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Part 18

 尾根の向こう側からのぼる白煙が空へ広がっていく。

巨大に膨れ上がったそれは、入道雲が降りて来たようにも感じられた。

「随分とデカい雪崩だ」

老人は顎髭を撫でつけながら、どこか嬉しそうに眺めていた。

「アイツらめ、派手にやりよるわ」

 アランは壮大な嘘を吐かれている気分だった。

山賊達はネズミのように、雪に穴を開けて進むとでも言うのか。

法則や常識を超越した人間に、彼は畏怖の念すら抱きつつあった。

 アランは妹の方へ目を向けた。

リリィは愚痴も吐かず数十羽の鳥たちの記憶を覗き視ては、

ただひたすら愚直にも仇敵の位置を探ろうとしている。

「なぁ、無理なようだったら、俺が……」

 リリィは応えなかった。

彼女は、二人の隊員を引き連れるマディソン・ヤングの姿を捉えていた。

山にある洞窟や壕に注意深く覗き込んでは、しばしば地表から姿を消していた。

鳥の視界でさえ見つからなかったのはこの為かと、リリィは内心ほくそ笑んだ。


 外に顔を出したマディは地響きと轟音を耳にして眉をひそめた。

「遠いな」

「あっ、煙が」

隊員の片割れが、発煙筒の残滓を中空に見つけた。

「誰も巻き込まれてないと良いのですが」

 尋常ならぬ殺気を感じたマディは振り返った。

頬を風が掠めた。熱を帯びた頬から鮮血がこぼれた。

 ハッと息をのんだ隊員の胸に矢が止まり、彼はその場に崩折れた。

もう一人が反射的にクロスボウが放つ。だが、矢は虚空へ消えていった。

 二人は樹木の陰に駆け込んだ。

だが追い掛けてきた矢は幹を穿ち、貫通した矢じりが隊員の背中を抉った。

 マディは焦った。敵の数は多くない。むしろ極少数だろう。

いつまで経っても、何処からも発見の狼煙が上がらないのがその証拠だった。

 厳しい環境下でも乱れない呼吸。敵に対して寸分も手を抜かない冷徹な心。

弓を引き絞り矢を放ってからも完全に気配をコントロールしている。

力量の差が段違いにかけ離れていた。並の人間では太刀打ち出来ない。

思えばこの十余年、雪中戦の経験をした人間がいるのだろうか。

 マディは心のどこかで高揚していた。このような戦闘は久々だった。

彼は部下のクロスボウをもぎ取り、()()()を付けて撃った。

矢は太い枝に弾かれて、カランカランと音を立てながら雪に埋もれた。

 横薙ぎの風が吹いていた。マディは()()()を待ちながら、

相手に予測されないよう出鱈目に動きつつ、木々の間を縫うように走る。

 雲間から陽光が差し込む。

彼は雪面にうつった物影を捉えた。それはいつのまにか頭上にまで迫っていた。

マディは腰の鉈を抜いた。互いの得物同士を擦り合わせて両者は睨み合った。

「貴様、女かッ」

「それがどうした!」

 相手の得物を弾き、キリアは横なぐりの雪風とともに駆け出した。

マディは追いかけて鉈を振るうも、彼女には掠りもしなかった。

「逃げる気かッ」

樹木や地面の矢を数本拾い上げながら、彼女は樹木に駆け上った。

驚くべきは、そのスピードである。

低木から枝を伝って高木へ、体重を支えられる箇所を見抜く術にも長けている。

「逃げるのか、メス猿!」

 マディは吹雪に向かって叫んだ。

 すると、矢が一本飛んできて、彼の眼前に突き立った。

あとには、女の甲高い笑い声がこだまするのみであった。


「本当に行けるんですよね、コレ?」

 アランは老人から渡された板を地面に置き、片足を乗せてみた。

細長く、やや反り返ったこの木の板は、薄っぺらいが堅く弾性もある。

先端に空いた小さい穴からは手綱(リーシュ)のつもりか麻縄が頼りなく通されている。

雪板(チブゥ)はな、なるべく後ろに立てよ。吹っ飛ばされるからな」

「チブー?」

「妹さんの透視には随分と時間がかかった。急がないと」

「この板、乗っても()れたりしませんよね?」

老人は眼下の急勾配に目を向けて、

「背の低い木が多少あるくらいだ。ただし、剥き出しの岩には気をつけて」

二人は暫くお互いの顔を見合って、根負けしたアランは遂にため息をついた。

「貴重な民芸品をどうも…」

「迷いは無いな?」

「もう殴られるのはゴメンですからね」

 老人が背中を叩いた。アランは地面を蹴った。

程無くして彼の足下からは、一切の摩擦が消失した。

雪板は加速を始め、重心を少しでも傾ければ左右へ急激に曲がる。

 急勾配は一直線だった。

遠くの尾根から彼のいる場所を見れば、真っ白な一筋の清流にみえるだろう。

アランはそこを、落ちるように滑降している。

向かい風に身体を飛ばされるのを重心を前にして押さえ付ける。

「ああ、どうやって止まるんだ!」


 マディは、風が飛んで来たのだと思った。

物体の行方を目で追うと、立ちこめる雪煙の中に一人、誰かが居る。

 マディは自分の目を疑った。葬ったはずの男が現れたと錯覚した。

男は古ぼけた軍服──かつてマディも身を置き、身に付けていたものを纏い、

同じく見覚えのある片刃のナイフを逆手に持って佇んでいた。

 それは、十七か八年ほど前のことだったように思う。

あの晩、マディと彼の仲間達は猟犬部隊とその隊長に永遠の別れを告げたのだ。

「どこまでも鬱陶しい」彼は山刀(マチェット)を鞘から抜いた。

「マディソン・ヤングだな?」アランは言った。

「皆なぁ、お前からは解放されたいんだよ!」

 マディソン・ヤングは雪面を蹴った。絵に描いたような猪突突進だった。

距離を取ろうとするアランを、彼の山刀が執拗に追い立てる。

手負いのロニー、酒飲みのルーディが霞むほど程の闘気に彼は戦慄した。

 マディの山刀(マチェット)による一撃にナイフを重ねる。

刀身は傷付かなかったが、アランは重心を大きく揺さぶられた。

マディは二撃、三撃と加えて、終いにガラ空きの胴体に蹴りを入れた。

 雪を背中で受けたアランは素早く後転した。

どんなに息を吸っても、空気は体内に入って行こうとしない。

すでに目の前には、武器を振りかざす男の姿。白く光る刀身が迫る。

彼は雪の中で掴んだ手綱(リーシュ)を手繰り、埋もれていた雪板(チブゥ)を引き寄せた。

山刀(マチェット)の斬撃は板の中程まで進んだが、すぐに止まった。

 クソッタレ!と叫ぼうとして、マディは堅い雪板を顔面に受けた。

仰け反った彼は、アランの雪板による乱打(バッシュ)を身体中に浴びた。

大振りになったところをマディは反撃のフックを入れ、距離を置いた。

 両者とも崩れ落ちた。

 アランは山刀の挟まった雪板を傍らに投げて、立ち上がった。

呼吸は荒く、全身が粟立ち、どんなに拭っても額からは汗が噴き出てくる。

下唇が震えが止まらないのは、寒さの所為だけでないのは明白だった。

だが先ほどの直滑降が恐怖を少なからず揉み消してくれたようにも思える。

 死ぬのは怖い。しかし、恐れたら死ぬ。

もとより分かりきったことなのだ。仇敵を屠るより他に道は無い。

 膝に手を置いて立ち上がったマディは、腰の後ろからナイフを抜いた。

それはアランの構えるものと同型のものであった。

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