スイッチが押され
六限目の始まりを告げるチャイムが鳴った。
皆は携帯をいじりながら渡辺が入ってくるのを待っていた。
「よし、皆席につけー」
渡辺が来て起立の準備をしていた生徒は不思議そうに椅子に座りなおした。
「もう皆は知っているんだよな。先生がしっかり持っていたはずなのに、いつの間にかなくなっていました。そしてロボットはどこかに行ってしまった」
渡辺はつい数時間前までロボットがいた場所を見つめながら話した。
「誰か心当たりはないか? お前らのことは信用しているつもりだ。だがやっぱり欲しい物は欲しいからな。今なら許してやる。誰かー吐けー」
渡辺はクラスで何か問題が起こった時によく使う言葉を吐きながらクラスメイトを見渡していた。
皆はそわそわ辺りを見渡すわけでも、声を上げるわけでもなくじっと動かずにいた。
皆はもう犯人を知ってしまっているのだ。
しかし今ここに奴が訪れようものなら・・・。
私は考えただけで身震いした。
今のクラスメイトなら何をしても不思議ではない。
私は扉を見つめながら誰かがいつものように動くのを願った。
「なんだ。誰も何も言わないつもりかー。小谷何か知らないのか?」
渡辺はいつものように目立つ者を名指しした。
しかし小谷はいつものようにきゃんきゃん何かを言うことはせず、渡辺を一瞥しただけだった。
「全く、お前らどうしたっていうんだ」
渡辺は面倒そうに頭を掻いている。
奴はあとどれくらいでここに着くのだろうか。
もう一度扉を見つめれば、視界の端に白石の顔が見えた。
白石はまたこちらを見ている。
こちらを怪しい笑みを浮かべて見つめている。
ガラリと勢いよく扉が開いた。
そこには青ざめた顔をしてこちらを一心に見つめている後藤の姿があった。
クラスメイトに目を向ければ皆は明らかに後藤を睨みつけていた。
後藤はそんな者たちに気づいてか、そうでないのか一歩一歩重い足を引きずるようにして中に入って来た。
「後藤、またまた六限目に登校かー」
何も知らない渡辺はいつもの軽口をたたいている。
しかし後藤は唇を噛みしめているだけで何も言おうとはしない。
座っている者たちもあえて後藤をせかして吐かせようとはしない。
後藤が来てもやはり沈黙が続くばかりだ。
こういう時この空気を変えるのはあいつしかいない。
私は思わず白石に目を向けた。
白石は薄ら笑いを浮かべながら後藤を見つめている。
「後藤君、きちんと言った方がいいよ」
白石は笑いを抑えながらいつもの委員長の様子で言った。
後藤はただ目を泳がせるばかりで、中々声を出せずにいた。
いつも誰よりもおどけた様子でいて、クラスのムードメーカーである後藤とは思えないありさまだ。
きっとこれが誰かの物が壊された犯人出てこい。ということだったならば、皆は後藤を簡単に許したに違いない。
これほど深刻な空気は流れなかっただろうし。
誰かが後藤の姿が見えれば何か声をかけていただろう。
だって後藤は誰よりもクラスが好きなのだ。
「俺が盗みました。ずっとその時を待っていて、悩んで、だから、最近ずっと、休んでいたんだ」
後藤はぽつりぽつりと言葉を吐き出した。
「でも俺は信じられないなー。お前は全くロボットに興味を持っていなかったじゃないか」
渡辺が私の言葉を代弁するように言った。
しかし私にはわかっている。何故後藤が盗む必要があったのか。
しかしきっと後藤はこの場で真実を話すことはないだろう。
「興味のないフリをしてただけです。これが自分の物になればって、本当にすいません。先生のポケットから机の鍵を奪いました。
誰もいない間に職員室に入って・・・」
後藤は今にも泣きそうな様子だった。
しかし誰も声を上げない。
「わかった。確かに盗んだことは悪い。しかしお前はすぐにこうして自分だと名乗り出てくれた。
先生はその勇気を褒めたい。皆だって後藤を許せるよな」
渡辺は先程から全く動かない生徒たちに問いかけた。
「まあ、すぐに返してくれたしな」
「仕方ねえよな」
どこからか声が上がった。
どうやら後藤に殺意を向けるのではないかという、私の心配は杞憂だったようだ。
「それでお前ロボットはどうした」
「廊下に」
その瞬間いつもの様子に戻りかけていた生徒たちが一斉に廊下に目を向けた。
それは本当にシンクロをしているように綺麗だった。
そしてロボットがゆったりとした足取りで歩いてきた。
「ヒサシブリ、ミンナヒサシブリ」
ロボットは呑気な声を上げながらどんどん中に入ってくる。
皆は一心にロボットを見つめている。
そしてロボットはいつもの場所で動きを止めた。
皆の視線はまた後藤に向けられた。
「とりあえずお前は一回座れ」
渡辺は異常なクラスメイトの中に哀れな後藤を放り込む気でいる。
なんとおぞましいことをするつもりだ。
そう思ってもそこにいさせてあげてください。とは言えず、後藤は先程よりもゆっくりと一歩ずつ踏みしめるように席に向かった。
後藤の周囲の者はやはり後藤を睨みつけている。
他の者はロボットが戻って来たことに感動しているようだ。
「今回のことは先生もとても残念だ。やっぱりなんでもできるっていうのは誰もが欲しくなるものだ。
このロボットがもしももっと世間に知れ渡るようになったら怖いことになる。
それはわかるよな?」
渡辺はロボットにしか意識を向けていない生徒たちに投げかけた。
「お前らにはそういうのを学んでほしかった。目の前にそういうものがあることは怖いことだということを、
そしてそういうものに取り込まれない人間になってほしかった。
でもやっぱり難しかったな。もうすぐ文化祭もあることだし。文化祭が終わるまで先生が一度こいつを預かっておこう」
渡辺から発せられた今のクラスメイトたちにとってとても残酷な言葉。
それまでロボットをうっとり見つめていた者たちが一斉に渡辺に目を向けた。
驚き固まっている者、涙を流しそうになっている者。
そして・・・。
「なんでだよ! 俺結局この前できるはずだったのにまだ動かせてねえんだぞ! なんでそんなことすんだよ」
「そうよそうよ。文化祭までまだ二週間もあるのよ? それまでに何回総合の授業があると思ってるのよ」
「なんでこんな奴のために皆が迷惑被らなきゃならないんだよ」
「ふざけんなよ!」
あちこちから渡辺に向かって暴言が発せられた。
ああ、これこそデモ運動か。
ロボット除去反対運動と言ったところだろうか。
皆狂気的な目で実に真剣な様子だ。
黙っている者もその目だけで渡辺を殺してしまうのではないかと思わせるほどの殺意を向けている。
ドン!
「いい加減にしろ! 決定事項だ。先生はこういうことを起こしてほしくないから預かると言っているんだ。頭を冷やしておけ」
渡辺は教団を手の平で大きく叩くと、何十人の暴言にも負けないぐらいの大声を出して、教室を出て行った。
この事態を収拾するにはちょうどいいが、一体先生が出て行ってこの後どうしろと言うのか。
何も考えていない渡辺を腹だしく思った。
「先生の言う通りだ。皆落ち着こう。ロボットでの授業はできなくなったんだ。皆文化祭の準備でもしようよ」
白石が委員長だからとでも言わんばかりに皆を窘めるように言った。
その顔の裏にはきっとこの事態に溢れる喜びが隠されているのだろう。
「俺は帰る」
小泉がそう言って鞄を持つと、渡辺が開け放したままの扉から出て行った。
それに続いて数人の生徒も後を追うように出て行った。
半分ほどの人数が帰ってしまい、残りの半分はいつものように机を前に動かし始めた。
驚いた。
この状況でいつものように文化祭の準備ができるというのか。
白石は机を動かし始めるとそそくさと立ち上がった。
私はその顔に堪え切れないほどの笑みが浮かんでいるのを見逃さなかった。
自分の計画が上手く行って、クラスメイトがこんな状態になったことがそんなに嬉しいのか。
私は廊下に出ようとしている白石を慌てて追いかけた。
「白石君、あんたがやったんでしょ」
白石は廊下に出てから立ち止まった。
「何について言っているの」
白石はとぼけたように言った。
「何って、後藤にロボットを渡したのはあなたなんでしょ。昨日後藤は廊下で誰かを待っていた。白石君の仕業なんでしょ」
相手を威嚇しようと精いっぱいに睨みつけてみた。
しかし白石は笑い出した。
「そのことか。そうだよ。僕が後藤にロボットを動かすものを渡した。困ってたみたいだったからね」
白石はなんてことのない顔であっさりと白状した。
まるで自分はいいことをしたと言わんばかりだ。
「困ってたって、こういうことを起こさせるためにやったんでしょ? 何が目的なの?」
白石はきょとんとした顔で私を見つめた。
「何のためか・・・。ただ面白そうだからやっていたんだけど。そうだなー。
君の本性が見たいから。かな?」
白石は考えるような仕草をしてから、近づいてきて耳元で囁くように言った。
これがイケメン男子ならばちょっとしたラブシーンになる。
なんて馬鹿なことを考えながら白石が去っていくのをただぼんやりと見つめていた。
追いかけて全てを問いただせばよかったのかもしれない。
だがどう問いただしたところで白石が本心を答えるとは思えない。
溜息を吐き出してから教室に戻ろうと踵を返すと、後藤がいた。
いつからいたのか。
白石との会話を聞かれていただろうか。
頭が混乱しそうになって、何を言えばいいかわからなかった。
「ちょっといい」
慌てていると後藤が声をかけてきた。
私は黙って頷くと、先に歩いていく後藤の後を追いかけた。
「俺が白石にお願いしたんだ。委員長なら先生に近づきやすいと思って、馬鹿だな俺」
後藤はいつものようにおどけたように言っている。
しかし先程から視線は泳いだままで、一度も目の前にいる私を捉えていない。
「私は誰にも言うつもりはないし、ロボットにも興味がない。だから本当のこと言ったら?」
ぶっきらぼうに言えば、後藤は困ったように手であちこちを触っている。
「あなたがお願いしたんじゃなくて、白石君から声をかけられたんでしょう? それに、私はクラスのことちゃんと見てた。後藤はロボットなんかに興味を持っていなかった」
後藤は尚も黙ったまま落ち着きなく手で首をかいたり、頭を掻いたりしている。
「興味はないけどあなたには盗む必要があった。考えられるのは一つだけ。クラスの中で誰よりもロボットを欲しがっていた斎藤君のためなんでしょう?」
斎藤の名を聞くと、後藤は手の動きを止めた。
視線だけは相変わらず泳いだままで、手を動かす代わりに唇をきつく噛みしめている。
「でもあんなに狂信的だった斎藤君に一度はロボットを渡しっちゃったんでしょう。そんな斎藤君からロボットを奪って、今どうなってるの?」
後藤は拳を握りしめて震わせていた。
「でも、そんなに時間も経ってないし。渡してないの? だって二時間だもんね」
私は後藤の言葉を待つのが怖くて、思いつく限りに言葉を吐き出してみた。
「渡した。いや、斎藤と一緒に学校まで来て・・・」
後藤はやっと声を出したと思うと、嗚咽を堪えるように口を閉じた。
俯いて震える拳を見つめている後藤から滴が落ちていた。
「あいつは、あいつの家学校から歩いて五分もたたないから、そのままあいつの家に行って、あいつはすごく喜んでた」
後藤は先程よりも強く拳を握っていた。
あまりに強く握っているので自分の握力で指を折ってしまうのではないかと思った。
「本当に恋人みたいに愛でていた。でも、すぐに白石から連絡が来て。そうなることなんてわかっていたけど、耐えられなくて、
俺のせいでクラスの仲が悪くなるのは嫌だった。だから俺はすぐにロボットを返すことに決めたんだ。
リミットは六限目。ぎりぎりまで斎藤には言えなかった」
後藤は涙を何滴も何滴も流しながら呟いている。
涙で震えているが、きちんと言葉は出されていて、後藤の思いがひしひしと伝わってきた。
後藤のせいなんかじゃないのに。
「ぎりぎりになって斎藤に言った。
返しに行くっていったらあいつは目の色変えて、なんでそんなことするんだ! バカか。バカじゃないのか。俺の物をなんで奪うんだよ。って
あんなに怖い斎藤見たことがなかった。それでもロボットを置いたままにすることはできなかった。
斎藤の傍に置いてたって斎藤はおかしくなる。それでクラスでも仲が悪くなってたらいいことなんて何もない。
だから俺はロボットを持ってきたんだ」
後藤は何度も唇を噛みしめながら最後まで言うことができた。
しかしもっとも気になる疑問の真相は告げていない。
それが今後藤をこんな風にさせている一番の原因に違いない。
私は一歩後藤と距離をつめてからゆっくりと口を開いた。
「今斎藤君はどうしているの?」
後藤は拳を握りしめるのを止めた。
そしてその場にへたりこんでしまった。
突然視界から後藤が消えたことに戸惑ったが、その場にうずくまったのだと気づくと安心した。
後藤はまるで腰を抜かしたようにぺたりと地面に座っていた。
「あいつの暴言を聞きながら部屋を出た。
それでもこのまま持っていっていいのか。悩んで、しばらく部屋の前から動けなかった。そしたら」
後藤は嗚咽を上げてしばらく言葉を出せなかった。
私はそんな後藤を静かに見つめながら、落ち着くのを待った。
「中から、ロボットロボット、俺の大切な可愛いロボット、何処に行ったって」
後藤はなんとか言葉を出してから、口元に手を当てた。
「まるで異常者だよ。廃人になってしまった。俺のせい、なんだよな」
後藤は涙でぐしょぐしょになった顔で私を見上げた。
俺のせい。そう言う後藤の目はそうじゃないと言ってくれと言っているようだった。
ここで後藤のせいだと言えば、一体どんな顔をするのだろうか。
そんなことを頭の端で考えながら私は口を開けた。
「後藤のせいじゃない。白石が悪いんだ。だから気にしなくていいよ」
そう言うと後藤は涙で崩れた顔を笑顔で歪めた。
白石と違って私は人を直接貶めることなんてしたくない。
白石はなんと卑劣な男だろうか。
少し元気を取り戻した後藤の、それでも少しふらふらした背中を見つめてから、教室へと向かった。




