プロローグ4~誘(いざな)いの目~
「ぅわあぁぁあぁぁぁああ!?」
突然の大声に,オレは飛び起きた。素早く辺りを見回すと,優羽と杏里それに千歳の三人はソファーの上で身を竦めていた。その前には三人を守る様に親父と徹がいた……。
「真昼……?」
突然のことに上手く思考が働かないオレは,唯一この部屋に姿が見えない己の分身である真昼を探してキョロキョロしていた。その時,ゾクリと全身に悪寒が走った。何か,似た様な感覚を何処かで……。
「しゅーやあぁああぁああああ!!」
「待て修夜!」
せっぱ詰まった様な叫び声は真昼のものだった。オレは本能に近い感覚で反応し,親父の声を無視してドアをぶち破る様にして声のした方へと飛び出した。
「真昼! どこだ!?」
「しゅーや!! 父さん!!」
いつもの間延びした声ではなく緊迫した真昼の叫び声は,一階から聞こえてきていた。
「トイレか!?」
やっと覚醒してきた頭で,眠りにつく前のことを思い出した。心地よいまどろみの中にいたために時間感覚も曖昧だ。
「しゅー……っ!!」
嫌な予感がしたオレは,階段を一気にすっ飛ばして飛び降りる。
「真昼! なっ……!?」
そして転がり出た廊下の先。そこには,細長く黒い無数の腕に絡みつかれている真昼がいた。
「修夜! 待てというのが聞こえないの,か……?」
親父が追いついて,オレと同じものを見た。その後ろには徹と優羽,杏里と千歳が続いていた。
「……しゅう,や!」
「う,うおぉおおぉおおおおお!!」
真昼の絞り出す様な声にハッと我に返ったオレは,無我夢中でその黒い腕に向かっていった。親父がオレの腕を掴んだ様な気がしたが,オレはそれを振り払い,真昼を捉えていた黒い腕に蹴りを放った。
グニっと,嫌な感触がした。オレに蹴られた黒い腕はのたうち回り,他の数本の黒い腕がこちらに向かってきた。
「っく! このっ,おりゃ! っ!?」
何本かは蹴り飛ばしたりたたき落としたりすることができたが,本数が多く捌ききることはできなかった。黒い腕に足を掴まれ,その細腕からは考えられない勢いで,オレは空中に放り投げられた。
「ぐあっ! くそっ!」
事務所の机をなぎ倒しながら吹っ飛ばされたオレは,それでも直ぐに立ち上がった。吹き飛ばされた先に,いつもは壁に飾られている摸造刀が落ちていた。オレはそれを引っ掴むと,再び黒い腕に突っ込み,その刀を振るった。
肉を潰し,骨を砕く様な感触が,刀を通して伝わってくる。刃が付いていないため,打撃にしかならない刀を振るいながら,オレは焦っていた。
だってこれは……。この黒い腕は……。
「せりゃ! 修夜! 気を抜くな! 集中しろ!」
いつの間にか眼前に迫っていた黒い腕を叩きとしたのは親父だった。
「ふん! 容赦するな。やられるぞ!」
そしてたたき落とした黒い腕に,トドメとばかりにかかとを落とす。鈍く不快な音を立てて黒い腕は潰れ,勢いを無くして腕が伸びてきている方向へと引っ込んでいった。それが鍵になったのか,その他の黒い腕がバラバラに動き出した。真昼はその隙をついて脱出し、こちらへと駆け寄ってきた。
「修夜……。ア,アレってさ……。」
真昼は震える手でオレの服の裾を握り,じっと蠢く黒い腕を見ながら呟いた。
「アレは,母さんを連れて行ったヤツだ……。」
親父が驚いた顔をしたのは一瞬で,表情を引き締めると後ろからオレと真昼の肩を抱いてそっと耳打する。
「何はともあれ,今が逃げるチャンスだ。下がるぞ。」
「何で!? アレは手がかりだよ! 黙って下がれって言うの!?」
「真昼。落ち着け。良いから今は親父の言うとおりにしよう。」
渋る真昼の肩をオレと親父が両サイドからそっと掴んで,ゆっくりと後退していく。黒い腕も同じように,ゆっくりと後退していき,やがて一カ所で黒い点になった。
「何だよ,アレ。」
階段の所まで下がると,徹が話しかけてきた。
「分からん。けど,思い出したことがある。アレは……アレが,オレ達の母さんを連れて行った。」
「僕も思い出したよ。あの日,居間に続くドアを開けた時に見た。かぁさんがアレに捕まって,家具とかも巻き込みながら黒い穴に吸い込まれていくのを見た……。」
「マジかよ……有り得ないだろ。ハハハ……。」
とても信じられるようなことではないが,実際に今目の前で真昼が連れ去られようとしたところを見たばかりの徹は,今聞いた話を笑い飛ばそうとして失敗した。
「と,とりあえず安全なところに行きたいなっ。いつまでもアレが見えるとこにいると危険だと思うしさっ。」
少し震える声で話す優羽に全員が頷いた,その時だった。
「ねぇ……。アレ,まずくないかしら。」
最初に異変に気付いたのは千歳だった。千歳の言葉に振り返ると,小さな黒い点だったものが,背後に白く巨大な壁の様なものを展開していた。
「おいおい。何しようって言うんだよ……。」
「まずいな。皆,ゆっくり下がろう。」
親父の言葉に頷き,最後尾の杏里と千歳が動いたと同時。黒い点が白い壁に張り付き,一つの巨大な眼が描かれた。
「ひっ!」
それを見た優羽が悲鳴を上げそうになるのを,徹が口を塞いで防いだ。
吸い込まれそうなほど真っ黒な瞳がギョロギョロと蠢き,辺りを窺う様に白い壁がゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「あまり急かしたくはないが,急げ……。」
「っ……。」
「どうした?」
突然,動きが止まった後方を振り向いたオレは見た。ゆっくりと登っていた階段の,その向こう側の壁に,同じような眼の絵が描かれているのを……。
「親父。挟まれたぞ。」
「何だって? くそ,どうすれば……。」
前方の眼を注視していた親父は振り向いて後方の眼を確認すると,考え込んでしまった。ジッと,ゆっくり近づいてくる眼を見つめていた親父はふと何かに気付いた様に頷いて,オレに顔を寄せてきた。
「さっきから思っていたんだが,ヤツらはこちがらが見えているのか?」
「……は?」
「さっきから下のヤツは,ギョロギョロしているばっかりでこちらを注視しないじゃないか。もしかしたら,他の何かで父さん達の居場所の特定をしている,とは考えられないか?」
「なるほど,こうして話していても全く反応しないし……音でもなさそうだ。」
「音でもないとしたら……何だ?」
「分からないな……。オレ達の知らない何かで見ているのかもしれな……。」
その時だった。突然全身に鳥肌が立ったオレは視線を親父から階段下の眼に向けた。
「どうした?」
親父の声をどこか遠くに感じながら,オレは冷や汗が止まらなかった。
「……見つかった。」
「なに……?」
「うぉおおおぉおお!」
親父が聞き返してくるよりも早く,眼の中心から大量の黒い腕が伸びてきた。オレが摸造刀でたたき落とせたのは,最初の一本だけだった。
「は,離せっ!」
オレは迫り来る多くの黒い腕に腕や足を掴まれた。そしてその腕に掴まれた瞬間,体から力が抜ける感覚がした。何とか逆らおうと踏ん張るも,体はゆっくりとその眼の中心の闇へと引きずられていく。
「修夜! 真昼っ!」
もはや身動きの取れない体勢で,オレは首だけを動かして後ろを見た。反対側,つまり階段上の眼からも黒い腕が伸びており,徹と真昼が必死に捌いている。
「徹っ! 杏里がっ。千歳もっ!!」
無数の黒い腕に掴まれながらも,優羽は必死にその場で踏ん張り,そのほとんどが眼の中心の闇に飲まれてしまった白い腕を掴んでいた。千歳か,それとも杏里の腕なのか,もはや判断できない。
「父さん! 修夜がっ……!」
オレは闇に飲まれ,ゆっくりと狭まる視界に親父の姿を見つけた。親父は真っ直ぐにオレを見つめ,黒い腕を捌きながらこちらに手を伸ばす。
「修夜っ、手を……!」
怒ったような、泣き出しそうな、そんな不思議な親父の顔を最後に、オレの意識は闇に消えたのだった。
プロローグはここまでです。
次回からは更新頻度がガクッと落ちると思います。
気長にお待ちください……。