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輝ける星光  作者: 輝ける星光
アストライア初陣
18/28

決戦、破壊の君主と冒険者(後編)

執筆者:ういいち

◆後編◆


 けして弛まない渾身の強制力は、逆方向へ逃げようとする抵抗を許さない。重い口部に暴力的な叛意を以って、ジリジリと境目を大きく変える。そのまま進行が全体の三分の一程へ達した時、突如セルシアが咆哮を放った。

「オオオオォォッ!」

 限度を超えた体が、遂に脳へも影響を与え出す。

 大量のスパークが唯一の生体部分を圧し、自我と呼べるものを掻き乱す。その影響で頭の中には何も無い。あらゆる思考は彼方へ失せ、記憶も感情も薄れて果てた。人間性が急速に喪失し、自分が何者であるかさえも分からない程に。

 それでも胸の奥では仲間の事が消えずに残る。体の芯に、心の果てに、焼き付いて離れない強固な意志が、その一念が、原動力ででもあるかのように機械体を稼動させた。両腕はまだまだ動き続け、あろうことかより一層出力を高めていく。

 最大限のエネルギーが発揮されたセルシアの躯体は、彼女の覚悟と決意によって巨獣の顎を天地へ分かった。最後の抗いを打ち砕き、口の端が裂けるまで強く、烈しく、巨大な口を開放する。

「『暁の天翼よ、永年の狭間より我が身代みしろに降り、那由他なゆたの彼方へ忘我と舞え。現るる原罪に固き契りを交わし、三顧の極彩へたがわぬ盟約を賭す。麗宮に這いし理の担い手よ、沈黙と雄牙とを並べ奉さんが、煉凱れんがいの扉を開け放ち給え。御手に拡げやう邑塵ゆうじんへ誓いの礎と以て。輝ける星光を今、解き放たん』」

 両腕を掲げたノイウェルが、瞼を閉じて厳かに唱う。

 声へ含まれる音韻に反応するのは不可視の力。魔導の制御法たる文言が内在魔力を導いて、少年の面前に蒼白い明光を浮かばせた。蒼の光は意思持つように空中を滑り出し、規則的な動きで一つの大きな円を描く。上方位の基点から巡って一周すると、始まりの同所である終点へ辿り着き一度は消える。それと同時に円の内側と外周に新たな蒼光が現れ、直線と鋭角の動きで内部に六芒星を、外縁には難解な魔導言語をそれぞれに刻みつけた。

 双方の光が始点へ帰り図形と術式を完成させた後、今度は六芒星の頂点と四つの先端部へ蒼光が生まれる。六つの光は時計回りに同規模の小円を作り、続いて各円から内外二面へ及ぶ湾曲線が伸び出してきた。六芒星を囲む二重円が描かれると、その狭間へとまた別の魔導言語が蒼い光によって記し上げられる。

「これが僕の全力全開!」

 ノイウェルの敷いた魔法陣完成と相まって、禾槻も自らが有す超能を解放した。

 極度の集中から精神を赤熱化させ、燃える大炎に転じて生み昇らす。熱く滾る業焔は深紅の舌で外気を舐め、周囲に肌焙る狂暴な熱気を撒き放った。誕生から一拍も置かず巨大な火柱へ成長した灼熱が、望まれるまま苛烈な燃体を撓めて雄走していく。空間上に存在する魔法陣目掛けて猛進し、蒼白い術式へ獲物を認めた蛇の如く飛び込んだ。

 燃え盛る熱火が激突してくると、法陣はこれを末尾まで余さず吸い込み尽くす。向かい来た炎の全てを取り込むと、全容が目に見えて変質を始めた。外周に位置取る大円の蒼が炎の赤へと色を変え、光で組まれた構築線は紅蓮の焔に取って変わる。微細な魔導文字も赤熱色へと反転し、外周円は極熱の車輪然とした様相を呈していった。

 内部に収まる六芒星が赤々と燃え立ち、煉獄の魔陣から幽彩の輝きを放つ。六つの頂点へ止まる小円も相次いで灼色に変じ、連なる湾線と魔韻が瞬間で炎へと包まれる。全ての構成が蒼から朱に変わった魔法陣は、双方の力が拒絶なく融け合い単一時ではありえないエネルギーを留めていた。

「レリオさん!」

「……チャンス」

 エレーナとラグナの呼び声が重なる。

「よし、任せろ」

 二人に頷き返し、レリオは愛銃を手放す。使い慣れた大型狙撃銃が床面に落ちる横で、彼は右手を真っ直ぐに突き出した。手中にはロストアームが握られている。

「いくぜ相棒。戦闘形態だ!」

 持ち主から戦意の昂ぶりを感じとり、眠れる古代遺物が起動した。

 球体の内外は眩く輝き、全体が無数の粒子へ変換される。数えきれない光の粒は素早く宙を掻き走り、拡散しながらレリオの前面へと展開した。

 散らばった輝光は伸ばされた青年の手に再集結し、先端方から高速で物質化を遂げていく。黒く硬質な実体が形作られ、徐々に巨大な偉容を出現させる。通常空間に復帰した質量は明確な連続性を以って統合していき、これにより認識可能となる姿は異質であった。

 全ての光を取り込んで離さない漆黒で構成され、全長は4mへ達そうかという巨砲。リリナが獲得した剛剣より更に大きく、物々しい迫力がある。形状そのものはシンプルで、際立った意匠もなくただ長い。見た目には長方型の鉄塊であり、外周は人が二人揃って抱え込んでもカバーしきれない程だ。

 怪物へと向けられた先端面には大口径の射出口がある。底の見えない深い穴は、奈落への入り口かと思えるほどに黒く暗い。砲体の後方部に六つの穴を持つ回転式弾倉シリンダーが具わり、闇色の輪胴が静かな存在感を放射しいた。

 使役者の身の丈を数倍する超大な武装からは三対の無機的な脚が伸び、床面へ降りて巨体を支える。安定性を得た砲に接するレリオは、中程へ設けられるトリガー部に肩を掛け、手そのもので握り込んだ。その上部横腹から突出した変則的なスコープを覗き、床へ釘付けられ、強制的に口腔を押し開かれた魔獣と、射線上へ配置された真紅の魔法陣を視認した。

「狙いはバッチリだ。よぉし、決着ケリをつけてやる」

 スコープ越しに目を眇め、レリオは浅い深呼吸を数度行う。照準に集中し、魔法陣の中心と巨獣の口内を重ね合わせた。

 動かない標的を射抜くなど、朝飯前にも程がある。しかも対象はとてつもなく巨大だ。外せという方が難しい。尤もレリオが決め手とする超砲身の攻撃は移動が利かないため、定位置から固定された標的を狙う仕様であるのだが。

 既に必中の段であり、確実なる勝利への一手は彼が握り有す。今まで散々やってくれた返礼も込め、引き金を掴む腕に一層力は入っていた。

「風が妙だね。キナ臭い。レリオさん、気を付けなよ」

 後方からアウロの注言が挟まれる。持ち前の優れた感覚機能で何かを感じ取り、老齢の戦士は若き狙撃手へ警戒を促した。

「心配は無用だぜ。なにせコイツは戦艦さえブチ抜く威力だ。この絶好のポイントなら、どんな障害も力尽くで押し通す!」

 レリオが高らかに宣言すると、黒き巨砲の内部機関から駆動音が上がり始める。

 モーターの回転する高速音と、忙しないピストン機構の稼動音が重なった。微細な部品が各々に動き、それらが噛み合って連動する様は外部から確認出来ないが、周辺の空気が一斉に痺れ出した事で状況が知れる。

 眠っていた機器が相次いで目覚め、次第に唸り響かせていく最中、超砲身の中心部から稲光に似た電光が生まれた。漆黒の外面を躍り回る電子の線は幾重にも分かれ、全体を駆け巡りながらシリンダーへと集っていく。生まれ出た雷光は夥しい量となり、明滅を繰り返しながら弾倉で凝縮。輪胴内で大きなエネルギーを育み、淡い燐光を兵器側面へと広げる。

「よっしゃァ! いっけぇぇぇッ!」

 スコープ越しに魔獣を狙い、レリオは気勢を乗せて叫び上げる。それと同時に引き金を絞った。

 シリンダーに構築された破壊の力が、強烈な閃光を迸らす。回転弾倉が右回りに一つ進み、澄明な輝きが砲搭の内部を一直線に駆ける。次の瞬間、射出口から碧緑の光弾が発射された。兵器先端口より撃ち出された碧光は荒々しい尾を引いて、目にも留まらぬ速度で空中を疾る。

 光弾が解き放たれると地響きに似た鳴動が轟き、とてつもない反動に砲身自体が前後へ揺れた。衝撃波もまたレリオを中心として円形に走り、大気を一瞬にして張り詰めさせ叩き付ける。傍近くに居たアウロやラグナ、エレーナやスキンクの髪と着衣を盛大にはためかせ、鋼板から伝わり空間全体を激しく震動させた。

 射出後の碧光は秒を数えぬ間に魔法陣へ激突し、その中央、六芒星の只中を貫く。両勢が接触すると法陣は紅と蒼二つの光に分離して球状となり、飛来弾を核に螺旋を描いて回りだす。三つの輝きは揃い踏んで速度を落とさず、目では容易に追えぬ勢いで魔獣へと突っ込んでいった。

 セルシアによって開かれた大顎を、真ん中から通過する最高のコースである。合間には遮蔽物もなく、敵はリリナによって自由を奪われている。これで命中しない筈がない。三色の煌びやかな尾が軌跡に光の残滓を置いて、膨大な出力の備わる一閃は迷う事無く目標への進路を蹴った。

 だが金の大獅子はみすみすの直撃を許さない。床面へ押さえ付けられまま、喉の奥に光脈を宿す。その鮮照を皆が確認した時、光源は迫り上がり滂沱の奔流となって溢れ出した。怪物の大顎を通り現出したのは黄金の大光条、巨大な殲滅魔法の柱である。

「魔導砲だったのかい」

 違和感の正体を今更ながらに理解して、アウロは暴力的な危惧に苦い顔で吐き捨てた。

 魔力制御機関である鬣を損失している現状で、強引に行使された魔獣の大砲撃。一番最初に見せたそれよりも幾分太さや輝きは劣るが、それでも内包する滅砕力は充分すぎるほど強い。

 獅子の上顎を力任せに開いて支えていたセルシアの右腕は丁度通過点にあり、口腔から放たれた魔導砲を正面から受ける事となった。圧倒的な火力は既存の物質を労わる余地など一切なく、光膨の驚異的放出へ飲み込まれた彼女の腕が、肩口まで一瞬にして消滅する。骨子も欠片も塵一つ残さず、右腕を構成していた全存在が永遠に地上から消え去った。

 円筒形の強光砲から派生する激烈な余波に打たれたセルシアは、右腕の完全消失に気付くよりも早く吹き飛ばされる。襤褸雑巾のように軽やかに舞い、獅子から然程も離れていない鋼板の上へ叩き付けられた。元から限界を迎えて暴走状態にあった躯は、これが止めになったのだろう、うつ伏せに倒れたまま動かない。

「セルシア様!」

 眼下の惨状に切迫した声音で同志を呼ぶが、リリナの声に相手は反応しなかった。

 その間にも放出方向へ直進する黄金の大幕は虚空を焼き払い、揺ぎ無い澎湃さで進路を喰らう。レリオの放った一撃は道程を違えず渦中へと飛び、正対する魔力の超越的激流に蒼紅碧光そうくへきこう揃って挑んだ。魔力、超能力、古代遺物、三人分の意志と力が結合した必殺の光弾と、三千年を生きた闘争の化身が放つ渾身の魔導砲。互いに退く事をしない意地と覚悟の衝突が、相反する壊滅力の削り合いという状況を作る。

 黄金の極大級砲撃に中心から叩き付ける三大光弾は、等しい力関係から拮抗を見せた。双方共に押し進もうとするも、同程度の出力が片方の突破を為させない。どちらからも等分の距離を置いた広域空間の中程で、ぶつかり合うエネルギーが甲高い異音を吼え立てる。耳を圧する炸裂音が何重にも木霊反響し、肌を突く衝撃と強風が縦横無尽に多方へ散った。

 大気は重く圧され、ともすれば際限なく弾き返され、常に流動しながら多彩に状態を変容させて暴れ回る。次第に譲らない裂破の溝は罅割れにも似た反発作用を強め、それが視覚及び体感可能レベルにまで顕在化していく。結果として現れたのは、冒険者の攻手である三光弾に抗いきれず破裂した魔導砲側が、極明光の先頭部分を細分化して打ち振るうというものだった。

 出力係数で同位を示しても、安定感の上では劣る魔獣の無理な砲撃では、凝連結向上を遂げ強襲弾となったレリオの一撃には勝れない。不安定だったエネルギー塊は、より高次の結成力で固められる光弾に衝突部分を破壊されていき、砲撃という形態で照射されていた何割かを強制的に分離、無制御状態に陥れたのだ。湛えた魔力の総量は絶えず獅子本体から供給されていることから消滅もせず、指向性の束縛から放たれた分散出力は弱体化しながらも威力を保持したまま。それは目にも明らかな変質であり、強大な一条の光柱頭部分より根元を同に分け隔てられた幾筋もの光が、それぞれに鞭か、或いは触手の如く無軌道に蠢きしなる奇異な状態として認められた。

 三色の明光と黄金の破光が凌ぎを削る最中にあって、黄金から分かたれた光の帯が秩序なくのたうち回る。輝かしくありながら、それ故に不気味なうねりは空を裂き、床を叩き、躍り跳ねて猛威を揮った。魔力の触手は伸縮すら自在であり軌道予測も出来ない。短く分離空間周囲を回遊するものもあれば、何処までも伸びてアストライアメンバーを襲うものもある。

 激しい動きには、相対者の身を竦ませる速度と迫力があった。嫌悪感と根源的恐怖を誘発する蠢動ぶりも手伝って、正に怪異なる魔性そのもの。それらが一斉におののき、見上げる敵対者を襲い出す。

「うわっ!」

 狙うように注がれる光鞭の一打から、ノイウェルは悲鳴を上げて転げ逃れる。

 床面を打った帯は更に振れて、少年の頭上を刈り取るような動きで抜けていった。

「おいおい、男を狙った淫獣ショーじゃ客は取れねーって」

 軽口を叩きながらも必死に逃げ惑うスキンクを、数本の帯が多角的に襲う。

 軽快なステップと性格さながらにトリッキーな動きで攻撃を避けてはいるが、軍服の端々は掠っただけで焼け散っている。一発でも直撃されたなら、セルシアの右腕とまではいかなくも、再起不能の末路は疑うべくもない。

「これは厄介だね」

 舌打ち混じりにコンバットナイフを抜き放ち、アウロは迎撃に努める。

 が、研ぎ澄まされたナイフの強靭な刃も、魔導砲の流れを組む触手は抑える事が出来なかった。切り裂くか、そうでなければ受けきろうとした矢先、光へ接触した数度目で白刃は融解してしまう。刃の持つ耐熱焦点温度を、無数の帯は凌駕しているのだ。

「うおぉ!? やめろやめろ!」

 武器の巨大さと重量が仇となり持って逃げられないレリオは、方々から迫る触手の群を巨砲の耐久力で堪えていた。

 襲撃する光打があれば砲身を盾として回り込み、自身へのダメージをなんとか抑える。しかしロストアームも無敵ではない。次々叩き付けられる破壊鞭の応酬に随所が傷付き、着実に損傷は増加していった。とかく大きいだけに攻撃を受ける範囲も多く、レリオが身の守りに使えたとして所詮は時間稼ぎでしかないのは明白。氷の上で焚き火をしているようなものだろう。

 各自が無遠慮な猛襲に晒され、反撃も出来ないまま回避行動へ終始する中で、エレーナとラグナにも当然と言わず攻撃は向いた。

「……邪魔くさい」

 冷静に動きを見極め、最小限の行動で致命打を避けるのはラグナ。白衣の裾を翻し、柔軟な光鞭を紙一重で躱していく。

 彼女の最大の武器は、威力の高い得物でも、魔法や超能力の類でもない。常人とは比べ物にならない膨大且つ圧倒的な経験である。ラグナは三千年の昔、彼の魔獣と同じ時代を生き、屍山血河を踏み越えてきた戦乱の申し子。戦う為の教育と数限りない実戦を経て、もはや現象の域にまで昇華された闘争の業は常軌を逸し、ある種完成された芸術と化している。伝説に歌われる終末戦争を駆け抜けてきた彼女は、戦う術に於いて他の追随を許さない。過ごしてきた時間と積み重ねた経験は、どんな兵器にも勝る最強の武器として、ラグナの真髄へ染み付いていた。それほどでなければ、生き残ることなど出来無かったのだから。

 そんな彼女にとって、凡百の戦徒が認識し難い魔力のうねりを見定めるなど造作もない。それが目に見えるほど強く実体化しているのなら尚更である。

「きゃぁぁぁっ!」

 一方でエレーナは避ける事さえままならなかった。

 優しく慎ましい性格から戦闘向きではなく、身体能力とて普通の女性と大差ない。独自の超能力サイコメトリは持っているが、直接的な戦力へ還元へされるものでなく、あくまでサポートの域を出ない。例え芯が強くとも仲間が腹痛やらで倒れた段に慌てふためき、適切な処置を見誤る程度である。実質的な死の感触を傍に感じ、それ自体へ襲われたなら身が竦むのも当然といえた。

 脚が震え、全身が硬直し、顔は強張る。周囲で不遜に蠢く触手の群へ囲まれて、エレーナは逃げるだけの気力すら失ってしまう。

「う、あぁ……」

 半ば開かれた唇から零れるのは、恐怖と怯えから掠れた呻き。

 満足に身動きの出来ない彼女を見下ろし、魔力鞭の一つがしなやかに動く。そのまま勢いをつけ、動けぬ獲物へと差し迫った。他の面子は皆、自分が逃げ惑うので精一杯だ。彼女に気を向けている余裕はない。エレーナとしても自分本位に救済を望む愚は犯さないが、避けねばという思考に反し、脚が固まって動かないという現実。彼女の動揺と畏怖など知る由もない触手は、凶暴な撓りで弾みをつけ、鋭い風きり音を響かせて打ち下ろされる。

(ルイさん……)

 逃れ難い死の洗礼を目前として、エレーナは固く目を閉じた。

 それと共に胸中へ浮かぶのは、遥か遠い昔に別れた幼馴染の姿。最期の瞬間に縋った初恋の相手は、記憶がおぼろげになりすぎて顔も判然としない。代わり別の誰かが、霞がかった記憶の表層へ浮かんでくる。

 それは――

「……?」

 妙なことにどれだけ待っても体に痛みは走らなかった。激痛を期待している訳ではない。それでも来ると予想し、曲げようのない事実として認識していた衝撃は、不思議とまったく感じていない。

 不審に思って恐る恐る目を開ける。瞼の裏の闇から色のある世界へと解放された瞳は、そこで意外なものを映し込んだ。

「霧川、さん?」

 眼前にあったのは見慣れた顔。今し方、末期の記憶と浮かんだ相手のもの。褐色の肌と女性的な顔立ちをした、良く知る仲間のそれである。

 エレーナはすぐに状況が理解出来ず、不思議そうに目を瞬いた。だが、それも一瞬。すぐに彼が身を呈して自分を護ってくれたのだと思い至る。

 彼女の理解と殆ど同時に、禾槻の口から大量の血が吐き出された。赤黒い流液は滝の様に連なり、重力へ引かれて一直線に落下していく。少なくない吐血量から、エレーナを庇って肩代わりしたダメージの大きさが知れた。

「霧川さん!」

 禾槻の体は急激に力を失い傾いた後、前倒しにエレーナへと寄り掛かってくる。細身の青年を咄嗟に抱き止めて叫ぶも、彼女の呼び声に反応はなかった。

 二人分の体重を支えきれないエレーナは、禾槻を受け止めたまま床へと沈む。脚と臀部が揃って冷たい鋼板へ接したところで、彼女は青年の背中を見た。暴走する魔力の触手に容赦なく打たれたそこは、羽織が燃え落ち肌が露出している。皮膚は激しく爛れて半ば溶けており、黒く焦げて変色した筋肉には幾つもの醜い気泡が浮かぶ。蛋白質の焼ける強烈な臭いを発し、薄氷が熱湯に侵されるさながらに今尚内肉の燃焼は進んでいた。

 直撃の瞬間に炎を生み出し相殺を企図した為か、幸いにして脊髄までは傷付けていないようだ。それでも背面一帯は生々しく焼け崩れ、目を背けたくなる凄惨な有様である。いったいどれほどの痛みだったか。安易に想像すら出来ない。

「あ……霧川さん、しっかりしてください! 霧川さん!」

 露となった損傷部に目を瞠りながらも、エレーナは必死になって呼びかける。

 彼女の様子に気付いたラグナが、素早く二人の元へと駆け寄ってきた。禾槻の傷を見ても眉一つ動かさず、冷静な目で観察しつつ傍らへ跪く。傷は大きい。予断を許さない状況だ。速やかに設備の整った場所で手術を行う必要を感じるが、そんな場所も余裕もないのは周知の事実。ならばすべきは応急処置か。現状で取れる手など一つしかない。

 救護班らしく診察と対処法の考案を的確に済ませ、ラグナはエレーナのポケットから小さなカプセルをさっさと取り出す。それと並行して禾槻の前髪を掴み、顔を上向けさせると、口の中にナノリペアを捻り込んだ。

「……霧川、飲め」

 懇願とも命令ともつかない言葉少なの訴えは、しかし意識の消失によって応じられる気配がない。

 眉間に僅かばかり皺を寄せると、ラグナは片手で拳を作った。それを禾槻の胸へ手加減なく打ち付ける。小声で「霧川のくせに生意気だ」と零していたのは、誰にも聞こえていない。

「がはっ!」

 見舞われた一撃に咳き込んで、意識の戻った禾槻は口内のカプセルを吐き出そうとする。血の塊が少し飛んだが、ラグナは構うことなく即座に口内へ指を突っ込み、ナノリペアを押し込んだ。反射的に喉を震わせ、禾槻は自分の血液と治癒アイテムを一緒くたに飲み下す。

「……よし」

 禾槻が回復剤を嚥下すると、ラグナは相手の口から指を引っこ抜いた。

 人差し指と中指は、血の混じった唾液で濡れている。それを一瞥してから宙で払い、次はエレーナへと視線を向けた。

「霧川さん……うぅ……どうして……私は、こんな……ひどい……みんなが、また……」

「……落ち着く。霧川は死んでない」

 ラグナが話しかけても、エレーナはまともな応対をしなかった。

 何事かをうわ言の呟いて、さめざめと泣いている。どうも禾槻が目の前で倒れたことで、心的外傷トラウマのようなものが精神深奥から溢れ出してしまったらしい。こういうものは幼少時の体験や記憶が根底にあるようだが、彼女の場合は果たしてなにか。

 エレーナの過去など知らないラグナは、彼女がかつて父母含む一族全てを何も出来ないまま失い、己の無力に嘆き悲しんだことなど思いもよらない。そもそも興味とて然してないので、今はすべき事を行動へ移すのみだ。

 考え付いたら早い。ラグナは俯いているエレーナの頬を、躊躇なく平手で打った。乾いた音が響き、彼女の端整な顔が横を向く。

「……呆けてる暇はない。君がしっかりする」

 じわじわと熱を帯びてきた頬を押さえ、エレーナはゆっくりと正面へ向き直った。

 ぶたれたことも理解出来ず、何が起こったのか分からないという顔でラグナを見る。呆然とする彼女へ、ラグナは表情を変えず淡々と指示を出した。

「……この白衣を破いて、包帯代わりに」

 言いながら白衣を脱ぎ、ラグナはそれをエレーナへ渡した。加えてポケットから取り出した魔法石を、空いている右手に乗せて握らせる。

「……随分弱くなっているけど、まだ少しなら保つ。これで霧川と自分を護ること」

 未だに茫洋とした面差しのエレーナへ言い聞かせ、ラグナは腰を浮かせようとした。だがその手を不意に掴まれ、動きが止まる。

 怪訝な顔で引き止め主を見ると、顔面蒼白になりながらも禾槻が腕を伸ばし、弱々しい視線を送っていた。

「っ、ラグナ」

「……なに」

「まだ……勝負はついてない、だろ?」

「……言われるまでもない」

 掠れた声で問われるのへ、ラグナは平時の素っ気無さで返した。

 その無愛想な文言に笑みを浮かべ、禾槻が手を離す。ラグナも早々に視線を切って、半死半生の負傷者から意識を外した。

 傍から見たらなんとも味気のない問答である。意味の有無さえ窺えない。しかし二人にとっては充分だった。ラグナは禾槻の言いたい事を理解したし、禾槻はラグナが自分の意思を汲み取ってくれたのだと確信している。だからこその笑顔だ。

 両者の間にあるのは、余人に思いも寄らぬ独特な友情の形。普段から軽口混じりに馬鹿をしている二人だが、それ故に絆めいたものを繋いでいた。性別や生き様や人生経験を越えて、双者が結ぶのは奇妙な信用と信頼である。

 だからこそ、というべきなのか。ラグナは立ち去り際、エレーナの肩に手を置いて、彼女の耳元へ囁きかけた。

「……霧川を任せた」

 何時ものそれと比べてほんの少しだけ優しいような、そうでもないような。微妙なニュアンスを含ませて、ラグナは言い残したあと離れていく。

「ラグナさん?」

 その一言が決め手となったというわけでもないだろうが、我に返ったエレーナは急ぎ振り返った。

 見るともうラグナは駆け出し、触手の群雨を掻い潜って巨大な銃砲へと進んでいる。残された彼女は手中の魔法石を握り込み、禾槻へと視線を戻した。また意識を失ったのか、青年は瞼を閉じて動かない。浅い呼吸だけを繰り返し沈黙する顔は、苦痛と満足さが半々である。

 それこそ死んだように眠る禾槻を見詰めつつ、渡された白衣を裾側から破り始めた。布を裂く鋭い音が響く中、エレーナの頬を大粒の涙が伝う。透明な雫は白皙の肌を滑り、顎先に溜まって一つ滴る。涙の粒は禾槻の額へ落ちて、音もなく弾けた。

「……逃げるな。戦え」

 定位置から動かない巨砲へ駆け寄り、ラグナは漆黒の回りを忙しなく動く狙撃手へと命じる。

 呼ばれた方は降った声に驚き半分で振り返り、周囲でうねる光の群を指差し叫んだ。

「いや、俺もそうしたいのは山々なんだけどさ。これは無理だって。マジでヤバイって」

 言いながらも足元を打った光鞭に怯み、低く喚いて後ろへ跳ぶ。

 その醜態を冷たい眼差しで見据えつつ、ラグナは近くへ位置取る仲間達へ相次いで号令を飛ばした。

「……お面、艦長。こっちが体勢を整えるまでなんとか護れ」

「生憎とネタ切れなんだがねー。手元に残ってるのは包丁ぐらいなもんだが」

「範囲は狭いが、耐久力の高さで凌いでみるぞ。『千連たる魍魎の檻、角牙かくがに嘲る堅鱗けんりんを以て。遮る覇猛の並びへ従い、我が意を忠としかしずき揃え。相克を穿つ、固き守りを此処に』」

 懐から刃渡りの長い包丁を取り出して構えてみるスキンク。それを余所に、ノイウェルは何度目かの詠唱で魔法を紡ぐ。

 少年の掌には薄く狭い小さな六角形が生まれ、その淡く光る盾は襲い来る触手を辛うじて受け止めた。

「艦長、四歩右から新手です。次は前へ五歩。ほい、左三歩。右斜め四十五度からも来ますぜ」

「えーい、この! 余は負けぬぞ。皆にもこれ以上はやらせはせん」

 直接的に対処する術を持たないスキンクは、向かい来る触手の位置を割り出してノイウェルに教える。これを聞いた少年は自前の魔法盾を使い、自ら襲撃の矢面に立って弾いていった。

「……片翼、手を貸して」

「あいよ」

 ラグナは片翼の老兵を呼び寄せて、レリオの作ったロストアームを左方から支えさせる。自身は右側から漆黒の砲身に手を触れさせた。

「もう一度撃つのか」

「……そう。いいから、射撃準備に入って」

 ノイウェル達の奮戦によって得られた一時的な安全で、レリオは再度トリガーを掴む位置へ落ち着く。スコープを覗くと、前方では未だに先刻撃った光弾と魔獣の黄金砲が激突したまま争っている。一進一退の膠着状態を維持しており、勝利の目はまだ見られない。

「今撃っても魔法と超能力サイキックがない分、威力は落ちるよ。後ろから加えようにも弱弾じゃ、あの触手共に叩き落されたらひとたまりもない」

 流石に場数を踏んでいるだけはあり、アウロの判断は混乱した状況にあっても正確である。しかして彼女の訴えは警告の類でなく、これからラグナがしようとする事を予期しての確認という意味合いが強い。この辺りも年の功か。

 よってラグナの口頭解説は、いまいち考えが及んでいない態のレリオへ向けた講釈だった。

「……ロストアームの使い方が中途半端。これは精神力で威力が増す。三人分の力で、一気に後押しする」

 必要最低限の事だけ述べて、ラグナは意識を切り替える。頭の中で古代遺物の構造を思い描き、触れた手を介して砲身へ意志を注ぎ込む。

 エレーナのように特殊能力サイコメトリを用いずとも、ロストアームのことは熟知している。三千年前、戦っていた相手も自分も同様の装備を用いていたのだから。ラグナはロストアーム全盛の時代にそれを使役した本当の使い手だ。現代人のように完全にメカニズムが分からないまま、使えるから使っているのとは訳が違う。

 自分はかつて嫌になるほど戦った。だから今は精々楽をしてやる。そう思って生きてきたが、時には例外だってある。自分独り此処から逃げることはやろうと思えば出来るけれど、それじゃあ折角面白くなってきた人生が、またつまらないのに逆戻りだ。退屈な日々など御免被る。

 なによりも、思うことが一つ。

「……こいつらは、こんな所で死ぬには上等すぎる」

 ロストアームの中心核へ意識を直結させ、セーフティの強制解除を採択。個人兵器を複数共用システムに書き換える。

「……外部供給連結を起動。主幹コンポーサー出力上昇。対外耐衝撃機構オン。第一、第二、第三安全弁解放。ジェネレーター反応機及び最終安全装置をパージ。リミッター解除。モード選択、オーバーロード発動」

 ラグナの言葉一つ一つに応じて、漆黒の巨砲が新たな活動を開始した。三千年間使われることのなかった機能が呼び起こされ、眠り続けた本来の性能が次々と励起する。

 闇を飲む外観には赤い光線が網目へ走り、全体では再び雷光が直走った。電子の輝きは稲妻然として湧き起こり、長大な砲身の上で躍り回る。次第に雷線は重なり合い、シリンダーへと集中していく。回転弾倉はすぐに電光の蛇玉となって、先頃以上のエネルギーを蓄え始めた。

 甲高い駆動音を奥底から発しつつ、集約される強大な力に外気も揺れる。微細な振動は逆巻く猛風となり、ラグナ達の髪を靡かす。同時に明滅する輝光の先で、組み上げられた破滅の力が碧緑を帯び定まった。

「す、すげぇ。これがロストアームなのか」

 先の数倍増しという尋常ならざる出力をまじかに見て、レリオは嬉々とした感嘆を露とする。予想を遥かに超えるパワーの高ぶりに興奮も最高潮へ達していた。

「こりゃ、ちょっと冗談では済まないレベルだよ。こんなのがゴロゴロしてたんなら、古代文明が滅ぶのも道理だね」

 レリオとは対照的に、強過ぎる力へアウロは危機感を抱く。

 確かに大きく有用かもしれないが、個人が持つには少々度を超している。使い方を熟知している一人を加え、三人掛かりでこれなら大昔はどうだというのか。想像するだに恐ろしい。

「……各々意見はあると思う。でも今は」

「ああ、分かってるよ。アイツを退けるのが目下の仕事さ。レリオさん、一丁決めておくれ」

 アウロの激励に、レリオは親指を立てて応じた。

 スコープから見る狙いは初弾の直線状。空中で停滞し、魔導砲と対立抵抗する正に争点。トリガーを握る右腕にも、知らず力が込められていく。

「これでぇェェ、終わりだァァァッ!」

 高らかな宣言を咆声として、レリオは腕全体で引き金を引いた。

 輪胴が回転する。蓄積されたエネルギーが射出機構に乗り、砲身の内部を先端目掛けて突き進む。暗く巨大な穴には瞬時に碧の輝きが灯り、奥から迫る光が周囲を照らして発射された。

 轟音。直下型の地震を想起させる大響音が迸り、世界が前後へ撹拌される。衝撃の暴風が三人の体を殴打して、見えない圧力に体勢を崩させた。時を同じく巨砲の末端から斜め上方へ制御棒が突出し、堅牢な構成素材の一部が開閉する。開かれたのは縦に長い通気孔で、横へ五列並びになるそこから内部冷却用の凍風が排出された。

 碧光は先の倍は大きく、速度も数段上回っている。先追う形で進軍し、途上に塞がる触手の群をいとも容易く突き破った。光の帯は全てが軽く屠られて、僅かな残り香さえ留めずに霧散霧消。造作もない会心の疾走はけして弱まらず、目的地への到着は瞬きよりも幾段早い。

 黄金と拮抗状態の三光へ背後から迫った碧弾は、これを取り込み一気に速力と威力を増大させる。大きさも後発から一回り向上し、進行力に至っては桁が違った。それまでの苦戦が嘘の様に行軍を再開し、巨大な魔導砲を力任せに叩き壊していく。眩い極光を押し返し、外縁から次々と粉砕して魔力を散らせ、絶対総量など急速に減衰させた。

 形成は逆転。輝く魔力の奔流は、より高次の火力に屈して後退し、もはや押し返す余力は見られない。碧弾も手心など加えはせず、ただ己に有す力の限りに目標へと突き進む。あれよと言う間に魔導砲は照射元へと引き戻され、これを圧して迫った碧光は、遂に魔獣の大口内へと飛び込んだ。

 けれど完全には通らない。口腔に侵入したまではいいが、そこから先に進まなくなった。鬣の再生に伴う威力の上昇がここにきて起こり、吐き出される魔導砲が冒険者達の一弾と鬩ぎ合う。またしても同等力による抵抗の袋小路に迷い込み、二つの光は動きを止めた。

「ああ、くそ! 後一歩だっていうのに」

 悔しげに歯噛みして、レリオは怒声を噴き立てた。今度こそ勝利を確信しただけに、その口惜しさもひとしおである。

「もう一度、撃てぬのか?」

「どうやら砲の方が限界みたいでね。急に大きな力を使わせたから、ちょいと調子が悪いらしい」

 ノイウェルの問い掛けに応じながら、アウロは漆黒の巨砲へ顎をしゃくる。

 防毒面と少年艦長がつられて顔を向けた先では、渾身の砲撃を終えたロストアームが光の粒子へ変じていた。

 無数の粒へ分解された輝きは、そのまま一つ所に集まって小さくまとまり収縮する。二人の目の前で巨大な砲は始まりの球状へ戻ってしまった。

「やれやれだぜ。まるで長蛇の列に並んで買おうとしてた人気映画の前売り券が、自分の目の前で売り切れたような気分だな」

 大仰に肩をすくめたスキンクは、実感のこもった台詞に溜息を併せ吐く。その足で数歩進み出て腰を屈め、すっかり小さくなったロストアームを拾い上げた。片手に収まる携行型万能兵器を二、三度掌で転がすと、持ち主であるレリオへ向かって投げ渡す。

「……全力は尽くした」

 ラグナは誰にともなく呟いて、エレーナ達の方を見た。渡した白衣は既に原型を失って、禾槻の背と胸とを覆い巻く包帯となっている。青年は未だ倒れたままだが、エレーナにも別段怪我はないようだ。

 禾槻の頭を抱えるようにして寄り添い座るエレーナは、俯いたままで動かない。それは親鳥が雛を護って周囲に牽制するような雰囲気で、ラグナはそんな姿に口の端を若干緩ませる。

 出来ることなら助けてやりたいところだが、如何せん万策尽きた。このまま獅子の体が完全に再生すれば、遠からず決死の一撃も破られるだろう。もう各員に戦闘を続ける力は残っていない。敵を倒しきる手段もない現状では、出来て敗走が関の山だ。それとて負傷者を抱えた状態で、どこまで上手く逃げ切れるか。

 同じ様な考えに至る面々が揃って表情を曇らせる最中、離れた場所からリリナの声が聞こえた。

「セルシア様」

 そろそろ魔獣の体動が復活し、押さえ付けるのも難しくなってきた時である。リリナは巨躯の背上から、緩慢な動作ながら自力で起き上がるセルシアを見た。

 右腕を喪失してこそいるが、痛覚がないお陰で呻き悶えることもない。自我や思考能力も復帰している。一度意識が完全に飛んでから、少しでも躯体を休ませられた為だろうか。セルシアが考えていた以上に、ハウエンツァのメンテナンスは行き届いていたらしい。

 ゆっくりと立ち上がった彼女は、眼前に聳える巨獣の威容を仰ぎ見た。次いで口内に於いて反発し合う二つの力を確認する。ちらりと振り返れば、随分と疲弊した仲間達の姿も認められた。行動前の作戦を思い出して考えれば、何が起こったのかを大まかに想像する事は難しくない。

 セルシアはもう一度獅子を見上げると、軋む体を引き摺りながら歩き始める。一歩一歩確実に近付きながら、巨大な口の前へと回り込んだ。その間に残った左腕を握り締め、固く拳を作り上げた。

 程無く怪物の正面は立ち戻ったセルシアは、左腕を深く引き、腰溜めに構えて正面を睨む。双眸に鬼火めいた闘志を滾らせ、脚を前後に軽く開いた。腰を浅く落とす。全身の体重を掛け、内在する全ての力を左拳へ集中させる。

 無骨なガントレットが低く唸った。内部機構が働いて、高電磁シールドに似た性質の攻勢フィールドが拳を包む。やはり実稼動時間が極端に短い弊害を持つも、短期的に対消滅型のエネルギー障壁を局所展開させ、凄まじい破壊力を生み出す近接武装。ハウエンツァ謹製の電磁域発生ガントレットが起動する。

「私達は、負けなどしないッ!!」

 セルシアが腹の底から全力で吼えた。同時に全身のバネで上半身を激しく捻り、全ての束縛から解放された剛拳を異形の口へと叩き込む。

 繰り出された左腕は碧の光が突き刺さり、最後の後押しをそれへ加えた。篭手ごと光へ飲まれた腕が、荒ぶる魔力と超能力、そして意志と想いの渦中で揉まれ、圧されて爆発する。ガントレットが直接の呼び水であるが、これを備えた機械の腕は粉微塵に砕け散り、生まれた反動でセルシア自身は後ろへ飛んだ。

 爆炎が碧弾の中で弾け、組み合わされた火力が最後の融合を実現させた。それ自体が起爆剤となり、新たな火力の統合から碧は更に一回りも強くなる。とうとう敵の魔力を押し切って、口の中へ、喉の先へ、体の奥へ、あらゆる障害を踏破して急進した。

 内奥を一気に駆ける。もはや止まる筈もない。全ての体内機関を粉砕し、破滅させ、中心へ潜む制御核を貫いた。再生さえも出来ないほどに、存在全てを完全に消し去り散らす。碧光は核の残骸一つ余さず飲み込み蒸発させ、高速度のまま背中を食い破る。骨も肉皮も打ち砕き、塞がる一切穿って突破した。

 そうして上がったのは、花火を彷彿とさせる盛大な炸裂音。全員の聴覚をつんざいて、彼方に天の頂きまでへ轟き渡る。

 尾を引いた残響が各自の耳に留まること数秒。峻烈とした強音が次第に治まっていくと、獅子の巨体に変化が現れ始めた。金色の体毛は輝きを失い、色素そのものが薄まり消えてしまう。次第に灰色と化していき、鬣も同様に沈んだ色合いへ変容を遂げた。

 それを追うように鋭利な爪が先端から砕けだし、砂作りの楼閣が果てるさながらに崩壊していく。爪が失せると次は前後肢が同じ状態となり、無数の灰へと分解されて降り積もる。あれほど猛威を振るった王獣の肢は見る影もなく、強靭さの窺えない無色灰粉となって元の形を喪失させた。

 巨体を支える四肢が失せたことで、魔獣の体躯は大きく傾き側腹から床面へと落ちて沈む。その衝撃が全身へ響くことで、巨獣は一瞬にして膨大な灰へと姿を変え崩れ去った。鬣の一本、牙の一欠けら、黒い体液の雫すら残さず、一切合切全てが等しく灰となって山を築く。

 生体金属を統括制御していたコアが破壊されたことで、魔獣を構成していた全ての要素が機能停止に陥った結果だった。長らく稼動していた装置は自らを維持出来なくなり、何の力も持たないただの灰となってしまう。獅子の巨体に見合う大量の灰だけを残し、数秒前までの面影は完全に消えている。

 崩壊する一方の灰山から跳んで離れたのは、その上に立って最後まで魔獣を抑えていたリリナだ。不安定を通り越し踏む事さえ困難となった足場でも、抜群の運動神経で軽やかな後方跳躍を決め、鋼板の上へと華麗に降り立つ。メイドというよりも猫科の猛獣に似た、しなやかで洗練された動きだった。

 彼女が地に足をつけて真っ先に捜したのは、当然ながら主君ノイウェルである。素早く視線を動かすと目当ての蒼髪は仰向けに倒れたセルシアの傍らに来ていた。握る巨剣が光の粒子に立ち返り、元々の小球と貸し与えられた長剣とに戻る最中、リリナは二人の元へと足早に向かう。

「ノイウェル様、お怪我は御座いませんか?」

「おお、リリナ。余は無事だ。そなたも良くやってくれた。見事な働きであったぞ」

「勿体無い御言葉です」

 自分を見上げる少年のはにかむ笑顔に、リリナは恭しく頭を垂れた。まずはノイウェルが無事で、内心胸を撫で下ろす。

 続いてセルシアへと視線を移した。彼女は両腕を失った痛ましい姿ながら、意識は明瞭としているようだ。やってきたリリナへも顔を向け、ぎこちない微笑みを浮かべる。

「セルシア様、随分と手酷くやられましたね」

「いえ、半分は自分でやったようなものなので」

「痛くはないのか? 大丈夫か?」

 心配そうに顔を覗き込んでくるノイウェルへ、セルシアは緩やかな首肯で応じた。

「腕がないという感覚はありますが、痛覚はありませんから。自分自身、あまりに何ともないので拍子抜けしているぐらいです」

「そうか。それなら少しはマシであるな」

 安堵の息を吐くノイウェルを見て、セルシアも自然と顔を綻ばせる。だがすぐに真面目な顔となり、主従関係の二人を交互に見た。

「私は、皆さんのお役に立てましたか?」

 真剣な口調で問う。自分の心を、人間性を救ってくれた仲間達に、自身は少しでも貢献出来たのか。常に胸の内の奥底について離れない疑念が、言葉となって解を求める。

 これを聞いたノイウェルとリリナは互いに顔を見合わせ、同時に頷いた。

「無論です。充分すぎると言っても過言ではありません」

「役立つどころか、決め手になってくれたではないか。そなたに限らず、この場に居る者、今艦に残っている者、誰一人欠けても余達の勝利はなかったであろう。余達は互いに助け、助けられる仲間なのだ。何も気負う必要などないぞ」

 ノイウェルとリリナの声を聞いて、セルシアは暫し目を丸くした。

 彼女に与えられたのは最大級の賞賛であり、そこまでの評価が与えられるとは正直思っていなかったからだ。特にノイウェルの言葉は、自分の中にある一線を見透かされたようでもあり、驚きは尚強い。

 けれどそれを超えて起こる喜びは、これまた思った以上に大きかった。改めて認められた気がして、どこかにあった自分自身の引け目が取り払われるのを感じる。

「そうですか。良かった」

 胸中の喜びは面上にも伝播して、何年ぶりになるか、意識せず自然な笑顔が浮かんでいた。


「いよぉぉぉし! 勝ったぁぁぁッ!」

 大歓声と共に拳を天に突き上げ、レリオは全身で喜びを表している。達成感と爽快感の合わさる明朗な顔は子供のように無邪気で、心底からの嬉しさに満ち満ちていた。

 苦戦を強いられた分だけ反動として起こる勝利の喜びは、生半可なものではない。ロストアームに精神力を吸い尽くされていなければ、飛び上がって快哉を上げていたところだろう。

 すぐ近くではスキンクがブブゼラを吹いている。何処から取り出したのかは、相変わらず判然としない。防毒面を僅かにずらし、覗いた口先へと楽器を突っ込み騒ぎ通す。不快さと紙一重の景気いい音色が、小躍りと共に上下へ揺れた。

「ここまでの強敵と戦ったのは随分と久しぶりだよ。一個中隊を相手するより骨が折れる」

 レリオ達の馬鹿騒ぎを見ながら苦笑して、アウロは床へと腰を下ろした。昔の記憶を引っ張りながら、懐よりアルミ製の酒瓶を取り出す。激戦内でも奇跡的に壊れずすんだようだ。

 その栓を捻って外し、祝杯よろしく一気に呷った。非常に強いアルコールが喉を滑り、五臓六腑へ染み渡る。勝利という華が添えられ殊更に美酒となった一杯へ、老兵は満足そうに破顔した。


「まだ、目を覚まさないようです」

 近付いたラグナを見上げて、エレーナは力なく微笑んだ。不安と自責が根幹にある心労が、平時に比べて酷い状態の顔から見て取れる。

 ラグナはそれへ頓着せず、エレーナの膝に頭を乗せられ、眠り続ける禾槻を一瞥した。

「……ナノリペアは効いてる。傷が深いから、回復には少し時間が掛かるだけ」

 何時もどおり表情もなく、感情の起伏が薄い言葉は単なる状況説明に聞こえる。特別な意図があるようにも思えないが。

「……霧川は存外にしぶとい。往生際も悪い。簡単に死ぬほど軟弱じゃない」

 あまりに言葉足らずと思ったのか、ラグナは変わらぬ声調でもう一言を加えた。分かり難いが、彼女なりにエレーナを元気付けるつもりだったようだ。

 一方のエレーナは相手の気遣いをそつなく汲んで、仄かな笑みを返す。消え入りそうなその儚さは、ともすれば彼女の方が致命傷を負っているかのよう。

「どうして、私を庇ったりしたんでしょうね。戦力にもならないのに付いてきて、足手まといでしかないのに」

 俯いて零される言葉は、果たして誰に向けたものなのか。自嘲を含んだ声音には、後悔と自己への糾弾が等分に感じられる。

 ラグナは慰めなどしない。彼女の言葉を遮ることも、撤回を求めることもしない。纏う雰囲気に擁護の色とて皆無。心中の知れぬ冷めた目でエレーナを眺め、次に禾槻へと視線を向ける。

「……考えるほど複雑な奴じゃない。行動原理は単純。大事なものは失くしたくない、どうせそれだけ」

 温かみもなければ素っ気もなく、思いの丈など微塵も覗かない簡素な言葉。何も考えていないのか、或いは深く考えているのか。それは最初からエレーナに分からない。

 ただ彼女は与えられた意見を自分の中に飲み込んで、ゆっくりと咀嚼する。穿った見方はせず、ただ言葉通りに受け取って理解へ回した。

「禾槻さん……」

 膝の上に置かれた顔を真上から見下ろして、エレーナはそっと呟く。褐色の頬に優しく触れ、掌全体で柔らかく撫で擦る。

「う、ぅ~ん……むにゃむにゃ……ラグナ、駄目だよ。百歩譲って仮にも女の子に分類されるのに、鼻から饂飩うどんなんて食べちゃ。その顔は酷すぎるよ。えぇ? そんなんで公衆の面前に出るの? それはマズイんじゃないかな。本気だったら僕、友達辞めるからね。あ、でも絵づら的には凄く面白いよね。折角だから、写真取っておこうか……むにゃむにゃ……」

 どうやら気を失って夢を見ているらしい禾槻が、何事か寝言を口にしている。割と鮮明なので、近くの二人は余さず聞くことが出来たのだが。

 エレーナは恐る恐るラグナの方へ顔を向けた。確認してみた彼女の顔は無表情である。普段と同じ。いや、普段以上に。

 対面から注がれる仲間の視線など知らぬかのよう、ラグナは右手に拳を作った。それをすかさず、禾槻の脇腹へ深々と突き刺し捻る。

「ぐはっ! そこはかとなく片腹痛し!」

 突然の痛撃に目を見開き、禾槻の意識が悲鳴と共に覚醒した。反射か衝撃か、体は『く』の字に曲がっている。

「……お前は一度、大霊界に逝ってこい」

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