動きだし
教室は一瞬静寂に包まれた。
「ならあたしが!」
真っ先に立ち上がったのは先程声を上げた小谷だった。
それに続いて小谷と仲の良いチャラチャラした男子群が立ち上がった。
そこまではいつもと変わらぬ光景だ。
しかしそこから斎藤が椅子を倒す勢いで立ち上がり、どんどんと皆椅子から立ち上がっていき、ほとんどの生徒が立った状態になった。
数人の生徒を残して、現在立ち上がっている生徒たちは皆狂気めいた目をロボットに向けていた。
白石はその光景に笑みを浮かべていた。
白石は何故か嬉しそうに笑みを浮かべるだけで自らは椅子に腰を下ろしたままでいる。
先程から珍しく一言も話していない後藤はぽつんと席に着いたまま尚も机に視線を落としている。
まるでこの光景を見たくないとでも言わんばかりに一心に机を睨みつけている。
「わかったわかった。皆落ち着け。動かしたい気持ちはわかる。でも全員は無理だ。
それに総合の授業は週に二回もあるんだ。これからローテーションしていけばいいだろう」
渡辺が笑いながら窘めるように言っても、誰も腰を下ろそうとはしなかった。
皆ただロボットを狂気的な目で見つめているだけで、微動だにしない。
もしかしたら渡辺の声などまるで聞こえていないのかもしれない。
「おい、お前ら聞こえてるかー」
渡辺が呆れたように声を上げても、ちらりと渡辺に目を向ける者が数人いただけで誰も言葉を発することすらしない。
「たく、しょうがない。それじゃあ列ごとに行くか。全員立ち上がっている列から行くとして・・・この列にするか」
渡辺はちらりと私の方を見てから、隣の列の生徒たちの前に立った。
「今日はこの列の奴に順番に指示を出してもらうからな。皆一回座れ」
「私のなのに」
「なんで俺じゃないんだ」
「ああ、残念だ」
「早く私の物にしたい」
あちらこちらで欲が吐き出されている。
皆はいつものように声を荒げて文句を言うわけでも、拗ねたよう言っているわけでもなかった。
ただ独り言をつぶやくようになんの感情も示さずに全員が同じように無機質な声で言っている。
動きはゆったりとしていて、皆椅子に座るにも関わらず誰も一度も座る椅子を確認することなく決してロボットから視線を外さずに座っている。
無機質な声に包まれた教室は異様な空気を放っていた。
それでもそんな空気感を不思議に思う者は誰もいなかった。
立ち上がらずに座っていた数人の生徒も立ち上がっている生徒となんら変わりはなかったのだ。
私は皆が座ったことを確認してからもう一度白石に目を向けた。
白石は相変わらず怪しい笑みを口元に湛えている。
「それじゃあ最初は川崎行ってみようか」
選ばれた列の一番前に座っている川崎が指名された。
川崎は普段からとても大人しい女の子だ。
見た目は大人っぽく、化粧をすればギャルの仲間入りが出来そうな顔をしているが、大人しい性格の彼女は一人でいることが多い。
だからと言って一人ぼっちというわけではなく、その見た目からか小谷たちからよく声をかけられている。
川崎は何の返事もせずに急いで前に出た。
一番前にいるのだから何も急ぐ必要などないが、川崎はとても慌てて足を動かしていた。
「それじゃあロボットをここまで持ってきてもらう」
そう言って渡辺はスマートフォンぐらいの大きさの機械を川崎に渡した。
川崎は興味津々にそれを見つめている。
「ここを押したらこっちまでくる。それでこれを押して、ここにしてほしいことを入力するんだ」
渡辺が横から説明しながら何やら機械を操作していた。
しかし渡辺の説明が終わるか終らないぐらいにロボットが動き出し、それを見ると川崎は機械をひったくるようにして自分の元に引き寄せた。
渡辺は驚いたように川崎を見ていたが、川崎はそんな渡辺には興味はなく、自分の元に歩いてくるロボットだけを見つめていた。
ロボットが動いた。
あの日以来ずっと動くことなく教室の隅に立ち尽くしていたロボットが再び動かされた。
皆はロボットを一心に見つめている。
廊下側の後ろの方の席の者は立ち上がって見つめている。
後ろだから見えにくいのは普通のことだ。
しかしその者の目が異常であることを示していた。
その者に意識を集中させていると、とても近くで椅子を引く音が聞こえた。
その方向に目を向けてみると自分も動かす権利を得ているはずなのに、とても見えやすい席に位置している斎藤が立ち上がっていた。
後ろの生徒はそんな斎藤に異を唱えることなく斎藤の間を縫うようにしてロボットを見つめている。
きっとこのクラスにいる一人一人はロボットの存在しか認識していないのだろう。
そう思わせるほどに皆ロボットだけを必死に見つめていた。
「コンニチハ、ヒサシブリ」
ロボットは相変わらずの片言で皆に語り掛けている。
川崎は自分の目の前まできたロボットを輝く目で見つめていた。
握りしめていた機械を教団に置いてから、目の前の非現実に手を触れた。
「クスグッタイ、テレル」
ロボットは川崎に撫でられていることに頬を赤らめていた。
皆はこの間のように歓声を上げることはない。
それどころか数人の生徒は輝かしい目を捨て、殺意のこもった目で川崎を見つめていた。
まるで異常なファンの集団だ。
しかし川崎はそんな視線には気づかず、目の前のロボットに意識を集中させている。
「ナニ、スル?」
ロボットが問いかけると、川崎は思い出したように教団の上においた機械に手を伸ばした。
そして何やら真剣に機械を操作している。
きっとロボットにしてほしいことを打っているのだろう。
私は川崎を待つ間座って待ちわびている生徒たちを見つめた。
一時間前までの、いやつい数分前までの生徒とは全く違う。
人間とはこれほどまでに一瞬で変わることができるものなのだろうか?
私が不思議そうに教室を見渡していると、ふいに白石と目が合った。
白石は私を見つめながら先程からずっと湛えている笑みを深くした。
一体私に何を言いたいのだろうか。
「イイヨ、キレイナノツクル」
川崎の指令が終わったのかロボットはそう言うと自分の中から金属を取り出した。
川崎は一体何を命令し、ロボットは一体これから何をするのだろうか。
私は純粋な興味でロボットの手元から目を離すことができなかった。
皆は今どのような目で見つめているのだろうか、ぼんやりとそんなことを考えながら器用に金属を加工していくロボットに意識を集中させていた。
どれほど時間が経ったのだろうか。
すっかり見入ってしまった私には時間の感覚はなく、ロボットの手が止まったことで現実に戻ることができた。
そこではたと気づいた。
もしかしたら今の自分も皆と同じように恐ろしいほどの興味をロボットに向けていたのではないだろうか。
「コレデイイ?」
ロボットが川崎に差し出しているのは指輪だった。
いつの間に色など付けたのか、ところどころが赤く塗られていた。
遠くてよくわからないが、何やら模様も書かれているような気もする。
「アゲル」
ロボットは満足そうに指輪を見つめている川崎に近づいた。
川崎はロボットと指輪とを交互に見つめながら手の平を上に差し出した。
「チガウ、コッチ」
ロボットはそう言って川崎の手を反転させ、手の甲を上に向ける形にした。
川崎はキョトンとしていたが、その瞬間クラスメイトのほとんど全員の目が殺意のこもった目に変わった。
川崎に目を向けていた私にも殺気が伝わるほどだったのだ。
川崎に伝わっていないはずはないのだが、川崎はロボットしか見ていなかった。
このクラスの集団が殺意を向けていてはそれだけで川崎は殺されてしまうのではないかと思った。
「ニアッテルヨ」
ロボットはあろうことか川崎の左手の薬指に指輪をはめた。
しかもいつの間に計ったのか、指輪の大きさはぴったりだった。
川崎は自分の薬指にはめられた指輪をうっとりと見つめながら顔を真っ赤にさせている。
まるで公開プロポーズだ。
教室の前方だけがお花畑のようにルンルンとしていて、席に一歩近づけば殺気に飲み込まれるという異様な雰囲気になっていた。
皆は一体ロボットをどういう存在として認識しているのだろうか。
何でもしてくれるロボットが欲しくて求めているのではないのだろうか。
何故こんなにもアイドルに向けるような眼差しを向け、何故これほどまでに嫉妬しているのだろうか。
目の前にいるのは恰好のいい男でも、美しい女でもない、ただの白いロボットだ。
「粋なことするなー。川崎良かったなー。じゃあ交代しようか」
渡辺は感心しきった様子でロボットと川崎の元に近づいた。
川崎に目を向けると、川崎はまるで充分遊んだからもうお家に帰ろうね。と言われた子供のように嬉しそうな顔で「うん」と高々と返事した。
普段の大人しく凛とした川崎からは想像もできない。
川崎は尚も殺意のこもった空気には気づかず、席に着いてもじっと指輪を見つめている。
「よし、それじゃあ次は加藤だな」
加藤は弾かれたように立ち上がると、勢いよくロボットに飛びついた。
皆は殺意のこもった目を止め、純粋に驚きの表情を浮かべていた。
まだロボットの傍にいた渡辺は危うく自分にまで被害が及びそうになり、慌てて二人の元から離れた。
「思ったよりあったかいんだねー」
加藤はそう言いながらロボットをぎゅっと抱きしめている。
ロボットは全身を真っ赤にさせていた。
「ハズカシイ、ウレシイ、テレル」
ロボットはそう言いながらどんどん体を赤く染めていく。
ヒートアップしてしまうのではないかと心配になったが、そこまで熱くなっていれば加藤が離れるだろうと思い心配するのを止めた。
しかし今度はこんなにもロボットに密着しているというのに、誰も加藤には殺意を向けていなかった。
今度は皆とても羨ましそうな目を向けている。
中には指を咥えて見ている者もいた。
皆の感情の違いがわからない。
何より一番恐ろしいのは、まるであらかじめ打ち合わせをしていたかのように皆同じ感情を見せているところだ。
先程まで殺意を向けていたのだ。
一人ぐらいそのままの状態でもおかしくはないだろう。
しかし皆が向けている感情は一つだけだった。
ロボットの一体何がここまで教室の空気を変えているのだろうか。
「ソロソロハナシテ、ナニ、スル?」
ロボットはもう元の白に戻っていて、無機質な片言を向けた。
「あのね、さっきの見てあたしも思いついたの」
加藤はそう言いながらとても楽しそうに機械を操作している。
ルンルンとしながら顔を左右に振ってリズムに乗っている。
今にも鼻歌でも聞こえてきそうな上機嫌ぶりだ。
「これでよしっと」
命令を終えた加藤は機械を無造作に教団の上に放ると、ロボットの手元をよく見るようにその場で屈んだ。
スカートの短い加藤は角度によれば中が見えてしまうのではないか、そんな心配をしながら周りを見つめた。
しかし、やはり皆はロボットにしか意識を向けていなかった。
ロボットは一体次は何をしてくれるのだろうか。皆の頭にはそれしかなかった。
いつもなら絶対に茶化す男子群も加藤になど全く興味はなく、ロボットだけを一心に見つめていた。
「ワカッタ、カワイイノ、ツクル」
ロボットはそう言って今度は自分の中からワニ革を出してきた。
全くどれほどの物を自分の中に入れているというのだろうか。
まるでどこかのキャラクターのポケットではないか。
私は感心よりも呆れてロボットの姿を見ていた。
ここまでなんでもできれば興味をなくしてしまう。
私はふいにこのロボットの限界が見たいと思った。
それはできないと困り果てる姿を見たいと思った。
しかしこれはなんでもできるロボット。
きっとそんなことなど起こりえないのだろう。
そう思うと私は落胆した。
もうロボットには目を向けず、再びクラスメイトを見渡した。
斎藤はまだ立ったままだ。
それどころか机に手をついて前のめりになってロボットの手元を一心に見つめている。
斎藤は一体どんな思いでこのロボットに好奇の目を向けているのだろうか。
そう思ってから思い出したように後藤を見つめた。
後藤はまだ机を見つめている。
一体この数日に何があったというのだろうか。
一番に食いついて軽口を叩いてこの空気を壊しそうな後藤が、何も視界に入れたくないと言うように机だけを見つめている。
先程とは違い興味を失った行動を待つのは実に長い。
変わり映えしないクラスメイトの狂気的な目にもすっかり慣れてしまい、思わず欠伸が出そうになった。
しかしこんなところで欠伸でも出そうものなら、このロボットの狂気的なファンたちに何をされるかわかったものじゃない。
私の姿など見えていないというように誰もこちらに視線を向けないかもしれない。
しかしそんな根拠はどこにもなかった。
「デキタ、カワイイノ」
そう言ってロボットは真っ赤なワニ革の鞄を差し出した。
「おおー」
と聞こえて、誰がとうとう素に戻ったのかと辺りを見渡せば、一番近くで見ている渡辺だった。
先生の反応などどうでもいい。
「やったー、すごくかわいい。ありがとね」
加藤は飛び跳ねるように喜びながら鞄を見つめている。
そして高ぶった気持ちのまま、あろうことかロボットの頬にキスを落した。
「ヤッ、ヤー、ウレシ、ウレシハズカシ、キャキャ」
ロボットは片言のまま妙なテンションになってその場で何回か回転していた。
さすがにこれには殺意を向けるだろう。
そう思ってクラスメイトに意識を向けた。
しかし誰一人として殺意を向けている者はいなかった。
それどころかうっとりとした顔をしている者が大勢いる。
一体皆はロボットにどのような感情を向けているのだろうか。
恋人、あるいは憧れの者に向けるような恋慕ではないというのか。
それならば何故先程指輪を渡した際はあんなにも殺意を向けていたのだ。
私はようやく落ち着いたロボットとクラスメイトとを交互に見つめながら考えていた。
それとも皆にはまだ正常な感情があり、川崎と加藤の違いを感じているのだろうか。
しかしそれなら普段大人しい川崎よりも、普段から目立ってチャラチャラしている加藤の方が殺意を向けられそうな気もする。
それにその違いで殺意を向けたというのならばクラスメイト全員が同じ感情になるのはおかしい。
ならば違いはなんだというのだ。
頭の中で様々な考えを巡らせながら飛び跳ねるように席に戻った加藤をぼんやりと見つめていた。
その前ではまだ薬指に光る物を見つめながらうっとりとしている川崎の姿があった。
「それじゃあ次は斎藤だな。すっかり立ち上がっちまって、待たせたなー」
渡辺の軽口に笑う者は一人もおらず、斎藤もとうとう自分の名が呼ばれたことに感動している様子だった。
斎藤はゆったりとした足取りでロボットに近づいて行った。
まるで足におもりでもつけられているように足を引きずっていた。
「ロボットだ。とうとうこのロボットを動かせる日がきたんだ」
斎藤はようやくロボットの元に辿り着くと、ロボットの体を確かめるように手のひらで優しく触れていた。
まるで生き別れた子供とようやく出会えた親のような斎藤の姿に目が離せずにいた。
「ずっとこの日を待ち望んでいた。もう離さない」
本当にテレビドラマを見ているような感覚だった。
ロボットがだんだんと人間の子供に見えてきそうな気さえする。
「なんでも言うこと聞いてくれるんだよな」
斎藤は確かめるような優しい口調でゆっくりとロボットに問いかけている。
ロボットは大きな目で斎藤を見つめている。
「ナンデモ、ノゾミ、カナエル」
ロボットはどこかのアニメにでも出て来そうなことを言ってから、斎藤の言葉を待っている。
「それじゃあ、それじゃあ、俺の恋人になってください!」
斎藤は命令をするのは機械の操作であることも忘れて教室中、あるいは廊下にまで響きそうな声で叫んだ。
教室は静まり返った。
もっとも先程から声を上げていたのは斎藤だけで皆はずっと無言である。
しかし私がハッとして教室を見た時には皆はいつものような目で、いつものように驚いたり、呆れていた。
斎藤のあまりの異常さに皆は日常に戻ってくることができたのだ。
しかしこの空気はどうして誰が変えることができるのだろうか。
ロボットは機械で命令されなければ動かない。
そして手放しに会話をすることはないらしい。
ロボットは至近距離での大声を読み取れなかったようでまだ斎藤の顔をじっと見つめて待っている。
「さ、斎藤つまんねーぞー」
しばらく沈黙が流れてから斎藤の後ろの席の小泉が弱々しい声で茶化している。
それに続いてか、小泉とつるんでいる友達たちも声を上げた。
「そうだよ。もっとましなことにしろよー」
「斎藤お前おもしれー奴だな」
クラスメイトはすっかり日常に戻っていた。
しかし斎藤の真剣な姿に異様さを感じているらしく、いつものように大きな声は上げられず、ひきつった顔で震えるような声を上げていた。
他のクラスメイトもひきつった笑いを浮かべたり、斎藤そのものに恐怖を感じている者もいる。
これが先程までロボットに異常な様子を向けていたクラスメイトの本来の姿である。
「斎藤、本当にそのお願いをしたいならここに打ち込め。な」
渡辺はクラスメイトが声を上げたことで我に返ったのか、機械を差し出しながら諭すように言った。
斎藤は自分が異常な目で見られていることも、小泉たちの茶化しにも気づいていない様子で焦点の合わない目で機械を受け取っていた。
気分が高ぶっているのか、手を震わせながらゆっくりと一文字一文字打っている。
私はそんな斎藤に見入っていた。
クラスメイトは斎藤を見るよりも隣の席同士で顔を見合わせて不思議そうにしていた。
私は先程まで皆もこれくらい異常な姿だったことを知らせたいと思った。
全く人間というのは他人の異常に気づけても、自分の異常には中々気づけないものである。
人間は他人がいてはじめて自分の状態を知ることができるのだ。
「ソンナコトデ、イイノ?」
とうとう斎藤が命令を打ち終えたようでロボットは不思議そうに問いかけていた。
しかしロボットに恋人になれと言えばロボットは何をするのだろうか。
少し興味がわいた。
皆も同じ様子でロボットに目を向けている。
「ジャア、ハグスル?」
ロボットが問いかけると、斎藤は驚いたように目を見開いてからゆっくりと頷いた。
私は思わず固唾を飲んだ。
なんだろうか。
川崎のが公開プロポーズなら、これは公開告白とでも呼べばいいのだろうか。
皆に視線を向ければ、同じように興味を向けてみている者や、呆れたように横目で見ている者や、驚いたままの状態でいる者がいて、皆様々な表情をしていた。
ロボットは手を広げて斎藤を待ちわびる格好になった。
斎藤はゆっくりとロボットに近づいていくと、その体を抱きしめた。
それに連動してロボットも斎藤を抱きしめた。
なんとも異様な光景である。
ロボットと人間が出会いがしらにハグをする。
それ自体は別になんの異常もない。
よくありそうな光景だ。
しかし斎藤の目はとても幸せそうだった。
まるで本当に恋人とハグをしているように幸せそうな顔をしていた。
その目は欲情しているようにも見えた。
恐ろしくて思わず身震いしてしまった。
皆は軽蔑した目で斎藤を見ていた。
斎藤はそのどれにも目を合わせず、この世界にはロボットと自分の二人しかいないとでもいいそうな目で今の幸せを噛みしめていた。
誰もそんな斎藤を止めることはできずどれくらいの時間が経っただろうか。
実際は五分と経っていなかっただろうが、つまらない授業の残り時間を待ちわびるようにとても長かった。
早く誰か声を上げてはくれないだろうか。
そんな私の願いを聞き入れたのか、授業終わりのチャイムが鳴り響いた。
ロボットはその瞬間斎藤から離れた。
「ジャアネ、バイバイ」
チャイムが鳴れば終わり。というプログラムが設定されていたようで、ロボットはまたいつもの場所に戻った。
突然目の前の恋人がいなくなり、その場に座り込んでしまった斎藤を皆は哀れんだ目で見つめていた。
斎藤は先程まで抱きしめていた手を所在なさげに見つめながら、じっと動かなかった。
「よし、斎藤。もう授業は終わりだぞ。ほら、席に戻れ」
渡辺は動く気配を見せない斎藤を無理やり立たせると、斎藤の席まで体を支えながら歩いて行った。
斎藤は椅子に腰を下ろしてもまだ自分の腕を見つめていた。
今の教室にとって異常なのは斎藤だけだ。
しかし私はまだ後藤が動かずにいることを忘れてはいない。
そして、相変わらず白石は怪しい笑みを浮かべている。
これならロボットに狂気的な目を向けて教室が一つになっている姿の方がまだいいかもしれない。
私は何故か居心地の悪い気分になり、HRが早く終わることを願った。
渡辺も斎藤の異常に気押されているのか、明日の連絡を淡々と告げただけでHRを終わらせた。




