」女はピィィと、つんざくような甲高い口笛を吹いた。

直後に、アランと男は足下から何者かによって持ち上げられ、吹き飛んだ。

 彼の視界の隅に現れたのは巨大な熊、

正しくは、熊の毛皮を身に纏った大男であった。

足下から現れたソレは恐ろしい巨体でもってアランに突進を決めた。

 彼の身体は、風に煽られた木の葉のように簡単に宙を舞い、

はるか後方にある白樺の幹を数本折って雪面を転がった。

アランは即座に立ち上がろうとしたが背中を打って呼吸が出来ないでいた。

すぐ横に足音がして目線を上げると仮面の男が立っていた。

「ハァ。痛かったなァ」

彼は首回りをさすりながら、アランの顎を革のブーツのつま先で軽く蹴り上げた。

「がッ…」コツン、と、それはほんの少しの衝撃だったが、

アランの頭は、金槌で脳天を殴られたかのように激しく揺れた。

首と背中を伝って身体の末端まで、全身をビリビリと痺れが走る。

視界は歪み、意識が遠退いていく。

 暗闇に響くリリィの声。

意識の途切れる瞬間まで、彼女の声はアランの頭に響き続けた。

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