Part 4
肩を揺さぶられ、リリィは自分が眠っていたことを知った。
木漏れ日の下、彼女は木の幹に背を預けていた。
目の前には幼い双子がしゃがんで彼女の顔を覗き込んでいた。
ミコとチコ、ジェファーの子どもである。
母親の留守の間、リリィは年長者として子守りをすることがあった。
子守りと言っても遊びたい盛りの双子の姉弟は手加減というものを知らず、
彼女は常に振り回されてばかりいるが、案外それが楽しかったりもする。
「リリィ、大丈夫?」
「ごめん、寝ちゃってたね」
「どうしたの、泣いてるよ」
「えっ?」
頬を滑り落ちた涙の筋が、顎下にたまって、真下にある手の甲に落ちた。
姉のミコの土まみれの指がリリィの頬に触れて、そこだけ土色に跡が残った。
「お腹痛いの?」
「ううん、大丈夫。ちょっと夢を見てただけ」
「それって怖い夢?」
「そうなのかな。うん、そうかも……」
恥ずかしげに笑いながら、彼女は目を拭った。
「誰か、お家に来た?」
姉弟は、示し合わせたわけでもないのに、ほぼ同時に首を振った。
三人のいる丘からは、広大な畑と牧場が見渡せた。
ジェファーと近隣住民が共同で管理している農場である。
菜園には土いじりをする人影が、畜舎からは家畜の鳴き声が聞こえる。
長閑な景色だった。
「あ、お母さんだっ」
遠くの荷馬車を見て、ミコが走り出した。弟のチコも慌てて丘を駆け下りる。
積んだ馬車には、荷台に男が二人、御者の隣にはジェファーが座っている。
「ご苦労さま、リリィちゃん」
ジェファーの提げている籠の中から林檎を二つ掠め取ると、
二人の間をすり抜けて、チコとミコが笑いながら丘の上へと走った。
「あっ、こらっ、ちゃんと手ぇ洗ってからよ」
「二人とも沢山遊んだから、お腹が空いてるのね」
「まったく。土いじりばっかりして……」
ジェファーの持つ籠には、果物や野菜、腸詰などが積まれていて、
その上から、身を開かれて平たくなった魚の干物が数枚、重ねられていた。
いずれも近隣の農場との物々交換によって得た物である。
相当な重量がありそうだが、彼女は片腕で軽々と持ち上げ、なお飄々としている。
現に、袖まくりした小麦色の腕は艶やかながら岩肌のように隆々としていて、
そこら辺の男たちが束になっても勝てないような精悍さがある。
「今度から、あの二人にも農園を手伝ってもらおうかしら」
「きっと喜んで手伝ってくれるでしょうね」
そうね。と、ジェファーは、楽しそうに地面を転がり回る双子を見て、
「でも、その後は地獄の洗濯が待ってに違いないわ…」
と、頭を掻きながら呆れたように笑った。
「リリィちゃん、今夜こそ夕飯、一緒にどう?」
ジェファーは尋ねた。
「今夜、ですか」
「肉も野菜もたんまり貰ったし。寒い夜には一緒に、ね?」
彼女は、何度断られても退くことはなかった。
お節介な女だと思われようと、この兄妹を見ていると、
自身の子供達と重なってしまい他人と言えど構わずにはいられないのだ。
ジェファーは、助け合うことこそが、
この世界を生き抜くための最善の方法だと信じていた。
なればこそ、旅の途中という孤児の兄妹には力を貸してあげたい。
「多分、もうすぐ兄さんも帰ってくると思うから…」
私たちは小屋のほうで……と続けようとして、
「あら、そうなのね。なら尚更、みんなで一緒に食べるべきよ!」
と、ジェファーは目を輝かせ、ずいと身を乗り出した。
「あの、でも……」
「そうと決まれば、早速、取り掛かりましょっ」
「あ、ちょ、ちょっと、ジェファーさんっ」
ジェファーの腕が、遠慮するリリィの体を絡め取った。
彼女は右に食材籠、左にリリィを小脇に抱えて、
自宅へつづく道を悠々と歩き出した。
「まぁ、随分と軽いのね、リリィちゃんは。どうなってんのかしら」
天秤のように左右の重さを確かようと、ジェファーは左右に体を揺らした。
「あはは、ジェファーさん、ちょっと、くすぐったいよっ」
リリィはケタケタと大声で笑った。
普段なら蝋燭の淡い灯りの漏れる小屋が、今夜は闇に潜んでいる。
アランはまず周囲を注意深く見渡して、追っ手の存在を懸念した。
雲ひとつない冬の月夜は昼にも劣らぬ明るさで、虫の音もない。
「リリィ?」
小屋に入り、アランは名前を呼ぶが、案の定、返事はない。
「ジェファーさんのところか……」
腰のナイフはそのままに、彼は家屋へと向かった。
足音を聞いて、リリィが窓から顔を覗かせた。
「兄さんっ」
すぐに頭を引っ込めて、彼女は玄関に回った。
「おかえりなさい……」
「なにしてるんだ?」
聞かれて、彼女は扉の前に立ったまま、伏し目がちに言った。
「あの、ジェファーさんが、夕食を一緒にって」
「……リリィ、約束しただろ?」
「そ、そうだけど……」
リリィは両手をうつむいたまま、両手を固く握って黙りこんだ。
「お世話になるのは止そうって、二人で決めたじゃないか」
「そんなこと言ったって、ご飯を一緒に食べるだけじゃない」
「なぁ、リリィ。俺たちが何してるか分かってるのか?」
アランは自分からそう言って、内心、心を痛めた。
自分たちが人殺しの旅をしている事は、当然ながら知られてはならない。
知られたところで、ジェファーなら冗談として笑い飛ばすだろうが、
実際のところ、アランは二人を手にかけた正真正銘のお尋ね者だ。
凶行を実行に移すのはアランであるが、共にいるリリィも充分に同罪だし、
場合によってはジェファー達にも危険が及ぶ可能性がある。
「ジェファーさん達を思えばこそ、こういう事は、駄目なんだ」
苦しそうな面持ちで、アランもうつむいた。
足音がして、ジェファーがリリィの横に立った。
一日の仕事を終えた彼女は後ろで一本に結んでいた髪をほどき、
袖の広い、ゆったりした部屋着で、柔和な笑みを浮かべていた。
「さて、話し合いの結果は?」
アランはリリィの言葉を待った。
だが彼女が一向に顔を上げないのをみるや、少しだけ躊躇った後に、
「ジェファーさん、身寄りのない僕達に、理由も聞かずに施しを与えてくれて、本当に感謝しています」
「……」
「ジェファーさんの料理はとても美味しくて、その、食べると元気が出て……」
「……」
「この前の、ベーコンも今まで食べたことないくらい……」
「お腹、空いてるんでしょう?」
ジェファーの穏やかな口調に、アランは素直に頷いていた。
ペタペタと小さな足音がして、ジェファーに抱き着いた。
彼女の背後からは双子の小さな頭が二つ、ヒョコッと飛び出した。
「いっしょに食べよう?」
「今日はジャガイモのシチューと、焼きリンゴよ」
二人はスプーンを片手に、すでに準備万端という風だった。
あとは、アランの承諾次第なのだが、彼はなおも躊躇い、目を伏せた。
リリィが一歩前に出て、彼の腕を取った。
「夕ご飯ね、今日は…というか、毎日、私も手伝ってるの」
腕を掴んだ手に、徐々に力が込められていくのを感じた。
「怖がらないで、兄さん」
アランの身体から力が抜けて、彼は妹の導かれるままに歩を進めた。
肌に感じる温もりと夕食の香りに、彼は思わず涙した。
長らく忘れていた感覚が久しぶりに蘇ったような気がした。
「あ、お兄ちゃんも泣いてるっ」