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【第三回】砂場、杖、傘


 誰かが作った泥団子がいくつも、コンクリートでできた砂場の縁に整然と並べられている。砂場の中には近所のちびっ子が使っていたのであろう黄色いプラスチックのスコップが落ちている。その泥団子がいつごろから置いてあるのかはわからないけれど、団子はもうすっかり乾いて薄灰色に固まっていた。

 それをぼんやりと眺めて昔を思い出したりなどしていたら、ざっざっと音を立てて一人の老人が近寄ってきた。老人はちょうど僕が今持っている傘の柄のようにぐんにゃりと曲がった背筋をしていて、ぺかぺかと光沢のある杖をついている。身なりはすくなくとも貧困に喘いでいるというわけではなさそうなもので、クリーム色のパンツに柔らかな白色のYシャツを着て、薄いグレーのカーディガン。典型的な老人だ。成人用オムツのCMにでていそうな、少なくとも不潔ではない好々爺。

 僕は彼が僕の横を通り抜けることを望んだけれど、彼はにこにこしながら僕に話しかけてきた。

「泥団子かね」

 老人は僕の横で立ち止まると、杖の先でこつこつとコンクリートをたたいた。高価そうな杖はそれなりにいい音を立てた。

「そうですね」

 見りゃわかるだろと心の中で毒づく。腹の中には早くどこかへ行ってくれと願う気持ちがあって、頭の中には老人に気を使わないとかわいそうだとか申し訳ないとかいう気持ちが働いていて、自分の態度を決めかねる。必然、言葉も少なくなる。

 老人はどこから言葉が出てくるのか知らないが、次の言葉を投げてきた。

「キミはよくここへ来るの?」

「別に」

「そうか」

 言って老人は杖を十センチほど持ち上げた。

 そしてそれを勢いよく下ろし、音もなく泥団子を潰した。

 止めるべきかとも考えたけれど、泥団子を泥団子のままにしていたら砂場の砂はいつかなくなってしまうだろうと思ってやめた。というかそもそも、僕には老人とまともに会話する気はさらさらない。考えたけれど、適当にやり過ごそうと思った。だから、自分から口を開こうとは思わないのだ。老人は杖の先を見つめていたが、ゆっくりと顔を上げて僕の顔をを見た。

「止めないんだね」

「……」

「キミもやってみるといいよ。その傘で」

 言われて自分の手の先を見つめる。これはだいぶ前にパクった傘だ。昔は傘を盗むなんて考えられないことだったけれど、一度慣れてしまうとそれはすぐに当然のことになった。

「いや、いいです」

 誰かが楽しんで作ったものをさくっと壊すことは、趣味がいいとは言えないと思う。答えながら僕は目の前の老人から逃げ出す言い訳を考えていた。

「そう言わずにさ。最初は抵抗があるけどさ、これ、割とクセになるんだよ」

 そういって老人は何歩か下がると今度は杖を振り上げた。なんだよ、杖なんか無くたって動けるんじゃないか。心の中で思いながらも、気がつくと僕は傘の先で誰が作ったのかも知らない泥団子をもてあそんでいた。

「ほんとうはさ、こんな老人と喋りたくなんか、ないんだろう?」

 杖を振り上げ振り下ろししながら老人は僕に話しかけてきた。それはまあ図星ではあったけれど、うなずくのもなんだか悪いので僕はそのまま聞き流す。年上を敬い、優しくしなさいとさんざん教わってきたからだろう、本心は早く話おわらねーかなーと思っていても、心理的な抵抗感とでも表せばいいのか知らないが、その気持ちを表に出すことができない。

「そんなことぐらいね、私だってね、わかっちゃ、いるんだよね」

 喋りながら老人は次々と泥団子を潰してゆく。何かの悪ノリか何かの純粋な熱中なのか、泥団子は十個や二十個では足りないぐらいの数並んでいるから、まだまだ団子はなくならない。僕はそれを眺めながら、まだ老人を無視して立ち去りたい気持ちと老人をないがしろにしたらいけないという考えをぶつけていた。特に何かに急いでいるというわけではないくせに、僕は、無難にやり過ごすとか言いながら、やはりここを一刻も早く立ち去りたいのだった。

「でもさ、話しかけちゃうんだな、これが。情けなくて、浅ましいことさ」

 老人はすらすらと喋りながら泥団子を潰してゆく。

「キミたちの良心が私を無碍に扱えないことを私は知っているからさ」

「そっすね」

 そう呟きながら、僕は老人が潰そうとした泥団子を傘で突き壊した。

 ……ほう。

 それは、悪くない感触だった。自分の中でもやっとしていたものの一つが心なしか少し晴れたような気がする。この感覚はなんだろう。わからない。わからないけれど何故だかここちよかった。老人は満足げに笑みを浮かべると、今度は黙って団子を潰し始める。僕は並んだ泥団子の反対側の端から順に泥団子を潰し始めた。

 非常にあっけないもので、二分もかからずに団子の群れは跡形もなくなった。老人は杖を曲がった背中の肩に担いで靴で残った砂を掃除し始めた。

「その杖……」

「ああ、これかい? 年を取るとね、こういうものを持っていた方が何かと都合がいいのさ」

 老人はそう言って砂を全部片づけると、笑って公園を去っていった。僕はパクった傘を握りしめて、老人と同じように公園を後にした。




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