【第二回】観覧車、鮭、どんぐり
すみません毎日更新するとか言っておきながら二日の零時にアップするつもりだったんですけどね……。
言い訳をしますと、ポメラを使って書いたお話があったのですが、PCがネットに繋げなくなってしまい、そういうわけで急遽ケータイでぽちぽち書いていたのですが、そしたら投稿時間が……すみません。
ネットで調べたところ、Tシャツを着た上にYシャツを羽織るとそれなりに格好がつくらしい。やってみると確かにそうで、チノパンを履いて肩掛けのカバンをひっかけると、ますます無難に都会の大学生の中に混じることができそうだった。洗面所の鏡の前でふんふん頷いていると、フライ返しを持ったままの母が台所から顔を出した。
「ほら、早くしないとみっちゃんとの約束遅れるわよー」
「はいはい……ってなんで母さんがそのこと知ってんだよ」
確かに遅れそうだ。早足で洗面所を出て、玄関、腰を下ろして靴紐を解き、結ぶ。
母さんはフライ返しをえらそうに振り回しながらご高説を垂れる。もう十八になる子供の約束把握してる母とか、子供としてはちょっとうざい。会う相手が曲がりなりにも女の子だから割り増しでナーバス入ってるのだ。もう少し気を遣うというか、子離れしてほしい。
「みっちゃんのお母さんから聞いたのよ。みっちゃん気合い入れてるってよ? がんばりなさいな?」
……向こうの母もか。
みっちゃんというのは幼なじみの女の子のことで、彼女がアバウトでユニセックスな性格だったからかあまり変な意識をせずに気楽に一緒にいられて、そういうわけで物心つく前から今日まで仲良くさせて貰っている。今日は、なんか、「関東の大学に進むことになったゆーくんにご飯食わしてやんよー」というメールが来たので、ありがたくおごって貰う予定だ。
「そうかよ。ていうかそういうことペラペラ喋っちゃダメだろ」
「そういうこと?」
価値観の違いか?
「……。と、とにかく、行ってくるから」
「はいよ。がんばってね〜」
腕時計をちらと見ると待ち合わせの時間まであと五分もない。待ち合わせ場所はみっちゃんの家の前だから、最後の手段で自転車を引っ張り出して跨がった。自転車はみっちゃんの家に一日だけ置かせて貰おう。
自転車を飛ばしたらやはり五分もかからず、というか二分しないくらいでみっちゃんの家に到着した。みっちゃんは時間にルーズな奴だから、てっきり、インターホンを鳴らしたらおばさんが出てきて「あと五分、いや十分だけ待ってくれる?」とかいわれるものと思っていたが、はたしてみっちゃんは玄関前の階段に座って頬杖をついて、観覧車を眺めていた。みっちゃんの家からは、国道沿いのデパートの屋上にある観覧車が見えるのだ。子供の頃はよくここで道路にチョークで落書きしながら二人で観覧車に思いを馳せたものだった。……にしても、その時間にルーズなみっちゃんが待ち合わせ時間前に待ち合わせ場所にいるとは、失礼な話だけど、めずらしい。
「おはよ」
というか、めずらしいのはそれだけじゃなかった。いつもはカーゴパンツにパーカーにキャスケットみたいな格好のみっちゃんが、なんかいつもの倍ぐらい女の子っぽい格好をしていた。縦ストライプのYシャツに……ミニスカート……ニーハイ? は? それは白と水色、黒などを基調にしたファッションで、今まで見たことないほどイメージが変わったみっちゃんが、頬杖をついたまま目だけを動かして俺を見上げていた。
「……誰?」
「みっちゃんでーす」
みっちゃんがおどけて笑うと、彼女の髪の毛が揺れた。この流れからすると気のせいではないのだろう、前に見た時よりも彼女の髪はさらさらになっているように見えた。というか、陽光を照り返してつやつやしている。おまけに、ちょっといい匂いがする。
「お、おう……」
「どうよ」
どうよって、一言で言ってしまえば、なんというか、超やりづらい。いやいや、聞いているのはそういうことではないはずで、要は可愛く見えるかどうかという話なのだろう。こちらとしては可愛いと言うしかないのだけれど、そういうやり取りは今までの幼なじみ関係には存在しなかったから、やはり戸惑う。どうしたらいいのか、俺にはよくわからなかった。
しょうがないので、「可愛いんじゃない?」と少し放り投げるようにぼかしてみる。
「何それー。雑じゃない?」
「じゃあ可愛い」
「ぬう……」
彼女は不満げな顔をした後すっと立ち上がって、軽く自分のスカートをはたいて土埃を払った。
「どうしたのさ、急におしゃれしちゃって」
聞くと、みっちゃんはやれやれといったような素振りで喋り出した。
「いやさ、ゆーくんもこう天気のいい日に遊ぶならやっぱ可愛い子の方がいいのかなーと思ってさ」
「そういうもんか?」
「違うの?」
「違うね。いつものおまえとそこら辺の女子はジャンルが違うね」
「なんか喜んでいいのか判然としないね」
「例えるなら、白玉を食べる気分とカツを食べる気分ぐらい違う」
「気分の問題なの?」
「食べ物と一緒でさ、人と会うにもテンションとか心構えの調整がどうしてもあるじゃんか、そういう感じだよ」
「なるほど? で、白玉とカツはどっちが好きなの?」
「脂っこいもんは苦手だけど、そういうんじゃなくて、だからそれは同じ土俵じゃ語れないんだって話」
「……。そっか」
「何、がっかり?」
「いや、別に? まあ、今日はゆーちゃんが東京行って可愛い女にたぶらかされないようになるための訓練だと思ってさ、ほれ、可愛い私を自転車の後ろに乗せてよ」
「何調子に乗ってんだ」
「いいじゃんいいじゃん」
言ってみっちゃんはひょいと跳ねると、俺の自転車の荷台部分に横向きに乗った。
「ほら、出してよ。お店まで案内するからさ」
おうふ、手料理じゃないのか。母さんが気合い入ってるどうのと言っていたので手料理の可能性もあると思っていたのだが、そんなことはなかったようだ。お店かよ。
「しゃーねえな……」
自転車を出そうとして止まる。普段は片足をペダルに掛けた状態で自転車を押しながらある程度加速してから乗る、みたいなよくおばちゃんがやっている乗り方をしているから、そのクセが出た。後ろに乗せていると自分で漕ぎ出さなきゃいけないのか。
仕方なくサドルに跨がりハンドルを握りしめると、みっちゃんが腰に手を回してきた。
「大学生になる前にさ、高校生の恋愛みたいなのやってみたいんだ」
それから、俺の背中に頭を押しつけて囁いた。
「……ごっこでもいいからさ」
……。
どう答えたらいいのかわからず、とりあえず無視して漕ぎ出そうとしたら、タイヤが何かにひっかかってゴリっと音がした。何かと思ってのぞき込むと、そこにはドングリがひとつ転がっていた。季節的には珍しいと思う。それにドングリだなんて懐かしくて、みっちゃんと近所の雑木林で遊んだのを思い出す。ドングリを拾って集めて、家に持ち帰った。中から小さな薄黄色の変な幼虫が出てきたのが少しトラウマ化して、それをきっかけに外で遊ぶこともめっきり少なくなったけれど。
まあそんな回想はどうでもよくて。頭を振って過去を追い払うと、俺は自転車の軌道を修正してドングリを避け、改めて自転車を発進させた。
「で、ここなの?」
「そ、ここ」
たどり着いたのはみっちゃんの家から自転車で十分もかからない場所にある近所の海鮮料理屋さんだった。海鮮料理屋とは言ってもとてもリーズナブルな価格設定で、どちらかというと定食屋風のお店だ。俺も頻繁に訪れるわけではないが、何度か来たことがある。
気合いの入ったおしゃれをして、おいしいものを食べさせてくれると言っていたから、こじゃれたイタリアンにでも連れて行ってくれるのかとも期待したのだが、まあうちの近所にそんなレストランはなかったし、期待してもやはり無駄だったみたいだ。……まあ、ここの海鮮丼は確かに安くておいしいし、いいのだけど。
案内されるままに席に着くと、俺がメニューを見るより先にみっちゃんが勝手に「海の親子丼定食二つー」と注文してしまった。
「……行っちゃうんだね、トーキョー」
運ばれてきたお冷やを一口飲んで、しみじみといった風にみっちゃんが切り出した。
「そうそう、行っちゃうんだよ」
「じゃあ昔話をしようよ」
「いいけど」
適当にそう返すと、みっちゃんは昔の二人のことについてすらすらとしゃべり出した。俺はどうにも言葉を合わせられなくてただ相槌を打つ。意味もなく拾い集めまくったドングリを家に持ち帰って親に怒られたこと、観覧車を見ながらけんけんぱをしたこと、ドングリから虫が出てきたことをきっかけに雑木林で遊ばなくなったこと、観覧車の絵を書きまくってあれに乗りたいと親に無言アピールしたこと、親戚につれられて観覧車に乗ったと報告したらみっちゃんがめちゃめちゃに怒ってしばらく口をきかなかったこと……みっちゃんがだいぶ細かい思い出話を引っ張ってくるからなかなか話は進まない。物心ついたときには隣にいたって関係だから出会いの話はなかったけれど、小学校三年生あたりの話をしている間に注文した海の親子丼定食とやらが運ばれてきた。出発は明日だ。荷造りは済ませてあるが、思い出話を全部しようとなると晩ご飯も一緒に食べることになるだろう。母さんが家族でご馳走食べようみたいなことを言っていたから難しそうだが……。
運ばれてきた海の親子丼定食というのは、なんのことはない、サーモンといくらのドンブリに味噌汁と出汁巻き卵やきゅうりの浅漬けが添えられた定食だった。
箸を割って、いただきますをして、味噌汁からいただく。みっちゃんはまた口を開いて、どうやら食べながらも喋り倒す構えのようだった。そしてどうやら思い出話は一時中断らしく、今度はよくわからないことを話し始めた。
「鮭はですねー、必ず自分が生まれた川に帰ってくるんですよー」
「産んですぐに死ぬけどね」
相槌は割と上の空な自分が返している。今日はみっちゃんと顔を合わせてからずっとこんな調子で、どこか意識がふわふわしていてきちんと応答できない。
相槌を打つ一方で割と機械的な動きで食事をする自分もいる。さっとわさび醤油をかけて、サーモンで包むようにお米を取って一口。美味い。田舎の盆地の魚とは思えない。そんなかんじ。
「なんです。こっちがいろいろ考えてお話してるのにひどいこと言って」
みっちゃんがぷりぷり怒り出した。不覚にも今日のみっちゃんをちょっと可愛いと思っているから、非常になんというか、どう対応したらいいかわからなくて、普段だったらまたここで少しおどけた言葉を返すのだけど、さっきの白玉とカツの気分の問題なのか何なのか、目の前にいるみっちゃんにはどうにもそういう言葉を投げる気になれない。
「ごめんごめん」
素直に謝ると、みっちゃんは腕を組んで「ふんっ」とそっぽを向いてしまった。普段のみっちゃんはこんなことしない。ますますどうしたらいいのかわからなくなる。いつもより可愛い格好して、いつもと違う挙動で、いつもよりなんかいい匂いがするみっちゃんに、俺は大いに困惑していた。それから家の前でみっちゃんが言っていたことを思い出した。もしあの発言の通りなら、みっちゃんは高校生の恋愛っぽいことをしているつもりということになるのか。どうしたらいいんだろう。俺もそのごっこに付き合った方がいいのか。というか、普段通りの対応がしづらいのだからそうする他ないのかもしれないが。
食事の手を止めて、お冷やを口に運んで、少し考えてみる。確かに彼女の服装や挙動はそういうイメージにのっとっているのかもしれないが、お昼に海鮮丼の店っていうのは果たして高校生の恋愛然としていることなのだろうか……。しかし、高校生の恋愛って、どんなだ……? マンガとかもそんなに読むわけじゃないからよくわからない。
とりあえず、さっきの思い出話でみっちゃんがやたらとプッシュしていた観覧車を出してみることにする。
「……観覧車」
「へ?」
言い出してから、そのセリフがかなりこっぱずかしいものであることに気付く。相手は曲がりなりにもちょっと可愛い女の子なわけだし、これは恋愛経験ゼロの自分にはかなりハードルが高い。でも言い出したのだからもう戻れない。
「観覧車、乗るか?」
「うん!」
みっちゃんは満面の笑みで頷いた。その笑顔はみっちゃんと十何年も過ごしてきた俺が今までに見たことのない顔で、そして、信じられないぐらい可愛かった。
鮭はですねー、自分が生まれた川に必ず帰ってくるんですよー(意味深)
↑こういう暗に示す表現って、小説に挿し込んでどれだけ気付いてもらえるものなんでしょうか……なるべく期待しないようにはしているのですが……