Part 19
アランの頭は、雪のように真っ白だった。
カタカタと震える膝に悴んだ手を当て荒々しく肩を揺らし、
渇いた喉奥から湯気を朝靄のごとく大量に吐き出していた。
眼前の仇敵、マディソン・ヤングは、やはり只者ではなかった。
ほんの数分、体感的には数秒程度、始まったばかりであるにも関わらず、
彼との果たし合いが、あまりに無謀であることをアランは実感させられた。
腹の中が高揚と緊張で胸焼けしそうな程に色めき踊っている。
「くそッ」やってやる。やってやるんだ。
アランは身体を起こして深く息を吸った。
「お前、その服どこで拾った」
マディは頭の雪を払いながら平然とした態度で尋ねた。
「答えろよ、坊主」
「……父の形見だ」
アランの応えに、彼の瞳が、一瞬だけ打ち震えた。
そして「そうかそうか」と、うわ言のように呟いては含み笑いをして、
わざとらしく子どものように声を出して落胆の溜め息を吐いてみせた。
「どうして、こう、人生ってのは上手く行かないんだろうなぁ」
「あんた達には報いを受けてもらう」
「報いか」マディは首筋に手を当てて、
「ロニーとルーディを殺ったのも、お前か?」
と、それまでの態度をやめて、極めて真剣な声色で問いかけた。
一瞬のうちに場の空気が変わったのをアランは感じ取った。
相手の間合いの限界手前まで歩み寄り、逆手でナイフを構える。
「逃げんなよ。絶対に」
この野郎。マディは歯ぎしりした。
「おい、隊長だ」
「どうしてあんなところに……」
「相手は誰だ?」
「あれが山賊か?ちと人相書きと違う」
木陰から様子見しつつ、隊員達は各々の飛び道具を構えた。
「良いのか?」
「恩は売れる時に売っとけ」
「おいおい、あとで殺されるぜ」
「いや、今だよ」
男の首が二回転半して身体を硬直させた。
音のした方に顔を向けた男たちの側頭部を矢が貫通し、
木の幹に留まって熟した林檎のようになった。彼らは、たちまち屠られた。
合流したキリアとリガートは顔を見合わせた。
「粗方、片付けたぜ」
「よし、無事生きてるね。これじゃあペンネのほうも大丈夫でしょ」
「腰抜けはサッサと降りて逃げちまったからな」
「追い掛ける必要も無いか」言いつつ、キリアは雪原のほうを見た。
「もう。いつまでやってんだい」
見通しのよい開けた場所に、二人が立っている。
弓を引けば一瞬で終わるが、彼女はそうしなかった。
あくまで、それはアランが倒れてから。だが見殺しにする気は無い。
マディは口に溜まった血を雪の上に吐き棄てた。
袖で拭うと彼の顔の下半分は寒風で血糊が固まりペイントのようになった。
「忌々しいよ。お前も、お前の親父も」
彼は自身の足下の血溜まりが浸透するのを見ながら、
「いつまでも邪魔な“首輪”付けやがって。これじゃ本物のワンコロじゃねぇか」
アランが飛んだ。身体同士が激しくぶつかり合う。
二人の足が仄かに紅く染まる雪を蹴り、雪の結晶が霧になる。
マディのナイフが、白銀のベールを切り裂いた。
鼻先寸前でそれを躱し、アランが切っ先を前に向けて猛進した。
「バカめッ」
マディは彼の突進を利用して片腕を掴み、一本背負いで雪面に叩き付けた。
アランは固まった。岩肌のようなアイスバーンは衝撃を逃さなかった。
肺の中の酸素がヒュウと抜けて行く。身体が混乱しているのか呼吸が出来ない。
彼は本能的に首や頭を守った。上腕や脇腹の周囲を激痛がひた走る。
マディのブーツの靴底には滑落防止の爪が、鈍い光を放っていた。
鋼鉄の爪は肉を深く抉り、アランは声を出さずにはいられなかった。
「このクソガキめ!」
マディが腹部を蹴り上げ、アランは逃げるように雪原を転がる。
漆黒の服は真っ白になり、通り道には赤黒い血の色が滲んだ。
唐突に迫りくる殺気を、ほぼ無意識で手の平で受ける。
強烈な痛みがアランを現実へと引き戻した。
マディのナイフは彼が翳した左手のひらの中央を貫通していた。
「この、クソ、はやく死ね、くたばれッ!」
ギチギチと肉の裂ける音が、無音の世界に響き渡る。
それはアランの頭の中だけにこだまする、恐怖と痛みの叫びだった。
「こんなところで、死ねるかよッ!」
アランは左手を貫くナイフの刃を、その手で握りしめた。
マディは仰天した。得物は押そうが引こうが微塵も動かなくなった。
星が散った。頭突きを顔面に受けたと気付くのにマディは若干の時間を要した。
彼は仰向けに倒れていた。鼻息で詰まりを出すと、口内の鉄臭さにむせた。
血塗れのナイフが、彼の足下に落ちた。
アランは左手から紅い雫を垂らしながら、なおも佇み相手を見下ろしていた。
二人はとっくに息が上がっており、また疲労の色を隠そうともしなかった。
「来いよ、おっさん」
「気取ってんじゃねェぞ、クソガキが」
マディが刃に付いた血糊を袖で拭うと、刃は鈍い黒の刀身を取り戻した。
「暗殺用の特殊なヤツなんだぜ、コレ。光を反射しないようにってな」
口もとを手の甲で拭うと、彼は多少モタつきながらも立ち上がった。
「お前の親父さんも、そりゃ沢山の人を泣かせてきたんだぜ」
「知るかよ、そんなの。お前は俺たちの仇だ」
「ああ、そうさ。お前も俺たちの仇だ」
もはや戦いではなく、殺し合いだった。
獣同士、生存本能の赴くまま、相手へ牙を突き立て、殺し合う。
二人の周囲には、互いの紅い飛沫によって歪んだ円が描かれ、
彼らだけの円形闘技場は次第にその色を濃くしていく。