第八話 Aktion
――翌日。
曇り空の下、ハノーファー郊外のとある地域はひどく緊張していた。民家の窓辺に飾られた花さえ、いつものように通りを見下ろすことをためらっている。どの家もカーテンが閉ざされ、人気はなかった。
爆音がとどろき、空気が揺さぶられた。
それと共に、コンバットブーツの足音が古びた建物に突入する。古びたコンクリートの壁に踊る落書き。とげとげしく記された排外的な言葉。
それらのそばを、影と化した黒い男たちが駆けていく。粉塵の中に、発射炎が瞬いた。屋内を満たしたのは、銃声と火薬、鉄錆のにおいに相違ない。
それに気付いて武器を取り上げた者たちは、たちまちのうちに急所を撃ち抜かれ、なすすべなくもんどりうって倒れる。
黒で統一された装備。ゴーグルとフェイスマスクで、侵入者の顔は隠されていた。
侵入者に慌てふためいた男たちが、武器を取り走り回る気配がする。容赦なくあらゆる部屋に突入する黒服たちに、彼らは恐怖の叫び声をあげた。
騒然となった屋内は、次第に落ち着き始めた男たちのために、静けさを取り戻し始めている。彼らは一層堅牢な部屋の中に籠城したらしい。
それを受け、黒服のリーダーらしき男がハンドシグナルで仲間に指示を出す。黒服たちはうなずいて散開し、各自の持ち場に待ち伏せた。
リーダーは固く閉ざされた頑丈な扉を睨んだ。
この部屋には窓がない。ここの人間が大事なものを隠すために、この部屋に籠もることはあらかじめ想定していた。計画通りのことをするだけだ。彼はそう思い、ポケットからプラスチック爆弾を取り出した。
ふいに、作業を進める彼の手が止まった。すばやく銃を取り上げ、気配を感じた方角を睨む。
輝く金髪がひるがえった。ブーツが床を蹴り、転がるようにして接近する。リーダーの放った銃弾が少女の脇腹を軽くえぐる。真っ黒な戦闘服に真紅のラインを輝かせた金髪の少女は、ナイフを引き抜いて彼にとびかかった。
黒服はかろうじて切っ先をかわす。しかし、飛んできた蹴りをかわすことはできなかった。
後頭部を壁にぶつける。ヘルメット越しに、彼の頭の中身は揺さぶられた。
蹴りで壁に叩きつけられた彼を援護するべく、仲間が少女に殴り掛かる。先制しようとするその男を、少女は軽くかわして蹴り飛ばした。
少女の蹴りに飛ばされた仲間を目の端に捉えながら、リーダーが少女の背後から襲いかかる。彼のナイフが少女のナイフとぶつかり、鋭い音が廊下に反響した。
かすった刃先がリーダーの戦闘服を切る。彼はひやりとしながら後退した。少女の真っ青な瞳が、作り物のように彼の命を射止めている。
しかし、突然に彼の集中は揺るがされた。妙に近く聞こえた轟音に、彼の視線はちらりと隣の扉に向かう。薄明かりにきらめくナイフを片目で見た。
――起爆装置が作動している。
飛び退る彼のそばで、扉が吹き飛んだ。内側に吹き飛ぶはずが、何かが飛んでくる。
少女の首筋から、真っ赤な血が噴き出した。まばゆい陽光に照らされ、飛沫は輝く。青い瞳は驚愕に見開かれ、少女はそのまま床に崩れ落ちた。
リーダーはつかまれた手を反射的に振りほどこうとした。しかし、手錠でもかけられたかのように逃れられない。彼は片手で銃口を上げた。
「放せ」
拘束された彼の手はナイフを握っていた。その切っ先は、水色のカッターシャツに届いていない。反応のない様子に、彼は相手を睨んだ。
黒い瞳が彼を睨み返した。冷たい風が少女のミニスカートを揺らした。もう一方の手に握られた包丁から、赤い血が滴っている。
黒髪の少女は前触れもなく、リーダーの手を解放した。すると、警戒心もなく肩をすくめて視線を外す。
「お前、何者だ」
息絶えた少女を足元に置いたまま、少女はすらりと立っていた。抵抗するとしても圧倒的不利な状況にもかかわらず、おびえも遠慮も感じさせない凛とした姿だった。それが妙な威圧感を持って、黒服たちの動きを止めていた。
フェイスマスク越しに威圧するリーダーの声は、黒髪の少女にはあまり効果がないようだ。唐突に睨むのをやめ、どこか涼しそうな顔で目をそらす。少女は包丁の血を金髪の少女の服で拭い、短いスカートの中に消した。
「撃ちたければ撃ってもいいが、弾の無駄になるだけだぞ」
「何だと?」
私服にしては堅苦しい少女のいでたちを見て、リーダーはまさかねと鼻で笑った。人様をKSKだと知ってのその挑発的な言動なのか、否か。
少女は平気そうな顔でいる。
「警戒する必要はない。私は……」
しんとした廊下に響いた電子音に、少女は言葉を切って顔をしかめた。着信らしい。
「……マナーモードにするのを忘れていた」
ポケットから携帯電話を取り出すと、そう断って出た。
『リッター中佐!!』
スピーカーから廊下まで響いた声に、少女は肩を震わせる。彼女の返事も待たず、通話相手は怒り狂った声でまくしたてた。
『君は一体どこにいるのかね!? いい加減にわがままはやめたまえ! いや、わかっているよ。君はどうせ性懲りもなく飛び出して、人の仕事を盗りに行ったのだろう!?』
「何を言ってるんです。これは私の仕事ですよ。忘れたんですか?」
涼しい顔、声で少女は悪びれもせずに言う。黒服のリーダーは眉をひそめた。
『いや! これは君の仕事ではないのだよ! KSKの仕事だ! さっさと帰ってきたまえ!』
「あなたが私の了承もなく勝手にサインしたことなんて、知りませんよ。これは、人間の仕事ではない。だからこそ私が」
通話相手の壮年の男はうなり声を上げる。言い返す言葉が見つからないようだ。
少女は彼に追い打ちをかけるようにつぶやいた。
「危ないところでした。私が来るのが3秒ほど遅ければ、少なくとも2人は死んでいました」
『勝手なことを。何とでも言いたまえ』
「自分の部下ではないのでどうだっていい? でも、もし死んでいたらあなたは責任を追及されましたね」
『…………』
少女は足元で死んでいるサイボーグの少女を、冷ややかに見下ろした。深く切られた首筋から、人体にはないはずの金属特有の光沢がのぞいている。
「どう責任を取るんでしょうね、参謀長? このあいだこいつを逃した私の責任……と言いたいところですが、私は一兵器でしかないので、責任などとることができません」
ぞっとするほどに冷たく、冷徹な少女だとリーダーは感じた。
「では、目的を果たしたので帰還します」
『待ちたまえ。誰か迎えに行かせる……』
「結構です。自分で帰ります」
一方的に通話を切り、彼女は踵を返した。リーダーは思わず叫んだ。
「待て!」
「何だ」
ぶっきらぼうな態度に、彼は苛立つ。
「どこに行くつもりだ」
「陸軍第一装甲師団の司令部だが」
「そこに行くなら、こっちを通れよ」
指差した廊下の先を見て、少女は肩をすくめる。
「存外、親切なことを言うんだな」
少女が向かうのは、大穴の開いた壁だった。吹き抜ける風が爽やかに彼女の髪を揺らす。黒服たちの目の前で、少女はそこから飛び降りた。
あわてて追いかけたリーダーの目には、少女はもう映らなかった。秋風に木の葉が揺られ、建物の下で警戒をする仲間が見えるだけだった。
お待たせしました。湯呑みです。
今回はアクション! サブタイトルもアクツィオーン=アクションです。張り切っていますが、一瞬で終わりましたね。やはりアクションは難しいです。
こんな感じでも何かいいところが見つかりましたら、評価でもしていただけると大変喜びます。
では、次話はアクションではありませんが心理描写頑張ります。