崩壊へと・・・
正常な人間であれば誰でも耐えられなくなる。
ここまでくれば興味だけで共に過ごすのはあまりに危険だと思う。
そう思ったあたしは門を抜けてから教室には向かわずに司書室に足を向けた。
元々一年生の時から授業を受けずに資格の勉強などをするために司書室を貸してもらっていたことがある。
授業を受けたところで将来使える知識など限られてくるし、別にその時に受けなくとも後でノートや教科書を見ればわかる。
本来ならばこんな要求は通らないだろうが、なんせ司書室及び図書室を所有している先生とは親しい仲なのだ。
「倉田さん、どこ行くの」
階段を昇ろうとしているところに誰かが声をかけてきた。
声で誰かはすぐにはわかったのだが、振り返るまでは違う人であってほしいと思った。
「どこ行くの。教室と遠い方の階段なんて昇って」
白石はじっと見つめながら不思議そうな、少し憤ったような様子で言った。
「どこって、白石君はあんな教室にずっといられるの? ああ、いられるか。だってああしたのは白石君だし、誰よりも楽しんでいるものね」
私の言葉に白石は驚いたように目を見開かせた。
「なんだ、てっきり君だと思っていたけど、すっかり騙されたみたいだ。君じゃなかったんだね。
悪いことをしたよ。僕がなんとかして修復するから」
白石はそう言うとすぐに走り出してしまった。
修復する。
今更何を言っている。
ここまで来てしまえばもう何をしたって元の皆には戻らない。
一つだけ手段があるとすれば皆の心を支配しているロボットそのものを皆の目の前に出すことくらいだ。
しかしそれは絶対にできない。
私は白石が走り去って行った方を見つめてからゆっくりと階段を昇り始めた。
だが、白石が皆を元に戻そうと奮闘するところは少し見てみたい。
でもあの意気込みは、私がいけばぶち壊してしまいそうだ。
気づけば放課後になっていた。
やはり自分の勉強は学校の勉強よりもはかどる。
今日はとうとう教室では授業中の先生とのやりとり以外皆は一言も話さなかったようだ。
昼ごはんもいつものように机をくっつけて弁当を囲んではいるが、誰も話していなかったらしい。
それならばそのまま一人で食べればいいものの、変なところで習慣が体に染みついているようだ。
しかしこうして外から知れば恐怖はなく、奇妙さがおかしく思える。
もしも他のクラスの生徒が昼休みに訪れれば、もしも他のクラスの生徒が誰かに話しかけたなら、想像するだけで笑いが込み上げてくる。
「はかどったけど疲れたなー」
もう帰ってしまおうか。今日は十分に過ごすことができたし。
それとも夜までここにいようか。家に帰ってもやることはないんだし。
「倉田さん!」
呑気に考えていると、後ろから叫ぶ声が聞こえて思わず肩が跳ね上がる。
今日はよく声をかけられるものだ。
HRが終わってから走って来たのか、息を切らせながら近づいてくる。
「今度は私に何の用なの?」
「倉田さんに一日でも早く戻ってきてほしいから、クラスのこと話して対策を考えてほしいと思って」
本当にこれが白石なのかと一瞬疑ってしまった。
怪しい笑みを浮かべてクラスを嘲笑い、私にもその笑みを向け、そして何か企んでいる様子で近づいてきた。
そんな白石が今は必至な様子で私に話しかけている。
「ねえ、白石君も心理学勉強していたんでしょう?」
白石は少し考えるような顔になってから首を横に振った。
「あれは心理学がどんなものか知りたかっただけだよ。それに、僕はてっきり君が・・・」
白石はそこまで言って黙り込んでしまった。
「白石君はどうしたいの? 楽しんでいたんじゃないの?」
白石は黙り込んだまましばらく動かなかった。
一体何をしに来たのか。
もう帰ってもいいだろうか。
そう思いながらレポート用紙をファイルに入れたり、筆記具を片づけたり帰る準備をしながら待った。
それでも白石はしばらく動こうとはしない。
鞄に全てを入れ終え、立ち上がろうとした時だった。
「楽しんでいたんじゃない。嬉しかったんだ」
白石がゆっくりと言葉を吐き出した。
「僕は君がクラスメイトのおかしな反応を楽しんでみていると思ったから、やっぱり君が異常者だって全てを暴いてやりたかったんだ。
でも、やっと気づいた。僕は君を貶めてやりたかったわけじゃない。君の楽しんでいる顔が見たかっただけだった。
僕は君が好きなんだって気づいた」
白石ははっきりとした声で言った。
しかしその元気はすぐになくなり、悲しそうに目を伏せた。
「あのさ、告白しに来たの? 用がないならもう帰るけど」
私が冷たく言い放てば、白石は小さく首を縦に動かした。
あまりの白石の変わりようにこのまま帰るのは気が引けたが、こういう状況で何をすればいいのかわからなかった。
キスでもしてあげればいいのだろうか。
考えながらもすぐに打ち消した。
さすがに好きでもない相手にそんなことはできない。
仕方なく後ろ髪引かれる思いで図書室を後にした。
次の日もその次の日も白石は訪れず、平和に勉強の捗る日々が続いた。
そして月曜日を迎えた。
とうとう今週の土曜日に文化祭が行われる。
しかしあれからもまた暴動や、女子同士の醜いいがみ合いが続き、もうクラスからは十人もいなくなっている。
その中には舞台に出ている者も数人入っている。
本来ならばすぐにでも代役を立てて劇を行えるようにするだろう。
しかし今のクラスの者たちがそんなことをするだろうか。
するわけがない。
ひとまず私はクラスの状況を確認するために教室に足を向けた。
そういえば白石は学校には来ているのだろうか。
いつもよりも気持ちを引き締めて教室の扉を開ける。
二十数人しか来ない教室は朝には四、五人しかいない。
皆は席についてボーっとしていたり、携帯をいじっていたり、誰もいないのではないかと思うほど静かだ。
私が扉を開けて席に向かっても誰一人視線をこちらに向けない。
興味がないというよりかは、物音にすら気づいていないと言った様子だ。
静かなのは私には嬉しいことだけど、やはり中に入れば異質な空気にやられてしまう。
しかし皆は教室では異常であってもバイトをしたり、部活をしたりしているはずだ。
家でこの状態で部屋で引きこもっていてもおかしくはないが、バイトや部活の時はいつもの様子に戻るのだろうか。
それとも・・・。
私ははっとして教室を飛び出した。
文化祭前で忙しいからか、門の前に先生は立っていなかった。
私は誰かを待つフリをしながら門の前に立った。
皆が不思議そうに私を見ているがそんなことはどうでもいい。
少し待っていると佐伯が現れた。
運のいいことに佐伯は電車通学だから歩いて門を通る。
「佐伯君」
私が声をかければ佐伯はキョトンした顔を向けながら止まった。
「どうしたの倉田さん。こんなところで」
佐伯は不思議そうな顔で私を見つめた。
やはりいつもの佐伯だ。
「勉強教えてほしいと思って」
「そっか。倉田さん休んでたもんね。いいよ」
佐伯はいつもの様子で話しかけてくれている。
やはり皆を変えるのはあの教室なのだ。
ならば、このまま佐伯と話しながら教室に向かえば、教室に入った途端に佐伯は黙ってしまうのだろうか。
そんなドラマのようなことが本当に起こるのか疑問になったと同時に試してみたくなった。
授業について聞けば佐伯はノートを出しながら嬉々として話してくれた。
教室まではそれほど距離があるわけではないが、ノートを見ながら歩いている佐伯の足取りはとてもゆったりとしていた。
「よかったら今日一日ノート貸そうか?」
佐伯がそう言った時にはもう教室の前に着いていた。
私が「ありがとう」と言ってノートを受け取ると、佐伯はどこか嬉しそうにしていた。
そして佐伯は私と話すついでとでも言うように教室の扉を開けた。
今佐伯と話していて気づいたが、この教室には扉を開ければ伝わる重苦しい空気がある。
「佐伯君このノートいつ返せばいいかな?」
先に教室に入った佐伯に声をかければ、佐伯は恐ろしいものでも見るような顔になって、つい先ほど嬉しそうに渡してくれたノートをひったくった。
「俺のノートに触るな!」
佐伯は息を切らせるぐらいの大声で叫んだ。
そして憤った様子で席に向かい、どしりと腰を下ろした。
ああ、この気持ちはどうすればいいだろうか。
そう思っていると扉が開いた。
後ろを振り返ればそこにいたのは白石だった。
「倉田さん!」
白石も驚いたように私を見つめたが、すぐに自分の席に着いた。
息が苦しくなりそうだ。
それでも私は自分の席に着いた。
自習時間に教室が静かになれば勉強しなくてはならない衝動にかられるように、静寂というものは全てを支配してしまう。
その空間にいるものは同じ行動をしなければいけない。そんな命令を下されているような気分になる。
それからは教室に入ってくる者は皆不思議なほどに一言も声を出さずに席に着いた。
教室から聞こえるのは本当に物音だけだ。
そうしてチャイムが鳴った。
チャイムが鳴れば渡辺が現れる。
渡辺はまるでこの空気にも気づいていない様子でいつものように間延びした声で「おはよー」と言った。
それに答える者は勿論今この教室には誰もいない。
しかし渡辺はそんなことなど気にもしていなかった。
「全く文化祭は今週の土曜だというのに欠席者が多いなー。出席簿にチェックするのが大変じゃないか」
静かな教室に渡辺の軽口だけが響き渡る。
渡辺は席を確認しながら出席簿にチェックをつけていく。
最後に私の列を見て、私が出席していることを確認すると、驚いたような安心したような顔をしていた。
私までこの教室に嫌気がさしたと思ったのだろうか。
もう十分嫌気はさしている。
こんな日常は早く終わればいい。
相変わらず授業は熱心に取り組んでいた。
挙手を求めれば皆小学生のように誰にも負けたくないと言わんばかりに精いっぱいに手を挙げている。
これが高校生の授業風景だろうか。
ロボットが壊した教室、その教室に飲まれていく生徒たち。
一日がこれほど長く、辛く感じたのは初めてだ。
稽古は代役を立てるほど頭が回らない。
しかし小道具は確実に増えていた。
もう全てがきちんと揃えられているかもしれない。
熱心に考えていた文化委員の二人もすでに教室にはいない。
さて、皆はどんな準備をするのだろうか。
もしかして役の欠席などないかのように変な劇でも始めるのではないだろうか。
そう思うとおかしくなり、HRが終わるのが待ち遠しくなった。
白石が号令をかけ、HRが静かに終わりを告げる。
さあ、何をする。
しかし皆は誰一人机を動かさず、誰一人教室に残らず、鞄を抱えて颯爽と教室から出て行った。
「えっ」
金曜日まで文化祭の準備をしていたと聞いていた。
それが突然皆は帰ってしまった。
文化祭はもう今週の土曜日だ。
にも関わらず皆は何事もなかったかのように帰って行った。
「倉田さん」
ただ一人教室に残っていた白石がゆったりと近づいてきた。
「色々としてみたんだ。
皆あまりにも静かだから声を上げれば聞くんじゃないかって、あの時みたいに操れるんじゃないかって。
でも、誰も聞いてくれなかった。いや、皆僕の言葉が聞こえていなかった。
この教室が皆を壊している。
もうどうにもならないみたいなんだ。でも、僕はきっと、きっと」
白石は拳を震わせていた。
あの時後藤にロボットを盗ませ、生徒たちを今の状態にしてしまったことを後悔しているのだろう。
クラスメイトがこういう形で崩壊することになったのは間違いなく白石のせいだ。
本当ならばクラスメイトはロボットを求めるただの廃人になるだけだったのだ。
その予定だったはずなのだ。
私は翌日教室には向かわず再び司書室に向かった。
もうあれだけ状況がわかればいい。
きっとあれ以上変わることはない。
ただ皆が楽しみにしていたはずの文化祭はどうするのか。
それだけが気になった。
次に教室に向かうのは金曜日にしよう。
しかし今回の出来事は本当にテレビでも見ているようだった。
なんでもできるロボット。
それが導入され生徒はただ興味を抱いた。
それが狂気的な興味に変わり、その変わり様は面白かった。
しかし斎藤は本当にロボットに魅入られてしまった。
ただのなんでもできるロボットは皆のアイドル的な存在になっていた。
確かにあのロボットはすごいし、誰でもほしくなる。
しかしロボット自体に感情を抱くようになるものなのだろうか。
あのロボットには何かあるのかもしれない。
人を引き付けてしまう何かが・・・。
ロボットがいれば皆は元に戻る。
ロボットに興味を向け、ロボットが動かなくなれば普通の生活が戻る。
ロボットに支配された学生生活を送ることになるのだ。
皆にとってはどちらが幸せだっただろうか。




