Part 5
それは人々が忙しなく行き交う、街の大通りのど真ん中、
巨大な三つ又の街灯の頂点に首を括られ、風に揺れていた。
ルネ・ビショップのは、元同僚の亡骸を見上げていた。
縄は首肉に食い込み、顔は熟した葡萄のように青黒く変色していた。
遺体の真下には滴り落ちる排泄物を拾うバケツが数個、乱雑に置かれ、
無数の小さな虫たちがその周囲を飛び回っていた。
「こりゃまさに蝿の王ですな」
愕然として見上げていたビショップの隣に、
ボロ布を頭に被ったネズミ顔の老人が立って言った。
「ま、当然の結果だわさ」
「缶詰街で何があった?」
ビショップの問いかけに老人は肩をすくめた。
「おおかた、娼婦や男娼を手にかけたんでしょう。
商品を傷付けられちゃあ、どの店も黙っちゃいませんよ」
「誰がやったか、わかるか?」
「さてね。奴を殺したいほど恨んでる人間は、ごまんと居りますからな」
老人はヒィヒィと、痰の絡んだ笑い声を上げた。
「取り巻きの若いモンも腰抜け揃いさ。頭が吊るされたってのに、
自分達は知らん顔で呑んだくれてやがる」
「そいつらには、どこに行けば会える?」
ビショップは紙幣を二枚、懐から取り出してみせた。
老人は顔を上げて、静かに驚きの声を上げた。彼の右眼は斜視だった。
「へぇ、こりゃ帝立造幣局の。本物かい?」
「この街でも、まだ使えるんだろう」
「そりゃもちろん。おまけに帝都のお墨付きとなりゃあ、値が張りますぜ」
ビショップは紙幣を一枚だけ握らせると、
「案内してくれたら、もう一枚も渡そう」
と言って、老人の肩をポンポンと叩いた。
土埃の舞いちる中で、斜視の眼が柔和に細くなった。
缶詰街の、特に貧民街や商店街、飲食街は、
各々の欲望に任せた勝手な増築により、縦横無尽、複雑に入り組んでいる。
土地勘のある人間でなければ迷うこと必至の巨大迷宮であった。
「あっ、アレアレ、ほらっ、アイツらだよ旦那」
老人はビショップを手招きして呼んだ。
報酬がかかっているだけに必死の形相だ。
たしかに酒場の一角を占めているのは十代から二十代の若者たちだ。
誰かに従うでもなく餌場に群がる雀のように固まって酒を呑んでいる。
「ねっ、ねっ、本当にいたでしょう?」
「そうみたいだな」
よし来た。と、老人は両手を皿の形にしてみせた。
「要件が済んだら、な」
「あっ、ちょ、ちょっと旦那っ」
ビショップは店内へ入ろうとするので、老人は慌てて道を塞いだ。
「まさか、アイツらと顔を合わせるんで?」
「その為に来たんだ」
「ルーディの子飼いですぜ。なにされるか分かりませんよ」
「そんなこと分かってる」
「あの男を知らないからそんなことが言えるんだって、ちょっと旦那!」
老人が制止もむなしく、ビショップは彼の脇をすり抜け店に入った。
すぐさま男達の威嚇する視線を浴びるも、
ビショップは臆することなく若者らに接近し、
隣の席の椅子を引っ張り出して、彼らの席に加わった。
「やぁ、ちょっといいかい」
「なんだ、テメェ」
「俺はルーディ・ヨーゼフの古い友人なんだがね」
ビショップは、明らかに場の空気が変わったのを察した。
若者たちは目配せをしていた。
「アイツ、大通りで宙吊りになってるだろう?」
「失せな、オッサン」
「君たちなら、何らかの理由を知ってるだろうと思って」
「知らねえよ」
「ルーディと最後に会ったのはいつ頃だ?」
ビショップの向かいに座っていた坊主頭が立ち上がって睨んだ。
「おうテメェ、あんま調子乗ってっとよォ」
気付けば、店内に客は若者たちとビショップだけになった。
奥のカウンターに立つ店主が、苦虫を噛み潰したような顔で見ている。
頼むから余所でやってくれ。と、目がしきりに訴えている。
「……ここだと迷惑だ。場所を変えよう」
ビショップが立ち上がると、男達も立ち上がる。
蹴られた椅子が背もたれから床に倒れ、音を鳴らした。
外に出ると店外から見物していた野次馬が散って行く。
数人の若者に囲まれ路地裏へと消えていくビショップは、
誰の目にも、不良にカモにされる哀れな中年男に映っただろう。
「旦那ァ。頼むから死なないでくださいよォ…」
一枚の紙幣を握り締めながら、老人は呟いた。
間もなく、大きな怒鳴り声が聞こえて、そしてすぐに止んだ。
路地裏へ連れ込んだ男は、只の中年でなかった。
若者たちは手痛すぎる反撃をこれでもかと受け、全員が地面に伏していた。
ビショップは男の胸ぐらを掴んで持ち上げ、壁に押し付けた。
鼻から血を垂らした男は、首が座らずグッタリとしていたが、
数回、頬を強めに叩かれると、ようやく意識を取り戻した。
そして眼前のビショップを確認するや否や、再び悲鳴を上げた。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ」
「もう一度聞くぞ?ルーディについて知ってることを話せ」
「いやっ、あのっ、ホント、なにも知らないんですっ」
「お前だけ唯一、話が通じそうだから手加減したんだ」
男の目からは大粒の涙が溢れ出た。
涎と血が口もとで混ざり合って、なんとも滑稽で醜悪である。
しかし、それらを取り繕う余裕すら男には無かった。
ビショップの眼光は彼に本能的な恐怖を与えていたのだ。
この男は、殺すと決めたら躊躇いも殺す。出来る。
「しっ、ししっ、知らねぇって、何度も言ってんじゃないすかァ」
「アイツと何時頃まで一緒だったとか、何か言ってたとか…」
男は何度も首を振り、やがて激しくえずいた。
「そういうのは、ブルワさんの担当というか、俺らは只のパシリで……」
「じゃあ、そのブルワって奴は何処にいる?」
男は再度、首を振った。垂れていた赤い鼻水が、頬にペチンと張り付いた。
「ルーディさんと仲良かった人は、みんな消えちゃって」
とうとう彼は子どものように噎び泣きはじめた。
ビショップはとうとう彼を見限り、胸ぐらを掴む手を放した。
男は路地の奥の暗がりへと、四つん這いになって逃げ去っていった。
他のチンピラ達も姿を消していた。
路地から大通りに出ると、そこには見物客が出来ていた。
「ひやぁ、アンタ、随分と強いんだねェ」
上機嫌そうに走り寄る老人の手に、ビショップは約束の紙幣を渡した。
「軍人さんだろう。鍛え方が違うもんなァ」
まぁな。と呟いて、ビショップは後ろ首を摩りながら答えた。
街は死の真相よりも、暴君が消えことに喜んでいた。
彼はすぐに街を去った。