Part 11
「真っ暗なうちから、ご苦労なこった」
早朝、荷揚げ作業を終えた漁師が、見知った若い男に声をかけた。
濃い灰色の外套に身を包んだ彼は、治安部隊の人間である。
男がお辞儀をすると、外套の下の、短剣を挿れた黒い鞘がカチャリと揺れた。
「そちらも今朝は大漁ですか」
おう、と頷いて、漁師は手元のサケをぴしゃんと叩いてみせた。
「忙しいみたいですな、お互い」
「お前さんは、ほっつき歩いてるだけだろうがい」
「それが仕事なんだ、しょうがないでしょう」
漁師はガハハと大口を開けて、若い男は苦笑いを浮かべた。
その実、毎朝の巡回を命じられたのだから仕方がない。
「部内も隊長も、最近はピリピリしてて忙しないんだ」
「新人はシゴかれるのが世の常さ。通過儀礼ってこった」
「へぇ、漁師にも、そういうのあるんですか」
「おう、あたりめェよ」
若い男は漁師の隣に行くと、積み荷に腰を下ろして漁師と話し始めた。
並んで座る二人の視線の先で、水平線から朝陽が顔を出した。
マディソン・ヤングは窓から差し込む光に顔をしかめた。
彼は書類を机の上に放り投げ、肘掛け付きの椅子にもたれかかった。
しばし天井の幾何学模様を見つめていると、ノックの後に部屋の扉が開いた。
カップを二つ持った、フーゴ・フルドリッカの姿があった。
「寝てないのか?」
「早起きだな」マディは差し出されたカップを受け取った。
「お前、まだ朝昼晩と祈ってんのかよ」
「帝国が亡くなっても神は不滅だよ」
フーゴは部屋の中央にある応接用のソファに腰掛けた。
マディは微熱を発する手の中のカップを覗き見て唇を噛んだ。
「これなぁ、酢漬けと一緒じゃないと駄目なんだ、俺」
「どうして?」フーゴは顔を上げて彼を見た。
「口の中で打ち消し合って、幾分かマシになる」
なんだそれ。と言って、フーゴとマディはクスクスと笑った。
「俺は名物だって聞いたんだけどな」
「名物だからって美味いとは限らない」
フーゴは茶を少しだけ啜ると、眉間に皺を寄せ唇を窄めた。
口内に広がる苦味と渋味は嚥下すると共に背筋をビリビリと刺激した。
「…ウン、だが香りは良い」
「確かに。香りだけは、な」
二人は朝陽の入る室内にて、しばし茶の香りを堪能した。
外からは石畳を歩く蹄鉄の音や木製車輪の軋む音、教会の鐘の音が、
町の人々を微睡みから覚醒させ、本格的な一日の始動を告げた。
ガチンガチン、と喧しい金槌の音が、何処かから聞こえてくる。
「葬儀屋は大忙しか」
「あの音が?」
「張り切っちゃって、まぁ」マディは大きな欠伸をしながら言った。
「町長が無理やりに懸賞金を上げるからだ」
「随分と好戦的だな」」
「来年の選挙の為だろ」マディは関心なさそうに言い捨てた。
「先月の海難事故が尾を引いてるからな」
「救助が遅れて、赤ん坊の遺体が流されて来たってヤツか」
「ここらで悪人でも吊るし上げて求心力を取り戻すって寸法さ」
よくやるよ。と、フーゴは肩を竦めた。
「十三人は小さな犠牲か」
「四人が喉を裂かれ、六人が胸を射抜かれ、一人が滑落」
彼は天井の一点を見つめながら、
「一人と半分は、いまも狼と熊たちの腹ン中だ」
フーゴはカップを傍らに置いて立ち上がり、窓辺に手をついて外を眺めた。
雪を被った白い山が、町並みの向こうに高く聳えていた。
「話し合いで解決は無理なのか」
「言葉が通じればの話だけどな」
「そうじゃなくたって、俺たちには敵が多いんだから」
「満足しないんだよ、バカ共は」マディは吐き棄てるように言った。
「皺寄せは決まって治安部隊に来る」
フーゴはソファに戻り、湯気の立つカップを手に取った。
マディは彼の横顔をチラと見たあと、ため息混じりに首元をさすった。
「俺だって余生はゆっくり過ごしたいんだがなァ」
彼はカップの残りに口をつけてゲヘゲヘと激しく咳き込んだ。
お前はそんなタイプじゃないさと、フーゴは内心、独り言ちた。