すわ、売却
執筆者:ういいち
遠天に輝く太陽が強烈な日差しを射込む先は、茫漠とした砂塵の大海。地平の彼方までを埋め尽くす熱砂の原野は日光を反射して、世界の気温を加速度的に高めている。四大陸の中で最南に位置するマーサレス、その大半を占める広大な砂漠地帯へ足を踏み入れたなら、充分な装備と知識を持たない者など数刻と経たず倒れ伏すだろう。
そんな過酷な大地には、独自の進化を遂げた僅かばかりの生物以外、外来者を見付けるのは難しい。ただ一点、荒涼たる砂漠の只中に屹立する巨大な技術都市を除いては。
黄金の丘陵が幾つも連なる砂海に、漆黒の巨壁が聳えている。地の底から張り出した恐ろしく硬く厚い黒壁は50mもの高さを誇り、横幅にしては100mを優に超す。それが何十層と横へ連なり、少しずつ湾曲しながら巨大な円を描いていた。
上空からその光景を眺め見た時、多くの者は我が目を疑う。大砂漠に奇妙な超壁が佇んでいるからではない。黒い覆いによって隔てられた内外が、あまりに異なっているからだ。
壁の外は果て無き無味の砂漠地帯。対して壁の内は、長大な塔や大規模な工業施設が密集し、数え切れない煙突から濛々と暗灰煙を吹き散らす都市部であった。昼夜を問わず蒸気と噴煙が方々から昇り、機材が唸る稼動音と怒号が際限のない喧騒を生み出す。大型の機械が忙しなく往来し、色とりどりの作業着に身を包んだ人々が走り回る様は、壁一枚隔てた先とは完全な別世界であり活気に溢れている。
遥かな遠望一切が生き難い死の大地でありながら、そこへ唯一つ鎮座する生命抱えた鋼の都。それが技術立国シュヴァルトライテだ。
3000年前という古の時代、世界を破壊し尽くして、有象無象の全て等しく滅ぼした終末戦争。その頃に使われていた数限りない機械製品や高度な文明の残滓を発掘し、独自に研究・調査して改修や転用及び技術力の吸収を目的に、各地から集まってきた学者や技術者が混在して活動する国である。
西暦5000年代に於いては何処よりも古代技術に精通し、旧文明の叡智へ通じる。その為に都市の構造も住民の生活より、古代文明の調査研究に重きを置いた形態であった。居住空間は庭付き一戸建てなどではなく、簡素なアパート型が幾つも軒を連ねている。一つ一つの部屋には家財も殆どなく、低品質な安物が共同で使われるような有様だ。
代わりに研究機関や製造工場は巨大で複雑。装備も目的に特化した最新鋭の物が逐次開発・導入され、各種主流活動の傍らで拡張工事が進んでいる。必要な物があれば自分達で作り上げ、不要な物は即座に改造して環境改善に努めるという、無駄のないサイクルが確立されていた。
それは砂漠の真っ只中という資源に乏しい実情を勘案した結果でもあるが、それ以上にシュヴァルトライテ民の意思が強く反映されている。この国に住まう者の殆ど全てが技術者ないしは科学者であり、彼等は総じて自らの生活水準よりも、研究や開発事業にこそ意識を傾注させてきた。
同じ志を持つ者だけで組まれた都市国家は、かように一部人だけが快適と賞する他にはない様相を見せる。
シュヴァルトライテの中心を走る中央道は、車道と歩道とか明確に分けて整備された舗装路である。古代に存在した道路を模して形作られた道には白線が走り、規定速度や通行車両の型式も指示されていた。各地には他国では見られない標識が立ち並び、様々な警告や情報を走行者に提示する。
幅広く数車線が設けられた道の両脇へ視線を転じれば、隙間なく隣接し合う大規模な工業施設が確認出来た。所狭しと立ち並ぶ工場の内部からは、絶えず大きな機械音が雑多に響いてくる。また施設より走り出す大型トラックや小振りの運搬車両が休みなく行き交い、分厚いタイヤの路面を噛む音が空気を震わせた。
そんな中央道を途中で脇道に逸れ、都市の中心から一つ奥まった区画へと向かった先に、寂れたオープンカフェがある。
余暇に頓着しないシュヴァルトライテ住民を相手取っては、サービス業など中々商売にならない。技術立国の高性能な製品を取り扱う各地の卸業者や、商業企業であれば慌しく駆け回るところだが、一時の憩いを提供する場は然したる人気を得られないのだ。
この国の住民は食事に対しても「早く食べれて消化しやすく、人体活動を維持する栄養素さえ補給出来ればそれでいい」という思考が顕著であり、味付けや彩りなど意にも介さない。お陰で趣向を凝らした食事所など開店させてしまえば、連日閑古鳥が鳴く有様である。
そうした理由からそのオープンカフェも人気がなく、設置された丸いテーブルや椅子は空席ばかり。大国で定年退職まで勤め上げた店主が、充分な貯金を持つ故に儲けを気にせず趣味でやっていなければ、とっくに潰れていただろう。
人々の記憶からも忘れ去られたような小さな店先、そこに置かれた一席にノイウェルとリリナは並んで座っていた。ノイウェルは黄緑地の着物ともローブともつかない薄手の衣装を着込み、リリナは平時同様のメイド服だ。
二人の対面には、190cmに達そうかという長身の、恰幅良い中年女性が腰掛けている。濃い紫色の髪を短く刈り込んだ女性は、よく日に焼けた彫りの深い精悍な顔立ちをする。野性味が溢れていると言ってもいい。着衣は油や煤汚れが方々についたツナギ服で、捲り上げられた袖からは鋼線を何本も捩り合わせたような筋肉が覗いた。
その姿は堂々としており、非常に頼り甲斐がある。弾雨飛び交う戦場を駆け抜けた歴戦の猛者か、そうでなければ肝っ玉母さんという印象も強い。
大柄で筋肉質なツナギの女性は、ノイウェルとリリナに人好きのする笑顔を向けて、嬉しそうに冷えたビールをジョッキで煽った。
「それにしても久しぶりだねぇ、ノイ坊。リリナの嬢ちゃんも元気そうでなによりだよ」
太くよく通る声で豪快に笑い、女性はジョッキを卓上に置く。その雄々しい姿は風景の一部と見るには、インパクトが強過ぎた。
「マリエ殿も変わりないようだな。以前以上の壮健ぶりに安心したぞ」
対面の女傑――マリエ・ディーンカイルへ、ノイウェルもにこやかに笑い返す。その隣では、リリナが隙のない所作で恭しく頭を下げた。
「あっはっはっは! そりゃそうさ。お宝の山を日々相手にしてるんだ、嫌でも元気が出るってもんだよ」
マリエは口を開けて盛大に笑う。臆面のない豪放な姿は、それだけで彼女の人となりを感じさせた。
ノイウェルとリリナはアストライア発掘を行う際、シュヴァルトライテに協力を求めた。幾ら情報があっても、流石に二人だけで広大な砂漠から戦艦を一隻探り出すのは無理がある。それ故に発掘作業へ定評のある本職集団へ掛け合ったのだ。これに対して興味を持ち、子供の妄想か悪戯だろうと一蹴せず乗り出してくれたのがマリエであった。彼女のバックアップを得てノイウェル達は無事に古代の新造艦を見付けだし、冒険への足掛かりを得たのである。
しかもマリエはこうして発見された珍しい古代遺産を、自分達が接収するのではなく、第一発見者であるノイウェルへ気軽に譲渡してくれた。確かに手放すには惜しい一品であるが、少年の熱意と気概をいたく気に入った事もある。また彼女自身約束を違えるような不義を許さぬ真っ直ぐな人間で、冒険者への理解も深いことが、双方に禍根を残さぬ良好な決着となったのだ。
これ以後、ノイウェルは何かとマリエを頼るようになり、実母と同じぐらいに彼女を慕っている。リリナもマリエの持つ清廉な心根と豪放磊落な人となりを憎からず思っており、彼女の前では常の鉄面皮も若干健度を緩ませるようであった。
「それで、あたしに見せたいって代物はこいつかい」
テーブルの上に乗せられたアタッシュケースを覗き込み、マリエは顎へ手をやる。
既に開かれているケース内には、アルコノストでの冒険を経て入手した魔導機関の設計図一式が収められていた。ノイウェル達が保管していても意味はないし、アストライアの維持費や乗員の生活費を工面する為にも、然るべき場所へ売却する必要性がある。その相手として選ばれたのが、古代遺物を正当に評価して買い取ってくれ、尚且つ有効活用してくれるだろうシュヴァルトライテだった。
「技公主殿の目から見て、どの程度価値があるだろうか」
自分達の冒険成果に対する総評へ、ノイウェルは興味を隠さないで身を乗り出した。こういうところはまだまだ子供だと、表情こそ変えないままリリナは内心で微笑ましさを覚えている。
一方のマリエはケース内から提示品を取り出し、目を細めて観察を行った。その真剣な顔は研究者であり、技術者のそれである。
彼女こそがシュヴァルトライテを統括する全住民の代表、今代の技公主であった。多くの技術者や研究者が寄り集まって形成されるシュヴァルトライテは、他国のような政府や王権という明確な統治機関が存在しない。その代わりに同業者組合が自発的に設けられ、相互扶助の精神に基いて政治的圧力を取り除き、事業的に援助し合う民主的運営方式が確立された。
同業者組合は住民達の声を基軸として技術立国の方向性を取り決め、必要物資の調達や都市改造計画、新規遺跡の発掘や回収作業のチーム編成及び指示などを進める。また他国からの要請を検討して捌く窓口でもあり、シュヴァルトライテの商業面を支える財源確保の重役も担ってきた。住民間のトラブルがあれば、これを調停もする。
その組合を代表する技公主は技術立国の顔でもあり、住民の推挙によって組合の中から定期的に選出されるのが慣例だ。大抵の場合、単なる研究バカではなく、卓越した技量と、他の追随を許さない情熱、広い視野に先見の灯を持ち、確かなリーダーシップを有す人格者が選び出される。そうした人材は稀である為に、一度技公主となった者が現役時代は選ばれ続けるなど良くあるパターンであった。かくいうマリエも四度目の代表任期を一月前に終えたばかりであり、住民の満場一致でそのまま第五期目に突入している。
「こいつは中々どうして、愉快な遺産だねぇ」
アストライアメンバーの回収物と、スキンクの解析文書を交互に見遣り、マリエは鼻を鳴らした。
大好物の古代遺物を前に年甲斐もなく楽笑を浮かべる様は、ノイウェルとも大差ない。
「コンセプトは異常、仕様は凶悪ときたもんだ。戦争末期の連中を、これでもかと表現してるような遺産だね」
可笑しそうに唇を歪め、手にした遺物と文書をケースにしまう。次いでジョッキへ手を伸ばし、再び豪快に煽って喉へと大量のアルコールを流し込んだ。
「余も、これの記すところを聞いた時は驚いた。太古の争いでは、こんな物まで作られていたのかと」
「構想自体は珍しいこっちゃないよ。3000年前の大戦争では、こういう馬鹿げた代物がワンサカ作られてたようだからね。実際に形になった物から、こいつみたく途中経過で終わったのまで、それこそ数多さ」
「そうなのか?」
好奇心と驚きを混在させた顔で、ノイウェルはマリエの目を見る。色が白いうえ、細く整い少女にしか見えない面貌を見詰め返し、技公主は些か神妙な面持ちで頷いた。
「あちこちで見付かる遺跡や遺産を調べてるとね、終末戦争の最終局面がそれなりに浮き彫りとなってくるのさ。作られた兵器、実戦投入された兵装、それらはもう勝つ事を考えてはいないね」
「どういう事なのだ? 戦う為の武器であろう。なのに勝たないのか?」
「ああ、そうだよ。戦争が長く続きすぎた所為か、はたまたあまりにも激しくなりすぎた所為か。既に自分が誰と戦い、何の為に戦い、何を護ろうとしたのか、何を奪おうとしたのか、それら全てが判らなくなっちまったのさ。だから次々に作り出されたのは勝つ為の兵器じゃない。ただ壊し、殺す事に突出した物だよ」
ノイウェルの青い瞳を真っ直ぐに見て、マリエは御伽噺でも語り聞かせるように言葉を紡ぐ。対する少年は口を引き結び、緊張した面持ちで話へと没入していた。
「敵も味方も喪失し、意味も意義も見失った。大儀も価値もない、それでも止まらない、止まれない。傑出した技術が矛先さえ定めないで暴走し、着地点の描かれぬままに繰り返された総力戦だ。それが3000年前、此の世を極限まで荒らしきった終末戦争の実体さ。そもそもの始まりが何であったのか、記録には一切残っちゃない。きっと戦争末期にゃ誰も覚えてなかっただろうね」
「戦う理由もないのに、争い続けたのか?」
「最初はちゃんと主義や主張があったと思うよ。現在とは比べ物にならないほど、豊かで優れた時代だったんだ。それを築き上げた人類は、賢く生きてた筈だからね。だけど始まった戦いは、そうした全てを摩滅させた。誰が意図したもんでもない、そういう風に人が、歴史が動いちまったのさ」
「その結果が、かつての大戦争なのか……」
傍目には分からないが、ノイウェルの体は小刻みに震えていた。どことなく顔色も悪い。遠い彼方の時代に起こった途方もない戦いを思い描き、そのおぞましさに感情が掻き乱される。
リリナは主君の心情を逸早く見抜いており、余人にはそれと知れなくとも心配そうな目を向けた。言葉を掛けるではなく、さりげに腕を伸ばし、そっと震える少年の手を握る。細くしなやかだが、武器を握り歩んできた力強い手。それに優しく包まれると、ノイウェルの震えはゆっくりと引いていった。
「何時しか国って枠組みも壊れちまって、組織も消えて、ただ無秩序に争い、殺し合う。そんなところまで、当時の人類はいっちまったのさ。一度外れた箍は、元に戻りはしない。戦う目的を逸したままこの星の全てを焼き払う、そりゃまさに狂気の沙汰だよ。あまりにも大きくなりすぎた戦争が、みんな狂わせちまったのか。……存外、人類は気付いたのかもね」
「なににだ?」
「この戦争を終わらせる唯一の方法は、人類の全てが死に絶えることだってね」
そこまで言って、マリエは勢いよくアタッシュケースの蓋を閉じた。その突然の強音に、ノイウェルはビクリと反応する。
自らの主君を無為に驚かせたことを責める様に、リリナがマリエを睨んだ。と、彼女は悪戯っぽい笑顔を浮かべて、懐から一枚の紙を取り出していた。
「さぁさ、辛気臭い話はここまでだ。昔のことをあたし等が思い煩ったってどうしようもないさね。それよりも、もっと現実的な話をしようじゃないか」
重くなりつつあった場の空気を換えるため、ないしは何の企図なく単純に生来の明るさ故、マリエは威勢よく笑い声を上げる。事実、彼女自身は自らの話そのものに感慨というものを滲ませていない。古代に多少なりとも通じる者として得ていた事実を語ったのみという、裏のない風情も感じられた。
その為にノイウェルも暗く沈むことはなく、興味の焦点を今現在へと早期に立ち戻す。リリナはそんな主の姿勢に安堵の息を胸中へ吐き、同じ様にマリエの取り出した紙片へと目を向けた。
「それは何なのですか」
「お互いにとって、最良の結果を残してくれる魔法の紙だよ」
リリナの問いに答えながらマリエはツナギの胸ポケットからボールペンを引き抜き、件の紙へと軽快に走らせた。何かの記入が終わると紙片を掴み、ノイウェルへと差し出す。
「おぉ、これは小切手ではないか。そうか、買い取ってくれるのか。どれどれ……いち、じゅう、ひゃく、せん……70000000イェン!?」
少年は受け取った小切手を確認し、驚愕の声を上げた。一度顔を上げてマリエを見、もう一度紙片を覗いて数え直す。
慎重に0を追ったが、その数は最初と同じである。予想外の金額に、小切手を持つ手が先とは別の理由で震えた。
「す、凄いぞ。リリナよ、余は夢を見ているのか?」
「いいえ、ノイウェル様。私にも7千万イェンに見えます。これは間違いなく現実でしょう。そして、これだけの金額で買い取っていただけるのであれば、当分資金面の心配は不要となり大変助かります」
興奮を隠せないノイウェルを前に、リリナは普段どおり冷静に応じる。面上とて小揺るぎもしておらず、その落ち着いた佇まい少年艦長と極めて対照的であった。
尚、1イェンは日本円に換算して1円に相当する。
「本当にこんな金額で買ってくれるのか?」
「あたしにゃ子供をかついで喜ぶ趣味はないさ。こいつにはそれだけの価値がある。爆発機構は別にして、魔導機関としては優秀だからね。研究の余地は充分だよ」
目を輝かせるノイウェルにニッと笑い掛け、マリエはアタッシュケースを軽く叩いた。
仲間達との苦労が報われた事にノイウェルは喜びつつ、そうしたノイウェルを見ることでリリナも喜びつつ。蒼髪の少年は手を差し出し、シュヴァルトライテの技公主へと握手を求めた。
「交渉成立だね」
マリエは大きく逞しい手で、ノイウェルの手を握る。快く応じられた二人の握手は、親友同士が取り交わすもののように固く結ばれていた。